疑問/なぜ戦艦大和を製造したのか?
奇襲攻撃とはいえパールハーバーでの飛行機による攻撃で軍艦(空母?)を沈めて戦果を挙げている。
また、ゼロ戦でもゼロ戦の弱点を知られてライバル機を製造されるまで、かなりの戦果を挙げている。
にもかかわらず、なぜ巨大戦艦を製造したのかがわかりません。そのエネルギー(資金、労力等)
を戦闘機による制空力増強にまわせば良かったのではないか?と疑問を持っています。
大和は戦果を挙げることなく沈められてしまうのですが、何か特別な戦略、ミッション等
がありそれが成功すれば戦果を挙げられたのか?
何かの誤算で結果論として悲劇的な結末を向かえたのか?
薄学なため、的外れ、頓珍漢な質問をしてれいれば申し訳ありません。
また、太平洋戦争について学べる良書があれば教えてください。
以上
多分知恵袋の
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1193730121
みたいなものを見ての質問と想定して回答いたします。
まず時系列の理解が必要です。
戦艦大和の建造が起工されたのは1937年11月、就役は1941年12月で、就役は真珠湾攻撃にギリギリ間に合わないタイミングです。
つまり航空機のみによる攻撃で戦艦の撃沈が可能であることがわかっていない時点で建造が行われているわけです。また戦艦を航空機のみで撃沈したのは真珠湾攻撃とマレー沖海戦が最初なわけで、航空機に全振りすべきだったのではというのは完全に後付けの指摘となります。
真珠湾の浅い推進でも雷撃が可能となるように、真珠湾攻撃の直前に日本空母艦隊は猛訓練と魚雷開発を行っていたのもギリギリ間に合った状態なので、アウトレンジをどこまでも求める大艦巨砲主義の論理に基づいて戦艦の建造が行われていたのはむしろ常識的対応の結果です。
戦艦同士の戦闘は太平洋戦争中あまり行われておりませんが、航空基地や都市などの陸上を艦砲射撃することに関しては有効であることはわかっているのでガダルカナルやレイテや沖縄で戦艦を用いる案が出てくるわけです。