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フランク王国(カロリング朝断絶後)のあたりを勉強してますが、教えて下さい。東フランクでは、ザクセン大公(リドルフィング家)やフランケン大公(コンラート家)といった諸侯(大公=ヘルツォーク)が後継者として出てきますが、西フランクでは、パリ伯ユーグ・カペー(伯=コンテ。ただし⇒ドイツ語でなら、グラーフ)が後継者として出てくると認識しています。


下記に引用した「教科書サイト」をみると、
(1)フランク大公とも書いてます。ユーグカペーは、大公(デュク。但し、ドイツ語だとヘルツォーク)でもあったのか。

また、このフランク大公とは、ドイツ語で言えば、フランケン大公となってしまわないか。
(2)もし、なってしまうと、どう考えたらいいのか。コンラート家と かぶってしまいそう。


   > 【高等学校世界史B/西ヨーロッパ世界の成立・・・サイト】
     西フランク王国(フランス)でも10世紀末にカロリング家の血筋が断絶し、
     諸侯たちによってフランク大公(パリ伯)のユーグ=カペーが国王に選ばれた。
     しかし、カペー朝はパリ周辺を領有するだけの、弱い王権であった。

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登録日時
2018-06-03 23:07:18
終了日時
2018-06-10 23:10:05
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