特に現代ではそのような者の多くは
不思議な事に「これは差別ではない」と言い張るのですが
それは一体何故なのでしょうか?何か理由があるのでしょうか?
「差別をして良いのだ」と言う主張をしてしまえば良いのではないですか?
「批判」に対しての「『批判』に対する反論」が許されている以上、避けられない苦境です。
「差別批判」に対しての「『差別批判』に対する反論」と「差別は正当であるという主張」(こちらは「差別批判」に対しての異論となります)を区別できる能力が必要になります。
差別自体を肯定すると、自分が差別されても抗議できないからではないでしょうか?
理論の飛躍がてんこもりで言葉の定義もいいかげんな
へんてこな質問ばかりしてるいつも見かけるこの質問者にゃ
そんな長文書くスキルなんて無いと思われ
今回の場合は理論の飛躍だよ
差別主義者、たとえば白人至上主義者がいたとするでしょ?
彼らにとっては白人こそ正義で有色人種は悪なんだ
でも差別したいのはその部分だけで全てを差別したいわけじゃない
> 「差別をして良いのだ」と言う主張をしてしまえば良いのではないですか?
とあなたは書きましたがこれは全ての差別
女性差別や障害者差別などありとあらゆる差別が含まれます
彼らはそうした全ての差別を是としているわけじゃあないんです
こんな風に具体例を当てはめてみれば理論の飛躍がある事くらいすぐ分かるはずなんだ
質問者の周りには「お話にならない」タイプの人がすくなくてよかったですねとしか。