この系統だけ、最初の人の個人の名前で「××流」となっています。
極楽寺流であれば、北条重時という代わりに、極楽寺重時殿という呼び名があったりします。これは当時から、極楽寺という呼び方があったわけです。
15代執権や16代執権でも、金沢貞顕とか、赤橋守時いう呼び名があったりします。
政村の系統だけは、こういう呼び方、地名に基づく名前(屋敷に基づく名前)が生まれなかったのはなぜでしょうか。
住居がなんども引っ越ししたからとか、そういう単純な理由でしょうか。
古文書で、金沢貞顕という書き方は、あり得ると思いますが、六波羅探題を務めた北条時村(政村流出身)について、政村時村という呼び名はありえないですし。