想像で例を挙げます。
①スーパーや牛丼チェーン店で自動支払い精算機が導入された。商売において、人が手でお金を受け渡すことこそが一番大事であるはずなのに。人のぬくもりを感じられず、機械的な作業になってしまって寂しい。
②サイゼリヤの商品には記号が振られていて、それを紙に書いて店員に渡す。食べるものに記号を割り振るような、ひどく寂しい世界になってしまった。
このように、効率化、合理化されることを嫌い、とにかく人が手間をかけて手作業で行うことに美徳を感じる方々がいらっしゃいます。
この方の心理といいますか、考え方、価値観など、ぜひ教えて頂けませんでしょうか?
自分自身がそうだ、という方でも、自分は違うけど想像ではこうだと思う、とかでも構いません。
ぜひよろしくお願いいたします。
例示が飲食の話になっているので、その例に従って考えてみる。
合理化を突き詰めていくと、最終的には、すべての人類に対し、基準を満たした必要量の栄養素を含み、必要な分量、適度な形状・硬さの食事を用意し、それがどこでも生産可能なものであるというのが効率的で望ましいこととなる。
そうするとたぶん、固形のペットフードみたいな感じに落ち着くものと思う。
それを侘しいと考えるか、地球や環境にやさしく、生態系も乱さずいいことずくめと考えるか、どこまでなら許せるかは、その人が食事に対して、何を大事に考えるかによって違って来ると思います。
人は新しい物事が増えることより、今まであった物事が無くなることの方に抵抗を感じやすいと思われますので、経験値の差がモロに出てくるのではないかと思います。
ムリ・ムダ・ムラ ~ 無能の三面鏡 ~
かつてある大企業は、受付に十数人の美女を配し、社長の出社時に、
身長順に並んで、ラインダンスのように出迎えていました。
キャバレーの業界用語“花番”そのまんまの玄関風景だったのです。
成功した企業は、社員が多くなると、顧客よりも上司に対する忖度が
重視され、オーナーが興味を失っても、無能なスタッフに実務上の権力
が委譲されます。ついには、ユーザーをアゴで指図するようになります。
あるとき、誰かが提唱したのは、受付に重役を坐らせ、来客の用件に
もっとも的確な担当者に引継ぐシステムです。とても合理的でしたが、
残念ながら、実際に採用した光景には遭遇しませんでした。
成功した起業家も、当初は有能な幹部に恵まれますが、いつのまにか、
無能なスタッフが紛れこむので、全体として無能になってしまうのです。
無能な人は、とても勤勉なので、ますます不合理に向うらしいのです。
https://teamhackers.io/waste-unreasonableness-inconsistency/
以上は、つぎの質問で、たっぷり答えてしまいました……。
https://q.hatena.ne.jp/1657558063#a1279950(No.6 20220715 19:50:00)