アルファベットなどの音声を表現する言語は日本語と構造が違います。
日本語は母音でも子音でも、基本的にイロハ五十文字で表現される一字ずつの一音が基本単位ですが、アルファベットなどは子音と母音がそれぞれ独立した発音単位で基本単位です。
つまり、日常で日本語の倍近い発音を意識していることになります。
この意識の差は構造的なものですが、似て非なる連音で意識しようとする。
ついでに言えば母音や子音の数や発音も全然違うのですが、似たような通例で処理しようとしています。
この発音の差が意識のズレを産み誤解や曲解につながっています。
もう一つあるのが英語などは音声の言語ですが、日本語は意味を主体にした言語です。
日本語の音声は意味に付属する発音ですが、英語などは発音で意味を表現しようとする言語です。
発音の特徴に惚れ込んで作られた単語も多い。
単語の作り方そのものが違います。
ついでにもう一つあるのが常識の差です。
英語圏では主語を必ず明確にするというルールがありますが、日本語にはそのようなルールはありません。
「MUST BE」の思考法に陥りやすい言語なので、日本語の曖昧な表現を理解できない場合が多いようです。
他にも一神教と多神教と無宗教などの宗教の問題とか、人種差別の問題など色々ありますが、不完全な情報伝達手段である言語同士の翻訳が不完全になるのは当然のことでしょう。
意識している以上に不完全だと言うことを理解できない人も多い。
盲象をなでる・・・でしょうね。