>具体的に言います。一九六〇年代から最近までの駐米大使は、武内さん、下田さん、牛場さん、安川さん、東郷さん、大河原さん、松永さん、村田さん、栗山さん、斉藤さん、柳井さん、十一人すべて外務官僚です。法律的には外務官僚である必要はありません。それから、大河原さん以外は、この駐米大使に関しては全部事務次官経験者ですね。そうすると、これはどうも外務官僚として位を極めたキャリア外交官の最後の栄誉としてのポストとして実態上扱われているのではないかと。ところが、法律的にはこんなことをする必要は全くないわけですね。民間人でもいい。
とのことです。
>また、問題の多い人事制度についても様々な提言がなされています。個人的に嬉しかったのは、私が国会審議で激しく突き上げた「事務次官OBの慣例的大使人事」(= 事務次官経験者がほぼ自動的に駐米大使として赴任すること)の撤廃が中間報告に盛り込まれていたことです。民間出身大使を含めた外務省外からの人材を広く募り、海外において真に「日本の顔」にふさわしい大使を送るために必要な具体策も盛り込まれており、これはもろ手をあげて賛成です。ただ、私や自民党の小委員会も主張していた「NGO担当大使」創設は見送られていたのが、やや残念です。ま、まだ中間報告の段階ですから、最終報告には是非盛り込んでいただきたいと思います。
既に撤廃に向けて働きかけているようですね。
2001年10月から現在まで、駐米大使(特命全権大使)はここに紹介されている加藤良三氏です。
>条約局を中心に主流を歩み、事務次官を約束されたプリンスだった。それが機密費詐欺事件や田中真紀子外相をめぐる人事騒動の余波で次官を飛び越え、直接駐米大使に。次官経験のない駐米大使は大河原良雄氏以来21年ぶりである。
これは2年前の一連の外務省バッシングの産物かと思います。
ただこれが巧みな緊急避難(笑)で終わるのか否か、今後の人選に注目ですね。
この問題は、それ以前からも問題視する声は当然あったのですが、いわゆる真紀子&ムネオ効果で世間の注目が集まるまでは、蛙の面になんとやらだったわけです。
「いつ、どうして、この慣行が始まったのか?」との問いの直接の答えにはなりませんが、
参考サイトをいくつかご紹介しておきます。
↓
●アメリカ一辺倒の外務省●
>外務省条約局の官僚たちのホンネは「安保条約は日本国憲法に優先する」
言い得て妙、何とも「含蓄」ある表現かと・・・
さらに、
●次官が「社長」でない●
なども参考になるかと。
「特集1
外務省を堕落させた「省内人事」の撤廃にかける真紀子の“女の意地”」
と、タイトルは週刊誌的ですが・・・
・省内人事で対米関係を悪化させていた外務省
・なぜ外務次官経験者だけか駐米・国連大使になるのか
・大使館を天下り先としか考えない外務省の役人頭
などの項目があります。
「問題が噴出した今こそ外務省改革の好機」
フォーブス日本版2002年5月号より
こうした真摯な提言がどこまで受け入れられるのか、
やはり私たちの監視いや関心次第ということかと・・・。
こんなところで、参考になるでしょうか?
失礼致しました。
回答ありがとうございました。
昨年のムネオ騒動のときだけ、話題になり、後は忘れ去られているという印象をもちました。
また、田中真紀子外務大臣が、あれほどまでに外務省で嫌われた理由は、外務省の側にむしろあったのかなという印象ももちました。
それにしても、どうしてそのような奇怪な慣行が始まったのか、どこにも記録がないのでしょうか。
それこそが、主権国家として恥ずかしいことだと思います、
また、大使館が天下り先という表現がありますが、ペルーやケニアは定年前にいくのに、どうしてアメリカは停年後にいくのか、その際の待遇はどうなっているのか、これも秘密のヴェールに包まれているのでしょうか
もう少し、皆様のお知恵をお借りしたいと思います。
http://www.soumu.go.jp/jinji/jinji_04d.html
国家公務員の定年一覧(主なもの)
追加回答致します。
先ず「定年」について誤解があるようですので、その訂正から。
上記URL「国家公務員の定年一覧」より
・事務次官など 62歳
・在外公館の職員 63歳
とありますように、駐米大使も定年後の天下りポストではなく、
外務省の現職員として任命される1ポストに過ぎません。
ただ、ご指摘のように他の国の大使に比べ最重要視され別格に扱われています。
職員の最高ポストである次官経験後の最後の名誉職的に処遇され、大きな影響力を行使してきたことも事実です。
そこから、先の回答で紹介したサイトにあったように、
「社長(事務次官)の上にいる会長(駐米大使)」というような例えが出てくるわけです。
一方で、外務省としてあまり重要視していない国の大使に関しては、
こんな問題も指摘されています。
↓
>外務省では、課長になれなった者(同期で半分近い)は在外公館の参事官、公使を歴任し??省内では渡り鳥と言う??
最終的に中小国の大使に就任するのが、これまでの同省人事システムの実態だ。
「待っていれば、何時かは大使になれる」といった非競争原理が定着していたのだ。
こうした”甘えの構造”が問題大使を生む土壌となっていた。
同じ大使というポストでも、駐米大使とはその扱いに天地の差があります。
もう1点、ついでながら、
>外務省改革の今後の焦点は、同省のエリートコースの登竜門される条約局の廃止問題に移る。
「条約マフィア」という言葉が端的に示すように、同省ではこの15年間、条約局の枢要課長、審議官、局長経験者でなければ事務次官→駐米大使になれなかった。
旧大蔵省(現財務省)の「主計人脈」と同じだ。
次官→駐米大使の前に、同省の条約局があることになります。
この条約局こそ外務省(問題)を語る時のキーワードのひとつですから、参考までに。
↓
条約局廃止の是非が焦点に 外務省改革
「脱外務省条約局」の発想
「外務省条約局」
本家(PR)サイトです。バランス上いちおう(笑)
やや横道にそれ済みませんでした。
ご質問趣旨の、
「いつからなのか?」について
↓
http://www.gispri.or.jp/newsletter/1996/9606-2-2.html
1996年6月号ニュースレター
1951年日米安保締結後の初代大使は、
>吉田が初代駐米大使に選んだのは東京電力の新木栄吉であった。
米資導入によるインフラ整備を重視していたからである。
少なくともこの時点では、次官経験者どころか民間人でした。
(といっても新木氏は元々17代日銀総裁であり、駐米大使後1954年再び19代日銀総裁に就くという経歴の方ではありますが)
その後、先の回答3番目のURLにありましたように、
>六〇年代から現在までの歴代駐米大使は、
竹内龍次、下田武三、牛場信彦、安川壮、東郷文彦、大河原良雄、松永信雄、村田良平、栗山尚一、斉藤邦彦、柳井俊二
という顔ぶれである。
以上十一人は、大河原以外はすべて外務次官の経験者である。
歴代次官は二人に一人の割合でワシントン駐在大使となってきたわけだが、大使になれなかった次官は在国連大使と英国大使に任命される。
ということで、
先の新木氏から60年代の竹内龍次氏の間の駐米大使について調べたのですがデータが見当たらず、
次官経験者が任命されるようになったのは、新木氏以降(1954年?)60年代の竹内氏までの間
としか答えられませんがご容赦ください。
最後に、なぜに外務省はアメリカをここまで重要視するのかについて少しだけ。
これは、ひとり外務省だけのことではなく、
上記サイト(あまり適当なサイトではありませんが)にも、
ニューヨーク駐在は、
>海外に支社や現地法人を持つほどの大企業からの海外派遣の中でも、最も華やかな勤務先であり、まさにエリートコースの典型であろう。
とありますが、新聞社においてもワシントン、ニューヨーク特派員は同じくエリートコースであり特別のステータスのようです。
これは、現在の日米関係を考えると(政治的にも経済的にも)理解できることかと思います。
ただそれがイコール対米追従に傾くあまり、
>「安保条約は日本国憲法に優先する」
とまで揶揄される現状は、多いに問題ありと私も考えますが。
長々と書きましたが、少しはお役にたてましたでしょうか?
私はこれで終わります。
失礼致しました。
ご丁寧で詳しい回答ありがとうございました。
状況がだいぶわかりました。
もうこれ以上は出ないでしょうか。あとちょっとだけ受付を続けてみます。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/kai_genjo/change/saishu...
外務省改革に関する「変える会」― 最終報告書 ― アクション・プログラム
>今後この慣行が改められる可能性はあるのですか。
>(あるいはすでに改まっているのでしょうか)
このことについて、3つあげておきますね。
まず、
外務省改革に関する「変える会」
― 最終報告書 ―
アクション・プログラム(平成14年7月22日公表)
III.人事制度の再構築
1. 競争性の徹底
(9) 事務次官のポストのあり方
において、
「事務次官が外務省事務方の最高責任者として求心力と指導力をもって
省内を統括していくために、在任期間を現在より長期化し、少なくと
も3年を目処とすることを検討する。次官は外務省組織の最頂点であ
り、従って最終ポストたるべきである。」
との記述があります。
「変える会」の最終報告書を受けて、
外務省改革「行動計画」(平成14年8月21日公表)
III. 人事制度の再構築
1.競争原理の徹底・職員の淘汰
(6) 事務次官ポストの在り方
において、
「事務次官の退任後、大使に任用するか否かについては、
あくまで適材適所の観点に立ち、公正・厳格に判断する」
との記述があります。
「行動計画」を中心とする外務省改革の進捗状況(平成15年8月25日公表)
という文書中9ページ目の一番うえの囲みに
行動計画の進捗状況として、上述の取扱いが【直ちに実施】された旨の
記述があります。
意外と正解が外務省のHPにあったりするのでしょうか。
いわゆる大本営発表なのかもしれませんが、変革が必要で、変革が「直ちに実施された」というのですか。本当なら、もう少し詳しく経緯や現状を知りたいものです。宜しくお願いします。
皆さんの回答の様に、外交官僚として最高の栄誉として扱われているだけです。しかも、戦後の日本とアメリカとの外交関係をここで述べるまでもなくアメリカに対して日本の外交上最重要拠点に置いているということのアピールでもあるからでしょう。あながたそれ以上を調べても無意味のように思えます。つまりそれ以上でもそれ以下でもないということではないでしょうか?ただ一つ気になるのは、回答者の皆さんがここまで色々調べて下さっているの、あなたはポイントを全く進呈していませんがこちらは何故でしょうか?そっちのほうが気になります。いかがでしょうか?
URLは質問者の希望する回答とは全く無関係です。
質問を終了します。やや長めの質問期間となったために、ポイントの進呈が遅れたことをお詫び申し上げます。
イラクへの自衛隊の派遣は、21世紀最初の国難ではないかと思っております。国難の実体を知るために、このような質問をしたまでです。ご協力ありがとうございました。
さっそくに回答ありがとうございました。
1960年代から最近まで、一人を除いて全員が事務次官経験者が駐米大使になっているということ、昨年その慣行を改める話が出たということですね。
いつ、どうして、この慣行が始まったのか?
昨年出てきた慣行のみなおしの動きは、今どうなっているのか、
について、わかったら教えて下さい