人間は喧嘩するのが習性ですよね?
より優れた固体の遺伝子を後世に残す為に争うというメカニズムが生物には組み込まれているという説がありますね。
喧嘩(他者・異物と闘うということ)は、動物の本能に根ざし、文化文明によりその動機が一層強化された結果なのでしょう。
マンガ読む感覚でウェブやってるんで活字が・・後で読みます
この質問、興味深い話が聞けそう
http://www.satsuben.or.jp/html/01lawyer/la13001.htm
URLエラー:札幌弁護士会
その通りです。人は常に境界線を争い続ける習性を持っていると思います。イヌと一緒かな?
近所の駐車場の隅に「ここは○○の土地です」見たいな看板が立ってます。たった数十センチ四方のを区切って。
それぐらいくれてやれよとも思いますが、自分だったら分かりません
『利己的な遺伝子』にも出てくる話ですが、戦いあうよりもお互いに協力したほうが結局、利益を得るという話です。
『利己的な遺伝子』自体も、自分に似たものを助けることが遺伝子が生き延びるのに有利になるという話であって、『利己的』というのは単なるキャッチフレーズのようなものです。闘うということはそれだけ別のところにエネルギーを使うことになりますから、生存にとって不利なのです。
まだ読んでないので的外れだったらすいません。
優れた遺伝子が協力して、劣った遺伝子を駆逐するってことですか?
>自分に似たものを助けることが遺伝子が生き延びるのに有利になるという話
ってことは、似てない物は助けない、危害を及ぼすなら排除するってことですよね
本能ってものは理性で抑制できないからそう呼ぶのでは?
道徳とか倫理は必要ですが、ここでその話は関係ないと思います。
既出回答の「利己的遺伝子」の原書を読む暇がないなら、「利己的遺伝子とは何か―DNAはエゴイスト!」という本が講談社ブルーバックスから出ていますので、お勧めします!
喧嘩している人の心情についてまで考えるなら、このへんが参考になるかもです。
原書が読めなかったら読んでみます。
下のは意味分かんなかったです。所詮俗人です、私。
URLはダミーです。
歴史的には、「AとBが団結して敵に立ち向かう→敵を倒す→今度はAとBが取り分をめぐって対立し、戦い始める」というパターンが多い気がします。
みんなで革命を起こして新政府を作っても、必ずその後内輪もめが起こるのもお約束。
人間って、いつも誰かと戦ってなくては気が済まないのでしょうか。
戦って勝つことで自分を正当化できる
http://www.h3.dion.ne.jp/~west.xyz/page012.html
metaphilia 争いの理由 1 正義の中身
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利害・善悪・正誤を決める基準が
それぞれ違うので争いがなくならない。
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私には生きていくため(例えば食料を得るためとか)よりも、
アイデンティティーを守るために争いを
するように思えます。
自己を正当化するために他者と戦う
「習性」=「本能」=「自然」=「普遍的」というのは違うと思います。
喧嘩でも、何でもいいですが、「自然」とか、「本能」とか、一体どういうことを意味するのかを考えるのに、上のリンクが参考になるでしょうか。
>ある行為を「自然な行為」と定義するこ
>とによって、その行為に対する批判を封
>じてしまう暴力
習性である、自然なことだ、といってしまうと、喧嘩を正当化してしまうことになりかねません。発想としては、非常に危険です。
なんか思考の渦に巻き込まれてます・・
適当なURLが見つからず……、すみません。習性と断定してしまうのは、やや早計かも……。
ただ、隣にヒトがいるからケンカをするわけではなく、金銭、権力、感情などの諸条件で“利害の対立”が発生したときに、
戦争やケンカが起きるのではないでしょうか。
無条件に発生するという意味での「習性」は当てはまらない気がします。
考えすぎて解脱しそう、、はは
リンク先面白かったです
この辺で終わります
どうも、ちょっと難しいんで後で読みます
平和主義者って本能に挑戦してるんですね