実際にタロットのリーディングをしている方で、ご意見とその根拠、リーディング歴を聞かせてください。単なる感想や、信じる信じないといった単純な意見は必要としていません。(そうした意見はポイントを差し上げる対象に出来ません)
最近ふと思い立って、タロットのリーディングをはじめました。ライダー版を使っています。実際にやってみると、リーディングの内容に驚くことが少なくないです。神秘的だな、と一言で片付けるには言葉が足りなすぎると思います。しかしながら、リーディングをすればするほど、タロットをどう捉えていいのか解らない気持ちにもなります。科学のように実証が可能な学問でないので、答えは一つでなく、様々な捉え方があると思うのです。他の方が、どういう思いでタロットと向き合っているのか聞いてみたいと思っています。
・「象徴」について。
・同じく、象徴と占いに関して。
・子供の頃5年程タロットをやっていました。タロットの理屈は、シャッフル中に自分の「問い」を投じて、集合無意識(過去・現在・未来・・・この世のあらゆる情報がある)とコンタクトし、答えを拾う、それがカードに「記号」として表現されている・・・のだと、捉えています。つまり、「チャネリング」の一形態なのだと。
http://www2.odn.ne.jp/a-migopark/yungu.html#2
プッチ・ユング心理学概論
リーディング経験者ではないので、参考にならないかもしれないですが、ちょうど私もふと、タロットを購入してリーディングをやってみようと思って、タロットを買ったばかりでびっくりしたので、きっかけを、書きます。
心理学者ユングがコイン占いの的中率の高さへの関心から集合意識の概念をはじめて示唆したことは参考になるのではないでしょうか?ポイントは必要としません。
多分私はタロットを通して、「集合的無意識」のことをもっと追求したいのかもしれないです。「集合的無意識」はタロットだけでなく唱えている学者も少なくないですね。(生物学者の著書で読んだことがありますし、取り上げたテレビ番組も見たことがあります)
yukky2004さんが驚かれたことと、私が気になっていることが近いのですが、できれば実際にリーディングをして、その経験にもとづいたあなた自身のご意見をお聞きしたかったです。でも投稿ありがとうございました。
http://www.rawilson.com/illuminatus.html
Illuminatus!
もう10年以上も昔から使っています(クロウリーのTHOTHです)が「歴」というほどではありません。ときどき並べて&視るという程度にすぎませんが、あなたもすでにお気づきのようにある種の信頼感はそこに認めています。といっても、たとえば、砂浜でもどこでもいいですが、棒か何かで足元に線を引いて、その線の跡を見つめながら、そこに自分のいまや思いや人生を見ることはできるわけです。「お、ここでこうささくれだってる、、、ここはきれいに弧を描いてるナ」等々、勝手にいろいろおもうこおtができるでしょう。タロットも大元のところではそれと同じだとわたしはニラんでいます。
ランダムになる線の代わりに、いつも同じ78枚のカード(とそれぞれの傾き(キャラクター)&影響力)で、まあ、「線」を描くといえるでしょう。(描かれたものは、つまり、描かれないものとともに描き出されているわけですね)。で、線よりもきまった「作用」(=意味)のあるカードのほうが「読み」出しやすいわけですね。あるいは「読み」込みやすいわけですね。カードに描かれたキャラやその呼称、そしてそれぞれのスーツの持つ象徴性、さらには数の持つヌメロジカルな偏倚力、、、それらは「線」よりは意味があるわけですから「読み」やすいです。宇宙や人生も「読む」ことをしなければ「意味」はないですね。ですから、わたしの場合は、そういうもの(自分を含めてですが)を読むための道具として使っています。べつに石ころでもコインでも棒切れでも実は何でもいいんです。生命は己の内で己なしに続いていく。それが宇宙なのですから。ですから、わたしはべつにタロットカードなんかなくってもそんなにかわりはないんです。ただ、ときどき使っている。自分の暮らしに採り入れて用いてる。それだけなのですが、、、ご参考になれば幸いでちゅ。
just a kiss
ありがとうございます。なかなか興味深いお話でした。私もタロットに対しての考え方はkomasafarinaに近いように思えます。「世界は啓示に満ちている」という言葉を聞いたことがありますが、目に映るどんな些細なことでも、実は何らかの意味を持つのではないかと思うことがあります。ただ、それが一体何なのか?は、自分で感じ取るほかないですが。
タロットはもう少し身近で解りやすい言葉で教えてくれているのかもしれません。感じた「何か」を少しでも、解りやすい形にしてくれている、のですね。
『あなたもすでにお気づきのようにある種の信頼感はそこに認めています。』
同じ気持ちです。それが何なのか明らかにしたいのに出来ないもどかしさがあるのですが、明らかにすること(真実かどうか?確証のある答えなのかどうか?)にこだわるのはナンセンスなのでしょうか?その辺少々悩ましいのです。
URLはダミーです。
現在はリーディングは行っていませんので、条件から外れてしまうかも知れません。
リーディング暦は3年程、止めてからは5年くらい経つと思います。
リーディングを行っている時は、とても他愛の無いレベルの自分占いしかしていませんでした。
そして、タロット占いは未来を暗示するものだと思っていました。
ある日、勇気を出して、当時の恋人との「未来」を占いました。
「破局」を暗示するカードが出て、カードの結果に導かれるようにして、別れました。
つい1週間前まで愛を囁き会っていた相手に、何故か私から別れを言い出して。
そのあと思ったことです。
カードを読む時は、どうしたって、自分の潜在意識が読み方を左右している。
当時私は彼の事を大好きでしたが、遠距離だった事も有り、彼は本気なのか、この恋がいつか終わるのか、
終わってしまうのなら早く終わった方が……などという不安をいつも抱えていたように思います。
だから、カードにでたのは確かに未来ですが、私が最も「こうなるかも知れない」と思っている未来。
自分占いをしているときは特に、カードは純粋な未来ではなく、自分の潜在意識を具現化する道具であって
現れる「未来」も、「今のままの自分」が呼び寄せる未来。
そこに現れる「結果」を前にして、逃げ惑うのではなくて、改善や、対策を取れない幼稚な心では
リーディングは行ってはいけないのではないかと。
独学でしかタロットを行っていないので、上記の事は非常識なのかも知れないし、常識なのかも知れません。
ただ、もうちょっと心が強くなるまでは、タロットは止めようとその時思いまして
この春、結婚をしましたが、その時もリーディングはしませんでした。
本当に個人的な感想で、申し訳ないのですが、(しかも自分占いは邪道なんですよね?)
私としてはタロットは「深層心理の具現化の道具」で、だとすれば当たるのも当然だと思っています。
正直にリーディングに向かい合わない場合に、外れるんじゃないかと。
お答えありがとうございます。正直、質問の趣旨とは外れていますが(ごめんなさい)、お答えはリーディングの難しさを物語っていると思います。同じカードの配置でも、そのリーディングは読むものによって変わってくると思います。感情が作用して、客観的に見れないこともあるし、全体を見渡せず偏った答えを出してしまうこともあると思います。私が危険に思うのは、カードに飲まれてしまうことがある、といいますか、カードの答え=自分の答えになってしまう可能性です。カードは状況を示す啓示でしかなく、その後の判断や決断は、結局は自分自身でするものだと考えていますが、カードの結果を気にするあまり自己を見失う危険性も否定できません。私も自分を占いますが、悪いカードの場合は正直良い気がしません。しかし、それならどうしたらいい方向に向かうかをがんばってリーディングしようと努めます。また、「思い当たる」自分の原因を反省してもみます。時には「信じない勇気」もありかな、なんて思います。それぐらい気楽な気持ちのほうがいいのかもしれません。
例えば天気予報で「明日は雨になります」と予報がでたとします。傘なしで出かけるとずぶぬれになるりますが、傘を使えば外出も出来るし、予定を変更して家ですごすのも良い、電車で出かければ雨をさけることもできるかな?など。いろいろ選択肢はあるわけです。予報を信じないで出たら、運良く雨が降らなかったなんてこともあります。まぁそんな感じで私はタロットを楽しんでいるのですが。
なんだかあれこれ書いてしまいましたが、そうしたもろもろのことを越えた上で、もしタロットの中でなにか自分(潜在心理)以外の何らかの啓示を感じたら、そのことに対する意見をお聞きしたいですね。
中学から高校にかけてタロットを少しやってました。人前ではあまりやったことがありませんが、今振り返ればやっぱり遊びだったと思います。
ごめんなさい。質問したいことはご感想的なことではなくて、「タロット」に対してどのようなご意見(お考え)をお持ちかどうかと、それに対する根拠です。質問が曖昧で解りにくいかもしれないのですが。。
URLはタロットのごくかんたんな資料です。
始めたばかりで、1年もたってなく、大アルカナ22枚オンリーですが、思っていたより自分のココロ、状況を言い当ててくれるので驚いています。
集合的無意識からのピックアップ作業である感じはしていますね。はてなダイアリーにちょっと似ていて、ココロの中のキーワードを引っ張りだして来て色を付けて解説してくれる感じ。
リーディング(という単語も今回初めて知りました)には、占術結果&分析をノートに書きながらやっているので、その分冷静に客観的になれるのもあると思います。なにより、カードを持った時って、リラックスはしているんだけど、妙に緊張しているというか、肩肘張らずに自分をありのままに素直に見ることができる、あの感じ。瞑想とか座禅とかに近い気がするんですよね。だから、そういうスナオなヤツには、カードの神様がちょびっとチカラを貸してくれるんじゃないかなー、と、そんなファンタジーを視ています。
特定の宗教はありませんが、神様はいるんじゃないかな、と思っているので。
面白い質問ですね、これ。他の方のもあなたのコメントも参考になりました。では。
先日はありがとうございました。ご投稿お待ちしておりました。^^
>瞑想とか座禅とかに近い気がするんですよね。
うーん、なるほどです。形はタロットであれ、座禅であれ、瞑想であれ、行き着くところは同じところなのかもしれないですね。手順はそれぞれでも。
そう考えると興味深いですね。別々の国で交流などない昔から、そうした「何か」に精神をつなげる術をそれぞれ持っていたのかもしれない。それこそ集合的無意識から読み取った術でまた集合的無意識にアクセスしているというような感じでしょうか。
参考になりました。ありがとうございました。
タロットをしていると、その結果に「説明できない何か」を感じています。気軽に占ったつもりでも、結果には自分の気持ちだけではない、偶然では割り切れない何かでした。それが何なのか?ということを、同じように感じる他の人にも聞いてみたかったのです。質問の仕方が曖昧だった点反省していますが、なるほどな、と参考になる意見が得られて嬉しいです。
以前科学を勉強していて、結果には原因があって、仮定が事実であれば検証することができる。という考えが根本にあります。タロットをはじめて「何か」を感じたので、できればそれを科学のように検証してみたい気持ちが実はあるのですが…実際にできるかどうかはまだ未知数です。でも、文献や多くの人の意見からその断片を知ることができるように思えます。
タロットのリーディングで悩むもありますが、もっと経験を重ねていって自分なりに何かをつかめていけたらと思います。
ご意見を頂いた皆さんありがとうございました。
ごめんなさい。求めている事としっくりしません。
>タロットの理屈は…
>カードに「記号」として表現されている・・・のだと、捉えています。
質問の仕方も悪かったかもしれないですが、「タロットがどんなものか?」ということを聞きたいのではなく、「タロットに対するあなたの考え方」を具体的にお聞きしたいのです。チャネリングの一形態と思われるのならば、チャネリングに対して、あなた自身はどうお考えなのですか?