カンタンに言えば、「氏より育ち」なのか、「ノーチャー(育成)よりネーチャー(天性)」なのか、ということです。
私見ではなく、科学的根拠を示したURLつきで御願いします。
明確な回答の出る質問でないことは承知しています。ただ、アイザック・アシモフのような知性あふれる作家兼科学者においてさえ、優生学的な発言をしている書物を目にしたものですから、つい気になって、専門に研究している方は、どのようなことを言っているのかと。
重要かどうか、という問題になると、私見にならざるをえません。事実ではなく、価値評価なのですから。
ちなみに、ぼくは氏のほうを重んじます。努力することは誰でも可能ですが、氏は変えることのできないものですから。
>努力することは誰でも可能
はたして、そうでしょうか?
努力しても報われないことのほうが多いのではないでしょうか?
それとも、そのことをふくめて
>氏のほうを重んじます
という回答でしょうか?
もし、よろしかったら、氏の方を重んじる理由をもう少し詳しく論じてください(URLダミーでも結構です(^^;)
http://plaza.rakuten.co.jp/currychan/diary/200408080000/
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参考までにいかがでしょうか
このお二人はかんぜんに遺伝的素質が重要で、少数のエリートを教育すればよい、という考え方ですよね。でも、はっきり言って
>人間の遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。僕はアクセプト(許容)せざるを得ないと思う。自分でもどうにもならないものは、そこに神の存在を考えるしかない。その上で、人間のできることをやっていく必要があるんです。
ある種の能力が備わってない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ。
という江崎玲於奈先生の意見の方がこわいでです。本気で、そう思われているのでしょうか?
「ゆとり教育」とやらを始める前に、こうした基礎研究が必要だったのではないでしょうか?
「ゆとり教育」とやらで犠牲になった子どもたちの将来はどうなるのでしょうか?それとも、気の利いた親は、三浦朱門氏が勧めるように独自に「英才教育」をしていたのでしょうか?
>ノーチャーが遺伝する
となると、ラマルクに戻ってしまうと思いますが・・・
問いそのものが大雑把過ぎて明確な答えは出せないといったとこですね。
内容にもよるんじゃないんですか?
例えば、顔などの外見は遺伝的要素が大きいだろうし、学力などは環境でしょう。
どういう要素について遺伝と環境のどちらが重要かという問いにしたほうが答えやすいかもしれませんね。
URLは非常に参考になりました。発達心理学からは、江崎氏のような見解は出てこないと思うのですが、いかがでしょう?
高血圧は、遺伝子が関与していることが確かめられていますが、そのはたらきは間接的なものであり遺伝と環境の関係も複雑で、相互に影響しあっています。すなわち、遺伝子要因をまず認識し、環境のコントロールをすることで、高血圧を予防していくことが大事なこととなります。
→生物学の場合、サンプルによりどの程度の割合で遺伝子の影響がでたからといって、その全てが遺伝子によるものか、生誕後の環境によるものかの、影響を数値として立証できません。このため、高血圧に限らず、このような歯切れの悪い回答しか出ないですね。
>生物学の場合、サンプルによりどの程度の割合で遺伝子の影響がでたからといって、その全てが遺伝子によるものか、生誕後の環境によるものかの、影響を数値として立証できません。
そうですよね。あきらかな遺伝子病いがいは環境の要因が強いと思います。それだからこそ、「疾病の自己責任」なんてことばも出てくるわけであって。
でも、一方では「環境が決めます→自己管理してください」という論法で、もう一方では「遺伝子がきめます→能力のない人は高いレベルの教育は必要ありません」という論法がまかりとおるは、結局、国家が責任のがれをしているような。
Nature Publishing Group : science journals, jobs, and information
URLはダミーです。
まさに7の方が言われている通り、何の能力を取るかで違ってきますよね。
筋力が必要なものは極めて素質が重要ですが、知性に関しては、後天的要素が強いというが現在の一般的見解だと思います。
(実際に、狼に育てられた人間の子供は狼並の知性で育ってしまうわけで)
元ネタを示せないのですが、
以前Natureに、ネズミの迷路を抜ける早さを使って知性を測定した時に、
母親が早い場合は、有意にその息子も早い、
すなわち、知性に関する遺伝子の一部はX染色体に乗っている、というような論文がありました。
これなどは、生まれつきの知性、更には示しませんでしたが、性格の一部も遺伝で左右されることが明らかになりつつあります。
ただ、人間社会において、そんな単純作業が要求されるか??が問題で。
確かに全く同じ後天的環境なら生まれが高い方が有利でしょうし、
暗算をひたすら突き詰めて極める、といった”単純作業の限界を競う”ような状況では、
先天的能力の限界の方が重要になってくると思いますが、
複数の作業を組み合わせ、また学習の効果も大きい、多くの作業に関しては、
後天的影響の方が大きいと思います。
運動の場合は、単純作業の追及の場合が多いので、筋力など先天的能力の限界が来る場合が多いと思います。
もちろん、外見などを要素として捉えた場合、後天的な影響は更に更に少なくなると思います。
非常に論理的な解説をありがとうございます。
>知性に関しては、後天的要素が強いというが現在の一般的見解だと思います。
まったく、そのとおりだと思います。
>確かに全く同じ後天的環境なら生まれが高い方が有利でしょうし、暗算をひたすら突き詰めて極める、といった”単純作業の限界を競う”ような状況では、先天的能力の限界の方が重要になってくると思いますが、複数の作業を組み合わせ、また学習の効果も大きい、多くの作業に関しては、後天的影響の方が大きいと思います。
そのために、教育の機会平等があると思っていたのですが、id:KairuaAruikaさんが紹介されたURLにあるように、現在それが保証されていないと思うのです。
科学的根拠というよりは、論理的な問題でしょう。
すなわち重要なのは「資質」が「発揮」できることであって、発揮の機会/制約となるのが「環境・教育」で、さらに「本人の努力」などが関係します。
すなわち発揮とは、「資質」×「環境や教育」×「本人の努力」という式で表されるのであって、どれかひとつがゼロだと発揮全体がゼロになるという意味で、どれもおろそかにできないでしょう。
で、資質とは、自分ではどうしようもないところで生まれながらに与えられ、それを持っていれば何でもできるように考えられがちですが、
その正体が「意志」を指すとなると、その意志を持てるように至った様々な要素の組み合わせ(「運」「偶然」を含め)に考えが及びます。
ということで、氏も育ちも、それぞれ行動・成果創出のための一要素ということでは同列、ということになりませんかな。
>氏も育ちも、それぞれ行動・成果創出のための一要素ということでは同列、ということになりませんかな。
まったく、そのとおりです。ただ、それを忘れている方が多いような気がしたので、質問を立てさせていただきました。
ちょっと、未消化のまま、質問をしてしまった点は御容赦ください。でも、ひじょうに勉強になりました。
質問者の意図を諮りかねた回答があったのは、こちらの責ですので、ポイントは均等配分ということでご理解ください。
ありがとうございました。これにて締めます。
うーん、回答の無いテーマということでしょうか?
性格もそうですが、能力的なものはどうなのでしょうか?