Yahoo!知恵袋
今の家庭では「おとうさん」の存在感が薄いと思います。
テレビなどでぞんざいに扱われているお父さんを見るとかわいそうになります。一生懸命働いているのに・・・
そんな扱いを受ければ誰でも家にも帰りたくないし、帰ってもつまらないと思います。
もっと母親がお父さんを尊敬するようにすべきだと私は思います。
我が家の実践例ですが、子供が何か上手に出来た時は「すごいね!!さすがお父さんの子供だね。」と言うようにしています。
そう言うと「そうなの?お父さんも出来るの?」と来ます。
そうだよ!お父さんはすごいんだよ!
となればお父さんも決して悪い気はしないでしょう。そして、自分が大切に思われていると感じてくれるでしょう。
これが全てとは言いませんが、大切な事だと思っています。
家族関係で不足していることは、やはり団らんの時間だと思います。親も子供も忙しい。自分のやりたい事に時間をさく。だから一緒に集まってなにげないなんの目的があるわけでもなく集うことが目的である家族の団らんの時間がどんどん削られていって、家族でいても個人でいること。
教育現場で不足していることは、授業時間。少なくしすぎです。繰り返し訓練するという時間がない。オリジナルの発想ができるようにすることばかりに気をとられて、日本人がこつこつ積み上げてきたひとつの事を習得するまで何度も繰り返し訓練するということをやり遂げる機会を与えない教育現場には疑問。
またいいと思うことは、一人の教師が見る子供の数が減ったこと。大勢すぎると目が届かないことも増えると思うので。一方で、少子化は深刻な問題でもありますが。
まずお互いの「信頼関係」が不足している気がします。
親子との信頼関係、教師と生徒との信頼関係・・。
信頼関係が希釈なのに、ネット相手とは急激に仲良くなってしまう人も多い。
別にネット相手と仲良くなる事が悪い事だとは言いませんが、まずは身近な人とのコミュニケーションをとるべきでしょうね。
現代は「信頼関係」と「コミュニケーション」が不足していると私は感じます。
教育実習をしたので、非常に参考になったのは、そもそも高校時代武道部の主将をしていたので、現役学生の一部を知っており、かつ放課後は部活動の監督もしていたので、学生たちがどのような面で行きずまりを感じているのか、話し合う機会があり、人間的に成長できたと思っています。武道部の顧問教師が若い場合は、同様に生徒のメンタルケアもやっている場合があり、荒んだ教育現場の唯一のオアシスという感じがしました。
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20歳の母親です。9ヶ月の娘が1人います。若いからってバカにされないように頑張っているつもりです。
私の母親も若くして私を出産しました。
もともとアバウトというか大雑把な母で、でも細かい事言わず、ファッションにしろ、恋愛にしろ、的確なアドバイスを沢山貰いました。
私もそんな関係を娘と築いていきたいと思います。
最近の若いもんは~などとよく言われますが、若いからこそ出来る事が沢山あると思います。
親子関係もそうです。
歳が近いからこそ、感覚が近いからこそ、全否定して、怒りまくる母親より、多少自分勝手でも、自由過ぎても、愛情の伝え方が上手で、面白い母親の方が良いと私は思うんです。
教育現場でも、型にはまったような先生じゃなくて、オリジナリティーがある、自由な先生が増えて欲しいなって、母親として強く思います。
メディアでは嫌な家族像ばかり取り上げられますが、例え、家族皆が忙しくても、自然と集まってくるのが、家族ですもんね。
うちの実家は家族みんな自由奔放で、両親も共働きでしたが、いつのまにやら皆が、ふら~っと集まってきましたよ。
きっとそういう家庭・家族は沢山いるんですよね。
うちもそんな風になれるように、いっぱい話して、遊んで、楽しく過ごしたいですね。
教師が子供にこびることは良くないと思います。
私の学校では、平気で教師が叩いてましたね。
それは、愛のある怒りだと思います。
正直私もわかってましたし。
てか、子供は、わかってますよ!!
今の子供は、原因をわかってても
親に言います。それで甘い親も
教師に訴えます。
どうにかなってほしいですが、今の
世のなか、どうにもならないのかもしれませんね!!
2人の男の子の母です。
不足;叱る大人。
自分の子がしていることが120%悪いことだとわかっているのに、
なぜ叱らないのか?
叱った時に「うるせー」と言われてなぜ黙っているのか?
他人の子が目の前で悪さをしても叱れない。
不思議で仕方ないです。
良いと思うこと;ん~、思い浮かばない~(淋しいですね~)
http://www.hatena.ne.jp/1120563183####
人力検索はてな - 現代の家族関係、もしくは教育現場での関係において不足していると思う事、おかしいと思う事を教えてください。また良いと思う事も是非是非教えてください。(悩みを聞いて..
自分の立場の自覚が足りない、と言うことはあると思います。
母であるということ、父であると言うこと。仕事であればたとえば教職者であるということ、民間の安全を守る警察官であるということ。(仕事に関してはあえて目立ったものをあげてみましたが普通の仕事でもあることだとは思います。)まだ未成年であるということ、もういい大人であるということ。個性が大事、とは言いますが、個性と言う名を借りた自分勝手が横行している気がします。
http://plaza.rakuten.co.jp/shigeki/15006
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首長部局と教育委員会
国は、文部科学「省」であって、「国家教育委員会」ではない。
地方、とりわけ教育公務員の大多数を抱える都道府県も、幼稚園程度の市町村も「教育委員会」である。この点が、地方側の「我々は教委だから首長の権限は及ばない」と組合活動をのさばらせてきた荒廃の原因である。
そして、基礎教育を担う筈の小学校・中学校は「市町村立」なのに、教員も事務職員も「都道府県職」であって、そこの市町村長の意向なんてこれっぽっちも聞きやしない・・・
そんなねじれが、現在の荒廃に拍車をかけている。
とにかく親が甘いこと、URLでは少し違ったことかもしれませんが過保護になりすぎている。先生方も親を恐れて子供をしかれないこと。
昔と違い女性が社会進出することによって友働きする親が増え、さらに少子化によって子供がひとりでいることが多くなったことによるコミュニケーション不足とコミュニケーションができない子供。
現実親や教師が子供に甘いことや問題に対して大人が適当なことが問題かなとか。
アダルトチルドレンが増えてきてることも家族関係がよくないことですね。
↑ダミーです
家族関係では、親子の「遊ぶ時間」。これが激減していると思います。遊ぶというのは、特別にどこかに出かけるとか、レジャーに行くなどと言うことではありません。家の中でもつれあってプロレスごっこをしたり、外でキャッチボールをしたりといった、ごく日常的な遊びです。
私は子供の頃、父が祖父に教わったという遊びをたくさん教えてくれました。ビー玉、メンコ、ベーゴマ等々。竹馬も作ってくれました。
夏休みなどはよく一緒に早朝散歩にも出かけました。二人でアニメの歌など歌いながら歩くんです。父親が友達になる一瞬でした。今思うと、会社に行く前に私と付き合ってくれていたんですよね。今仕事を持つ身になってその努力を思うと、親のありがたさに涙が出ます。
こんな、ごく日常的な遊びを通した触れ合いの中に、子供心の宝が膨らんでいきます。そういう親子の触れ合いが、もっとたくさんの家庭に生まれてきたらと思います。
最近の社会の風潮なのでしょうか。家族の構成や意味合いが固執しすぎているように思えます。親は親という立場からしか物事が見ないし、子供も同様に親の立場を考えない。これは洗脳的な意識によるもので型にはまりすぎてます。やはりお互いが目線を低く、高くすることによって思いやりや、信頼、家族間では変ですが友情などが生まれると思います。やはり身近にいる家族は友達でないといけないと思います。
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↑ だみーです
家族関係だと共にヒトツのことをする行為がかけていると思います。意見を募り交換する場が必要だと思います。これは定期的に行わないと効果は薄いと思います。
教育の現場は個人へのかかわり具合の少なさが良くないと思います。時間が少ないせいか個人個人への関わり方が浅く、適当に流されていっているように感じます。学校で学ぶことは「協調性」だと思うのですが、時間のなさに深く掘り下げて個人と付き合うことができない状況が協調性を学べないようになっていると思います
コメント(1件)
不足しているものは「権威というものが存在すること」に対する理解だと思います。
子供は家庭で(例えば)父の存在に権威を感じないので、学校に入ってからも教師に権威を感じなくなり、これが学級崩壊といわれる現象を生むのではないでしょうか。
権威というものを感じない子供は大人になって自分の子供に権威を持って接しなくなります。
先日、知人から「授業参観の際に子供のそばに寄りそい、離れない母親がいる」と聞きました。ここまでくると、権威の必要性を理解していないというよりも、権威というものが存在していること自体を理解していないのではないか、と考えさせられました。
よいと思うことについては…思い描くことができませんでした。