思っているだけで読めない人の実数は、もっと少ないようです。
義務教育なのに、九九や文字ほどの成果がないわけを論じてください。
1(体験)わたしは、どんな環境・機会により読めるようになったか?
2(予測)読譜率が99%に達すると、どんな社会変化が起きるのか?
3(提案)そのためには、どんな教育(政策・手法)に改革すべきか?
(↓)識字率99%>読譜率10%?
http://www.hatena.ne.jp/iwashi?mode=treedetail&thread=17057
http://www.hatena.ne.jp/1132529494
http://www.hatena.ne.jp/1127261552“音の風景”
1.私は読めません。
2.どんな社会変化が起きるかは分かりませんが、音楽がCDやテレビで流れているのと同じように、楽譜がメジャーな媒体になって伝わるかもしれませんね。携帯電話のカメラで楽譜を撮影して着メロ風にできたりとなるかもしれませんね。
3.とにかく楽譜に触れる機会を多くする必要があると思います。今、数学や国語に大きく授業枠を取られています。音楽は週に1,2コマ程度?これが数学などと同じぐらいコマ数を増やすようにしないといけませんし、そのために何かを削らないとダメですよね。
社会的にも何か理由をつけて楽譜を使わないといけないものにしないと難しいと思います。例えば九九であれば、普段の買い物で足し算掛け算をするのに必要ですし、文字はテレビでも新聞でも必要になります。これと同じような”必要性”が求められると思います。逆に言うと、今の世の中には楽譜を読めないといけないというような必要性がないので、楽譜を読めなくてもいいですし、楽譜を読めないのだと思います。(このことは2番の質問の逆になります。「どんな変化がないと読譜率があがらないか?」というわけです。この”変化”は私には思いつきません)
「楽譜」というのが九九ほど単純ではないからではないでしょうか?
中学卒業時までに習う義務教育の数学が分かりますか?
中学卒業時までに習う義務教育の漢字を読み書きできるか?
という質問だとすると「楽譜を読める」が10%前後だったのと同じように低い数字になると思います。義務教育なのにやはり低い数字になります。「楽譜が読める」というのもこれと同じレベルの質問だと思います。
五線譜を出してドレミの位置を書き込めという問題のように”九九”と同じように単純な質問にすれば正答率が上がると思います。つまり九九と比較して”成果がない”と論じる必要もなくなると思います。
http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/edu/1.htm
教育ブレーク(1)音楽教育不要論
URLは私のサイト。
ポイント不要です。
adlib様は、何故読譜率を99%にしようと思われるのですか?
1.>読めません
2.>逆効果。他のジャンルにしわ寄せが来る。
(例:子供の他の教科の学力が低下する、音楽教師を税金で雇わなければならない、音楽嫌いの子供が増える)
3.全く逆で、音楽教育を義務教育から外すべし。
itarumurayama さんの「音楽教育不要論」を拝読しました。
「アメリカでは義務教育に音楽は無い」の箇処は、ご推敲ください。
わたしも成果率10%の教育は(音楽に限らず)無意味だと思います。
私見では、かならずしも音楽や美術は“情操教育”ではありません。
ピタゴラス以来、平面や空間を体感的にとらえる理論体系なのです。
(受験競争から免除されたために、形骸化したことを惜しんでいます)
http://www.hatena.ne.jp/1134037458#
人力検索はてな - はてなアンケートでは「楽譜を読める」と思っている人が10%前後、 思っているだけで読めない人の実数は、もっと少ないようです。 義務教育なのに、九九や文字ほどの..
1(体験)
私は中学校で吹奏楽部に所属してそこで初めて楽譜を読めるようになりました。
基本的に個人練習→パート練習→全体練習という形なので、
まず最初の個人の段階で個人で楽譜をさらえないと話にならないと言った環境でしたので、
最初は改名を振りながら必死に覚えました。
ちなみに小学校の時も合唱部に所属する等、音楽には積極的に関わってきたつもりでいましたが、
いかんせん小学校での「メロディーの教え方」は
「耳で覚えさせる」という事に特化しており、
「楽譜」は、次の音があがるか下がるか、短めなのか伸ばすのかの大まかな判断基準、
それと歌詞の確認(笑)程度の扱いだったと思いますので、
「楽譜を読む」という行為とはかけ離れていました。
2(予測)
「音楽」というものが一人一人にとってなくてはならないものになり、今までよりも一般化する。それによって……
これは予測というか私の希望にもなりますが、
個人個人がもっと音楽に触れ、耳が肥えてくれば
素晴らしい海外のオーケストラやミュージシャンの来日機会が増えないでしょうか。
今現在オーケストラのコンサートのチケットは馬鹿に高額で、
趣味で気軽に頻繁に見に行ける娯楽ではありません。
まぁギャランティーやその他経費を考えると仕方のない事なのかもしれませんが、
こういったコンサートがもっと浸透して気軽に行けるものになればと思います。
3(提案)
読譜・九九・文字と並べると、どうしても読譜は
「できなくても生活に困らない」
「知らなくても恥ずかしくはない」
知識になってしまいます。
そのため、学校の教育でも九九や文字のようなカリキュラム(1年生で何文字の漢字を習う、とか)が組まれず、
当然九九のような綿密な試験もない。(少なくとも私の通っていた学校では音楽の試験はありませんでした。^^;)
生徒が皆九九を暗記するように読譜を教えるのならば
算数や国語と同じくらいの時間枠を確保する事が必要かと思います。
が、ゆとり教育だ何だと言っている現在の日本では難しいでしょうね……。
kaorhythm さんも、教室の外で「読める」ようになったんですね。
わたしも、中学三年までチンプンカンプンでしたが、夏休みに遊びに
来た友人に、かねてよりの疑問を打ちあけ、一挙に目がさめたのです。
http://www.gakufu.ne.jp/GakufuNet/
楽譜ネット | 楽譜・楽器販売サイト
1.環境・機会
中学時代は読めたのですが・・・今は読めるかどうか。
ちなみに授業で習いましたので。
2.読譜率99%になったら
「音痴」というものがなくなると思います。
CDに楽譜が添付され、それを元に曲を覚える・・・という社会になると思います。
また、方言のように、音階にも地方によりズレが生じる(「ド」の音が地方により異なる)
3.どんな教育
言葉(文字)というのは、国語以外の時間でも目にしますよね。
それこそ至る場所で。
もし、読譜率99%を目指すのであれば、常に生活の中に音楽(楽譜)というものを積極的に取り入れる必要があると思います。
それこそ、「ミュージカル」が当たり前の日常になれば可能ではないでしょうか?
個人的にはそんな生活はあまり・・・(笑)
>方言のように「ド」の音が地方により異なる<
とても愉快な予想ですが「音痴」は永遠に不滅だと思います。
映画《シェルブ−ルの雨傘》では、死にかけの婆さんまで歌います。
http://pasosavi.ld.infoseek.co.jp/
無料IT関連情報提供サービス Pasosavi
↑URLはダミーです…
体験ですが
ずっと昔、芸大に入ろうと思って、
それなりに受験準備をしたこともありましたが、
大して読めないままこの年になってしまいました…
(楽譜を渡されて弾いたり歌ったりはできる程度
そちら方面の才能がそれ程なかった、というのが自己分析です…
このことから思うに、
九九や識字より技術的に高度、
ないしは能力の個人差が大きい、
と考えています。
余談ですが、若い頃には絵画にも関心があって、
デッサンなども少しだけしたことがありましたが、
こちらはもっと才能がないことが分かりそのままです…
なんでも、もし対象物が本当にすべて「見えて」いるなら、
ど素人で時間はかかっても、それを描くのは可能で、
描けないのは、実は「見えて」いないから、
という話を聞いたことがあります。
これを音楽に当てはめると、
「聞いて」いることと「書いて」あることとが、
ある人の場合、かなりギャップがあるのでは
これは訓練や環境でかなりの程度結果が異なるでしょうが、
(ドイツやロシアの人の話が聞きたいものです
それだけではないと感じます。
なぜなら、訓練にかかる時間やエネルギーが、
九九や識字以上だからです。
#小生もご多分に漏れず、
学生時代は音楽のために一日数時間を費やしておりました。
そんな時間やエネルギーの必要が技術は、
そうそうありません
>九九や識字より技術的に高度、ないしは能力の個人差が大きい<
>描けないのは、実は「見えて」いないから<
>「聞いて」いることと「書いて」あることとに/ギャップがある<
とても重要な指摘ですね。かつて大学受験に6000時間かけるなら、
将棋に賭けようと決心した米長邦雄の例もあります。わたしの見聞でも
「フルート3年、ヴァイオリン5年、ピアノ8年」あたりですね。
①先ず、数学若しくは算数を行う場合は、九九を知らないと、問題を解くことは出来ません。
②一方で私は楽譜を読むことは出来ませんが、一つ一つ追う事でギターやキーボードの練習をし、弾くことを覚え一寸した曲であれば作曲もします。
③音楽をする上では、楽譜を見ただけで曲の雰囲気が分からなくても、音楽は学べるわけです。
④かなり有名なギタリストであっても、楽譜を読めないと公言している人もいます。
⑤楽器を弾く=楽譜が読めなければならない、という公式が成立しないからでしょう。情操教育云々の前の話ではないでしょうか。
>楽器を弾く=楽譜が読めなければならない、という公式が成立しない<
だれかに楽譜を差しだされたルイ・アームストロングは、さかさまに
してから吹きはじめた、という伝説を思いだしますね。
中村メイ子は、学校へ行かずにお祖父さんに勉強を教わったそうです。
足し算と引き算は教わったが、掛け算と割り算は教わらなかった。
ひとつづつ数えるのを、まとめて数えるのは、心がけがよくない……。
義務教育は、こういう人たちのためにあるのではなく、行きたくても
行けなかった子供のためのものでした。
江戸時代までは、九九を一段習うたびに、指南料が要ったそうなので。
http://www.hatena.ne.jp/(^-^)/:detail]
1.私は楽譜が読めます。
でも、学校教育のおかげで読めるようになったわけではありません。
私が楽譜が読めるようになったのは、
学生の頃作曲に凝っていて「書いていた」からです。
ロック屋ですから演奏に楽譜なんて使いませんが、
道を歩いていてフッと曲が浮かんできた時、
それを書き留めておく手段が必要だったんです。
ロック屋はギターのリフから思いつきますから、
カタカナでドレミ~なんて書くわけにいかないんですよね。
で、必要に迫られて書いているうちに、
自然と読み書きに慣れてしまったわけです。
正直、学校の音楽の時間にやっていることでは、
楽譜なんて読めるようにはなりません。
音楽の教科書は、みんな、歌詞だけ読んでるんです。
音は耳で聞いて憶えます。
合奏だって、楽譜を読んでやっているわけじゃなくて、
耳で聞きながら、他人の音との関係で
自分のパートの場所をおぼえるわけなんですよね。
だから、1曲に4回しか鳴らす場面のないシンバルなんかは、
子供にとってはものすごく難しいわけなんです。
楽譜が読めれば何の問題もありませんが、
耳で聞いて曲をおぼえるしかない子供には、
ぼやっとしていると青天の霹靂のように
自分のパートがやってきます。
今の学校教育の中の音楽では、
シンバルは、ほんとに難しい楽器です(笑)
2.読譜率が99%に達したら・・・・。
きっとDTMが普及するでしょうね。
ちょちょっと音符をマウスで貼り付けて、
どんどん音楽を表現できるようになってきます。
するとHTMLのタグなんかにも
<input type=score ・・・・>
なんていうのが登場します。
はてなの質問なんかにも楽譜入力が用意されるようになって、
この曲何? なんていう質問が急増してくることでしょう。
これに伴って、著作権法の考え方も変わってきます。
たとえば何小節以内であれば、目的と方法が
公正な慣行に合致する限りにおいて引用と認めます、
なんていう基準がJASRACから示されたりするようになってきます。
音楽という知的資産の公衆的活用が進展します。
3.とりあえず、小学校で使うピアニカ。
あれ、MIDI楽器にしちゃいましょう。
で、MIDI出力をPCに取り込んで、
楽譜出力させるソフトと組み合わせるんです。
自分の演奏した結果を楽譜として見ることができる。
音と楽譜の存在が一致する。
これが大切です。
あとは、マウスで音譜を貼り付けながら音を鳴らしていけば、
自然と読み書きをおぼえます。
文字の読み書きだって、本当は、
「習ったから出来るようになった」
わけじゃないんですよね。
「慣れたから出来るようになった」わけなんです。
習うより慣れろです。
慣れるチャンスさえ与えられればいいんです。
楽譜そのものは非常に単純なシロモノですから、
慣れてしまえば、そんなに難しいものではありません。
>1曲に4回しか鳴らす場面のないシンバルなんか<
さる大学オーケストラの演奏旅行で、シンバル奏者が最初のステージ
で顔を切って、一度も鳴らせなかったという話を聞いたことがあります。
>小学校で使うピアニカ。あれ、MIDI楽器にしちゃいましょう<
むかし、なにげなく息子のピアニカを吹いてみましたが、とても楽器
とは思えませんでした。あまりにも充足感が得られないのです。
>著作権法の考え方も変わってきます<
TomCat さんならではの鋭い着眼点ですね。数日前、ビート・たけし
も「中国の海賊版は、あんがい自由化を促進するかも知れないよなぁ」
1(体験)わたしは、どんな環境・機会により読めるようになったか?
3才からヤマハオルガン教室。
6才よりピアノの個人レッスン
13才よりソルフェージュ
をやりました。
「楽譜を読める」ベーシックな部分は、ヤマハオルガン教室時代に培われたと思います。
2(予測)読譜率が99%に達すると、どんな社会変化が起きるのか?
社会変化はおきないと思います。
1億総音楽家時代にはならないでしょう。
楽譜が読めることと、音楽が好きということは違うからです。
ちなみに、私は、音楽教育に親がそれだけの投資をしてくれたにもかかわらず、まったく音楽とは離れた日常生活を送っています。
3(提案)そのためには、どんな教育(政策・手法)に改革すべきか?
必要な教育は、3歳から6歳までの間に、毎日1時間ずつ、楽譜や楽器に触れる生活をすれば、楽譜も読めるようになりますし、絶対音感もつきます。
mryokai さんも、学校の外で「読める」ようになったんですね。
わたしは、高校一年で(誰にも教わらず)ヴァイオリンを始めました。
どうして小学校時代に、楽譜が理解できなかったのか残念なのです。
中学時代に楽譜を教えてくれた友人は、わたしが弦楽器を始めたあと、
フルートに取りくみ、カナダの教会で独奏するほどに上達しました。
受験科目になくても、異郷で友人を得るには絶好の技術なのです。
なお「絶対音感」については諸説ありますが、作曲家にも演奏家にも
聴衆にも、まったくメリットがないというのが戦後の定説です。
(わたし自身も、いままで保有者に出合ったことがありません)
http://www.gakki.com/shop3/trumpet_bach.html
ヴィンセント・バック・トランペット
URLはメジャーなトランペットメーカーの一つ、Bach(バック)社製品の価格表です。(詳細後述)
1)小さい頃にピアノをちょっと習っていて学齢前にト音記号とかはクリア。小学校の音楽の授業でリコーダーとトロンボーン(6年生全員参加の運動会の鼓笛隊の練習で)に出会いました。
音楽の授業が楽しかったのは、偶然にも基礎を習う機会にめぐまれた為もあるかもしれませんね。やっぱり、自分で演奏することで初めて楽譜は読めるようになると思います。その意味で語学と同じかと思います。書いたり読んだりしないと。
------
2)読譜技術は自分が過去の曲を学んだり、作曲するためのものだけではありません。
もっと目を向けなくてはいけない目的は、合唱や合奏にあると思います。
つまり、楽譜はもともと、曲を他の人に正確に伝えるためのものなのです。
そして、ある曲を多数で歌い合う、奏で合うためのものなのです。
一つの音楽を伝え合えることが世界の常識となったら、もっと人は優しくなれる気がします。
エモーショナルなコミュニケーションが盛んなのですから、ヒトに対する気遣いが自然にできるようになるんじゃないでしょうか。
吹奏楽部でトロンボーンを学び、縁の下の力持ちの愉しみを知りました。音楽演奏は自分を主張するだけでなく、組織の中での役割を知るというメリットもあるのです。また、そんなことを考えなくても、腹から思いっきり声を出すことは健康にも良いです。健康法としての音楽も見直されて良いのではないかと思います。
歌うことが普及したら、健康な人が増えても不思議ではありません。
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3)99%の読譜率達成の為には、相当な人数のオトナがネイティブな音楽家でなければなりません。
音楽文化がそこまで充実した社会になるには何が必要か、というと、いくつかあると思います。
あ)無償非営利の既存曲利用について音楽著作権が現在以上に解放されること。また、安価で良い楽器が流通すること。
実際に好きなように既存曲を料理するフリーな環境が整って、初めてまねっこが出来るようになる。語学もしゃべってしゃべって良く覚えるところから始まりますが、音楽も同じです。この不況下でもiPodが大ヒットしたように、音楽を聴くのが大好き、という人はいつの世にもいっぱいいる。ではなぜ、そういった人たちが楽器を持たないのか、カラオケ以外で歌わないのか。それは、音楽が資本主義のルールに乗りすぎた「商品」「消耗品」になってしまい、楽器や楽譜の利用についてのリスクが高すぎるからではないかと思います。利権ではなく、愉しみの為の物として、もっと音楽は解放されるべきです。
生活必需品(食料品や衣類など)非課税の国があるらしいですが、楽器/楽譜購入には消費税がかからないシステムになったら面白そうです。
い)センシティブなことをもっと価値化できるシステム
パソコンによるインターネットは瞬く間に普及しました。ではなぜ、パソコンと同じ価格帯であるトランペットやサックスは同じように普及しなかったのか? それは、必要性が無かったからではないかと思います。インターネットほどの便利さは、トランペットやサックスにはありません。
しかし、インターネットよりも生の音楽は感動できるし、達成感も深い。一度に多くの人に音を伝える力はインターネットの方が遥かに強いですが、一人の人に深く伝える力はトランペットやサックスの方が遥かに深いと思います。
こうした、センシティブなことをもっと価値化できるシステム(すぐには思いつかないのですが)があればいいなあと……。演奏できる環境、発表できる環境がもっと増えていければいいのではないかと思います。
う)合唱環境の充実
小学校では音楽畑出身ではない教員が音楽を教えることもあります。情操教育の入り口である小学校で、教員が音痴だったら子供は音楽が嫌いになるかも。
楽器を演奏するばかりが音楽ではありません。音楽の基本は歌うこと。声を出すことはコミュニケーションの基本です。楽器代がかからず、身一つでできる分、もっとも手軽な楽器とも言えます。
小学校教員免許の取得課程に、地域の音大での音楽科目(合唱法を中心とする単位)履修を加えるなど、教員養成側も大学を超えた努力が必要ではないかと思います。
え)音楽演奏がうまいことを議員選挙出馬の条件にする
音楽や芸術に理解がある人を増やすには、国や地域の政治家に得意な人を増やすのも手かと思います。最もパブリックな資金である税金の使い道は議会が決めているわけですし。
選挙前にはテレビや街頭で演説や論戦があったりしますが、それとともに候補者の音楽演奏の機会も設けると面白いのでは。公職選挙法を改正して歌か楽器がウマいことも条件に入れる。下手だと支持率が下がるので、音でも意志を伝えられるように必至に練習するでしょう。汚いことを考えている人の音楽は心に響かないと思いますし。
http://www.yamaha.co.jp/edu/student/museum/recorder/fla_ge.html
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http://www.tottori.to/quena/001.html
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お)子供のための楽器を普及させる
音楽教育で初めて演奏する本格的な楽器はリコーダーかピアニカ、鉄琴辺りではないかと思います。しかしこれらは、実は子供の手には合いにくい楽器なのです。
鉄琴やピアニカは鍵盤の位置を覚えなくてはならないし、リコーダーは指遣いの複雑さ、指孔の多さ、長さが適さないのですよ。小学校で初めてリコーダーを持ったとき、もっとも低い位置の指孔をしっかり押さえられる人はそれほど多くはないと思います。オトナの手でも大きな楽器と思う人も居るくらいです。左手で親指1つ、他の指で3つ、右手では4つ孔がありまして合計8つ孔。しかも、右手の薬指と小指はあまり器用には動かない指なのに、押さえる孔がそれぞれに2つありました。この複雑さは、子供の為を本当に考えて選定されたと言えるのでしょうか。リコーダーが音楽嫌いを生んではいないでしょうか?
子供の手には実は民族楽器系の縦笛が適しています。リコーダーに比べ、押さえる孔の少ない物が多いのです。あのケーナですら、両手を合わせて6つの孔。ならば、音を変える楽しさを初めて知るのにリコーダーよりは良いと考えられます。とはいえ、まず音を鳴らすまでが難しいので、ケーナタイプの指遣いで発音原理がリコーダー並みに簡単な楽器があるといいですね。
------
以上、非常に長くなりましたが、ご参考になれば幸いです。
Yuny さんの音楽談義は、尽きるところがありませんね。
このつづき(とくに合奏体験)を、ぜひブログで連載してください。
>公職選挙法を改正して歌か楽器がウマいことも条件に入れる<
曲がりなりにも演奏した政治家では、朱 鎔基首相の胡弓とともに、
わが小泉首相のヴァイオリン(一弓だけ!?)の例があります。
アメリカ大統領トルーマン&ニクソンのピアノはじめ、クリントンの
サックス、ライス国務長官のピアノ(極付け)、イギリス首相ヒースの
指揮に至ってはレコードまで出しています。
(↓)
(株)河合楽器製作所
1.体験
本当に読めます。
3歳ごろから6、7歳頃まで、家の近所にあるカワイのエレクトーン教室に通っていました。
通うのは週1、2回程だったかと思います。行くときは保育園から直接、自分でテクテク歩いて教室まで通っていました。
教室では、普段は曲を弾くための練習と、簡単なドリル形式の楽譜をドンドン引いていきました。それに加えて、年に何回か発表会があり、それのために猛練習をするということがありました。
家では、親に買ってもらったエレクトーンで教室から出された課題を練習してました。
当然、楽譜を読んで、対応する音を出さないといけないのです。ドがどれか等、当初は分かりませんでした。が、ハ長調のドレミファソラシがどれかを、先生か母親に質問して教えてもらったところ、後は自分ですべての音がどのように組み合わせられているかを解読できたため、特に問題ありませんでした。
当時の心理状況は、強制的にやらされていると思いつつ、一方で楽しんで自主的にやっている思いが入り混じったものでした。
以来、全く読譜に困ったことはありません。
なお、小中学校で音楽の教育がありましたが、楽器は数少なくて一人一人に手に届きにくい存在でした。また、「音楽をする男の子は恥ずかしい」とでもいうような雰囲気が、今にして思えばなぜか蔓延してたため、次第に音楽を避けるようになりました。なお、小中学校の音楽の試験は、特に支障をきたすことはなかったですね。
ちなみに、絶対音感はあります。これも全く衰えません。
2.予測
作曲家の数は増えそうです。
音楽版OPT等のソフトを使って音から楽譜をそのまま作る、あるいは、アレンジする。
はたまた、まず楽譜を作ってみて、音を出し、こつこつと作曲をする。
そういう人が増えそうです。
もちろん、楽譜が読めるだけで良い演奏ができるわけではもちろんないし、また音を出す媒体のせいもあって、質の悪い音楽の数は増えそうです。
ただ、低質な音で良しとするリスナー向けの市場には多くのアマチュアが殺到しそう。なんで、携帯電話の着メロ等、ああいうのはあまりお金にはならなさそうです。今もうそうかもしれないけど。
しかし、一方で音楽に興味を示す人は増えそうです。偉大な作曲家が生まれる可能性も高まるかもしれません。
ところで、活字の場合が参考になりませんかね。読める人はいるでしょうが、人が面白いと思うものを書いたりする人は少ないはずです。
ブログができたりして粗末な作文が乱立していますが、中には読ませるものも出てきてます。
音楽の場合も、聞くに堪えないものを公開する輩が出る一方、実際に楽器はふれたことないがパソコンで見事な音を作りましたよという例が増えそうです。
3.教育
楽譜は、読譜できなくてもOPTにより簡単に作れる時代はもう来てますので、読めるかどうかが課題です。
私の実感では、読めるには、実際に楽譜を見て反射的に楽器を使って音を作れないと、読譜はいつまでも伸び悩むもんです。
エレクトーンやピアノ等を1人1台あげて取り組んでもらうのがいいかも、と思いましたが、楽器を置く場所や買うお金が足りない方もいますので、非現実的そう。
しかし、ITで音を作り、それを楽譜に書いていくのは、ずっと簡単そうです。何だか楽器を使わずに、パソコンで音を出したりするだけだと邪道のようですが。。。
最終的には、より多くの人々にパソコンとネット環境を、ということに行き着きそうです。
── それを分かっていることと、それを分かっていない人に対して説
明することとは、最終的な利益又は不利益が誰にいくかの点で、異なる。
前者は当然自分に来るが、後者は私には来ない。(20051015)
── 《Du redest, wie du’s verstehst! 》
Rede さんのブログは、とても簡明洒脱ですね。
むかし Windows 95 が登場し、空前のパソコン・ブームが出現した折、
「音声入力できるようになったら、始めるよ」とソッポを向いた人は、
いまに至っても「あんなものは便所の落書きだ」とうそぶいています。
ブログ人口が400万から500万とか伝えられるので、もはや読む人より
書く人のほうが多くなったかもしれません。やがて大卒が99%になる
としても、すべてが低俗になるわけではないので、期待しましょう。
かつての、グーテンベルグの印刷革命のときのように、われわれは、
新しい袋に注がれた古い酒を、酌みかわしているにすぎないのです。
いずれ、ひとにぎりの天才が、あらたな香りを加えるまでは……。
http://www.mmjp.or.jp/ippinkan/newpage126.htm
���Ɖ��y/�܂Ƃ�
1.私は、4歳の頃から12歳の頃までピアノを習い楽譜を読めるようになりました。。。
2.読譜率が高くなると言語の違う人たちとの交流が深まると思います。。。
3.楽譜を読める事自体は、特に社会的には必要の無い事だと私は思いますが、音楽(リズムを取る・歌を歌う)と言うものは、非常に教育として必要だと思います。。。
URLにある通り音楽は、「世界の共通言語」だと思うのです。。。
よって、楽譜を読んだり、楽譜を書いたりする事自体は、興味を持った人や自分の音楽を他の人々に伝えたいと思った人が習得すれば良いと思います(歌よりも特に楽器演奏に於いて)。。。
音楽教育の観点から言えば、幼少期にリズム教育や協調音楽に重点を置いて取り組んだ方が良いと思います。。。
音感を養ったり、皆と協調してリズムや歌を歌い、その喜びや楽しさを共有出来る様にする事、つまり情操教育の一つとして社会的に重要だと思います。。。
スポーツは行動による共通言語で、音楽は感性による共通言語だと思っております。。。
http://t-m-s.co.jp/playwood/Cajon.html
PLAYWOOD Cajon/カホン
小学校教育で、今流行り始めている打楽器です。。。
文字が読めると、一人で本が読めるし、友だちにも読んであげられる。
さらに、自分で本が書けるので、もっと本を好きになるはずです。
たしかに、いいことづくめなのに、どうして読譜率が低いのでしょう。
わたしは、歌う楽器が好きなので、打楽器には不案内なのですが……。
↓カホンを試聴できるページを探しました。
Yahoo! JAPAN
1、読めません。
読めるの定義がやはりよくわかりませんが、音符を見て「ド」「ソ」という文字に変換することはできます。
でもそれも1オクターブ前後だけで、高い方の「ファ」とかになると、「ド」くらいから「ドレミファ…」と数えないとわかりません。
楽譜を見て正しい音はとれません。
6歳ぐらいから2年半くらいエレクトーンを習って、中学校では3年間吹奏楽部でホルンを吹いていました。
吹奏楽部に入ったときは、すっかりエレクトーン時代の能力はなくなっていて、音符も読めなくなっていました。「ド」とかフリガナ?をふってたかも…。
知っている曲の三択ぐらいなら、楽譜からリズムやだいたいの音の高低を読み取って、曲名を当てられると思います。
2、音楽をテキスト情報として提供することが一般化するのではないでしょうか。
言葉だってもとは音(聴覚的情報)が先にあって、それが文字(視覚的情報)になったわけですよね。
その文字と同じような活躍が、楽譜に期待できるのではないかと思います。
例えば、小説にそのシーンのイメージソングの楽譜が文中にはさまれるとか。
もちろん作者オリジナル。音楽を作る事も一般化すると思われます。
例えば、漫画にある擬音語や擬態語みたいなのが楽譜で表現されたりとか。
音楽漫画とかスゴイことになります。たぶん。
本屋にも音楽本みたいな、楽譜をメインにした本が登場して、「読書」ならぬ「読音」みたいな言葉が生まれ…。
表現方法の多様化というのが、一番大きいのではないかと思いました。
3、単純に音楽の授業を増やして、専門的にして、作曲なんかもやればいいのではないかと思います。
なんにしろ、能力なんてのは使わねば衰えます。九九だって使うから忘れないのです。
今の音楽の授業は、音を楽しむことをメインにしているように感じます。
算数と同じ力を音楽に注げば、それほど難しいことだとは思いません。
ただ、算数と同じ力を音楽に注ぐようにするのは難しいですけど。
f-ish さんは、エレクトーンを習い、ホルンも吹いたのに、読めない
んですね。なるほど、すこし分ってきましたよ。どんなに苦手な人でも
「ドレミファ…」は歌えるのだから、この部分を観察しましょう。
「ド〜レ」と「レ〜ミ」に比べて、「ミ〜ファ」は半音程なのです。
「ファ〜ソ」と「ソ〜ラ」「ラ〜シ」は全音、「シ〜ド」が半音です
だから、ピアノの鍵盤は □-□-□□-□-□-□□ と不規則なのです。
①-②-③④-⑤-⑥-⑦①-②-③④-⑤-⑥-⑦①-②-③④-⑤-⑥-⑦
①から始まったらド長調、②から始まればレ長調(以下、ミファ…?)
②から始めれば②-③④-⑤-⑥-⑦①-② → ②-③#④⑤-⑥-⑦#①②
1 読めます。ピアノ、VN、チューバ等をやってましたので
2 無理に想像してみましたが思いつきません。
3 九九や文字ほど学校教育の習得の成果が目に見えて低いのはやはり、出来て得することが普通の生活を営む上でまったくないに等しいからではないでしょうか。ですからもっと日常的に音楽を譜面化する必要性に迫られるような機会が飛躍的に増大すれば...(ちょっと違いますが着メロ作成等)
許光俊氏は結構有名で影響力のある音楽評論家ですがなんと、楽譜も読めなければ楽器の演奏の経験もないそうです。
>自分じゃ譜面が書けず、鼻歌を録音して、付き人に楽譜にさせるとい
う、某有名ヒットメーカーも、いるらしいという噂もあります<
これはこれでいいでしょう。過去に聴いた他人のメロディでなければ。
>オーケストレーションの勉強がしたければビゼーのスコアを読め<
《アルルの女・組曲2》を編曲した友人のギローに学べ、という意味で
しょうが、あまり紛らわしい例はいけませんね。(20050822)
この質問では、義務教育で教える西洋音楽の楽譜に限るつもりですが、
読めない人が、もっと読めない人に妙なことを教えるのは困りますね。
無資格のやぶ医者が、患者に致命的な治療をほどこすようなもので。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e6%a5%bd%e8%ad%9c
楽譜 - Wikipedia
1.
7歳からピアノを習いました。
そのため、ゆ~っくりなら、目の前の楽譜の通りにピアノの鍵盤を叩くことはできます。
でも、ピアノがない状態で楽譜だけみても、どんなメロディーなのかというのはわかりません。鍵盤の前でゆっくり音譜を辿っていかないと、わかりません。
もっと楽譜に重きを置く教室ならもっとすらすらと読めるようになったのでしょうが、楽譜は重視せずに、耳で聞いて曲を身につけるというポリシーの教室だったので、先生の演奏を聴いたり、何度も何度もCDを聞いたりするのが中心でしたので、読譜力はこの程度です。
2.
社会変化というほど大きなものではありませんが、
メールなどで「あ~、あのCMの曲なんだっけ」って時に、相手に自分が頭に思い浮かべてる曲を伝えられる、とか。
些細すぎますか。
まぁ普通に、みんなが楽譜を読めたら音楽の垣根が低くなるとは思いますね。
3.
どっちかって言うと、現在の五線譜システムの方を変えたい。
別に五線である必然性はないし、それに今の楽譜はオクターブと全く関係なくただ線形に音譜が並んでるだけですが、これをオクターブがひとまとまりとしてはっきりと見えるようなものに変えるとか、どうでしょう。同じCの音だったら、trebleのCでもbassのCでももっと高いCでも、一目見たらCはCだってわかるような。
http://en.wikipedia.org/wiki/Shape_note
Shape note - Wikipedia, the free encyclopedia
Shape noteという表し方が既にありますが、こんなイメージです。これをさらに、音楽に詳しくない人にとってもっと親切になるように発展させられないかな。
>オクターブがひとまとまりとしてはっきり見えるようなものに変える<
はじめ、わたしも“六線譜”を考案したことがありますが、そのうち
従来の五線譜に慣れてしまったのです。
>詳しくない人にとってもっと親切になるように発展させられないかな<
このアイデアは、音楽家よりも記号デザイナーの領域でしょうね。
現代音楽の作曲家は、もはや従来の五線譜から遠ざかって久しいので。
Yahoo!
1.バイオリンが好きで、小さいころからやっていたが楽譜な読めずにここまできてしまい・・・ある日カラオケでぶっつけ本番をやる会に入って楽譜をわたされていきなり歌う練習をさせられたらようやく読めるようになりました。
2.読譜率が99%になったらそれは人類の脳が数段も進化したことになると思うので、きっと世界恒久平和の時代が訪れると思います。素晴らしいです。
3.音楽教育は全ての根幹になる重要な基礎と位置付けて小さい頃から全ての国民が訓練されるようにすること。ただし、この世界はモーツァルトのような天才と凡才の差が激しいので、これに対する配慮が必要。言語を習得するのにベストな方法は音楽的な右脳感覚なので、小さい頃から英語を学ばせる代わりに音楽を右脳的にやらせる。一方で、楽譜を読む訓練を小さい頃から徹底的にやらせることで左脳の論理的思考能力を養成。自我に目覚める年代になって「自分は中国語をやりたい」と思ったときに、すぐ適応できるようになること間違いなし。優れた理性と感性の両方を兼ね備えた究極の総合人間力を育成するには音楽教育が最適なのだという方針の下で義務教育化すれば究極の世界平和が到来することでしょう。
>カラオケのぶっつけ本番(初見)で/歌う練習をさせられた<
yasuda214 さんは、楽譜ぬきでヴァイオリンを教わったのですか?
わたしは、ヴァイオリンを独習するために、楽譜を研究したんですが。
>小さい頃から英語を学ばせる代わりに音楽を右脳的にやらせる<
音楽は、英語・国語・歴史・数学・理科と同じく重要だと思います。
http://www.hatena.ne.jp/1134136382
質問者のコメントを書きながら、わたしの友人たちを回想してみると、
高度な読譜能力を持つ者ほど、議論するときに温厚なのです。
もちろん少数の例外はあり、すべてに有能とは限らないでしょうが。
pig.com - Pigs info.
こんにちは。URLダミーです。
1.私は楽譜が読めますが、それはなぜかというと学校の授業で習ったからです。
別に何か習っていたとか、そういうのは全くありません。
今までの例を見ているとこれは私が初めてみたいですね(!)。
母が昔、ほんのちょっとだけピアノを習っていたらしくて、
学校の音楽のテストのときには見てくれましたので、
それがどうやらきいているみたいです。
2.今、Macを買うと必ずGarageBandというソフトがついてきます。
これは作曲のためのソフトで、DTMを簡単にできるような機能があるんですが、
こういうソフトがきっと注目されるようになるでしょう。
今このような試みをしているメーカは少ないのですが、
きっともっとずっと普及していくと思います。
Windowsにははじめからペイントソフトがバンドルされているわけですよね?
あんな風になるでしょう。
この点ではTomCatさんに似ていますね。
>はてなの質問なんかにも楽譜入力が用意されるようになって、?>この曲何? なんていう質問が急増してくることでしょう。
TomCatさんのこれ、すごくいいですね。
私は前からこんなサービスはないのかなあと思っていたのですが、
ほとんどないようなのです。
きっと音を楽譜にできる人が少ないからなんだろうな、と思っていますが、
そういう人が増えればこんなサービスも軌道に乗るようになるでしょう。
それってすごく、(私にとっては)便利です。
3.別に読譜率が高くなくてもいいと思うんですが…。
なにか、楽譜の勉強をする動機づけになりそうなものが思いつきません。
強いて言えば、学校での音楽の授業をもう少しなんとかして、
例えばもっと音楽の楽しさが伝わるような授業を行います。
そして、音楽と深くつきあうためには楽譜が読めると便利だよ、という
方向へ動機づけることができるようにすればいいんじゃないでしょうか。
>母が昔、ほんのちょっとだけピアノを習っていたらしくて<
まさに、学校の授業で習ったのは、あなたが初めてみたいですね(!)
テキストで「♪」以外の音符や休止符が使えないのが、とても残念。
http://www.hatena.ne.jp/1134037458#11
人力検索はてな - はてなアンケートでは「楽譜を読める」と思っている人が10%前後、 思っているだけで読めない人の実数は、もっと少ないようです。 義務教育なのに、九九や文字ほどの..
コメントに対しての2回目回答です。。。
#11私の回答に対してのコメントで
>文字が読めると、一人で本が読めるし、友だちにも読んであげられる。
> さらに、自分で本が書けるので、もっと本を好きになるはずです。
> たしかに、いいことづくめなのに、どうして読譜率が低いのでしょう。
これについては、英語等の語学と同じだと思います。
何に対しても言えることですが、自分が興味を持ったり、必要に駆られた際に習得できる領域の表現だと思います。
(アメリカ人の恋人がほしいために頑張って英語をマスターするとか・・・同期が不純ですがw。TomCatさんの様にバンド組んで作曲したりするには必要な能力ですよね。)
大抵の人は、音楽に対して、聞いて楽しむ・唄って楽しむ・リズムを取って楽しむという領域で満足しているのです。
よって、読譜する必要に駆られていないのです。
また私が思うところに、難しい漢字で書かれている小説や物語の本を手渡しても読む気はしません。
しかし、誰かが朗読したりするシュチュエーションがあれば、耳を傾けたり、その本の内容が判ると言うことがあると思います。
ちょっと、無理矢理感は否めませんが、まったくもって、音楽・読譜に当てはまらないとは思いません。
如何でしょうか?
#15回答のadlibさんのコメントで
>高度な読譜能力を持つ者ほど、議論するときに温厚なのです。
> もちろん少数の例外はあり、すべてに有能とは限らないでしょうが。
このことに対しての私の考えとしては、1つのことに対して、深く物事を見る眼があるために、温厚であると感じるのだと思います。
自分と違う見解があったとしても、そう言う見解があるかもしれない、逆に面白い見解ではないのかと見る懐が有るからだと思います。
他の学識者に於いても、同じ事が言えると思います。
今回のこの質問に対して、読譜に関して色々考えさせて頂きました。また、幼少期の音楽についても考えました。
有用な質問で考えさせて頂き、有難うございます。。。
今回の考えを踏まえ、私は下記の事にチャレンジしようと思い立ちましたので、記載させて頂きます。。。
私の子供達に現在ピアノを習わせておりますが、その事により読譜は、ある程度出来る様に成るとは思いますが、楽譜落しは出来ないと思います。
そこで、子供達に楽譜落しが出来る様に自宅にて遊びがてら楽譜落しを実行しようと思いました。。。
>遊びがてら“楽譜落し”を実行しようと思いました<
漢字の“書取り”ですね。俳句のように作曲できれば楽しいですね。
テキストで「♪」以外の音符や休止符が使えれば、いいですね。
>音楽・読譜に当てはまらないとは思いません<
このことについては、ラテン語やサンスクリット語の運命、コーラン
の朗唱や、邦楽譜など、思いめぐらすことが多く、いずれまた。
この質問は、もうすこし続ける予定でしたが、ここで終りましょう。
osarivan さんの、記念すべき1000番目の回答を祝して(!?)
回答者のみなさん、ありがとうございました。ごきげんよう。
NHKや全国紙では、義務教育の習得者を対象にしています。
したがって、識字率が読譜率のように10%まで急落したら、番組や
紙面にどんな変化が起きるか、という疑問の裏がえしですね。