「二度あることは三度ある」 と 「三度目の正直」 は、矛盾していますよね?
もちろん、どちらも先人の有難いお言葉であると思うのですが、
1.どちらの方が「諺」での信憑性が強いのでしょうか?
2.どちらの方が早く生まれた諺なのでしょうか?
どちらでも構いません、高校2年生でも分かるような回答をお待ちしています。
諺とは「風刺・教訓・知識・興趣などをもった簡潔な言葉(GOO辞書から一部引用)」です。ウンヌンとも読むそうです。
ようは上手い言い回しであり、自然法則や予知のようなものではないので「どちらのほうが信憑性が強い」ってのは設問の設定の仕方として残念ながら失敗しているように思います。
どちらも起こりえる事を簡潔に要約しているので100%の諺です。
…でも矛盾してますよね(笑
所詮、諺やマーフィーの法則の類はウマイ言いくるめの類で、自然科学の法則などのようには信頼できないと言ってしまっていいのかもしれません。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B8%C1&kind=jn&mode=0&...
ご回答有難う御座います!!
やっぱり反語なのでしょうかねぇ?
二度あることは三度ある→同じようなことが二度続けてあったときは、続けてもう一度起こるものである。物事は、往々にして繰り返されるものである
http://www.geocities.jp/tomomi965/
三度目の正直→はじめの二回はちがっても、三度目は確かであること。
http://tantaka.com/kanyouku/2005/10/post_269.html
二つを調べると、「二度あることは三度ある」はことわざの辞典に、「三度目の正直」は慣用句集にありました。
ことわざは、昔から人々に言いならされた言葉という意味でしたので、「二度あることは三度ある」のほうが古くからの考え方であると思います。
ご回答有難う御座います!!
「三度目の~」は諺のほうにも入ってますよ。
①二度あることは三度ある…同じ挑戦につき3回連続し確からしい。
②三度目の正直…同じ挑戦につき、1度目2度目はあてにならない。3度目はほぼ確からしい。
確かに矛盾しています。
飽く迄も私の考えですが、前提として、まず、このふたつの諺を比較し、確からしさを導くためには、絶対条件として「主語」を付与せねばならないと考えます。主語は人間か、でなければ、動物など生き物をイメージして頂くと宜しいかと思います。主語をつけるという前提によって初めて、確からしさの比較が可能になると思います。
早太郎君と遅次郎君の二人がいたと仮定しますと、
このお二人に、棒高飛びに挑戦して頂くとしましょう。
早太郎君は軽率且つ行動的な男子です。
遅太郎君は慎重且つ学習的な男子です。
性格が異なるわけですね。
そこでこのお二人に、棒高飛びに挑戦して頂くとして、二人の経験や基礎運動能力は同じ水準と、仮定します。
1度目、2度目、3度目、早太郎君は全部バーを落としました。
(あるいは、早太郎君は全回クリアした)
1度目、2度目、3度目、遅太郎君は3度目に初クリアしました。
(あるいは、遅太郎君は1,2回目クリア、3回目フォルト)
つまり、
早太郎君のような性格の方は、
「二度あることは三度ある」
遅太郎君のような性格の方は、
「三度目の正直」
に該当する蓋然性が高いと思います。
このように、あてはめる対象の性格によって蓋然性が変わる諺ですあから、どちらが先に生まれた諺であるかと言えば、両者に牽連性がありませんので、この点の回答については不明としてよろしいかと思います。
ご回答有難う御座います!!
確かに、諺は時と場合によって使い分けが違いますからねぇ~。
信憑性についてはどちらが強いということはできません。
それを使う人の意識によって使い分ける言葉だからです。
前者はどちらかというと後ろ向き、後者は前向きの表現ですよね。
ときにことわざとして残っていることは矛盾を起こすことがあります。
他にも
「三人寄れば文殊の知恵」と「船頭多くして船山に登る」
「蛙の子は蛙」と「氏より育ち」
などです。
どちらにしても、ことわざは教訓などを簡潔に表したものであるが、物事をプラスに見るか、マイナスに見るかで表現がわかれ、またその物事自体どちらに転ぶかわからないなりに表現している。
その対象となることにはどちらの可能性も等しくあるということです。
成立についてどちらが先か、誰が初めに言ったかを特定することは不可能だと思います。
知っているとすれば金田一先生くらいでしょうか?
ご回答有難う御座います!!
そう考えてみると、確かに矛盾している諺は多いですね!
http://www.hatena.ne.jp/ (URLダミー)
>1.どちらの方が「諺」での信憑性が強いのでしょうか?
(A) 二度あることは三度ある:二度起こったことは、もう一度起こる
(B) 三度目の正直:最初の二回は失敗しても、三回目は成功する
こうして見ると、両者は、違う内容を指し示しているように思います。
(A)は、二回あった出来事に関して、単に「もう一度起こる」と予言しているだけで、「いつ」起こるかは述べていません。
それに対し、(B)は、「三度目は」成功する、とかなり限定的な予言をしています。
よって、(A)「二度あることは三度ある」の方が、当てはまる場合が多いのではないでしょうか。
ご回答有難う御座います!!
ん~そうなんですかねぇ?・・・ということは、「二度ある~」と「三度目の~」の両方が発生するケースがあるのでしょうか?
人はなんでも都合のいいように物事をとらえているだけです。
都合のいいようにというのは人の気持ちを表すのに都合がいいという意味で、
落ち込んだ気持ちには「どうせ失敗する」という考えが都合がいいし、
前向きな気持ちには「今度こそ成功する」という考えが都合がいい。
時と場合によってみんな考え方が違う。
「3度目の正直だ。今度こそ成功してやる!」
と意気込んでも、
「だけど2度のあることは3度あるって言うしなあ」
と憶病になったりして心が揺れ動くことってありますよね。
自分の気持ち次第(やる気)で変えられるというのもその通りだと思います。
本来は別の言葉だから間違った使い方なのかもしれないけど
そもそも表現しようとしている人の心というもの自体が
心変わり、葛藤、矛盾なんでもありなんですよ。
だから言葉も反対語だらけ。
移ろいやすい人の心は肯定していいと思います。
矛盾しててもいいと思います。
人間なのだから。
ご回答有難う御座います!!
確かに、この諺を使う人のモチベーション次第で良い方にも悪い方にも持っていけますね(笑)
良い事が連鎖すると「二度ある~」で、悪い事が重なると「三度目の~」を使うのか・・・。
諺とは「風刺・教訓・知識・興趣などをもった簡潔な言葉(GOO辞書から一部引用)」です。ウンヌンとも読むそうです。
ようは上手い言い回しであり、自然法則や予知のようなものではないので「どちらのほうが信憑性が強い」ってのは設問の設定の仕方として残念ながら失敗しているように思います。
どちらも起こりえる事を簡潔に要約しているので100%の諺です。
…でも矛盾してますよね(笑
所詮、諺やマーフィーの法則の類はウマイ言いくるめの類で、自然科学の法則などのようには信頼できないと言ってしまっていいのかもしれません。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B8%C1&kind=jn&mode=0&...
ご回答有難う御座います!!
だんだん分かってきました。世の中には必ず「矛盾」があるんですねぇ~。
置かれている状況により使い方が違っくるからだと思います。
だから、①どちらの方が「諺」での信憑性が強いとはないと思います。
②ことわざでどちらが早かったかは特定不可能だと思います。
(格言等なら可能でしょうが)
「二度あることは三度ある」何度もあることには用心しなさい
「三度目の正直」二度だめでもがんばりなさい。
ご回答有難う御座います!!
確かに、「信憑性~」云々は間違ってました。もう少し整理してから質問すべきでしたね、すみません。
1.どちらの方が「諺」での信憑性が強いのでしょうか?
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●二度あることは三度ある
同じことが二度起きれば、続けてもう一度起きる。物事は繰り返すものである
「歴史は繰り返す」は同意。
●三度目の正直
最初の二回は失敗したりしてあてにならなくても、三回目はうまくゆくこと。
占いや勝負事で、最初と二度目の結果は当てにならないが、三度目は確実によい結果が出るということ。
「三度目は定(じょう)の目」は同意。
意味を見て分かるように、どちらが信憑性高いという事ではなく、それぞれ使うシーンが異なります。
例えば、あなたが続けて不運な出来事が身の回りに起こったとしましょう。その時、「二度あることは三度あるというから、気をつけてね」という風に用いられます。
それに対して、あなたが何かチャレンジしたけど、2回失敗して挫けそうになったとき、「三度目の正直という事もあるし、頑張ってね」という風に用いられます。
つまり、「二度あることは三度ある」という諺は一般的に悪いことが起こった場合に用いられ、「三度目の正直」はいい意味ポジティブ表現として使われます。
ちなみに英語で「二度あることは三度ある」は
"It never rains but it pours"(物事[不幸]は続いて起こるもの)
「三度目の正直」は
"The third time was the charm"又は"three times lucky"(三度目の幸運)
と言い、他国でも同様の意味を持つ言葉は存在します。
2.どちらの方が早く生まれた諺なのでしょうか?
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どちらの諺が早く生まれたかというのはちょっと分かりませんが、日本の諺で「三」という数字がよく出てくるのは以下のページがご参考になるかと思います。
http://www.netricoh.com/contents/antenna/ojituu/data/0100.html
以上、ご参考になれば幸いです。
ご回答有難う御座います!!
やはり、使う人次第なのですね。
何度もすみません、先の回答に補足します。
ちなみにドイツでは「二度あることは三度ある」を
"Ein Unglu"ck kommt selten allein"(悪いことが重ならないことはめったにない)と言うようで、他の諺では"Aller guten Dinge sind drei"(良いことはすべて、三つ重なる)というものがありますが、先に書いた「二度あることは三度ある」と使われるシーンは異なり、この諺は良いことの場合にのみ用いられるようで、これも文化の違いが見て取れます。
http://blog.mag2.com/m/log/0000076154/91059055
あと一つの参考として「日英仏語の諺における対照分析」
http://ibuki.ha.shotoku.ac.jp/~hisano/kotowaza.html
というものもあり、この中では「二度あることは三度ある」という諺、"Never twice without three times"は欧米語源であると書かれていますが、その根拠がこれだけではよく分かりませんでした。私見ではおそらく旧約聖書を指しているのだと思われますが、個人的にはこれも一説に過ぎないという気がします。というのも、宗教でも、昔話でも、時代背景や離れた大陸など違えど同じような話が出てくる事が多々あり、経験則から出てくる言葉には同じような意味を持つことはありえると思うからです。
ちなみに、もう一つの諺「三度目の正直」ですが、近隣諸国の故事として「三顧(さんこ)の礼」という諺もあるかと思います。
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/kaidokupeji.htm
『三国志』の蜀(しょく)の劉備(りゅうび)が諸葛孔明(しょかつこうめい)を軍師として迎えたときのこと。劉備は吹雪の中、孔明の草庵を訪ねましたが、二度までもすっぽかされてしまいます。劉備の義兄弟の関羽や張飛は腹を立てましたが、劉備は、どうしてもこの人物は必要だから会えるまでは何度でも行くと言い、三度訪ねてやっと会うことができました。そして劉備と孔明は、生涯にわたる君臣関係を結んだのです。
最後に
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/kamenoi-masafumi/michihiraki/%8E%91%9...
からの抜粋。
*****************
陰陽道に貫かれる一つの中心的セオリー(理論)は、「この世のあらゆるものは陰と陽との相生・相剋(生助・対立)によって成立している」ということである。よって、人の心とてもその例外ではなく、陰の部分からなり、常に対立、融合を繰り返し、互いに影響し合っている。そして、人の世は、それら一人一人の陰と陽の心が複雑に絡み合い、互いに影響し合って成り立っているという。”呪い心”は、人の持つ「陰の心」の最たるものであり、この精神作用の周囲に及ぼす影響たるや、凄まじいものがあるといわれます。この精神作用の凄まじさを端的に現した言葉に、「人を呪わば穴二つ」という諺があります。人を呪う陰の心は、その心ゆえに陰の事物を引き寄せてしまい、結局は人を呪う心が自分を呪う結果を招くということになるというのです。それを逆説的に言えば、”愛の念”は愛を呼び、”感謝の念”は感謝の心を呼び、強いてはそのような良い事柄をも呼び寄せるということになるようです。こういった、”呼び寄せる”という意味からいうと、「類は友を呼ぶ」という諺も一つの真理を現しているようです。これは、昔ながらのあらゆる宗教においても、ごく新しいスピリッチャリズム(心霊科学)や神智学といったもの、今はやりの波動学などの基本理論でもあり、物理や化学などの自然科学の理論とも相反するものではないようです。
*****************
というように一見矛盾するような諺があるのも、一つの諺にしても、物事は一つの側面からのみ見てはならず、全ては表裏一体であるというところに話しが結びついていくのではないかという気がします。
以上、ご参考になれば幸いです。
ご回答有難う御座います!!
こんなにもの国々にも、同じ意味の諺があったのですか・・・。
まぁ確かに、「三度目の正直!頑張って来い!!」と言われて失敗してしまったら、諺の威厳(?)が無くなってしまいますからね。
ご回答有難う御座います!!
だんだん分かってきました。世の中には必ず「矛盾」があるんですねぇ~。