http://q.hatena.ne.jp/1150987442
やはりそういう問題がたくさん載ってる本で慣れることが必須だと思います。そうすることでそんなことに直面したときそういう見方ができると思います。
ありがとうございます。
そういう問題ですか。ロジカルシンキングとかの類のものなのでしょうか。
逆立ちしてみる。
これはネタではなくて、実際、逆立ちすると、世界が逆に見えます。
物事もこういうことなのです。
同じ風景も逆さになると、全く違います。
今見ているものも視点を少し変えてみるということ。http://q.hatena.ne.jp/1150987442
ありがとうございます。
逆立ちするくらいに劇的にものの見方が変化すればいいのですが、日常のやりとりでは難しそうですね。その部分を見いだす方法なり考え方を身につける必要がありそうですねえ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-07590...
アガサ・クリスティの推理小説を途中まで読んで犯人を動機・なぜ・どのように・・・など推理すると物事を逆の視点から眺められるようになります。
ありがとうございます。
推理小説は読むのですが、推理しながらは読んでいませんでした。たくさん驚きたいので、逆に考えないようにしていました。
訓練の一つとして有効そうですね。今度、古典の推理小説に手を出してみようと思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163589104/yotabanashi-...
誰かに、本や雑誌をさかさま(ラストから)から読むと
いいといわれたことがあったような。
小説などは、さすがに最後からは読みませんが、
雑誌の記事やインタビュー、雑誌そのものをさかさまから
読むことで、「ふうん」と思うことも少なからずありすね。
あまり具体的でなくて、すみませんが。
ありがとうございます。
どういう部分に「ふうん」と思うのか、興味が出できました。
ゴールからスタートへ結びつけつつ読み進めるのは、普段の読書と逆なので思うところが出てくるのでしょうか。
短い雑誌の記事とかで試してみます。
初歩的な方法としては、下記のような本を読むことはいかがでしょうか。
1.ラ・ロシュフコー箴言集 (文庫)
2.悪魔の辞典 (文庫) アンブローズ ビアス
本に書いてあることを、もう一度裏返して考えてみるのも、楽しめると思います。
ありがとうございます。
悪魔の辞典は読んだことがあります。
考えてみると、悪魔の辞典の面白さ、表向きの内容の逆をとらえることでしたね。
アイデアマラソンみたいに『悪魔の辞典』マラソンとかできると面白そう。読み返したとき、自分は嫌なこと考えているなぁ、とか落ち込みそうですけれど。
ありがとうございます。
やはり数学ですか。
今までの人生で避けて通り続けていたことなのですが、今が必要に迫られているときなのかもしれませんね。
できれば、数学のどの分野を勉強するのがいいのかを教えていただければもっと良かったです。
ありがとうございます。
紙に書き出すのは実践していますが、『逆』を書き出そうとするととたんに難しくなります。
そこを解決できれば、もっと質の高い考え方ができる気がするのですが……
お笑いをいっぱいご覧になってはいかがでしょうか?
TVだけではなくライブにも出かけていくといいと思います。
笑いは意外性や落差からうまれるものですので、
逆転の発想が多く盛り込まれています。
ありがとうございます。
なるほど、お笑いがどうして人を笑わせるのかというメカニズムに注目するのは良さそうですね。
まずはテレビを買うところから始めてみたいと思います。
ちょっと質問文に興味が沸いたので失礼します。ご質問の趣旨を次のものと解して回答します。
①Aをやり、Bをやり、Cをやり、Dをやる。その結果Eになる。しかしこれは望んだ結果ではないので困る。望んだ結果の方向から逸れている。②ほしい結果はあらかじめ分かっていてるけど、現状から実現する中間過程が分からない。どうやればいいか不明。そこで、結果から各段階過程を逆に遡って、結果の方向から段階的にメソッドを明らかにし、①と同じ出発点Aから欲しい結果を実現できるように出来る「逆から考える方法」が欲しい、と。どういう方法があるか、と。…という趣旨の質問と仮定します。
(ア)私はそういう場合、自分独自の検討を一旦捨てて、外部情報を探します。とにもかくにもリサーチ&リサーチ&リサーチ…。自分の発想から離れます。
(イ)人間の発想は、自分が思っているほど柔軟でなく、案外固定観念なので、「はてな」じゃないですけども、他人に聞く。思いもよらない発想を聞けるから少なくとも気分転換になる。
(ウ)自分の望みが無謀なのが実情か?と思いながらも、執着してみたりもします。
こういう「逆から考える方法」自体は本来理論的には存在しないのではないかと思いますが、もしあるのであれば、ぜひ私も教えて欲しいですね(^^)
ありがとうございます。
まさに知りたかったことです。
『自分の発想から離れます』のくだりに感心しました。逆の考えというのは『自分の考えていたことと逆』の意味でもあるから、外部情報肝心という考え方は早速実践してみたいと思います。
http://www.abysshr.com/mdklg010.html
http://www.nurs.or.jp/~academy/eva/konwaku8.htm
代表的な思考法を学んでみるのはどうでしょうか。
一つの結論を出すときに、常に演繹法と帰納法両方の考え方を用いて考えてみると、
自然に複数の視点で考えるようになるかと思います。
更に背理法などを使って更に検証してみることで、逆の発想が得られるようになるかと。
後、これは時々自分が遊びでやっていることなんですが、
ありがとうございます。
日々の訓練が肝心ですか。やっぱり。
数学から学ぶというのは前の方も仰っていたので、必要なのでしょうね。
手ごろな本をアマゾンで探してみようと思います。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/4309502423
"逆"思考の頭をもちなさい
一応ビジネス向けの本ですが
それでも役にたてれば良いです。
値段も700円とお手ごろなので
是非どうぞ
ありがとうございます。
近所の書店で見つからなかったので、アマゾンで前の回答をしてくださった本と一緒に購入してみようと思います。
私の先ほどの回答の補足です。ご紹介した本は、世間一般の常識や、人間の心理を疑ってみるという内容です。元々のご質問の意図とあっていなかったら、ごめんなさい。
なお、「悪魔の辞典」は、WEB上でも読むことができます。ご参考まで。
ありがとうございます。
回答は前のところで。
逆というのはどういう意味で逆か分かりませんが、考えのもとになっている物を疑ってみましょう。
いい例が思いつきませんが、推理小説でよく鏡をつかったトリックの話が使われます。Aさんがそこに立っている、という状況。でもそれは本当かどうか疑ってみるとたとえば、Aさんがそこに立っているというのは本当はそこにいるように見えるわけです。もうお分かりですよね、鏡を見てるかもしれません。実際にはそこにいなかもしれないわけです。このように既知と思われていたことを違うかもと疑えるようになれば、具体的に既知と思われない理由が浮かばなくても、違う可能せいを考えられるようになるわけです。
もう一つの要因は、既知と思われていたこと具体的に分析することです。こういうふうにいわれているから当然だと思うとか、まぁ分解していくとかいうことです。
たとえばAさんを地点Xで10:00に目撃したという情報があったとしましょう。
だれが目撃したのかAさんをよく知っている人かどうか?なぜAさんだと思ったか。服装をみたからかもしれませんし、実際にあって声をかけたかもしれません。なぜ10:00だと思ったかその人はその時(または普段)時計をしているひとか、その時時間を確かめたか。いろんな要素に分解できるわけです。その中身を見ていくとホントは9:00だったかもしれないとか、Aさんを地点Xで10:00に目撃したという情報が揺らいできますよね。こういう考え方をしていくと、政治家がいかにあさい議論で国民を納得させようとしているか(少なくとも選挙とか演説のなかで)分かると思います。
なんか推理小説の謎ときのはなしになってますが、いろんなものを考えるうえで、結論が逆になる可能せいを考える原点になるのかなと思いました。
もし検討違いの答えだったらごめんなさい。
http://www.toei-anim.co.jp/tv/kindaichi/
URL=kind of dummy
ありがとうございます。
既知を疑うというのはとても大変なことだと思いますが、逆を考える上では必要なのでしょうね。
当然だと思っていた物を今一度検証する、その態度が肝心だということを考えさせられました。
リンクの金田一にはちょっと笑いました。
ありきたりでしょうけど、
立場や状況を置き換えて考える・・・ってどうですか?
物事、自分中心に考えがちですが、想像力を働かせて
自分がこうだったら、どう思うだろう、何をするだろう?とか、
相手の立場や状況に置き換えると思いつく事が意外とあります。
ありがとうございます。
相手の立場に置き換える、というのはよく耳にしますが、実際のところどのくらいまで想定すればいいものなのでしょうか。
相手の立場や考え方を想定する→想定した相手が正しいかどうかを検証する→相手の立場を(以下ループ)となったしまって、えらく時間がかかった挙げ句良くない結果になってしまったことがあります。
どのくらいの想像力が適切なのか、是非知りたいです。
参考にならないかもしれませんが・・・
順々に人にきいていく、のもいいのではないでしょうか。
自分自身ではA→B→E→F→Dと結果にいった過程をしっているからこそみえないこともあるだろうから
間のちょくちょく知らない人から結果だけを教えて尋ねてみる。
それをくりかえしてみては?
もちろん自分が納得いくまできいて、それを繰り返すから信頼がないとできないかもしれません・・・
ありがとうございます。
リサーチ重要ということでしょうか。
↑どのくらいの想像力が適切なのか…ですが、
何を求めているかで違ってくるような気がします。
具体的じゃなくてすみません。。。
堂々巡りになるのということは、結局、自分の固まった考えに
囚われて抜けきれていなく、本来の「置き換える」ということが
出来ていないように思います。
そんな時は全然違う事(私は運動とか良くします)とかを
したりして空っぽにする、でなければ、自分ではない人の
意見を片っ端から聞いて材料にする・・・という感じなのですが。
ズバッとお役に立てずにすみません。。。
置き換えるために考えているうちに別の問題に陥っているとは。
詰まったら視点の切り替えをする、基本を忘れがちだったので、気をつけてみます。
ありがとうございました。
抽象的な答えかもしれませんが.主観によらない思考をして遊んでみるというのはどうでしょう?
身の回りのことでもニュースでも素朴な疑問でも何でもいいので,何がしかの問題を見つけます.そしてその問題に自分なりの答えを出してみます.答えを出すためには必ずいくつかの事実や根拠があるのでそれを整理しておきます.
次に,最初の答えを出したときに一番重要だと思った事実を自分が知らなかったとしたときの答えを出してみます.最初とぜんぜん違う答えになることがあると思います.
ちなみに私は実験屋なので,やってもいない実験の結果がああだったら,こうだったらといくつも結論を作って遊んでいます.
ありがとうございます。
遊ぶ、というところが面白いです。
常態化のレベルに持ってゆくまで遊び、で習慣にするというのは良さそうです。
代数学などいいかもしれません。
「ガロア理論」
五次方程式の四則演算と根号を使った「解の公式」が存在しない証明。
「存在しない」ことの証明の奥深さが体感できます。
(もとい、10年以上もまえに体感しました、もう忘れました。)
ガロアの伝記あたりから入ってみればどうでしょう。
なかなかキレてます、ガロア。
ガロア理論:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%82%A2%E7%90%8...
ありがとうございます。
代数ですか。徹頭徹尾避けていた分野だった気がします。
ついに逃げられなくなったということでしょうか。
まずはwikipediaを読むところから始めたいと思います。
たしかに、逆という意味が、考えれば考えるほどわからなくなりました。
考えは、その知識や経験から生み出されたもので、それを超えることはできない。
そう考えてしまう自分が、います。
よく立場を替えてみれば、よくわかると人は言います。
それは、意見のすべてを早く探し出すための、方法のような気がします。
具体的な人物像をつくりあげて、想像するしかないような・・・
手探りするようなかんじです。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
読んでみたいと思います。