悪魔なり神様なりがやってきて、あなたにこう言いました。
「お前の最愛の人の命と引き換えに、世界に平和をもたらしてやろう」
あなたならどうしますか?
1)あなたにとって最愛の人は誰か
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
3)選択した理由
をお答えください。(2は2択のみです)
この質問はhttp://q.hatena.ne.jp/1166512471のご質問で「自分の命と引き換えに世界平和」という方が何人かいらっしゃったことから思いついたものです。
1)最愛の人→ダーリン
2)世界平和か愛する人か→世界平和。
愛する人をとったら、二人でその後、切なくってつらくなりそうなので世界平和。多分、本人に聞いても自分が犠牲になるというと思うから。でも世界平和を取ったら、大事な人の人生を助けられなった私の幸せはあるかな。いや、無いだろう。と考えるとそれからはざんげの人生
3)選択した理由
ああ、わかった。この選択肢おかしいよ!!
私が思うに、「世界全員の痛み&世界全員の喜び」は、繋がってるの。結局1つなの。
だからこれは本体に向かって、「親指を切る」か、「小指を切る」かみたいな選択肢でどっちにしても後には痛みだけが皆に残って切なくなる。
やっぱり、悪魔だぁ。これ。 笑
でも面白い質問をどうもありがとうございます。
私の最愛の人をうばわれたら私は平和ではいられないので
論理破綻していますよ、という
それでもあえてというならば
1)自分
2)平和
3)被害が最小限
または
1)遺伝子をうけつぐ子ども全員
2)命
3)同じ選択を世界全員ですれば結局平和になるんじゃ?
最愛の人は自分、ですか。
できればこの後の回答される方は最愛の人=自分はナシでお願いします。
(自分だったら差し出せるけど最愛の人なら差し出せない、という人がいそうだったので質問立てたところですので)
それと、この選択を迫られているのはあなただけ、という状態です。(説明が足りなくてすいません)
また、「最愛の人」は不特定多数にならないようにお願いします。
(あなたにとってその「最愛の人」がいなくなったときのことを容易に想像できる範囲、ということです。)
さて、それでは頂いたご回答のほうを。
「命」をとっても、別に身の安全が保障されるわけではありません。「これまでどおり」の生活なだけです。
今の世界と同じ、どこかで飢えている子供がいてどこかで戦争が起きていて、どこかで生まれたばかりの子供がひっそりと息を引き取る、そんな世界のままです。
それでもいいですか?
(いや、良いこともいっぱいあるんですけどね、世界には^^;)
1)家族
2)家族
3)平和の概念なんて個々で違うから
そうですね、「世界平和」という言葉は「最愛の人」という具体的な対象に比べるにはあまりに曖昧模糊としているといえますね。
回答を読ませていただいて、もし自分が悪魔だったらなんといって持ちかけようか、と考えてしまいました。
1.彼女
2.最愛の人の命
3.自分の中で平和がどんなものか描けていないから。
暴力的行為が無くなって思想が統一されてる世界だとしたら逆に怖い。
3連続で最愛の人の命ですね。
もし世界平和が達成されたら歴史に残る偉人になれますよ?世界中の美女だって(たぶん)よりどりみどりですよ?
などと言ったところで気が変わるとも思えませんけどね。
例えば世界平和ではなく犯罪が無い世界であれば、もうちょっと具体性が増すのでしょうか。
1)あなたにとって最愛の人は誰か
彼女です。もう両親はいませんし。
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
最愛の人の命です。
3)選択した理由
平和とは、誰一人、人としての可能性が暴力的に阻害されることのない社会を指します。この人の可能性の阻害が社会構造に起因するものを構造的暴力と呼び、その最たるものを戦争と言うわけです。
戦争がない状態だけを平和というのではない。暴力による人の可能性の阻害が全て排された世の中を平和と呼ぶのだということ。
この神または悪魔の提案を考えるにあたっては、まずこの点の認識が重要です。
さて、その認識に立って
「お前の最愛の人の命と引き換えに、世界に平和をもたらしてやろう」
という提案を検討すると、そのそもそもの出発点において、他者の人としての可能性を阻害する提案であることが分かります。
他者の命と引き替えにもたらされるものは、たとえその結果世界の武力衝突が無くなったとしても、それを平和と呼ぶことはできないのです。
もちろん、自らの意志で平和のために命を投げ出すことは、自らの人としての可能性を断つのではなく、逆に最大限に生かそうとする行動と評価出来る場合があるでしょう。
たとえば第二次大戦中、カトリックのコルベ神父は、処刑されようとする一人の男の子供のためにと、その男の身代わりを買って出て処刑されました。
またベトナム戦争中、一人の僧侶が、戦争に抗議して壮絶な焼身自殺を遂げました。
これらの死は、けっして否定されるべきではないと考えます。
しかし、平和のためといいながら、自国民を兵隊として死地に送り込んできたような国家指導者は、はたして平和の貢献者と言えるでしょうか。答えは否だと思います。むしろそれは、最も平和に敵対する愚行と定義づけなければなりません。
結論です。
「お前の最愛の人の命と引き換えに、世界に平和をもたらしてやろう」
こんな提案してくる者は、平和のそもそもが分かっていないんですよね。となれば、もたらされる「平和」も、インチキきわまりないものでしょう。
今、世界は「テロとの戦い」という名のもとに殺し合われた結果のインチキ平和が、アフガンにもイラクにも、捨てるほど転がっています。そこからさらに新しい殺し合いが頻発しています。そんな偽の平和なら間に合ってます。
長文ありがとうございます。
質問文中の悪魔、というのが悪かったのですかね。なんか皆さんに警戒心を与えてしまっているような。
こちらで定義も示さずに質問したのも悪いのですが、今回いただいた回答は
1.平和とはこういうものだ
2.この人物のいう平和は自分の定義と矛盾している
3.だから信用ならない、現状維持が良い
というお話ですよね。
「平和」の定義がTomcatさんのいうとおりかどうかは分からないのですが、「こいつは信用なら無いから現状維持」という話とは別に、仮にこの人物が信用するに足る人物であって、最愛の人の命との交換が成立した直後からTomcatさんの定義するところの「平和」がもたらされるとしたらいかがでしょうか。
単純に、両者を秤にかけるとしたらどうなるか、ということですね。
1)家族(不特定多数と言われようが、比べようがないくらい大事なので)
2)最愛の人の命
3)私にとって、知らない人間の命より、最愛の人の命の方が大切だからです。
自分のことも満足にできない人間が、それ以外の人のためになにかを思い何かをするなんて、自己満足でしかないと私は思います。
私はまず、私のために、最愛の人の命を守ります。
ありがとうございます。
とてもシンプルで、素直な回答ではないかと思います。
たぶん私も聞かれたらこういった回答をするんじゃないでしょうか。
この質問をしたそもそものきっかけは、
「自分の命を捧げて人のために」
ということは崇高かもしれませんが、その人のことを愛する人のことはどうなるんだろう、と思ったのが始まりです。
(うまく説明できませんが…)
相対的に見れば、自分の最愛の人の命というのは最愛の人から見て自分の命のことになりますよね。
もちろん誰が命の扱いを決めるか、という点が重要ではあると思うのですが…
1)あなたにとって最愛の人は誰か
→妻
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
→最愛の人の命
3)選択した理由
→現在自分の周りが平和だから。
いつ災難が自分に降りかかるか分からないけど今が幸せならそれでいいかな?
はい、こちらもとてもシンプルですね。
私もそうなのですが、この国で普通に生活している分には比較的平和で、手の届かないテレビ画面の向こうの悲劇はモニタよりこちら側に感じられることはほとんどありません。
これが戦時中の防空壕の中での問いかけだったら、また違う答の人もいるのかもしれませんね。
1.家族
2.家族
3.最愛の人が死ぬことで、私自身の「平和」は訪れないと予想されるので、ある意味自分の「平和」と他者の「平和」を交換するということになるかと。正直私はそんなに人格者でも偽善者でもないので、はっきりきっぱり「嫌だ」と言うと思います。
だって少なくとも「今の私は」平和なので。
これを少なくとも「今」を平和だと思えないギリギリの生活をしている人たちに提示したらもっと違う答えがかえってくるかもしれません。
また、他の方も言っておられますが、
相手の提示する平和にしても、私が規定する平和にしても、
あくまで一つの考えであって、地球全体の総意ではないでしょう。
既にある程度の平和を感じている私の考える平和(かなり抽象的で精神的)と、
毎日命を削って生きている人の求める平和(具体的で物質的になる可能性大。毎日お風呂に入れて、おいしいご飯が食べられて、家族が揃っている生活とか)はかなり違うと思います。
例えばの話、全世界の人々の寿命を24時間ずつ差し出すことで、
その人が思う平和の姿を全て実現できるというなら交換してもいいかなと思います。
(すごい元気玉を想像してしまいました)
「自分の平和」と「他人の平和」は分かりやすい例えですね。「自分の幸せ」と「他人の幸せ」でも近いかもしれません。
今回の問いかけは、おっしゃるとおり、聞かれた人の立場に応じて答は変わってくることと思われます。
「最愛の人の命と引き換えに、あなたをのぞく全世界の人々がそれぞれに思い描く平和の姿を実現できるとしたら」だとまた少し変わるのでしょうか。
「最愛の人の命」は、どこまで行ったら釣り合うのでしょうね。
それにしても回答が最愛の人一色になってしまいましたね。
回答者を「世界平和のためなら自分の命を差し出しても構わないという方」に限定したほうが良かったのでしょうか。
1)家族(「複数」件に関してはai_hikaさんと同様)
2)家族を選択
3)理由以下
①「平和」という言葉について
「平和」という言葉が対象とするのは、複数の人間(社会)を対象としていると考えます。さて、この対象たる「社会」とは、何をベースに構成されているのか、と言いますと、無論当然「家族」であるのですね。複数の家族があり、そこをベース・拠り所として「社会」が発生します。。。そして、その「社会」が今度は逆に、各「家庭」「家族」に対して、害をもたらすのか、或いは、平和をもたらすのか、というアクティブでダイナミックで、変動性の塊とも言える「動向」なのですね、無論ご存知のように。
②そのダイナミックでアクティブな「動向」の中においてですが、ここで、自分の家庭、自分の家族が大切なのか、それとも逆に、自分の家族はどんな目にあってもいいから世の中から不幸な人間を出さないように出来ることが大切なのか?。。。。という議論については、これはもしかすると「にわとりが先か、卵が先か」という議論に過ぎないと考えるのですね。ならば?
③少し余談として前提に触れますとですが、ここで「神」が取り沙汰されていますが、まず、そもそも前提として重要だと考えますことは、ここでの「神」はすなわちSFであり、もし仮に実在したとしたならば、本来そのような問いかけは決してしない筈。でなければ嘘ですね、当然として。概念の形としてですね。(私は宗教には詳しくありませんが)
④そこで結論を言いますと、
ここで必要なジャッジメントとのありべき姿とは、実に凡庸きわまりないいつもの世界の慣用的思索の中にですが、残念ながらあるのではないでしょうか。。。
あまり声高に言うような言葉では、一般的にはないのですが。。。「自分の家庭を幸せに出来ない奴(男性)は、社会の家庭を幸せに出来ない」という例の、大統領選か何かに出てきそうな気もするような一言です。しかしながら、個人的にはですが、ここでは敢えてそれを提示したいと考えます。
神か悪魔かは知らないけれども、自分の最愛の人間を殺して、何故、平和などというそのようなビジョンが達成し得るというのかと言いますればですが、すなわち哺乳類の原則として、そのようなことは有り得ないんですよと、そういう帰結をここで断行する事こそが必要な事であり、ここで最も必要な”勇気”なのではないでしょうか。。。
⑤マトメ
ここで神?悪魔?の問いかけを否決すれば、今後世界の平和を実現出来るのだと、いう前提に対しても、「自分の家族の命を奪うのであるならば、世界の平和は不要であり、現状維持ならば殊更、なんらの問題もない」と返答することこそが、現実的に最も有り得べき返答、人間として正当な返答である、という事が答えですね。逆に言えば、社会や他者は当然それを是認する事が必要という事ですね。。。
「最愛の人」は複数であっても構いません。ただ、ご自分でも想像できないような範囲(例えば全人類とか)を対象とすると、比較がぼやけてしまいますので「不特定多数」にしないでくださいね、ということです。
さて。
じっくりお考えいただいたようでありがとうございます。
簡単に言うと
1.平和は社会に関する事項だ
2.家庭と社会は互いに関連している
3.家庭が平和でないなら社会も平和になりえない
4.だから、家庭の平和を乱すことはできない
といったところでしょうか。
「最愛の人」が「家族」であることから、あなた以外の「家族」がみな命を落とし、仮に(実際にはご友人などいますがあくまで仮に)あなた以外に悲しむ人がいない(「家庭」が「社会」に影響を及ぼさない)としたら、そのあなたの「悲しみ」は「世界平和」と引き換えにできるものなのでしょうか。
ところで、このレスをつけるたびに誰かから少しずつ反感を買ってやしないかとちょっとどきどきです。
1.家族
2.最愛の人の命
3.ホントの世界平和なんて人類皆温厚にならない限り不可能だから。AとBは互いに死ねばいいのにと思っている状態で互いの平和が実るわけもなく。
完全自分基準の世界平和なら考えるかもしれないけど。
1番のNAPORINさんのコメントが真実なんでま、このとおりでしょう。
…ちなみに俺基準の世界平和だと喫煙者の半分くらいがまずこの世から消えればいいから始まりますがw
世界平和、というのはやはり現実味が無いということで選択肢から外れてしまうんですかね。
質問文間違えたかなぁ。
逆に、「最愛の人の命と引き換えになにか望みをかなえてやる。引き換えない、という選択肢はなしだ。また、最愛の人の命を取らない、という選択肢もなしだ。さぁ、何とだったらお前の最愛の人の命と釣り合いが取れる?」と悪魔に聞かれたらどうなるのでしょうか。
世界平和を願うか、世界の滅亡を願うか、自分の身を滅ぼすことを願うか、それとも記憶をなくすことを願うか…。
悪魔がいやなら、大切な人が亡くなったその日の夢枕に天使が立って、「あなたはかわいそうだから故人を生き返らす以外のものであれば何か望みをひとつ叶えましょう。何だったらあなたの心は晴れますか?」でもいいかもしれません。
それにしても喫煙者の半分くらい…。「くらい」というあたりが正直でいいですね。
じっくり考える必要がありません。
1)彼女
2)彼女
3)最愛の人なんでしょ?その人の命に比べれば世界平和なんてくそくらえです。というか、逆に、世界平和を犠牲にしたら最愛の人の命が助かるというのであれば、直ぐに世界平和を差し出します。
真っ直ぐな回答でいいですね。
「じっくり」というのはどちらにするか、というより自分にとって最愛の人、というのはどれくらいの重みなのか、いなくなったらどうなるのか、といったことに想いをめぐらせてもらえればいいな、と思ったので書いた次第です。
最愛の人の命のため世界平和を差し出す、というのも真っ直ぐな感情でいいですね。
余談ですが、その昔マツモトキヨシ(?)のCMにあった「君のためなら世界を敵に回してもいい」というものを思い出しました。
CMの中で男性がそう言ったとたん、窓の外には軍用ヘリ、テレビでは男性が世界各国に対して宣戦布告をしたことになって大騒ぎになってる、というやつです。懐かしいなぁ。
悪魔なり神様なりがやってきて、あなたにこう言いました。
「お前の最愛の人の命と引き換えに、世界に平和をもたらしてやろう」
あなたならどうしますか?
1)あなたにとって最愛の人は誰か
→今付き合っている彼女
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
→世界平和
3)選択した理由
→最愛の彼女の命は、確かに”僕”にとってかけがえのない人です。でも、それはあくまで個人的な理由です。
3秒に1人が今もこの世界中で亡くなっているわけですよね。
天秤にかけてしまいますが、やはり、世界平和を望みます。
自分でも理由は良く分かりません。
(こんな回答してたって、彼女に知られたら、きっと別れることになるな、彼女にみつかりませんように!!)
おぉ、ついに世界平和派が出てきました。
ここまで最愛の人派が続いているのに回答したその勇気に敬意を表します。パチパチパチ。
いろんな原因があるとは思いますが、この世の中では紛れも無く次々とどこかで人が亡くなっています。
仏教で悟りを開いたような人なら、最愛の人の命もこの中のひとつにしか過ぎないんだ、と言えるのかもしれませんね。
ここでまたふと、別のパターンも思い浮かびました。
「生贄を出せばお前らの村は襲わないでいてやる。だからそこの娘を生贄に出せ。」と隣の家の親父さんが言われているとき、あなたは「これで村が助かるんだ、涙を呑んで生贄に出してくれ」と説得できるでしょうか?それとも村が襲われて滅ぶのを待ってるでしょうか?(相手の言葉を信じない、とか敵を倒しに行く、とかいうパターンはなしで。)
私の最愛の人物として北の独裁者の名前を挙げればよろしいのではないかと思います。
もし見破られてしまったら(相手は神か悪魔なのだから)「I realy love you most.」と言って、命を奪うのと世界に平和をもたらすのの実行順序を入れ替えてもらいます。
う、う~ん、これは言い直しても同じように見破られてしまうのでは…?
(ところでなんで英語!?)
ネタ・ジョークなので、ちょっと枠を外して答えてみます。まず、その「神みたいなもの」に回答までの期限を確認します。
回答までの期限が設定されていない場合は、こう答えます。
1)彼女
2)世界平和
3)彼女が許してくれるから
但し、彼女が自然死する直前まで回答しません。もちろん事前に彼女に、その話をして許可を得ておきます。数時間・或いは数日の命と引き換えに世界平和なら、彼女は許してくれると思います。しかし、彼女の死期が予見できない突発的だった場合は、世界平和はご破算で。
では、もっと早めに(数日)回答が必要ならこう答えます。
1)彼女
2)彼女と相談して選択したほう
3)彼女が選択したから
但し、その場合、私も後追いします。彼女が自らの命より世界平和を望むなら私もそれに付き合います。
では、即答が必要な場合は、こう答えます。
1)彼女
2)彼女
3)私に他者の命を奪う選択権限があるはずがないから
さて、「世界平和」という言葉の意義や定義に関して色々とかかれておられますが、それはそれとして、少なくとも「今よりはマシ」な事に間違いないと思います。
面白いな、と思ったのは自然死の直前であれば彼女が「許してくれる」から、という理由ですね。
「許してくれる」というからには、そのときには自分の意思として世界平和を願っていて、彼女の許しが得られるだろうからそれを選択する、つまりその時点では自分の中で世界平和>彼女の命となっているだろうと考えている点です。
少なくとも数日中であれば彼女の意思>世界平和であったものが、どこかで入れ替わるということなのでしょうか。
それともはじめから彼女の意思>世界平和>彼女の命だったのでしょうか。
単に言葉尻を捕らえただけの揚げ足取りみたいなものかもしれませんが、ちょっと興味深いな、と思いました。
1)家族
2)最愛の人(=家族)
3)世界平和といえれば格好いいけど、やっぱり本音は家族です。
もちろん世界が平和であるに越したことはないですけど、世界平和のようなスケールの大きいものよりも家族という自分の手が届く所にいる人たちを幸せに守っていくことの方が必要かな、と思いますので。
そうですね、私にも護らなきゃいけない家族がおりますし、そのように思います。
でもきっと、家族を選ぶ姿は格好悪くはないと思いますよ。
「世界平和」のようなスケールの大きい、つかみ所のないようなもののために家族も省みず身を投げ打つ、なんてことができる人はやはり「偉人」なんでしょうかね。
「宇宙家族カールビンソン」というマンガをご存知の方は、最後の方で明かされる「お父さん」の過去を思い出していただければこの質問のイメージがちょっとわきやすいのかもしれません。
1)あなたにとって最愛の人は誰か
→家族
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
→最愛の人の命
3)選択した理由
→世界平和の目的は最愛の人が元気でいることだから。
うーん、ちょびっと違いますかね。
「最愛の人」はあなたにとっての最愛の人であって、世界中にいる人々がそれぞれに愛する最愛の人ではないんです。
これが世界中の人々にとってその最愛の人が元気でいることであるならば、それは「世界平和」に近いとは思うのですけどね。
もちろん、あなたにとっての世界平和とはあなたにとっての最愛の人が元気でいることだけである、というなら問題はないのですけどね。
ところでここまで15人の方の回答を見てきましたが、最愛の人=彼氏という女性が出てこないのが男性の一味としては心細いのですが(^^;
リクエストにおこたえして(笑)。
1)最愛の人 彼氏
2)どちらをとるか 彼氏
3)選択した理由
彼氏の命は私の持ち物ではないからです。私の命なら差し出すかもしれませんが、彼氏の命はだめです。
あとやはり、世の中にはうその平和が多すぎると思いますので、どういう方法で平和を作るのかがわからないと恐すぎます。軍隊や原爆が平和のために必要だと考えている人もいますから、そういうところからきた神様だったら大変です。
リクエストにお応えいただきありがとうございます。ちょっと安心しました。
実はここではじめて「自分のならまだしも最愛の人の命はダメ」という方が出てきました。
(少なくとも、これまでに明言された方はいなかったようですので)
理由は自分のものではないから、ということで、「最愛の人のの意思を尊重」派に近いのですかね。
もし仮に彼氏が「いいよ」といったらそれに従うのでしょうか、それとも決定権は自分にあるのだから拒否するのでしょうか。
「平和」がわからないと比較できない、というのはどうしても出てしまいますね。
質問文をもうちょっと練ってから出すべきでしたと反省中…。
1)あなたにとって最愛の人は誰か
家族。
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
→世界平和 もちろんです。
3)選択した理由
私、誰も愛してなのかな。誰か一人なんか決められない。そんなの私のエゴだと思う。「愛することは愛さないこと」という言葉があるけど、戦争の始まりだって、誰かを愛したことから始まったのかもしれない。守る家族がいるから、とっても大切だから、誰かのものを盗って愛する人に与えようと思ったかもしれない。自分の愛する人を守ることこそがかっこいいと思ってる人はわたしにとったら?です。周りの人には最大限優しくしたいし幸せでいてほしいけどそれでほかの誰かが苦しむならアメリカの戦争の演説にすら聞こえてしまう。
と、書いてみました。
実際に本当にそうだったら、本人と相談します。上の方と同じ。
世界平和派お二人目ですね。
おそらく、他の人の立場になって考えてしまう人ほど世界平和を選ぶのかな、と思いました。
(最愛の人の命を選んだ方が人の立場で考えてない、というわけではありません。念のため)
人の立場で物事を考え始めると自分と他人の境界がちょっとぼやけてくるのかもしれませんね。
この上で、自分の最愛の人は自分の身内だから、と考えると自分の身を切るのの延長で最愛の人の命を差し出せるかもしれないと考えられたのかもしれません。
それにしても、人間っていうのはどこまで「エゴ」を捨てられる生き物なんでしょうね。不思議なものです。
あなたにとって最愛の人:配偶者
最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか:最愛の人にとっての平和
選択した理由:最愛の人がいなかったら世界なんてあっても仕方が無い。
自分以外の命を、自分の意思による取引の材料にはできません。
生命とその生命の中にある意思やゴーストはふたつでひとつのセットですので、それを切り離して取引することは無いと思います。
最愛の人の意思を確認できない場合は、最愛の人の命を選択します。
ですが、もし最愛の人自身が自らの命をかけて世界平和を望んでいるのなら、たとえば生命の危険があるような紛争地帯に援助活動や取材活動をしたいと言っているような場合は、その意思を“考慮”したいと思います。
という意味で、超越した何者かと最愛の人の命とひきかえに世界平和を得るという取引をすることは、可能性としてはあり得ます。
最愛の人にとっての平和が自分の命の持続である場合は最愛の人の命を、最愛の人にとっての平和が世界平和である場合は世界平和を選ぶ、ということです。命を奪われるかもしれない愛する人の意思を“考慮”します。
あくまでも“考慮”であって“尊重”ではありません。命を奪ってくれと言ってもそうしない場合もあり得ます。ケースバイケースです。
お待たせいたしました、開封が遅くなりましてすみません。
さて、大変丁寧で分かりやすいご回答でした。
特に「尊重」ではなく「考慮」というのは興味深いですね。「あくまで最終的な決定権は自分にゆだねられている」という状況まで想定されているご様子ですし。
せっかく(?)ですのでもう一歩進んで、配偶者が「どうしても世界平和を選んでくれ」といった場合に、ご自分の最終判断で世界平和を選べると思うか、と問われたらどうなるのでしょうか?
(ケースバイケースなのは百も承知の上で、例えば今日の夜言われたら、とでも考えた場合です)
なお、これまでに多くの方がコメント欄で私の疑問にお答えいただいております(ありがとうございます!)が、I11さんや他の方も、大変でしょうから特にそこまでしていただかなくても構いません。
もちろん、私の疑問にお答えいただけるならば大変うれしいのですが。
現在の世界が平和だとは思いませんが、今私のいる環境は比較的に平和と言えます。
もし、回避することの出来ない不条理によって、最愛の人間が死んでしまうようなことがあれば・・私はこんな事を言うかもしれません。
「この死がムダにならないように、世界が平和になってくれれば」
愛する人間の命は、世界の平和と同等以上の価値がある。
結論
1)家族(妻)
2)最愛の人の命
3)妻が生きている間は、妻の命を優先します。
自分の中の矛盾に気づいたんですが、妻の命が危険にさらされたとき・・自分は破壊も暴力も厭わないだろう、と思いました。
そうですね、確かに私の周りも(有難いことに)比較的平和ですが、世界中を見渡せばあまり平和とはいえない地域もあるのではないかと思います。
(コメント欄でmasyutaさんがリンクを出してくださいました。ありがとうございます!)
人の心は、大きなショックでも壊れないように、無意識のうちにバランスを保つような仕組みがあると聞いたことがあります。
最愛の人が亡くなったときにはそれこそ、どこかで大きな「何か」がないとやりきれないのかもしれませんね。
仮定の結果から時間を巻き戻し「自分の意思はこうなんだな」と再確認する、という思考パターンはいいかもしれませんね。
たとえ平和を願う人間であっても、最愛の人の命が危うければ暴力も厭わないだろう、というのは動物的なレベルで捨てられないのでしょうね。
それこそ悟りでも開かなきゃ無理でしょうか。
1)最愛の人→ダーリン
2)世界平和か愛する人か→世界平和。
愛する人をとったら、二人でその後、切なくってつらくなりそうなので世界平和。多分、本人に聞いても自分が犠牲になるというと思うから。でも世界平和を取ったら、大事な人の人生を助けられなった私の幸せはあるかな。いや、無いだろう。と考えるとそれからはざんげの人生
3)選択した理由
ああ、わかった。この選択肢おかしいよ!!
私が思うに、「世界全員の痛み&世界全員の喜び」は、繋がってるの。結局1つなの。
だからこれは本体に向かって、「親指を切る」か、「小指を切る」かみたいな選択肢でどっちにしても後には痛みだけが皆に残って切なくなる。
やっぱり、悪魔だぁ。これ。 笑
でも面白い質問をどうもありがとうございます。
やっぱり悪魔ですかね。どうにも私にもそんな気がしてきました。
そもそもこんな質問を考える私が悪魔だったりして。
どちらを選んでも傷が残る、というのは確かでしょうね。
選んだあとに自分(たち)がどう思うだろうか、というところまで考えをめぐらせていただけたのが嬉しいです。
親指と小指のお話はとても分かりやすいですしね。
価値観の問題、と私は以前コメント欄で書きましたが、「どちらのキズがより耐えやすいか」といえるのかもしれませんね。
あまり深く考えると出家しちゃいそうです(^^;
1)あなたにとって最愛の人は誰か
hokuraku さん
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
世界平和
3)選択した理由
hokurakuさんより、世界平和が大事だからd^-^)
といのはジョークで(笑)
1)あなたにとって最愛の人は誰か
その質問者である神か、悪魔
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
世界平和
3)選択した理由
先のジョークから思いついた一休さん問答的な答え。
最初に「ウソをつくな」と言われてないので、それで質問者は参って世界平和が手に入るという発想。
PS:マジメに答えたら、2)は最愛の人になるかなぁ。
愛する人さえ守れれば、その後、世界平和は自分達の力でなんとかできるかもしれないし。でも他の方が書かれている自分の答えに反して、もし愛する人が自らの命を差し出すことを選択したら・・・
それは困りますね。なのでやっぱ、先の回答が答えになります。
きゃっ(*ノノ)
という冗談はさておき。
そうですね、星新一氏のショート・ショートなんかではうまいことあしらって神だか悪魔だかを困らせちゃえばいいんですけどね。
ネタとするには12番のkubira711さんとかぶっちゃったのが残念です。
(いや、もともとネタを求めてるわけでもないんですけどね)
書いてはいませんでしたが、神だか悪魔だかはきっと「お前の最愛の人は誰だ?」なんて聞かないんです。聞いたらみんな嘘つくに決まってますからね。もしくは最愛の人を聞きだした後におもむろに取引を持ちかけるとかですね。
相手が差し出すことを選択したら、というのは相当困ると思います。そりゃもう胃に穴が開くくらい。
例えばもし私のカミさんが(幸いにも)私を選んでくれて、これを聞かれた場合、後に残るカミさんや子供が平和に暮らせるなら、と命を差し出すことを選択してしまうかもしれません。
(ここで言う「平和」は、犯罪などに巻き込まれず、平穏無事に天寿をまっとうできる、くらいですが)
相手が「イヤだ!」と言ってくれれば気が楽なんですけどね。
>「お前の最愛の人の命と引き換えに、世界に平和をもたらしてやろう」
1)あなたにとって最愛の人は誰か
相方
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
………答えません。
3)選択した理由
選択しません。
設問?では「二択」とありましたが、これ、「選ばない」「答えない」権利もあると思うのです。答えない結果、たとえ自分が神に殺されようと、それで他の命が守れるなら、私は沈黙します。
もう1点、神とやらが約束するのは「永遠の平和」じゃないんですよね。そしたらどうせ数年もしたらなくなっちゃうものじゃないですか。それなら、身近な愛の方が私にはよほど大事です。どうせ永遠に生きることはできないし、世界は変化していくものです。
おや、答えられませんか?
では私がコインの裏表で決めましょうか…?
とか言われたら、こりゃもう完全に悪魔ですね。
(実際に決めるかどうかはわかりませんが、わからない以上、こういわれたら多くの人は慌ててどちらかに決めると思うので…)
でもまぁ、頂いたお答えを見る限り、沈黙でも最愛の人の命でも結果はそれほど変わらなさそうですね。
その後、戦争に苦しむ子供達のお話を聞いたときに罪悪感が残るか、というのは違いが出てくるかもしれませんが。
「永遠の平和」ではなく「一時的な平和」なんじゃないか、という点ですが、もし「平和期間」なるものが設定されるとして、どれくらいだったら引き換えにできるんでしょうね。
100年?1000年?46億年?
また、「平和」の正体がわからないのであれば、どのような「平和」なら引き換えにできるのでしょうか。
なんか段々、悪魔の商人みたいになってきましたね、私…。
1)あなたにとって最愛の人は誰か
母親と彼女
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
最愛の人の命
3)選択した理由
私は優柔不断です。 自分の命と世界平和なら迷わず、世界平和ですが、この質問については、最愛の人です。
なぜならば、母親や彼女の意見を聞かずに私に決める事はできないからです。 母親や彼女が私と同じ意見とは限らないし、もしかし
たら、どんな事があっても生きたいのかもしれないからです。
私には、だれの命を奪う権利がないからです。
自分ならOKだけど他人はダメ派ですね。
理由もシンプルでわかりやすいですね。どちらかというと「考慮」派よりは「尊重」派とお見受けしました。
Yoshiyaさんに誰の命をも奪う権利がないように、どのような人間にも尊重されるべき基本的人権というものがあるはずです。そして、それを蹂躙されている人たちがいることもまた事実です。
Yoshiyaさんが最愛の人の命を選ぶことにより直接的に誰かが傷つくわけではありませんが、世界平和を選ばなかったばっかりに蹂躙されてしまう命もまたどこかであるのではないでしょうか。
それは運命だ、と言ってしまえばそれまでなのかもしれませんけどね。
1)好きな人。
2)命
3)そんな漠然としたものに大好きな人の命はあげられません。
そうですね、「世界平和」はたしかに漠然としています。
では「最愛の人の命と引き換えに、世界中の恵まれない子供たちがみな教育を受け、無事に成人できるようにしてあげます」だったらどうでしょうか?
「最愛の人の命と引き換えに、世界中から癌をなくします」だったらどうでしょうか?
つまり、「漠然としていないものであれば、モノによっては最愛の人の命と引き換えられるものがある」のでしょうか?
1)あなたにとって最愛の人は誰か
どうもはっきりしませんが、以前通っていたジムにいたトレーナーの女の子か、あるいは今の会社の同僚の子です。
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
最愛の人の命
3)選択した理由
世界平和は大事だがはっきり言って身近な事の方が俺にとっては大事だから。しかしながらトレーナーの場合は命が助かってもすでに疎遠になってしまっているので、実際には俺に幸せがもたらされるわけではありませんが。
恋多き(?)人ですね。でもはっきりとしていてなかなかよいです。
前にも同じようなことを書きましたが、ヒトのアンテナなんてそんなに大きく広がっているわけではないみたいです。
確かに世界中に困ってる人がいて、いまこの瞬間にも涙している人がいるはずです。
しかしながら、そういったこと全てに思いをめぐらすことなど到底不可能で、そういったことができる人は逆に心痛でいたたまれなくなってしまうことでしょう。
(なったこと無いからわからないですけど、敬虔な宗教家とかはそういう方たちなのかもしれません)
そんなわけで、「身近なこと」の方が大事だ、というのはきっとごく自然な(一般的な、といったほうがいいか?)ことなんでしょう。きっと。
それにしても、「実際には俺に…」あたりに心が見え隠れしているようで面白いです。
「世界平和か、あの子のハートか?」だったら後者を選びそうな(笑)
やっぱり悪魔ですかね。どうにも私にもそんな気がしてきました。
そもそもこんな質問を考える私が悪魔だったりして。
どちらを選んでも傷が残る、というのは確かでしょうね。
選んだあとに自分(たち)がどう思うだろうか、というところまで考えをめぐらせていただけたのが嬉しいです。
親指と小指のお話はとても分かりやすいですしね。
価値観の問題、と私は以前コメント欄で書きましたが、「どちらのキズがより耐えやすいか」といえるのかもしれませんね。
あまり深く考えると出家しちゃいそうです(^^;