1)自費出版や共同出版のシステムを見直し、出版物超過を抑える。たとえば野菜でも、作りすぎたら価格調整のために廃棄されるのです。
2)紙媒体に固執せずに、電子媒体を柔軟に取り込む。紙媒体は、多少廃れることはあっても、決して姿を消すことはないと思います。それを支えていくためには、目的に応じて電子媒体を補完的に利用していかなければならないと思います。
http://www.jagat.or.jp/kenkyu/pm/pm10154063.htm
3)絵本もまた出版物過多の状態です。多くの作品に埋没しない「商品」を開発するには、やはり他の業界とのコラボレーションなど、柔軟な対応が必要だと思います。(例:キャラクターと絵本のコラボレーション)
僕は本を読むのが好きです。PCに向かい合っているのなんか本当は好きじゃない。本は”写経”から始まって、グーテンベルグが印刷機を発明して、んでもって現在に至るわけですよね?
今は、ゲーム機やPCやテレビに押され気味の出版業界ですが、そもそも読書者数が増えたのは、戦後の好景気以降じゃないんでしょうか?
それ以前は読み書き出来る人が少なかったはずだし、本自体も買える人は富裕層に限られていた。今までが、読者数が多すぎたのかもしれません。
出版社や絵本業界などはどのようにして乗り越えていくべきと考えられますか?
本自体は決してなくなりません。ゆっくり読める。いつでも手元にあって、何回でも繰り返し読める。石油や電気の力を必要としない。今は情報量が、情報を集める媒体が多いので、本は売れ行きが悪くなって当然だと思います。僕自身の体験からしても時間がないから。ブログ書いたり、他の人のブログ見たり、mixiしたり、各プロバイダーのサイトを見たり、テレビ見たり、仕事の関係の情報集めたり、家事したり、飲み会があったり・・・・。一日が50時間あればいいのになって時々思います。
僕は紙媒体の本なんかなくなったって構わない。でも、”ホットペッパー”なんかは、僕の彼女なんか重宝してるみたいです。あと、会社の事務の人(飲み会の幹事役の人)も。
どうしたって、需要が少ないんだから、出版関係の企業さんは厳しい状況だという事に変わりありません。
今は少子化の時代なので、そうすると、じいちゃん・ばあちゃん・父親・母親のお金は、かなりの割合で子供に費やされると思います。
子供向けの本なんか、必要とされる時代なのではないかと自分は思います。『100万回生きた猫』や『杜春』みたいな童話は、これからも行き続ける紙媒体だと僕は思います。
http://pweb.sophia.ac.jp/~s-yamaok/sub45.htmISBN:4061272748:deta...
出版社や絵本業界では、なにはともあれコンテンツを充実させることではないでしょうか。コンテンツさえしっかりしていれば、それを紙で見せようが、電子媒体で見せようが生き残っていくことができると思います。
アニメ⇔映画・テレビ(のだめカンタービレやデスノートなど)、ネット⇔ドラマ(電車男とか)のように相互補完ができるのですから、もはや利用者の接する媒体ではなく中身だけの勝負と言えると思います。世の中に対してどれだけアンテナを高くして、「面白いもの」を見つけることができるかが紙媒体の業界に求められていると感じます。
URLは私が個人的に面白いと思う出版社です。
現在の出版業界の利益を生み出す部分は売り上げではなく、広告主からもらう広告収入が主です。
その構造から脱却し、いい記事を書いて売り上げだけでも成り立っていくような利益構造を作り上げていけると広告主のご機嫌ばかり伺うような記事を書く必要もなくなりますし、真実を伝えられる報道も出来るようになると思います。
http://adv.asahi.com/contents/book/index.html
このように広告がなければ成り立たない構造自体に問題があると思います。
それは決まっています。紙媒体にしか出来ないことをやることです。例えばコミックス。例えば、小説。コンテンツとしての面白さでは、紙媒体に勝るものはないんです。はてなセリフに最近アカウントを取ったんですが、あれがネットにあると、そのインパクトの強さ、コンテンツとしての強さにはっとさせられます。小説だって同じです。ハリーポッターだって小説が大売れでしょ?。でも映画は小説の面白さと比べれば、少しの面白さしかないんです。コミックや小説にしか出来ないコンテンツとしての面白さ、ここをとことん追究すればいいんですよ・・・
うちの両親(団塊より少し若い)が、「老眼で本を読むのが億劫」とこぼしています。図書館で時々見かけますが、字の大きな本を出版する、というのは簡単にできる工夫だと思います。団塊世代退職でチャンスですし。
http://www.mainichi.co.jp/universalon/clipping/200612/091.html
メディアの種類が増えて情報がこれだけ溢れてくると出版業界は苦しいですね。紙で情報を伝えると言うことが重要な場面以外、「データだけでいいじゃん」となってしまうのは致し方ないことだと思います。とはいうものの、生き残りを考えなけばいけない立場の人はそうもいってられませんよね。
というわけで、私のつたない頭で考えてみますと、2つの方向性があるかと思います。ひとつは「コストを下げる」、もうひとつは「収入源を増やす」です。
コストを下げる方では、編集、印刷、流通というコストがかかる部分を(できる限り)すっ飛ばすということです。出版系の仕事をされている方は「そこが一番重要じゃないか」と思われるかもしれませんが、お金を払う側はそれほど重要だと思っていなかったりします。
出版で重要なのは「読む楽しみを提供する」ことで「本を印刷する」ことではないはずです。そう考えれば色々なアイデアが出てくると思います。例えば、アマゾンの成功で話題になったロングテールをもっと推し進めるにはどういう仕組みが必要かとか考えれば色々アイデアは出てくるかと思います。
アメリカの鉄道がすたれたのは「自分達はモノや人を運ぶ鉄道事業をしている」と定義したことに原因があるといわれています。「旅というエンターテーメントを提供している」と定義づければ違った結果がでたかもしれません。
もうひとつは収入源を増やすと言うことです。広告モデルはインターネットで成功した数少ないビジネスモデルです。広告モデルで重要なのはどうしたら人を集められるかと言うことです。更に言えば、一般ではなく特定の人を集められることが重要です。
そういった意味では出版業界は強いと思います。特定の人を集めるための、強力なコンテンツをもっていますからね。ネット上には、アフリエイトやSNS、ブログと言ったツールもそろっていますので、それらを駆使すれば新しい出版の方法も見つかるのではないでしょうか?
それぞれの出版社が、自社の商品をどういう考えで扱っているかにもよりますが……。
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紙媒体には「製本後、断裁するまで税金が掛かり続ける」という不思議なルールがあるらしく、これが原因で古い書籍の入手が困難になるという現状があるようです。
http://www.mita.cc.keio.ac.jp/econ/gendaishiso/syllabus/021220.h...
これを出版側が「当然」と取るか「もったいない」と取るかで、大きく変わってくるのかもしれません。
また(紙に限らず)物理的な方法で販売する媒体には「中古媒体の販売を抑止できない」という都合もあります。
http://www.jc.u-aizu.ac.jp/11/141/thesis/msy2003/06.pdf
日本では前出のとおり「出版元が売れる見込みのない本を在庫しておくことが困難」なだけに、中古媒体の販売だけを抑止しようとしても、上手くシステムが回ることはないと思われます。
仮にこれを「電子媒体化し、データの(譲渡不可能な)閲覧権利を販売する」仕掛けにすれば、少なくとも後者の問題は解決するはずです。
前者については「後追いで法律が変わって」課税されるかもしれませんが……。
今のところは「書籍の上に乗せるコンテンツ」と「書籍の入れ物となる媒体」を一緒くたに扱っているところもあるようですが、必ずしもこのままでい続ける必要はないはずです。
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とはいえ、電子媒体化もバラ色ではないところが困り物ですね。
一つ目の問題としては、「閲覧権利を所有しているかどうかを確認するのが容易ではない」事でしょうか。
ネットワーク認証ですと、たとえばソニーによる「レーベルゲートCD」の例があげられます。
http://www.sonymusic.co.jp/cccd/
このように「ニーズが薄くなったから認証サービスを終了」ということになれば、電子媒体に対する信用そのものがガタ落ちになってしまう恐れがあります。
また、認証用のソフトウェアが新しいOSに対応できなければ、その時点でおしまいであるという点も危ういですね。
DRM(デジタル著作権管理)が付いた記録媒体を使うという手もありますが、これも単独では使い勝手があまりよくないかもしれません……。
二つ目の問題としては、「デジタル媒体は紙媒体よりも遥かに陳腐化しやすい」ことでしょうか。
たとえばゲーム機・デジタルカメラ・プリンタ・オーディオデバイスの進化に見るように、人間の感性は時代を経るごとにどんどん贅沢になっていきます……その一例を。
http://www.ykanda.jp/came.html
このページを製作されている神田さんという方は、「椿の花」を多数写真として掲示されています。
このページをご覧いただければ、新しい機材で撮影されたものと比べて、古い機材で撮影されたものはどうしても絵が荒く感じてしまうということが見て取れるはずです。
もちろん、「椿の花が綺麗であること」そのものを伝えるにはなんら問題がないのですが、「10年前のデジタル技術でデジタル化したデータ」を今見た場合の感覚はつかめると思います。
いま「綺麗だ」と思って見ているデジタルデータも、10年後には同様に見えてしまうはず……この点については把握しておく必要があると思います。
こちらでは「JPEG」形式で写真を展示しているので「今でも変わらず見ることができる」のですが、仮にこれが「既に廃れたフォーマット」で収容されていたりすると、下手をすればコンテンツを閲覧すること自体ができなくなってしまう可能性もあります。
紙媒体と比べて「(色々な意味で)寿命が短い」点に注視して対策を講じられるかどうかが、電子媒体化の鍵なのかもしれません。
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著作権管理機能を有する「出版用の汎用フォーマット」があればいいのかもしれませんが、たとえばPDF形式では「携帯端末で見るには閲覧しづらい」というところも気になります。
デジタルデータであるからには「デバイスサイズに見合う表示ができること」が望まれるはずで、最終的には「ComicSurfing」のような「少ないコマ数ごとにページ送りをする」方法が選択されるのかもしれません。
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0406/15/news082.html
デバイスサイズの問題については、絵のみを扱うコンテンツのみではなく、文字+挿絵のようなコンテンツでも考慮されるべきですね。こちらも「デバイスサイズに見合ったページ送り」などを柔軟に行える仕掛けが必要ですので。
また、文字を「絵ではなく文字として」扱う場合は、デバイスが持つ文字セットが常に同じとは限らない点にも注意が必要です。有名どころではこんな感じでしょうか。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061122/254684/
デバイスによって文字の形が異なってしまう現象を回避するために「フォントデータごと埋め込んでしまう」という手もありますし、割り切って「デバイスにある文字のみを表示する」という手もあります。
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最終的には、
「出版元は原本を紙のまま&精細なデジタルデータの2本立てで保管する」
「表示サイズが異なるデバイス向けに、それぞれに適した電子データを作成し販売する」
「技術革新があれば、それに対応する電子データを作成し販売する」
「必要に応じて、オンデマンドプリント(簡易製本)により紙媒体の書籍を提供する」
「ある程度まとまった数が見込める場合は、その版のみを通常の書籍として製本し販売する」
「著作権管理については、【DRM(デジタル著作権管理)付き記録媒体】を【ユーザID】に結びつけて行う」
……あたりが、落としどころになるのかもしれませんね。
以上は素人考えですので、もしかすると矛盾があるかもしれません。
また、この分野について調べたのがだいぶ前なので、知識的に古いところもあるかもしれません。
それでは、長文失礼いたしました。
紙媒体の総量は減るでしょうが、絵本の読者・購入者が無くなることはありません。売れる数が減っても、利益が大きくなれば事業は続けられます。
利益を大きくするには、大別して次の二つの戦略があります。
少量高級化戦略:絵本を高級化させ、一冊あたりの単価を上げる。
大量低価格戦略:絵本を小型化・低廉化して、大量に売る。
たとえば、1500円の絵本を売っていたとしたら、3000円で売る。あるいは600円で4倍以上売るという具合です。
問題は、価格が高くても買ってもらえる絵本とは何か、たくさん買ってもらえる絵本とはなにか、という点です。それを知るには、やはり買っている読者の志向を徹底的に調査し、把握することが必要です。
高級化戦略を採る場合、たとえば、多くの購入者は絵本は“読み聞かせ”のために買っているので絵本に読み聞かせ用の“朗読CD”を付録でつけるとか、子どもが大人になっても読めるように装丁に徹底的に凝る、といった工夫が必要だと思います。
大量販売戦略の場合は、たとえばシリーズものにして、ひとつの絵本をシリーズで10冊に分割して出すとか、シリーズ化しただけでは売れないので10冊全部買うと絵本に登場するキャラクターのフィギュアをもらえるなど、ちょっとした工夫が必要でしょう。
もうひとつ、これは絵本業界の禁じ手的裏技ですので私としてはおすすめできない提案ですが、政界に働きかけて法制度を作らせ、法の強制力によって強制的に需要を増やすという方法があります。
ぶっちゃけ、絵本を「国家の公共事業」として国民に買わせるという戦略です。
実はこの裏技は、すでに実施されている戦略であり、たとえば絵本を作っている出版社を含む業界団体である「書協」(社団法人日本書籍出版協会)などが、業界特権である再販売価格維持制度の絶対擁護を政界に働きかけたり、一部の出版社が出版物販売の需要増加のために政界にさまざまな働きかけをしている事実があるようです。
以下の政界の動きは、出版業界団体が政治支援団体を作って政治にはたらきかけたり、トンネル団体を作って政界工作のための政治資金を調達したり、出版業界が支援している業界系青少年団体の関係者が政治に働きかけたり、選挙応援に行ったりすることによって実現したと言われています。
- 「子どもの読書活動の推進に関する法律」を制定され、国家の「基本計画」、都道府県の「基本計画」、市町村の「基本計画」が策定された。(2001年)
- 文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」で「自ら本に手を伸ばす子供を育てる」ことが目標となった。(2004年)
- 「文字・活字文化振興法」が制定され、出版業界振興が国策となり、活字文化議員連盟その実現のための施策を発表した。(2005年)
このように、かつては国民の利益に奉仕する政府の監視者としての役割を果たしていた出版業界は、一部の出版社を除き、現在はその立場を捨て、国家政策と利益を共有し国家の庇護で生き国民の利益をむさぼる業界となっているように見えます。
「子どもの読書活動の推進に関する法律」の制定前には、公明党の議員や自民党の青少年管理派の議員が熱心に制定活動を展開しており、公明党の支援宗教教団系の出版社や自民党の青少年管理派議員を支援している出版社が、「子どもの読書活動の推進に関する法律」のキャンペーンをはったこともありました。それらの出版社は、「子どもの読書活動の推進に関する法律」の制定により、売り上げ・利益が増加したと言われています。
このように、絵本を含む出版業界の関係出版社の多くは、国家権力のもとでの利益を得る戦略を採っており、実際に利益もあげています。という意味では、政界に働きかけて法の強制力で強制需要を作るという戦略は、一時的に効果があったと評価できるのかもしれません。
社団法人日本書籍出版協会 当協会の概要
文部科学省
子どもの読書活動推進ホームページ
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/dokusyo/youkoso/index.htm
関係法令等(関係法令、通知、答申)
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/dokusyo/hourei/index.htm
出版物案内
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/dokusyo/shuppan/index.htm
しかし、このような国家の庇護による業界利益が永遠に続くのかというと、それは甚だ疑問であり、現に絵本の売り上げの多くを占める公共図書館・学校図書館の蔵書購入予算は、一部の地域でしか増えていません。地方では財政難により図書館予算が減っている自治体もあります。
戦後の復興期には移動図書館が各地の公立図書館によって運用され、たくさんの絵本が購入され読まれていましたが、近年では財政難のため移動図書館の多くが廃止されています。
「公共事業としての絵本」という考え方は、国家からの精神的自由を求める国民の反発を招き、出版業界の“国民に対する裏切り”に批判を起こり、業界全体に対する“見捨て”“見切り”が発生する可能性があります。そのときに業界はどう対応するのか。国民の言論を押さえつける自殺的政策に出版業界が賛成するのか。今のまま国策による庇護を求めつづけていれば、いずれ業界団体は「踏み絵」を踏まされることになるでしょう。そのリスクは業界団体が考えている以上に大きく破滅的なものになるだろうと私は推測します。
ですから、政界に働きかけて法の強制力で強制需要を作るという戦略は中止し、売れない本を強制的に買わせるのではなく、国民が本当に求める本を売る、求められる本を作る、という原点に立ち返る方が良いと私は考えます。地道に実直に売ってほしいです。
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