年賀状とは、
1)旧年中にお世話になった人へのお礼
2)新年にお世話になる可能性が高い人への挨拶
のどちらの意味合いがより強いものなのでしょうか?
(本義的には、あるいは、現在の実際の用いられ方としては。)
端的に言うと、手元に1枚しか年賀状が無い場合、
A)旧年には非常に世話になったが、新年中には接点が無い相手
B)旧年には接点は全く無いが、新年にお世話になることは確かな相手
のどちらに出すものなんでしょうか?
(メリットという観点ではなく、純粋に「年賀状」的な観点からは。)
もしかして、諸説があるところかもしれませんが、よろしくお願いします。
難しい質問ですね。
多分に私見が入ってしまいますが・・・・・・
年賀状の由来は年始回りから来ています。
一方、年の終わりには歳暮回りというものがあり、これはお歳暮に引き継がれています。
歳暮回りは旧年中にお世話になった人にするものですから、
年始回りは新年にお世話になる人にするものではないでしょうか。
また、日本では年が変わることを非常に重んじますし、
新年になってすぐに、「旧年を振り返るために何かする」ことには違和感があります。
ということで私は、B)旧年には接点は全く無いが、新年にお世話になることは確かな相手
に出すものと考えました。
自分の印象としては、1)も2)も同じくらい重要であると思います。
本来ならば、年始の挨拶回りの代わりとして年賀状を出すのですから、挨拶回りすべき方には全て出すのが筋であると考えます。
また、人とのつきあいは(結果として疎遠になったとしても)ある区切りを持って無くなってしまう訳ではないはずです。
年始の挨拶周りの代わりってことは、原義的には2だということでしょうか?
いや、したの方を見ると、1なのかな?
歴史的な意味合いでは、Aの方優先ということになります。
ところで、年始の挨拶回りも古く奈良時代からすでにあったそうです。それが「年始回り」として習慣化されたのは8世紀末の平安時代からとのことで、元日から小正月(1月15日)までの間に、前年、世話になった主君、師匠、父母、親戚、近隣の人達の家に新年の挨拶に回ったということです。
このようにわが国には新年の年始回りという行事があり、それが行えないような遠方などの人への年始回りに変わるものとして、年始の挨拶状(年賀状)を届けることが始まったと言われています。例えば、江戸時代には諸大名が3日に年始の挨拶状を将軍に届けさせたということです。
http://homepage2.nifty.com/t-nakajima/column60.html
ただし、ビジネスで戦略的にいくのなら、Bに出したほうが良いと思いますが、、、
ありがとうございます。
難しい質問ですね。
多分に私見が入ってしまいますが・・・・・・
年賀状の由来は年始回りから来ています。
一方、年の終わりには歳暮回りというものがあり、これはお歳暮に引き継がれています。
歳暮回りは旧年中にお世話になった人にするものですから、
年始回りは新年にお世話になる人にするものではないでしょうか。
また、日本では年が変わることを非常に重んじますし、
新年になってすぐに、「旧年を振り返るために何かする」ことには違和感があります。
ということで私は、B)旧年には接点は全く無いが、新年にお世話になることは確かな相手
に出すものと考えました。
ありがとうございます。
しかし、れれ、2の人と原義が違う……
どちらも面白いんだけれど、
敢えて1と2を分けて考えると、原義的にはどちらなんでしょうかね??
id:match7 さん、おはようございます。
年賀状のルーツについては、下記で解説されています。結論としては、どちらかというと、私の場合は「1」を支持したいと思います。
http://allabout.co.jp/family/ceremony/closeup/CU20031123A/index2...
相手によって年賀メールと年賀状の使い分けをしましょう。年賀状本来の意味からするとメールよりもはがきのほうが相手への感謝、健康を祈る気持ちは伝わります。メールは簡単に削除されてしまいますが、はがきはすぐにすてないと思います。
http://allabout.co.jp/family/ceremony/closeup/CU20051201A/index2... 左記より引用
また、上記のような考え方をされる場合、「感謝し健康を祈る相手」に対して送るとなると、どちらかというと「これからお世話になる方」よりは「昨年お世話になった方」に対して送る方がしっくりくるように感じたからです。
昨年、返事がなかった方に今年は出さなくてもいい?
http://allabout.co.jp/family/ceremony/closeup/CU20051201A/index.... 左記より引用
もっとも、この方の場合、返事の無かった方に対しても「年賀状でのおつきあい」ということで、今年も出してみることを薦められていますので、年賀状を積極的に活用される立場からの発言かと思われます。
以上、参考になれば幸いです。
ありがとうございます。
年末所感 ~ ライフポイントに応じて ~
たった一枚、人生最後の年賀状を出すとすれば、小学校の恩師です。
しかし、ことし卒業する学生だったら、就職先の先輩でしょう。
または、結婚する予定なら、婚約者の両親ではないでしょうか。
あるいは去年、金を貸してくれた上司A氏と、ことし貸してくれそう
な同僚B君のいずれかといえば、ぜひとも後者を選ぶべきです。
B君から借りて、A氏に返すことも可能だからです。
封建制度のもとでは、ライフスタイルが固定していたので、親子代々
似たようなサイクルで差出人と受取人の立場が循環していました。
現代では、一方が固定しても、他方がさまざまに多様です。
その結果、おなじ文面で印刷することが、そぐわなくなりました。
浪人生のいる家庭に「ことしこそ、良い年でありますように」などと
書くのは、気まずいかもしれませんね。
さらに、あまり親しくない友人から「喪中につき年末年始のご挨拶、
ご遠慮申し上げます」と葉書が来て、会ったこともない人の命日などが
書きそえてあったりすると、とても困惑します。
(↓)ことしのわたしの年頭所感など。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070106
先輩同輩後輩 ~ 賀状の切れ目が縁の切れ目 ~
ありがとうございます。
個人的にはAだと思います。Bは相手のためではなく、自分のためという意味合いが強いと思うからです。
それに、そのような考えは相手にも伝わるものだと思いますよ。
ありがとうございます。
しかし、原義的には一体、どちらなんでしょうかね?
2さん3さんのどちらが正しい??
ありがとうございます。
しかし、れれ、2の人と原義が違う……
どちらも面白いんだけれど、
敢えて1と2を分けて考えると、原義的にはどちらなんでしょうかね??