二条城で行われたのは、「大政奉還の相談と宣言」だけで、大政奉還が成立するのは、
翌日の「大政奉還上表」の提出か、翌々日の慶喜の参内での勅許をもってすると思うので
解答は御所を選ぶのがよいかなと思いますが、
指導要綱的にはどんな感じになっているのでしょうか?
文部科学省の教科書検定では「二条城で行われました」という表現に対して
大政奉還そのものが二条城で行われたかのように誤解するおそれのある表現である。
と指摘していて、
指摘された教科書では「徳川慶喜は二条城で大政奉還の決意を明らかにした」に修正してます。
史実に照らし合わせれば確かに間違いですが
「御所」での話については習っていないと思われます(要綱に入っていない)ので
「ここで求められている解答」としては「二条城」という事になるというのもまた残念ながら事実です。
大政奉還を「諮問」した場所=二条城、
その翌々日、徳川慶喜が御所へ参内し勅許を得た瞬間=「大政奉還」が成就した瞬間。
ということで、あなたの言うとおりです。
契約でいえば、徳川慶喜が大政奉還を”発注”したのが二条城、
その”請書”を発行し、契約に調印(成立)したのが、御所にて、ですから。
ただ・・・有名私学のマニアックな日本史の問題じゃぁあるまいに、
中学の試験で「二条城」=「×」だなんて・・・ひっかけ問題過ぎません?
いやだなぁ、そんな教育方針(苦笑)。
解答ありがとうございます。
いやまあ何だw。私もそう思ったから、確認したかったのですよ。中学校的にはどう教えてるのかなと・・・・。
事実としては間違ってるけど、指導要綱的に二条城ならそれでも良いかな。
出題者もその辺解って出しているのかなぁ。
ただこの先生、
問題「学問のすすめ」で作者が最も言いたいことは?
解答「人は生まれながらにして平等だ」
といったステキ問答を作る人なので、解ってない可能性のほうが高いかな
文部科学省の教科書検定では「二条城で行われました」という表現に対して
大政奉還そのものが二条城で行われたかのように誤解するおそれのある表現である。
と指摘していて、
指摘された教科書では「徳川慶喜は二条城で大政奉還の決意を明らかにした」に修正してます。
史実に照らし合わせれば確かに間違いですが
「御所」での話については習っていないと思われます(要綱に入っていない)ので
「ここで求められている解答」としては「二条城」という事になるというのもまた残念ながら事実です。
解答ありがとうございます。
中学校的には「二条城」と答えておけということですね。
手元にある新しい教科書をいくつか見てみました。
教科書本文では「大政奉還が行われた場所」というものについては記述していません。そもそも大政奉還が行われた「場所」というものがそもそも存在するのかも疑問です。(あえていえば、hide1138さんが書かれたようになるのでしょうが)
その一方で、多くの教科書に幕臣に「徳川慶喜が政権を天皇に返す決意を伝える」シーンの絵(有名な絵ですね)がでていて、京都の二条城で行われたものだと書かれています。まあ、その意味ではその先生が言いたいことは微妙に判らないのではないのですがね。
ちなみに、学習指導要領はもともとそのような細かい規定が書かれているものではないため、そのようなことは書かれていません。(指導要領に書かれてたら大問題ですよ)
解答ありがとうございます。
中学校的には「二条城」と答えておけということですね。