ええと、drowsyさんとinfograveさんに付け足して、人間をあくまで生物であると見た場合の個人的な意見を。
今、人の性、生まれながらにして利を好むこと有り。
是に順ふ、故に争奪生じて辞譲亡ぶ。
利を好むのはそもそも食料確保の手段ですよね。
喰わなきゃ自分や家族が死ぬと思えば、人間だって動物だから奪います。
先の事は分からないので、必要以上に奪うことも当然あるでしょう。
ここでは、他から奪うことを「悪」と定義するのか、自分や家族を養う義務を厳かにすることを「悪」と定義するかで解釈が違うかと。
生まれながらにして疾悪有り。
是に順ふ、故に残賊生じて忠信亡ぶ。
人間が生まれながら好んで無為に他人を傷つけるかどうかと問われると、難しいですね。
ただ、利を求める行程でそうなることは大いにあるでしょう。
そうするとやはり、他から奪うことを~(以下同文)~で解釈が違うかと。
生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好むこと有り。
是に順ふ、故に淫乱生じて礼義・文理亡ぶ。
耳目の欲は悪く言えば享楽にふけることですが、よく言えば芸術を解するという意味にもなるでしょう。
時代背景的なものだと思いますが、このご時世、これを一概に「悪」と定義するのはどうかと。
そして声色を好むのは生殖本能ですよね。
ここでは、ただ淫乱を「悪」と定義するのか、子孫を残す行為を厳かにすることを「悪」と定義するかで解釈が違うかと。
然らば則ち人の性に従ひ、人の情に順はば、
必ず争奪に出で、犯分乱理に合して、暴に帰す。
故に必ず将に師法の化、礼義の道有りて、
然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰せんとす。
個人的にまず注目したいのはここです。
乱暴な言い方になりますが、ようは「善」は世の中を治める際に都合の良い人格、「悪」は都合の悪い人格のことだと定義しているようなものです。
我々は道徳観念で法律を犯すのは「悪」だと認識していますが、
そもそも法律の基準と言うのは社会の中の多数派の人間にとって都合が良いか悪いか、
更に言えば、時の政府など運営組織の存続を保持するために都合が良いか悪いかです。
「残賊生じて忠信亡ぶ」も、「勝てば官軍」というように、政権が変われば「悪」だったものも「善」に変わります。
drowsyさんがおっしゃるように、TPOで都合よく変わるわけですね。
これは突き詰めると、「善悪」の定義はどれだけ利他的な人格か利己的な人格かだと思われます。
更に言うなれば、TPOをわきまえられる、空気を読める奴と言っても良いでしょうか。(これは砕けすぎ?)
其の善なる者は偽なり。
さて、最後の下りです。
「善悪」の定義が「利他的か利己的か」だと仮定すると、人間は動物である以上、自分の種の存続を第一に行動するよう利己的にプログラムされています。
すなわち自然体の人間の性というのは、この定義では「悪」に当たります。
そして、利己的な本能に逆らい、利他的な行動を起こすには(i.e.「善」になるには)、人為的な意思が必要となりますよね。
つまり、人間は自然体で悪、善になるには意識的に努める必要がある、というのはこの善悪の定義の場合、正解かと。
・心のままに行動し、自分を律することの出来ない人間が増えると社会は滅びる。
・善人は、自分を律する事に努めた結果、善人である。
その通りだと思います。
回答ありがとうございます。
つまり、現状は社会が滅びているということでしょうか?
善悪の判断は時代・場所・人などによって判断が異なります。
よって善・悪の定義を行わないと善悪どちらであるかは分かりません。
そのうえでその善は偽であるかを論じねば。
概念上の問題でなければ、あなたも私も生きている以上、現代社会は滅んではいません。
また滅びることは悪ですか?
悪はなぜ「悪」なのでしょう。悪を定義することはもうすでに善ではないように思います。
回答ありがとうございます。
>悪はなぜ「悪」なのでしょう。悪を定義することはもうすでに善ではないように思います。
はかなり真理を付いているように思いました。
また、個人的には、滅びることについては、単純な物理現象であり善悪の範疇とはかけ離れたものと思います。
※滅ぼすという行為については別ですが・・・
id:infograveさんへの返信については、
という条件は、性の善悪を直接的に判断するものでは無いと思われるのですが、
上記の条件を基に、社会を観測し滅びていると思われ、性は悪であると回答いただいたのではないかと判断したために
書き込んだ返信です。
「善なるものは偽りなり」は荀子のコトバですね。
キリスト教の原罪説も、人間の本性は悪であるという考えかと思います。
一方で、孟子は性善説を説きました。性善説と性悪説の違いは、自然状態が善なのか悪なのかというところにあります。
性善説は、人間がすばらしい精神性を発揮できること、芸術や文化や科学を愛することの元に、天からいただいた善なるものがある。だからそれを大切にして生きていかなくてはならないというもの。純真に、天真爛漫に、生きていけば、人間はすばらしい。(しかしそれはなかなか大変ですが)
君子は、学習し自己を鍛錬することで、自分の能力を最大限発揮して、善を活性化しなければならない。
一方で、性悪説は、人間の本性は悪だから、それを矯正しなくてはダメだというもの。
どちらが正しいかといえば、おそらく孟子でしょう。
なぜならば、人間が言語を獲得したのも自然だからです。人間の言語は、DNA/RNA/タンパク質による自然界のデジタル通信を模倣して生まれたようですから。
回答ありがとうございます。
>性善説と性悪説の違いは、自然状態が善なのか悪なのかというところにあります。
の一文は、それぞれをとてもわかりやすく説明された内容だと思いました。
ただ、人間が言語を獲得したということが、性善説につながる点があまりよく理解できませんでした。
自然が善だと考えるのであれば、共食いや子殺しなども自然の中に見られる以上、善となってしまうのでないでしょうか?
私は「性」というもの自体を悪とは思いません。
衝動という観点でみれば純動物的に自然なものですが、
人には知性や理性があり、それをコントロールできます。
また2番さんのように善悪の判断自体あまり意味はないですが、
「善なるものは偽」というものもないと考えてます。
特に性というものにおいては人はその人の考え方によって様々で
他人の善が鼻について偽に思えたりするものです。
要は
「性を上手にコントロール出来るか」
ということではないかと考えます。
回答ありがとうございます。
"他人の善が鼻について偽に思えたりするものです。"という考えが多いのであれば、
性が善であると考えるのとは矛盾するのではないでしょうか?
性が善であるのなら、他人の善を尊び喜べるのではないでしょうか?
あと、もしかしてなんですけど、性欲・リビドーについて回答してくださいました?
荀子の言葉ですよね
個人的には上記の言葉は
人間は生まれた時は「悪≒馬鹿」だから、馬鹿を克服して善になろうぜ
と解釈してます
でなければ、人間からは善は生まれてこないという悲しい結果になります
回答ありがとうございます。
回答の内容、私自身の意見と似たものでした。
私自身は、性善説とは、1位でスタートするレースのような、維持するか落ちるかしかないというイメージがあり、
最後尾スタートかもしれないけれども、努力する余地はいっぱいあるぜ!!という性悪説に魅力を感じております。
えーと原文訳に当たりますが、
人の性は悪なり。
其の善なる者は偽なり。
今、人の性、生まれながらにして利を好むこと有り。
是に順ふ、故に争奪生じて辞譲亡ぶ。
生まれながらにして疾悪有り。
是に順ふ、故に残賊生じて忠信亡ぶ。
生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好むこと有り。
是に順ふ、故に淫乱生じて礼義・文理亡ぶ。
然らば則ち人の性に従ひ、人の情に順はば、
必ず争奪に出で、犯分乱理に合して、暴に帰す。
故に必ず将に師法の化、礼義の道有りて、
然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰せんとす。
此を用て之を観ば、然らば則ち人の性の悪なるは明らかなり。
其の善なる者は偽なり。
という一説において、出てくる悪とは、絶対悪ではなく相対悪です。
・自分が他人より有利になろうとする性質がある。放置すると争い、奪い合いを始める。
先日のチリの大地震でも、店舗からの略奪行為が激化し、援助物資の配給も出来ない事態になっています。
・他人を妬む性質がある。放置すると、他人に危害を加え始める。
数日前、2chに大量のDDOSが発生して、アメリカのデータセンターが被害を受けてましたね。
・美しいもの聞こえの良い物を求める性質がある。放置すると、モラルハザードがおきます。
先日、本橋被告が捕まったときにmixiで擁護コミュとか出来ていましたね。
また、最近の国政もそんな感じに思えます。
これらは、やりすぎたから悪いのであって、程々に律することが出来ればプラスになるものです。
そして、それを行うことが出来る人は善なのです。
そういう人が、増えるように導いていかないといけない。という一節になります。
ちなみに、「其の善なる者は偽なり。」の「偽」は偽者という意味ではなく、「人為」つまりは努力したという意味となります。
回答ありがとうございます。
確かに、
>自分が他人より有利になろうとする性質がある。放置すると争い、奪い合いを始める。
>美しいもの聞こえの良い物を求める性質がある。
について、それが自分自身を高めることにつながれば大きなプラスですよね。
努力した者が善であるということは、ある意味公平な評価のようにも思えますしね。
報道などを見ていると、悪とは相対悪ではなくて絶対悪のことであるとするような風潮を少し感じる思いもあります。
こちらの方が当たっているかも。ちなみに、「荀子」となっているけど、「荀子」という本に書いているだけで言ったのは告子です。
●「性格・態度」名言集・格言集
人の本性は不定なり。一つところを渦まく水のごとし。東の方へ切り開けば水は東方に流れ、西方に切り開けば西方に流る。
「荀子」
人の性は善悪混ず、其の善を修むれば善人となり、其の悪を修むれば悪人となる。
楊雄 「法言」
http://www.oyobi.com/maxim01/11p2.html
●林羅山
タトヘバ性ハ水ノゴトシ、清キモノ也、奇麗ナルモニ入レバスナハチ清シ、汚タルモノニ入レバスナハチキタナシ
http://www2s.biglobe.ne.jp/~MARUYAMA/tokugawa/razan.htm
個人的な意見ですが、人間とは、完全に、神や仏のような善にもなりきれないし、かといって、悪魔や鬼のような悪にもなりきれない、その狭間で揺れ動く中途半端な存在ではないかと思います。一人の人間の中に両方の芽が共存していて、環境によってどちらの芽が大きく育つかじゃないでしょうか。
ちなみに、「偽」というのは、「人為」という意味です。つまり、生まれた後の教育によるといったこと。
回答ありがとうございます。
>タトヘバ性ハ水ノゴトシ、清キモノ也、奇麗ナルモニ入レバスナハチ清シ、汚タルモノニ入レバスナハチキタナ
この一文、要点を抑えたとてもわかりやすい言葉でした。
教育や躾については、大きな問題として考えていかなければ駄目なことだと思うのですがね・・・
たかが中学一年生のくせにまともに答える事が出来ているかは定かではありませんが。
私は自分の正義を貫くことが本物の善だと思っています。
「人の性は悪なり」と言い切っているのは今までの経験そして自らの経験・環境のせいなのではないのでしょうか?
バカが長々とすみません。一行一行空けたのは読みやすくするためです。
私はけして「人の性は悪なり、その善なるものは偽」とは思いません。
回答ありがとうございます。
人の性は悪では無いと、思っている中学生がいるということがとても心強いです。
質問文の言葉は、私の言葉ではありませんが、確かにおっしゃるとおり自身のこれまでの経験・環境から
"人の性は善である"や"自分の正義を貫くことが本物の善"とは考えていません。
たとえば、私の妻や子供が暴漢に襲われそうになり、家族を守る為として私が暴漢を殴ったとします。
その結果、暴漢が大きな怪我を負ってしまったとしたら、
私は"自分の正義が善である"と一点の曇りも無く信じることはできないです。
でも、私が中学生の時なんてスーパーファイヤープロレスリングのエディット選手の作り方くらいしか
考えてなかったと思うので、id:kurenkoさんには脱帽です。
P.S はてなの解答欄は、はてな記法というルールが適応されるので、改行する場合は2行あける必要があります。
ええと、drowsyさんとinfograveさんに付け足して、人間をあくまで生物であると見た場合の個人的な意見を。
今、人の性、生まれながらにして利を好むこと有り。
是に順ふ、故に争奪生じて辞譲亡ぶ。
利を好むのはそもそも食料確保の手段ですよね。
喰わなきゃ自分や家族が死ぬと思えば、人間だって動物だから奪います。
先の事は分からないので、必要以上に奪うことも当然あるでしょう。
ここでは、他から奪うことを「悪」と定義するのか、自分や家族を養う義務を厳かにすることを「悪」と定義するかで解釈が違うかと。
生まれながらにして疾悪有り。
是に順ふ、故に残賊生じて忠信亡ぶ。
人間が生まれながら好んで無為に他人を傷つけるかどうかと問われると、難しいですね。
ただ、利を求める行程でそうなることは大いにあるでしょう。
そうするとやはり、他から奪うことを~(以下同文)~で解釈が違うかと。
生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好むこと有り。
是に順ふ、故に淫乱生じて礼義・文理亡ぶ。
耳目の欲は悪く言えば享楽にふけることですが、よく言えば芸術を解するという意味にもなるでしょう。
時代背景的なものだと思いますが、このご時世、これを一概に「悪」と定義するのはどうかと。
そして声色を好むのは生殖本能ですよね。
ここでは、ただ淫乱を「悪」と定義するのか、子孫を残す行為を厳かにすることを「悪」と定義するかで解釈が違うかと。
然らば則ち人の性に従ひ、人の情に順はば、
必ず争奪に出で、犯分乱理に合して、暴に帰す。
故に必ず将に師法の化、礼義の道有りて、
然る後に辞譲に出で、文理に合して、治に帰せんとす。
個人的にまず注目したいのはここです。
乱暴な言い方になりますが、ようは「善」は世の中を治める際に都合の良い人格、「悪」は都合の悪い人格のことだと定義しているようなものです。
我々は道徳観念で法律を犯すのは「悪」だと認識していますが、
そもそも法律の基準と言うのは社会の中の多数派の人間にとって都合が良いか悪いか、
更に言えば、時の政府など運営組織の存続を保持するために都合が良いか悪いかです。
「残賊生じて忠信亡ぶ」も、「勝てば官軍」というように、政権が変われば「悪」だったものも「善」に変わります。
drowsyさんがおっしゃるように、TPOで都合よく変わるわけですね。
これは突き詰めると、「善悪」の定義はどれだけ利他的な人格か利己的な人格かだと思われます。
更に言うなれば、TPOをわきまえられる、空気を読める奴と言っても良いでしょうか。(これは砕けすぎ?)
其の善なる者は偽なり。
さて、最後の下りです。
「善悪」の定義が「利他的か利己的か」だと仮定すると、人間は動物である以上、自分の種の存続を第一に行動するよう利己的にプログラムされています。
すなわち自然体の人間の性というのは、この定義では「悪」に当たります。
そして、利己的な本能に逆らい、利他的な行動を起こすには(i.e.「善」になるには)、人為的な意思が必要となりますよね。
つまり、人間は自然体で悪、善になるには意識的に努める必要がある、というのはこの善悪の定義の場合、正解かと。
回答ありがとうございます。
いただいた回答読みながら、論理展開のステップに1つ1つ納得させられました。
私の感じていた疑問のすべて+αが網羅させており、大満足です。
悪い性もあれば善の性もあるのではないでしょうか。
人の性=悪なのであれば、善悪の区別はつけられません。
そもそもの基準が曖昧になりますから。
偽の性というものは存在しませんしね。
回答ありがとうございます。
今回の質問は、性善説と性悪説についてどう思いますか?
というような質問です。
回答いただいたように、善と悪があるということは証明できるのですが、
では人間が自然体で生きているときには、どういう風になっていくのかについて
思いついたことでも良いので、よかったら教えてください。
初めまして。E.A.Poe(知のくずかご)と申します。
主題:小生が説得力があると感じた性善説の根拠について
--
少々別な方面からの視点になりますが、小生が説得力を感じた「性善説の根拠」を紹介します。
やっと歩き始めたばかりの子供がいるとする。
その子供が井戸のをそばを歩いていて、落ちそうになったところを見た人は、「落ちろ!」と、こどもの不幸を願うよりも先に、「あ、危ない」と思うのではないか。
ひょっとしたら、自分の利益に関係がなくとも駆け寄っていって抱き上げるのではないか。
これが「人の性は善なり」という理由である。
--
これは、小生が高校のときの漢文の授業で性善説を習ったときに教科書に書いてあったことです。
同時に性悪説も習ったのですが、性悪説の方の根拠はあまり覚えていないところを見ると、小生はあまり説得力を感じなかったようです。
--
しかし、小生の周りを見回すと、現代社会はどうも性善説よりも性悪説を採った方がよいように思えます。
#小生は歴史は全くわからないのですが、おそらく過去のどの時代でも性悪説の方が現実に即しているのではないかとも思います
これは、いったいどうしたわけでしょう?
--
小生は
「人間の性は生まれながらにして善である」
「しかし、一部の人が性悪説で行動するときわめて有利なため、性悪説的な行動がどんどん広まっていく」
「『良貨は悪貨を駆逐する』の理屈が、道徳にも適用されてしまう」
のではないかと考えています。
--
小生自身の子供時代を思い出すと、おそらく性善説で行動していたような気がします。「捨て猫を飼ってくれ」と親に頼んだ経験(もしくはそれににた経験)は小生ならずとも、誰もが持っているのではないかと思います。
しかし、親に怒られたり、大人になって「猫屋敷」のようなニュースを見たりして「世の中は『かわいそう』だけではやっていけないんだな」と学習し、正常な・標準的な(?)道徳観を身につけ、その後にカンニングや宿題忘れごまかしや万引きしてもバレないといった経験をしてだんだん性悪説に傾いていくのではないかと。
#悪い友達に「カネ出してマンガ買うなんてバカのやること。頭のイイやつは万引きする」とか
#「宿題忘れたの?『やってきたけどノート忘れました』とかごまかせばぜってー大丈夫。あのセンセイはチョロいからww」
#などとそそのかされ、やってみたらうまくいってびっくりした、なんて経験が性悪説敵行動の引き金になるのではないかと。
--
正直に申し上げて、どう見ても現実は性悪説的な社会に見えるので、がんばって性善説の肩を持ってみた、というのが真相であります(笑)。
かくいう小生も、まあだいたい標準的な道徳観か、やや性悪説的な行動規範の持ち主であろうと小生自身は思っております。
#小生個人の考えとしては「倫理的ではない」と考えています。
#「道徳」と「倫理」は微妙に違うのではないかと考えているためです。
長くなりましたが、お役に立ちますかどうか。
回答ありがとうございます。
性善説の根拠、かなりの説得力がありました。
朝のラッシュ時、駅のホームで改札に向かって歩いているときに、手袋が落ちているのを見つけた。
その場合、「自分が拾わなくても、駅員さんか誰かが拾ってくれるだろう」と見過ごす人が多いのではなかろうか
これが人の性は悪なりという理由である。
なんてことを考えてしまうあたり、私も性悪説的な行動規範の持ち主だと思います。
「『良貨は悪貨を駆逐する』の理屈が、道徳にも適用されてしまう」という点については、
PCやWebの進化に伴って、よりその度合いを強めているようにも思えます。
確かに人の心から悪は消えることはないでしょう。でも自分の悪を制した人が善なのではないのでしょうか。たとえそれが偽善だったとしても周囲に迷惑をかけなければそれは善なのではないのでしょうか。
少なくとも僕はそう思います。
回答ありがとうございます。
>たとえそれが偽善だったとしても周囲に迷惑をかけなければそれは善なのではないのでしょうか。
これも、真理をとらえた言葉のように思います。
逆に言えば、
"たとえそれが善だとしても周囲に迷惑をかければそれは悪なのではないでしょうか"という問いかけでもあり、
善や悪とは本人が決めることではなく、周囲や社会によって決まる相対的なものであるということでしょうか
己の欲に溺れずに法律を守ることの出来る人が善なのではないのでしょうか。
回答ありがとうございます。
確かに、法律を守ることは善と言えると思います。
ただ、己の欲に溺れず、他人のために法律を破ってしまった人は悪なのでしょうか?
心には善も悪もあると思います。
悪のない心を持つ者など、どこにもいないのではないでしょうか。
誰にでも善と悪の心があり、善の心は
偽りなどではなく、本物だと思います。
それゆえ、悪も偽りではありません。
悪のない心なんて、きっと人間が作ることは不可能でしょう。
あくまで私の意見です。
回答ありがとうございます。
悪の無い心が作り出せないように、善の無い心も作り出せないということでしょうか。
人間の自然体が善であるのか悪であるのかなんて瑣末なことで、結局としては清濁混ざり合った状態になるということも
ある意味真理だと思います。
性善説は、人は群で生活するように出来ているから、人を助ける本能があります。
子供がいすから落ちそうになってたら、何も考えずに、走って行って押さえるじゃないですか。
性悪説は、他人を犠牲にして自分が得をする状況で発生します。
人は生きていかなくてはいけないので、仕方がないです。
回答ありがとうございます。
群で生きるための本能というのは納得です。
そして、生きていくために他人を蹴落とすことも納得です。
その判断は人によって違うんじゃないんですか
だって仲がいい人からは善と思っていても、嫌みかなんかをもっている人からだと悪と思いますからね
回答ありがとうございます。
今回の質問は、性善説と性悪説についてどう思いますか?
というような質問です。
たとえば、誰でも嫌いな人っていると思うのですが、
その嫌いな人って、「その人から何かされたから嫌いになった人」の場合と
「特に何もされて無いけれどもなんとなく嫌いな人」があると思うのですが、
どちらの方が多いと思いますか?
人間は悪も善もある誰だってあるはずです。
殺人未遂などで捕まった人も良い事はしているはず。
私はそう思います。
回答ありがとうございます。
今回の質問は、性善説と性悪説についてどう思いますか?
というような質問です。
もし、100%絶対に捕まらない場合、人は犯罪を行うのでしょうか?
逮捕されたり、他の人から叱られたりしなくても、自然と人は正しい行為をするのでしょうか?
善いも悪いも隣り合わせではないのか。
戦争然り。
モンスターペアレント然り。
回答ありがとうございます。
今回の質問は、性善説と性悪説についてどう思いますか?
というような質問です。
モンスターペアレントって、自分だけの利益を最大限主張している用に思うのですが、
それって人間として自然な行為なのでしょうか?
モンスターペアレントの回答をした者です。
子供(達)のため!という善意と、自分以外(わが子ですら)の
ことはどうでも良いという悪意があると思ってます。
ごめんなさい。せっかく回答いただいたのですが、
ちょっと質問している内容と違う回答なのです。
はじめまして^^
人は大なり小なり狂気、悪意を持っていると思います
小さな子供だってアリなどの虫を笑って殺しますし
本能だと思います。
しかし世の中には共同価値観と言うものがあり、
悪いことは悪いと言うのは
それが偽だろうとなかろうと世間では善になるわけです
人間が残酷なのは本当かもしれません
いい意味でも悪い意味でも。
それでも理性で狂気に呑まれないようにすることは善の行為だと思います^^
回答ありがとうございます。
行動ではなくて、行動にいたる心理が善だというのは面白い意見だとおもいました。
他の物を蹴り落とし、
それを階段のように上がっていく
のが自分のような感じですかね…。
自分死守に近い?のか?
回答ありがとうございます。
今回の質問は、性善説と性悪説についてどう思いますか?
というような質問です。
いただいた回答、ちょっと理解できませんでしたので、
補足いただけるとありがたいです
ただ、己の欲に溺れず、他人のために法律を破ってしまった人は悪なのでしょうか?
は、人に取って悪
また、人に取って偽です。
これは、id:kazuki-0422さんへの返信に対する回答ということだと思いますが、
ちょっと理解しかねました。よかったらコメントで補足お願いいたします。
また、そもそもの質問に対しても回答いただけるとありがたいです。
いいえ、そういうわけではありません。人は、自分で自分の意志で動きます。でもたまには人のやくにたつこともしています。全部が全部で悪いことはないのです。
回答ありがとうございます。
今回の質問は、性善説と性悪説についてどう思いますか?
というような質問です。
たとえば、自分の意志とは、常に誠実であろうとするものなのでしょうか?
それとも、ともすれば楽な方に流れてしまうものなのでしょうか?
こんばんは。
恥ずかしながら、
人の性は悪なり、その善なるものは偽なのでしょうか?
というご質問に対しては、
Googleで簡単に調べて分かる程度のことしか持ち合わせありませんo
今回の質問は、性善説と性悪説についてどう思いますか?
という質問に読み替えて回答します。
私は、人間の「性」には興味がわきません。
性がどうであろうと、実際に外に現れる行動は
その時々のさまざまな状況に大きく依存すると思うからです。
待ち合わせに遅刻するヒトがいたとします。
そのヒトは、
「あいつは時間を守らない、だめなやつだ」
と評価されるコトもありえます。
でも、遅刻の理由にもいろいろあります。
遅刻したヒトがだめなやつなのではなくて、遅刻するコトがだめなことなのです、たぶん。
その時々のシチュエーションを加味しないでそういう判断をするのは
あんまりよいコトではないかな、と私は思っています。
性善説や性悪説にしても同じで、それぞれの状況に先行して、
人間とはそもそも○○な存在だ、という判断をするコトに対して私は抵抗があります。
そりゃ私が今まで出会ってきた中にはいろんなヒトがいましたが、
それはよい/悪いで分けられるような感じではなくて、
せいぜい私と利害関係が一致する/しない程度の分け方しかできないようなものです。
そういう二分法で考えれば、私とは利害関係が一致しないヒトのほうが多かった印象。
でもそれは性悪説っていうのとはまたちょっと違うような気がします。
私は小6なんですがこたえます
私は人の性は悪だとは思いません
人間誰にだって善悪はあると思いまっすが
人間の全員の性が悪だとはかぎらないと思います
すみません小6の私が答えちゃって・・・
へんなとこもあるとおもいますが
こんなんでいいのでしょうか
人の心の奥を追い詰めていったら悪しかないと思います。例えば道で1万円落ちていたら、それを盗むか交番に届けるか迷うだろうけど、心の奥には欲しいという「欲」しかないということと同じだと思います。ただそこで自分を制御できるかどうかが人の価値観でもありそれこそが「善」だと僕は思います。僕は。
もしも悪が全くない人がいたら拝みたいです。
私は人間と言うものが悪いとか良いとかではなく、悪い人間と良い人間がいるだけだと思います。
悪い要素と良い要素と言うべきかもしれません。1人の人間に両方の要素があって、その要素の一部をどれほど回りにみせるか、またはみせてしまうか。
いろいろな要素をいろいろな割合でもっているバラつきが生物としての人間の適応力なのではないでしょうか。
回答ありがとうございます。
いただいた回答読みながら、論理展開のステップに1つ1つ納得させられました。
私の感じていた疑問のすべて+αが網羅させており、大満足です。