今日のニュースで孤独死撲滅のキャンペーンらしきものが行われていましたが
どちらかというと、一人ひっそりの死に方を望んでいるのですが
皆さんはどうですか?
下記2点を含めたご意見を伺えればと思います
・愛するの人に見送られたいor悲しませずにそっと消え去りたい
・現在の孤独死に対する風潮
孤独死撲滅のニュースを聞いて、引きこもりを引っ張り出す社会活動が思い出され
”何か違う”と思うのですが・・・
http://www.amazon.co.jp/%E5%B8%B8%E7%9B%A4%E5%B9%B3%E5%9B%A3%E5%9C%B0%E7%99%BA%E4%BF%A1-%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E6%AD%BB%E3%82%BC%E3%83%AD%E4%BD%9C%E6%88%A6%E2%80%95%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%AF%E9%81%B8%E3%81%B9%E3%82%8B-%E4%B8%AD%E6%B2%A2-%E5%8D%93%E5%AE%9F/dp/4780703603
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/100308/sty1003081844005-n1.htm
私はどちらかというと愛する人を看取りたいタイプなのでもし希望がかなうなら
最期は一人ひっそりと、ってなってしまうのでしょうね。
で、もし私のほうが先に逝ってしまうことになるのならキチンと看取られたいですね。
それは一人で死んでしまうのは寂しいとかではなく、何も言わずに去っていって旅立っ
てしまうことは相手を二重に苦しめる行為だと思うからです。これまでの関係が確かな
ものならきっと乗り越えられると思うのです。
もうひとつの孤独死に対する風潮ですがやはり死んだ後の部屋の中とかすさまじいものが
あるみたいですよ。後始末してくれる人たちのことを思うとちょっと考えてしまいます。
自分もどちらかと言うと1人で死んでいきたい感じです。
愛する人がいても後から知った、みたいに悲しんでほしいタイプですね。
最近なんかは家族とも縁をきられた、という方もいて、亡くなった後に遺骨、遺品なんかを引き取らないなんてこともあるそうですよ。
それを考えると孤独死撲滅もいいんじゃない?という気もします。
ご回答ありがとうございます。
本人にとっては財産も、周りから見れば負の遺産になってしまうのかも知れませんね
孤独死、孤立死が社会問題?ニュースになるくらいなので、遺品も大変な問題かも知れません。
ご意見ありがとうございます。
長寿国日本、でも長寿であるというこは、孤独死も有りうる状況ではないでしょうか。
自分も一人で死んでいきたいと思うほうです、延命治療を施され家族が疲れきった状況での別れは辛いと思います。
猫は自分の死を感じたとき、群れから離れ死んでいくと言われています。
人は、一人で生まれ、一人で死んでゆく、それが自然なのでは。。
ご回答ありがとうございます。
>延命治療を施され家族が疲れきった状況での別れは辛いと思います。
>人は、一人で生まれ、一人で死んでゆく、それが自然なのでは。。
ごく普通に、その感覚は良くわかります。
孤独死がごく当たり前に、家族に看取られるように死ぬのと同じぐらいに尊厳があった上で
孤独死がいやな人に向けた、対策があるといいのですが・・・
ご意見ありがとうございます。
一人で生まれてくるのが普通なのです。ですから一人で死ぬもの自然といえば自然なのですが、
いわゆる「文明社会」がそういう自由を封じるようです。
最近問題になる団地での孤独死では自治会が孤独死した人の後始末をしなければなりません。こうしたケースでは迷惑を他人にかけることになるわけです。
大自然の中で朽ちていくならOKだろうと思います。
こうした係累がなければ、
自分は間に合えば親しき人々に立ちあってもらえればいいし、無理して看取ってもらうこともないかと。
一人で死に向き合うのもありかな、と思います。
最近、柵原和子さんや柳澤桂子さんの死に対する本を読みましたが、
何と言うか現代人は診断という技術の犠牲になっている感じです。死が間近に迫るのが見えるとどうしようもなくジタバタしたくなる。それが残りの人生を蝕む。
孤独死もそうなるかどうかは不確実ですし、不問にしておくのも一つの智慧かもしれません。
ご回答ありがとうございます。
教えていただいた、本は未読なので今度読んでみたいと思います。
文明社会の切り口、大自然の中ならOKはなるほどと納得です。
確かに、余命がわかると・・・本人もそうですし
周辺も・・・変わるからって難しさは文明社会によって出てきてそうですね
孤独死を不問にしておきたいのですが
悪くは思わないでほしいですね。
個人的には・・・真面目に考えると難しいですね ^^;)
「看取ってもらう」か「看取ってあげる」かで考えれば、
正直、愛する人に先立たれ残される辛さに耐えられそうも
無いので「看取ってもらう立場の方がいい」という我侭な
気持ちが(私には)あります。
ただし、ご質問の選択肢で考えるなら、自分はひっそり
と消えていく・・・とう方が、より気持ちに近いと感じます。
(逆の立場から考えて、そう思える次第です)
それに「独り」って、そんなに辛い事ではありません。
ある意味、自由で気楽です。自分の責任において自分の
面倒さえみれば良いわけですから、何も不幸ではないのです。
そう考えると「孤独死」をした人を不幸だったと決め付ける
事の方が、返って失礼のようにも感じます。
死ぬとき独りだった事を取り上げて不幸扱いされるのは
その死者本人も不本意かもしれませんね。
(少なくとも、私だったらそう感じると思います)
「孤独死撲滅」も、そのあたりを考慮して
「どう見ても不幸な形の孤独死」を避けられるように、と
いうことであれば賛成できるのですが・・・
ケースバイケースなので、なかなか難しい問題ですよね。
ご回答ありがとうございます。
>「どう見ても不幸な形の孤独死」を避けられるように、と
>いうことであれば賛成できるのですが・・・
同意です。
死に方をとらえてしまうと
相方に先に行かれたかたは不幸に見えてしまいますよね
「孤独死撲滅」も別の名前で、同じ内容をされれば
一人身の方にたいするサービスとして
自分も好感をもてたのだと思いますが・・・
難しい問題だとおもうので
なおさら、死に方に対しては・・・
印象で判断したくないところです。
結論は人個人ってなりそうですしね
死に関わる概念や行動、知識、習慣はほとんどすべてが生きている人のためのもの
です。典型的にはお葬式とかですね。悲嘆とかもそうです。
結局のところ、社会的/心理的など多くの面で、死は本人のものではないのです。
(生まれるのも同じです。本人の意思とか希望とかとは関係なく人は生まれます)
本人も望まない孤独死は別として、「意図的な孤独死」なら良いじゃないか、と言い
張るとしても、またそれで本人は確かに良いかもしれませんが、それが引き起こすの
ことが社会規範を犯したり、死の尊厳を踏みにじるものなら、あるいは社会がそうみ
なすなら、それに社会の側が耐えられないのです。
あと、ちなみに、孤独死は全然「ひっそり」とはしてないと思います。警察来て新
聞に載って、親戚とかがとやかくいわれたりして、不動産屋が迷惑して、などなど。
ひっそり・ぽっくりときれいな誰にも迷惑をかけない死に方をするのは、相当の努
力と、社会との長い付き合いが必要なのです。其れを時間をかけてやり遂げた人生
の達人が、さらに運も良くて初めて達成できる、高度な望みだと私は思います。
ご回答ありがとうございます。
>・・・社会規範を犯したり、死の尊厳を踏みにじるものなら、あるいは社会がそうみ
>なすなら、それに社会の側が耐えられないのです。
なるほど・・・なので、いろんな地域で積極的な活動がされているんですね。
理由として、いろんな方に迷惑をかけるなどで
”孤独死=寂しい”の風潮があるなら、社会的に正しいのかもしれませんが・・・
切ないですね・・。
・愛する人に見送られたいor悲しませずにそっと消え去りたい
そっと消え去ってもいずれ相手を悲しませることになるので、本当に愛する人になら見送られたいです。
先に相手が亡くなるなら見送りたいです。
私は病気で今日死んでもおかしくないのですが、悲惨な姿になって発見されるのは嫌です。
・現在の孤独死に対する風潮
確かに、引きこもりがちな生活をしている人を引っ張り出したりというのは方向が違う気がします。
好き好んで孤独を味わっている人もいますよね。
現在の機械の技術、例えば人感センサーとネット回線などを使えば、人の力に頼らなくても、死後そんなに経たないうちに発見ができます。
私はそういった仕組みを整備するべきだと思います。
ご回答ありがとうございます。
好き好んだ孤独・・・
自分にも似た気持ちがあるのですが
気持ちを踏みにじらないでほしいと、他人に望んでしまいます。
(矛盾しているかもですが・・・)
社会問題になりつつあることなので、
対策は打っていただきたいのですが、撲滅の運動だけでなく
ご提案いただいた仕組みなどもかなり妙案だと思います。
体をご自愛ください・・・
自分も似た病気をもっていて、少しだけお気持ちがわかる部分があります。
自分の場合
こういったを考えたり、くよくよしてつい質問してしまいます。
今後もご回答で参加していただければ幸いです。
1点目、私はどちらかと言うと、悲しませずにというか周囲に迷惑をかけずに、ひっそりと死にたいと考えるほうです。
2点目、現代の風潮としては、孤独死をなくすために、行政が何とかしなければ、という風潮が感じられます。
ご回答ありがとうございます。
2点目の行政はどんな風に何とかしようとしていると感じられますか?
コメント、回答を追加していただけると幸いです。
漠然と何とかしようとする風潮は歓迎ですが
孤独死を無くそうという風潮はには少し疑問を持っています。
・愛するの人に見送られたいor悲しませずにそっと消え去りたい
そっと消え去るともっと悲しませることになるので、見送られたい
・現在の孤独死に対する風潮
本当に寂しく死んでいく人も多いと思います。
死ぬ瞬間の問題ではなく、死ぬまでの間を寂しくさせないようにという気遣いだと思っています。
ご回答ありがとうございます。
たぶん・・・
もともとの発端はサークル的な、身の回りの寂しい人に対しての
サービスというか寂しい人同士の交流の場だと思います
”死ぬ瞬間に立ち会おう””最期はみんなで”という内容ではないことは認識しています。
必要なサービスだとは思いますが
孤独死という名前がつくだけに慎重に活動してほしいですし
全国展開?NPO法人?などの社会的な責任ある活動ですので
なおさら、慎重になってほしいところなのです。
私は、まだ13歳ですが、
孤独死は、絶対イヤです。
簡単な回答で、すいません。
死ぬときは、やはり愛する人と最後を過ごしたいです。
でも、私は孤独死するかもしれません。
愛する人が、一人で寂しく生きていく姿が、見たくないからです。
ご回答ありがとうございます。
迷いますよね
良く考えられた、良い回答だと思います。
ニュースで孤独死を取り上げられてるときには
どんなことをおもいましたか?
気がついたら追加でご回答いただければ幸いです。
おそらく同じニュースだと思うのですが、私も聞いていてひどく違和感を覚えました。
孤独死防止の運動に携わっていらっしゃる方に何度か接する機会があり、そのどれもがよい結果につながっているという報告をなさっていました。
うざいと思っていたけれど、やってみたら楽しかった、コミュニティが活性化して暮らしやすくなった、などなど。
大学なども研究の一環として実施しているところがあるようです。
餓死、生活苦など、本人がまだまだ死にたくない状態での孤独死は確かに望ましくありません。状態によっては後片付けがひどく大変というケースがあることも聞きました。そういう方の助けになれば、それはとてもよいと思います。高齢者など、買い物に行くのが困難になってしまった(体力的、あるいは社会の変化で)ケースもありますし。
ですが、孤独に死ぬということということが悪いこと、不幸なこととは私には思えません。人間はいずれは死ぬのです。死ぬときは一人です。悲惨な状態で死ぬのなら悲しいことだし社会にその責任の一端はあるでしょう。でもそうでない自然死の場合は悲しいことでしょうか。私はそれはむしろ安らかな死だと感じます。
引きこもり防止にしても孤独死防止にしても、当人がそれを望めばよいでしょう。事実いいケースもあります。でも、どちらも犯罪ではありませんし、「孤独死」が悪いこと、という印象を持たせるような報道はどうかと考えてしまいます。
伝染病など、衛生面での社会への影響を考えるとやむをえないところもあるのかもしれませんが、一人であることが悪いこと、という風潮が拡がるのはあまりよろしくないのでは、と考えています。(そもそも孤独死が悪いのであれば生活保護、失業防止キャンペーンがまず先だと思うのですが、なぜかそちらは批判しているメディアもあります)
私個人のことであれば、愛する人を看取りたいとは思います。
自分の死を看取らせたいか、といえば、死というより生の段階であまりにつらい介護はさせたくありません。むしろそちらに助けが必要と思います。死については、誰でもが迎えることなので、その瞬間を分かち合いたいし分かち合ってほしいと思います。
愛する人が死の瞬間にいない場合(一人暮らしを続けている場合)でも安らかにいけると思います。身体的に苦痛をできるだけ無くしてほしい、という願望はありますが。
ご回答ありがとうございます。
自分と同じ情報からご意見をいただき
また、もっと深く接したことのある方からご意見をいただき
うれしく思います。
孤独死が社会に与える影響があり
衛生面などなど大きい問題だと思いますし
その活動に貢献されている方はすごいとも思います。
その活動が、一人身の方の不安などを取り除けば
一人でなくなるときも不安はなくなると思いますが・・・
アプローチとして
みんなで仲良くが良いこと、一人で寂しいは悪いこととなり
みんなで楽しくボランティアしましょう
となると、やっぱり”ちょっと違う”となってしまいます。
個人個人の意見、認識によって
ニュースの見方は違うと思いますが
伝え方、伝わり方としては一般に"孤独死"が悪いこと
って伝わるのは残念です。
まあ正直大きなお世話かと。
私もどっちかと言うと
ひとりでひっそり死んで生きたい派ですかね。
ただ、どんな死に方をするか考えるために
生きてるわけじゃ無いと思ってますので
一人だろうと見取られようと成り行き任せにするのが
自然じゃないでしょうか。
事故死や殺人ではもちろん人生を終えたくないですが・・・
ご回答ありがとうございます。
成り行き任せにはなるんでしょうけどね・・
でもでも
死に方で
一人で死ぬのはよくないって
活動団体があれば
成り行きではなくなってしまいませんか?
大きなお世話に感じて放っておきたいところですが
大きな権威ある団体になり
世の中の風潮になれば
成り行き任せに行かないと感じてしまいます。
・愛する人に見送られたいor悲しませずにそっと消え去りたい
大往生したいですね。
家族や周りの人に「あーそろそろ寿命だったんだねw」って言われるような死に方が本望です。
・現在の孤独死に対する風潮
人の意志うんぬんの問題ではなくて、死体は臭いです。
アパートなどで孤独死された場合、その部屋は清掃に多額のお金がかかる上に、
賃貸としての価値ががくんと落ちます。
持ち家だったとしても、隣でいつの間にか人が死んでた、などとなれば、隣の家は気味悪いですし、家の不動産価値にも響きます。
知り合いなどがちゃんと看取らないということは、他人に多大な迷惑をかけると言う事なのです。
引きこもりは、「誰にも迷惑かけていない」とよく勘違いしていますが、引きこもっているという事実だけで社会的には迷惑なのです。
真の自立とは、人間関係もそれなりに構築する事なのです。
ご回答ありがとうございます。
社会的に影響があるということですね
遺産が負の遺産になるなどのほかに、純粋な経済活動の阻害の問題などなど
引きこもりについてもご意見ありがとうございます。
経済活動上、就労していなくて利益にならない部分は引きこもりの悪いところだとは思いますが
自立できていない(していない)部分は自立するまでまってもいいかなーと思う部分もあります。
自分の意見に近い部分として下記の本が割りと近いと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B2%E3%81%8D%E3%81%93%E3%82%82%E3%...
孤独死の場合は「助かる可能性もある」から撲滅すべきなのではないでしょうか。
死に方は個人の自由ですが、生活しているということはとりあえず生きようとはしているわけですから、家の中で急に倒れたりしたときに救急車を呼べば助かっていた可能性もあります。
しかし孤独死するような環境だと「倒れる=死」ですから、生きようとしている人間にとっては望ましいことではないはずです。
ご回答ありがとうございます。
ご回答いただいた
>生きようとしている人間にとっては望ましいことではないはずです。
というのが本来の孤独死撲滅の意味だと思います。
本当に正しい意見で返信に困るのですが
『助かる可能性がある』≒『一人身の老人全員』だと思うのですが
ニュースなどで伝わってくる言葉として
『助かる可能性がある』=『一人身の老人全員』と聞こえてしまうのですが
自分の思い過ごしならいいのですが・・・
孤独死の問題とは、「これだけ人がたくさんいる社会の中で、助けも呼べずに死んでいく人達」の問題です。
言い換えれば、自由に行動でき、自由に死に場所が選べる人間の問題ではないということです。たった一人で体の自由が利かない状態に陥って、自分一人では台所に行ってコップ一杯の水も飲むことが出来ないまま放置され、その果てに死んでいくような人達の問題なんです。
死を予見して理想の死を選べる人は幸せです。それに対して、死にたくないのに助けが求められないという理由だけで死んでいく人の無念さは、想像するにあまりあるものがあります。そういう人を無くそうというのが、孤独死防止の取り組みであることをまずご理解ください。
それを踏まえた上で
を考察するならば、
ご回答ありがとうございます。
一応、質問をさせていただいている以上は・・・
本来であれば
孤独死、孤立死の言葉の経緯からはじまり
ご回答いただいているような解説をした上で孤独死に対しての
質問をすることが、孤独死に対する質問となるのですが
今回質問の意図としては
外れてしまうので書きませんでした。
丁寧にご回答いただけたので
質問の背景を質問とさせていただくのですが・・・
自分は病気もちで
『明日死ぬ』といわれて・・・数年
かろうじて社会生活をおくらせていただいているものの
脳の障害?によって、発作がおきてしまいます。
発作が大きければ・・・死
発作が小さければ・・・脳細胞の死
そんな感じの病気と付き合っていく中で、死にかけたことも
脳細胞を殺したこともありました。
引きこもりながらも、社会復帰し死は身近な友達として意識しております。
死ぬときは、ポックリ発作で逝くと思いますので看取られるということはまずなく
100%の不慮の死だと理解したうえで
終の住処として、選ぶなら一人の死を選びたいと思うのですが
今現在、死を身近に感じたときに、社会的に一人の死を選ぶことは寂しいと言われてる気がしてしまうのです。
本来は、書いた文章をそのとうり質問にあげるべきと思われますが
自分の思っている感情を伝える文章として
今回は孤独死問題、として取り上げたほうがより適当であると思ったからであります。
本質門が本来の孤独死問題に対しては、悪質問であることは申し訳ありませんでした。
今回の質問では、ご回答いただいている
>社会的努力でその障壁を取り払って、まだ生きたいと願う人に手をさしのべるという風潮が高まり成果を出し始めた時、
>はじめてこのご質問のような「自由に選べる死に方の一つ」として「孤独死」という言葉が使えるようになるでしょう。
障壁を取り払えたときの意見を求めているんですよ^^
(極端ですが、未来に障壁が取り払えたとしても、
取り払えていない現在の活動方針(風潮)がつづきますよね・・・多分)
愛するの人に見送られたいですね。
パートナーもですが子供たちにですね。
東京の孤独死は別の番組で見ましたが、一人暮らしのお年寄り、
圧倒的に男性でしたね。
http://www.ai55door.net/profile/nhk.html
こういう商売が成立する、需要がある・・・東京だなと思います。
でも撲滅キャンペーンも大切だと思いますが、
その税金はこういう会社の支払いに使われることのほうが多くなっていくような気がします。
社会コストの増大ですが、現実として受け止めなければならないんでしょうね。
両親も片方が先に逝けば同居の予定も無いので心配だなと・・・ふと思いました・・・
ご回答ありがとうございます。
子供のいらっしゃる方にとって、子供は特別な存在かもしれませんね
社会的な保障?基盤として、
孤独死に対する対策があるべきと思います。
ただ、一人身の老人すべてが対象となると少し違うと思うのですが・・・
映画『おくりびと』の主人公の給料がすごかったことを考えると
税金もものすごい額になりそうですね。
私は愛するの人に見送られたいです。また見送りたいです。
そっと消えてしまうのは自分も相手も悲しませてしまうからです。
孤独死やそっと1人で・・というのは後始末する人にとって迷惑かけてしまうと思います。でも実際には孤独死で死んでしまう人多いと聞きました。区役所で火葬してもらい保管場所で5年間お骨を保管してもらい引き取りてがいない場合合同保管 みんなと同じ所に1つになります
孤独死を望んでいる人、また孤独死をしたくないけど見寄りがいないからいずれそうなってしまう人いろいろいると思いますが、望んでいない人が孤独死をしないような対策があればいいと思いますが・・・
ご回答ありがとうございます。
孤独死撲滅の活動が、困っている人に人助けをするという意味で
孤独死したくない人が救われるということにむすびついていると思います。
社会的な基盤として
・行政サービス的に一人身のご遺体を丁寧に送る
・遺品整理を行う
までは、行っていただけるとうれしいですね(というか今後必須かもしれませんね)
一人で死んだって絶対に構わない。
それを前提であのニュースは存在するのだ。
論点
一人で死なれると、誰が見つけるの?
見つけた人が驚くでしょ。
心臓麻痺で発見者が死ぬかも知れない。
死体が腐敗したらどうするの?
死後の部屋の始末について、ダレが費用負担するのか?
こういうことがクリアできれば、一人でひっそり死ぬのはOK
ご回答ありがとうございます。
>一人でしなれると誰がみつけるの?
ここが論点になってしまうと・・・
最終的な極論が、65歳以上の一人身は全員→老人ホームへ
ってなってしまいそうですよ
確かに、死後の片付け問題は大きな問題ではありますが・・・
・・・
・・・
でかいもんだいなんですよね・・・
2回目の回答になるので、ポイントはご遠慮いたします。
皆さんの回答を見ていて、問題なのは孤独「死」ではなく、孤独「生」、
もっと言えば、「孤立」「生」ではないの?と思いました。
死については、国や社会が介入すべきではないし、自由であるべき・・・と私も思います。
失礼致しました。
2度目のご回答ありがとうございます。
死ぬ瞬間の話をしつつ
終の棲家の話をしてしまい、混乱させて申し訳ございません
『孤独死』『孤独(生)』『社会的なアプローチ』『死後』『印象』
どの側面からでの回答を受け付けたく
あえて微妙な表現にさせていただいておりますので
一度目、2度目とも質問の意図した回答として受け取っています。
親身に考えていただけるほどに、迷うのであれば悪意ある質問となってしまうのですが
いろいろ回答をいただきたかったので・・・
申し訳ありません。
難しい問題ですね。個人的には明確な回答はできませんが
置かれた立場や年齢、時期などによって様々であり、また、その状況が変わることにより
そのつど気持ちも変わってくることではないのかな、と思います。
最近の風潮につきましても、本人の思いとはうらはらにやむおえず、無念の思いで孤独死せざるおえない、
という方には何らかの措置が必要かと思います。
しかしながら初めにも述べましたとおり人それぞれケースバイケースかと思います。
本人の気持ちに土足で入り込むような、一律的で押し売り的な
措置なら所謂「余計なお世話」にもなりかねないと思います。
職業柄、人の生き死にの場面を見ることも多く、去り行く人、残される人、
様々なケースを見てきており、また人間の尊厳にも係るとても難しいお話であるだけに
余計にこうあるべき、といったものが思いつかずハッキリとしたお答えが出来ず恐縮です。
何かすっきりとしない回答となってしまいましたがこんな意見もあるのかとお汲み頂ければ幸いです。
ご回答ありがとうございます。
本当の意味で、孤独死(寂しく死ぬって意味で)を考えると
人それぞれなので”どうにも、わからない”というところだと思いますが
”なんとなく、イヤ””さびしい”と直感的に思われてしまう
風潮?傾向が感じられてしまう気がしてしまいます。
ご回答いただいたように
”わからない”といっていただけることで
個人的に安心します。
早速のご回答ありがとうございます。
関係が確かなら・・・確かに相手に心配をかけたり、苦しめたりしてしまいそうですね
>後始末してくれる人たちのことを思うとちょっと考えてしまいます。
後始末のことを考えると、迷惑で申し訳ない気持ちがありますね
そうなんですよ
・・・っで、孤独死の風潮としては、後始末の大変さが→孤独死はむごい→一人で死ぬことはよくない
となってしまっている気がするんですよね
もちろん、孤独死撲滅の活動が・・・何もしなければ、たすからなかった命を救う可能性があることも理解しているのですが
”一人で死ぬのはよくないこと”って風潮になってしまうのがイヤでした。
しかしながら c3b1g7b9様はそれとは別に孤独死に意見があるので
案外そんな風潮は無いのかもしれませんね
自分の思い込みかもです・・・
引き続き、いろんなご意見を伺いたいと思います。