…… (母校の中学で)阪東 妻三郎、高田 浩吉、沢村 国太郎の順に、
二枚目の二代目が勢ぞろいして、のちに唯ひとり役者になった津川 雅彦
(籍=加藤)が文化祭に駆りだされた。彼は、すでにして映画界随一の
子役である。「お前なんかに分るもんか、ボクのキモチ」というセリフ
まわしなど、ひときわ声が通って会場がざわめく(P42)。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001231《虚々日々 20001224 阿波文庫》
https://twilog.org/awalibrary/search?word=%E6%B4%A5%E5%B7%9D%20&ao=a
津川 雅彦 俳優 19400102 京都 東京 20180804 78 /籍=加藤 雅彦
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C4%C5%C0%EE+
http://wezz-y.com/archives/51069/2
1988年か、1989年です。
ミスターレディーという言葉が有名になってた時に、
男の先生二人が結婚をする劇をしました。
当時、密かに女装の趣味があったぼくは、
文化祭当日に、大きなリボンを持って行って、
もう一人の誰かが、カツラを持って来ていて、
オカマ役の先生に貸して、
女の先生が、化粧をさせてて、
劇をやった時に、大ウケでした。
ぼく自身は、教室で座ってるだけの役でしたけど、
一回り小さいリボンを、頭に着けて、出ました。
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