しにたいといつも思ってしまいます。

私の家庭は離婚しています。
よく親父から暴力を受けたり、幼稚園の頃からずっと叩かれたりして離婚するまで育ってきました。
小学校低学年の時の引っ越し先の学校でも暴力暴言は当たり前で・・・
今では中1ですが、生活管理ができずに体をよく崩してしまい、頭痛、吐き気、頭が重かったり倒れたりしています。
学校に行って男子に「しね」『そっちがしね』「じゃあお手本見せろや」『わかった』という会話になって飛び降りをしようとして女子によく止められたり、考えがおかしいとかよく言われます。
こんなのをして、釣りだとかだったらしねば?とかはいらないです。
ただ、電話など会って相談などはあまり信用ができずこうなってしまいました。

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  • 終了:2019/09/30 16:35:07

回答4件)

id:zheyang No.1

回答回数27ベストアンサー獲得回数9

 父親とはもう離れていて、暴力は受けていないということでよいでしょうか。

 学校に行くのが負担になっているように見受けられます。周りに相談したくない気持ちはわかりますが、中1なら周りの協力を得ないと生きていくのは難しいです。
 自分の状況を教師や親に知ってもらうのが良いと思います。言葉で説明するのが難しいなら、不登校をして気づいてもらう手もあります。

 相談も、役に立たないかも知れませんが、児童相談所や保健センターなど公的な機関であれば一度行ってみてもいいのではないかと思います。
 https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv30/zisouichiran.html

id:Likopin No.2

回答回数1ベストアンサー獲得回数0

わたしも学生のころ、死にたいとよく思っていました。
つらいことがなくなるなら、楽しいことが1つもなくなってもいいと思っていました。

でも今は幸せです。
悩みがなにもなくなったからではありません。
自分が変われば、まわりが変わるということがわかったからです。

つらかったときは、心の中で相手のことを批判して、人に変わってほしいと思っていました。人に自分の気持ちを分かってほしいと思っていました。
でもなにも変わりませんでした。

悩みからぬけだせるようになってきたのは、自分が変わろうと思ったときからです。
人ともめたとき、うまくいかなくなったとき、相手を責めるのではなく、自分のどこがいけなかったのか、冷静に考えます。なぜ腹がたったのか、なぜ相手から嫌なことを言われたのか、よーく考えます。
けんかになった時は、相手が一方的に悪いと決めつけないで、自分にもよくないところがなかったかまず考えて、相手の立場になってじっくり考えてみるといいですよ。
そうやって、毎日自分を反省して、自分のよくないところを気付いて変えていくことを地道にやっていくと、自分の変化に応じて、不思議とまわりの人の態度も状況も変わってきますよ。

井内由佳先生の本がおすすめです!
井内由佳先生は神様のお告げがおりる方です。
どういう考え方をすれば、神様から気に入られて幸福になれるのかという本をたくさん書いておられます。
どんなに努力をしても、自分を変えようとしても、それが的を得ていなければ、スーッと状況がかわることはありません。
人間はだれも欠点だらけ、全部をなおすことはできません。でも、神様からみて、ここを治せば運命がグッとよくなるところがそれぞれあるそうです。
井内先生の本は、そこに気付くヒントになります。

人の「いいところ」をみるクセをつけることが大切で、人間関係がうまくいく近道だそうです。人の悪いところばかり見てはダメとのこと。
だれが好き、だれが嫌いとか考えず、人のいいところをみてだれとでも仲良くする努力をしているといいそうですよ。

あとは、自分のまわりの人を大切にすればいい、とくに家族はもめずに仲良く暮らすことが大切だそうです。

わたしの状況がグッと変わったのは、親に対する考え方が変わったときです。
お父さんには暴力を受けていたとありますね。あなたはどうかわかりませんが、普通だったらうらんでいたり、嫌っていたりして当然だと思います。
ですが、神様は「その理由に関係なく感情が病を呼ぶ」と言っているそうです。
たとえそう思って当然のことでも、それがマイナスの感情であるならば、でてくる結果はマイナス、つまり病となってあらわれるそうです。
よく体調をくずすとのことですが、自分にとってつらいことが起こっても、感情のあり方をプラスに転じるクセをつけるようにすると体調も変わってくるそうですよ。

わたしは、自分の親にも不平・不満をもっていましたが、結婚してからは姑と心から仲良くすることができませんでした。
表面的にけんかをすることはめったになくても、心の中で腹を立てたり、批判をしていて、ストレスのかたまりになっていました。
そうしたら病気だらけになりました。
あなたと同じ頭痛もちにもなり、吐き気もともなって寝込むことも度々。治らない病気にもなりました。風邪ばかりひくようにもなりました。ほかにもいろいろ。

姑と仲良くするよう努力しても挫折の繰り返し。9年目には、とうとう「もう無理、大切にすることなんて一生できない」と思うようになりました。
その時、初めて心から神様にお願いしました。心の中で必死にお願いしました。
「どうか義母と仲良くできますように。好きになれますように。うまくいくようになっても自分が努力したからだとは決して思いませんからお願いします。」
そうしたら、変わってきました。義母のいいところにどんどん気付くようになったんです。

そうして姑に好意がもてるようになるのと並行して、姑がやさしくなってきました。けっして意地悪な人ではありません。今ならわたしがかわいげがなさすぎたのがよくわかります。

そうして少しずつうまくいくのにしたがって、頭痛もおきなくなり、体調もどんどんよくなっていきました。

「丸く和やかにやることが、すべての悩みを解消する基本」という神様のお言葉を心から実感した姑との18年間でした。

長くなってしましましたが、これでもかなり削りました。
いまでも悩むようなことはたくさんあります。でも悩みません。反省はしますが、悩まないようにしています。
もともとかなり低かった人間関係力はまだ人並みにもなっていないと思いますが、だれにでも欠点はありますし、少しずつでもよくなっていくことが価値があると思うので、悩まないことにしています。もとが低かったからこそ、別人のように変わる余地があると思っています。

わたしの尊敬する先生から教えていただいた「くよくよしないで明るく暮らす」をモットーに、自分はどんどん変わって、もっと幸せになると決めています。
この世には神様がいて、自分次第でなんとでもなるという確信があります。
だから自分の未来に対する明るい希望が心に満ちていて、心の中になんとも言えない幸福感というものがあります。
その幸福感というものをあなたにも味わってほしくて、自分の経験等書かせていただきました。


一日も早く死にたいという気持ちがなくなりますように、楽しい学生生活が送れますように・・・。


https://www.likopinblog.com/

id:ginirorion No.3

回答回数1ベストアンサー獲得回数0

まず、自分を粗末に扱いすぎです。
きっと質問者様は今まで様々な形で否定されて育ってきたのだろうと思います。
正直、教師はあまりアテになりません。全員がそうとは限りませんが、経験上アテになりませんでした。
また、中学生という多感な時期という事、そして育ってきた環境から、他人に頼るのは苦手なタイプではないでしょうか。
世界は学校だけじゃないんです。学校はただ子供の「義務」として行ってるだけで、仕事みたいなものです。
行かないと将来生きるのがしんどくなるから行ってるだけ。

何か自分が好きになれるものを、とにかくなんでもいいので見つけてください。
立派なものじゃなくていいんです。外をブラブラ歩くだけでもいいし、街行く人を観察するだけでもいいし、なんならボーッとするだけでもいいです。
頭ではなく感情で、「楽しい」「落ち着く」と思えるものを見つけてください。
とにかくなんでもやってみることです。
「死ね」と言ってくる男子に言い返す勇気があるあなたなら、色々できるはずです。
学校で群れを作って毎日をなんとなく穏便に過ごしている人間よりもはるかに良いです。

難しい事は何も考えなくてよいので、まずはとにかく散歩でもなんでもいいのでやってみてください。
見識が広がって、どんどん自分に自信がついていくと思います。
普段やらない事をやってみるのが一番刺激的かな・・・?
たまには違う道で帰ってみるとか、普段読まない本を読んでみるとか、興味の無いジャンルに触れてみるとか。

気が向いた時でいいですが、1日の終わりに今日出来たことをざっと思いつく限り書くと自分に自信がつきやすくなりますよ。
水が飲めたとか、着替えられたとか。
何気ない事でもなんでもいいので、とにかく自分を褒める事です。



http://q.hatena.ne.jp/1568014254

id:mocha1104 No.4

回答回数1ベストアンサー獲得回数0

死にたいと考えそれを実行しようとする人は、わたしにはとても強い人間に感じてしまいます。
死にたいとは、言い換えれば「楽になりたい」という事だと思います。
そして自殺ってどんな方法を用いても、そこには想像を絶する苦しさ、痛みがあると思うんです。
楽になるためにその手段として死を選ぼうとしているのに、その死に至るまでには決して楽ではない苦しさ、痛みがあるって、何だか理不尽な感じがしませんか?
だからわたしには自殺を実行出来る人って強く映るんです。

苦しさ、痛みを乗り越えて死ねたとして、死んだ後の事が不安じゃないですか?
死んだ後に永遠の無が待っているなら良いですよ。
だって無になれたら、苦しさも痛みも感じなくて済むのですから。
でももし、死んだ後も意識が残り、生きていた時よりも長く苦しみや痛みが続いたら・・・
そう思うとわたしはぞっとします。

わたしは生きたくないという気持ちがあると同時に、上に書いた理由で死にたくもありません。
自分ではどうしたら良いのか分からず、生まれさせられて来た事を呪った時もありました。

でも・・・どんなに呪っても、どんなに悩んでも、どんなに考えても、この世に生まれさせられたという事実は消える事無く、自分に重くのしかかって来ます。
そしてその事実が消えないのなら、消せないのなら、わたしは日々楽しい事を見つけるために生きようと決めました。

a820aさんも同じようにしたらどうでしょう?
楽しい事を見つけるという目的のために生きるのも悪くは無いと思うのです。

https://mocha1104.hatenablog.com/

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