http://www.hatena.ne.jp/1065637304
老人の存在価値について意見を寄せて下さい。老人の優れた生き方でも良いです。どういう老人が有意義で、どういう老人が有意義でないか、という意見でも構いません。最近、.. - 人力検索はてな
1.種の保存のための機能
人は何のために生きるのかということを、本で読んだことがあります。
「種の遺伝子を残すためには、個体は多く存在した方が効率的。
もし災害等のトラブルが起こっても、
個体が複数に散らばっていた方が種として残る可能性が高いからだ。
だから人間一人一人の全員が、人間という種が滅びないための保険なのだ」
こんな内容でした。
よって、老人も一応は種を残すための保険として機能するのではないでしょうか。
2.文化の維持のための機能
加齢により種の保存と関係ない(あるいは自主的に関係を持とうとしない)
老人もいるでしょう。
自分は、老人が年をとっていることそのものに価値を考えました。
たとえば、戦時中のことを今もなお伝え続ける老人。
滅びつつある文化を後世に継承する老人。
老人は記憶/経験してきた期間が長いですので、
次世代に昔の知識を伝えることで意義があると思います。
3.私感
ここまで考えて、自分が老人になった場合は
はたして有意義な存在だろうかと考えました。
でも実際は、今の自分ですらとても有意義な存在だとは思えませんでした。
老若男女すべてを考えても、自分に存在意義があると思える人は
どれほどいるのだろうかと考えてしまいます。
実際、若くても存在価値のないような人は沢山いそうですし。
老人の存在価値を疑うということは、
存在価値を年齢に依存して考えているというわけで、
自分には、それは「若いうちに稼がないと」といって
援助交際をする女子高生とダブって見えてしまいます。
(不愉快に思われたらすみません)
存在価値を年齢という切り口で考えるのではなくて、
他の見方で捉えることは難しいでしょうか?
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老人の存在価値について意見を寄せて下さい。老人の優れた生き方でも良いです。どういう老人が有意義で、どういう老人が有意義でないか、という意見でも構いません。最近、.. - 人力検索はてな
生き物に存在価値なんて考え方はありません。
優れた生き方というのも正解はありません。
質問自体がちょっとおかしいと思います。
自分もあなたも全てのこの世に存在しているものは意味や価値などで存在している訳ではなくただ存在しているんです。
やがて滅びるため存在する。
これは全ての生物がそうだと思います。
そして優れた生き方というのは誰にも評価のしようがはないと思います。
ちなみにうちのばあちゃんは86になった今でも畑を耕し農作物を作っていますし
ピアノと華道と書道の先生もしています。
たとえば設問の老人を人間に代えてみたらどうでしょう?
人間の優れた生き方や有意義な人間について人間の存在価値などを考えると地球環境の善悪から考えると人間は極悪で存在に値しないと思います。
でも、人間から見ればそれは自然の成り行きで別に人間が悪いんじゃなくて強いから生き残って来たという言い方も出来ます。
で、お聞きしたいのはこの質問は誰から見た老人の存在価値ですか?
有難うございます。自分はあまり頭が良くないので出来る限りお答えします。優れた生き方は誰にも評価しようがない、という点ですが私の家族は老親も含めて違っており
他人の評価をしたがります。ですから、私もいろいろな人を評価するのが当たり前であると思ってます。之が大きな偏見でしょうか。あなたのおばあさんは個人的な意見を言わせて頂くとおそらく良い生き方をされていると思います。理由は生産性があるからです。
老いても生産性がある事が優れていると思います。
それから地球環境の観点から考えた事はありませんのであくまで人間社会だけ、という点からお聞きしたいです。あまり範囲を広げたくありません。
ご質問の件ですが、人間全体からみた存在価値、あるいは日本人からみた存在価値です。主に後者です。
Windows.FAQ - ウィンドウズ処方箋
技術や知識の伝承には欠かせない存在だと思います。
「存在を容認する」というのは高慢な言い方ではありますが、今までの苦労を労うと言う意味で、感謝すると言うことはないでしょうか。
役に立たなくなったから捨てると方法が蔓延すれば、恩や礼と言うものは存在しなくなり、社会は崩壊します、まぁ、自己中ってことになってしまいますね(^^;
わかり易い例としては、仕事から帰ってきた旦那が、疲れて家でごろごろして役に立たないからといって無碍に扱われるようなものを想像してもらえればよいかと思います
有難うございます。では、お聞きしますが技術や知識を伝承する能力はそんなにたくさん必要無いと思いますので必要最低限存在すれば良いのではないでしょうか。それから感謝する、という点ですがそれは『今までの苦労』に対してですか?それとも『苦労した結果
、現在自分が恩恵を受けている事に限って』ですか?
要するに過去にどれだけ苦労したのか、あるいはどれだけ自分が恩恵を受けているかがポイントであると思うのですが。役に立たなくなったら捨てる事は決して間違っていないと思います。自分が受けた恩と同じだけかえせば良いのでそれ以上はしなくて良いと思います。恩や礼はあくまで実感にもとずいて本当にしたいだけ行なえば良いと思います。分かりにくくてすいません。
初めまして。E.A.Poe(知のくずかご)と申します。
主題:老人に限らず、誰にでも価値はある
小生は、まず下記のURLでご紹介する本を一読することをお勧めします。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140840420/hatena-q-22
Amazon.co.jp: 時間―生物の視点とヒトの生き方 (NHKライブラリー): 本川 達雄: 本
「ゾウの時間ネズミの時間」で有名な本川達雄先生の本ですが、生物と時間の関係へのより詳しい(厳しい?)見解が書かれており、
「老いたときと時間」についても述べられておいでです。
さて、老人に価値がある、ということで納得された場合は以下読み続けてください。
「相手が価値のある人間」だと思えば、このような方法で感謝の意を示すことができます。
老人への席の譲り方の一例
初心者:「どうぞ」と言って立つ。相手が怒ったりする可能性がある。
初級者:黙って立つ。別な若いモンが勝手に座る可能性がある。
中級者「どうぞ」と言って立つ。相手が何か言いそうになったら、(一通り聞いた上で)にっこりと笑い「いえいえ、わたしの方が体力は上ですから。年齢なんかどうでもいいんですよ」などどという。
場合によっては「じゃあ」と言って座ってくれる。
相手が「席を譲られる」上級者ならすんなり座り
「若いのに関心だこと」「いえ、○歳を過ぎてから体力ががっくんと落ちました」「ああ、あたしゃねぇ・・・」以下、達人が話し相手になってくれる。面白い話が聞けるかも知れないし、
少なくとも電車に乗っている間の時間はつぶせる。
上級者:「どうぞ」と[skip]。座ってくれる。本を読み出すかウォークマンを取り出して聴き始め、「席を譲られる達人」の貴重な時間を自分ごときに使ってもらうようなマネはしない。
小生は中級者レベルにとどまっています。
お役に立ちますかどうか。
PS:先日、質問側に回ってみて「回答を開くので、質問者はポイントを消費するのでURLを先に見るだろう」と推測し、
「回答者が興味を惹きそうなURLを紹介する」という方法を考えてみました。
この方法に関する「質問者側の感想」をいただければ、小生としてはポイント等をいただくよりもうれしく思います。
大変有難うございます。いろいろ恐縮です。せっかくご紹介頂き申し訳ありません。私、本を売るのは好きですが、本を全く読まない古本店員で有名でして、読む事がキライです。それと、私がはてなに求めるのは
あなた様のように頭が良い人に分かる話でなく、だれでも簡単に理解できる・・・酒の席で小話に出来る程度の意見を聞きたいのです。あなた様の意見は完成度が高すぎて私の求めるレベルにないのです。20才くらいの高卒のフリーターでも分かりやすい説明をして頂けると嬉しいです。それから、PSの件ですが申し訳無いですが、ちょっと意味がわかりずらいです。
それは現在良くはてなで行なわれている、最初にURLをのせて質問する方法のことでしょうか?
再度お答えお待ちしてます。
人力検索はてな
生産をしない人は社会的には不要という事になります。老人に限らず。
老人が不要というのは、若年層の失業者が将来生産者になる可能性を持っているのに対し、老人の可能性が殆ど無い事に寄ります。
老人の生産者復帰の可能性は社会や経済構造の変革によって高める事が可能であり、これこそ現代社会の課題だと認識しております。
私見ですが、生産とは物質的生産に限らないとは思いますが、間接的であれ経済活動に影響を及ぼす物と考えています。
以上は資本主義社会限定での回答です。
すばらしい!あなたの考えに賛同します。資本主義という観点から要点だけで回答するとは。ですが、ここでは多様な意見を聞くことが価値がありますのであなただけをひいきに出来ませんのでご了承下さい。
97543
質問自体が愚問だと思います。すでにこの世に生をうけているのに、どうして生まれてきたんだろう、と悩むのに似ています。
生まれてしまった事実はどうしようもないのと同じく、人間が老いるのはどうしようもないことですから。
あえて答えを言えば、スマップの「世界にひとつの花」に、それは、あると思います。
いずれにせよ、人間の老年期だけを取り上げて、それが有意義か有意義でないかを論じるのはナンセンスだと思います。
それでは、自分では何も出来ないあかちゃんは、存在意義がないのでしょうか?
人間は生涯を通してその存在意義を問われるべきだと思います。
すいません。しかし、老人の方と接しているとこういうテーマを結構考えておられる方がおり、哲学的だなーと感化されています。そういう事を考える方にとっては有意義なテーマであると思いますが、お気に障るようでしたらすいません。
首相官邸ホームページ
URLはダミーです。
うちの祖母も同じ考えを持っているようで
物を欲しがったり出かけたりという事もせず、
人に関わらず、裁縫をしてのんびり暮らしています。
経済的に恵まれいるという事情もありますが、
祖母の気持ちを考えると
1.自分は若い時に充分楽しんだ
2.若い人が老後に過剰な期待しないように
見本を見せている
3.自分の世界ではなくなったと感じている
のように思います。
特に、3番について、自分を知る周囲の人間が毎年減っていくという状況は、
若い自分には感覚的につかみづらいものがあります。
自分をそれまで評価してくれていた存在が有る日消えてしまって、
自分自身が無価値に感じてしまうのではないでしょうか。
私もまだ、祖母に言うべき言葉は見つかっていません。
時間はあまり無いとは思いますが。
と、とりとめの無い文章になってしまい結論もありませんので。
ポイントは不要です。
ありがとうございます。自分を評価する存在が年々減っていく事で自分が無価値に感じていく・・・とは参考になります。すいませんが、2の『若い人が老後に過剰な期待しないように
見本を見せている』というのが良く分かりません。
思い付く端から書いていきます。
自分が老いた時の参考にはなります。
何が不都合でどうしたら良いのか、とか。
老いた時の自分自身がどうでもよいならこの回答は無意味でしょうが。
あ、優越感に浸ることだって出来るんじゃないでしょうか?
肉体的にも精神的にも今はご自分の方が上でしょうから。
生と死について考えさせられますよ。
特に看取る時などは。
要不要というなら自分を育てた人間を
不要だと言える人は家族を作るべきではないです。
老人の方が経験があるという意見は老人によりけりです。
優れた若者とダメな若者の比率と大して変わりません。
それは当たり前です。
有難うございます。参考になります。確かに自分の老後を考える参考になります。それから、こういう疑問を持つ事自体、私はあまり家庭を持たない方が良いように思えてきました。最後の意見も当ってると思います。有難うございます。
URLはわたしの経営するサイトです。老人は、不要だということですが、その意味は何でしょうか?何との関係で不要なのでしょうか。労働ということでしょうか?しかし、老人にふさわしい仕事もあることでしょう。それは、子供の教育です。それから、ただいるだけで、若い人たちの、人間としての最後の段階の姿を生きながらにして示すという価値があります。あなたが、何歳の子供で、あなたの親御さんが何歳の大人であるのか、その年齢と年齢差によって、答えが違うのではないでしょうか。老人は不要だという意味がいかなる意味においてもそうだというのであれば、あなたの親は、姥捨て山に行くことに同意でしょうか?あなたもそのことに同意なのですね?後者の答えはYESだと思いますが、前者の答えは如何でしょうか。姥捨て山の名前を教えて下さい。老人ホームなのでしょうか?これは、逆に質問です。
有難うございます。老人によっては家族との関係において不要な場合があるという意味です。労働、とういうよりは精神的な点においてです。例えば35才くらいの息子にとってはもはや老親の意見、考えは受け入れられないのではないか、という意味で不要ではないでしょうか。つまり、35才くらいになると考えも固まってきているし、老親がいるデメリットの方が多いと思います。老人が子供の教育に向いている、というのは良く分かりませんがたぶん正しいと思います。
生きながらにして示すという価値は同意します。いかなる意味においても不要であると言っているわけではありません。老親がいる場合のメリットとデメリットを考えてあまりにデメリットがあれば不要であると思います。各人夫々のケースにより、不要か否か分かれると思います。その基準、尺度を問うているわけです。老人ホームに行け、とは言いませんが私の老親は結構哲学的で批評家なので自ら行くかも知れません。
又、理性的で論理をこよなく尊重するので感情論で決めないと思います。
E.A.Poe(知のくずかご)と申します。
主題:この悩み自体を楽しむ方向にし向ける
>だれでも簡単に理解できる・・・酒の席で小話に出来る程度の意見を聞きたいのです
大変失礼いたしました。
では、「飲み屋の対話編」を作成します。
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ある酒の席にての会話
「あのさ、老人って、生きてる価値あるの?もう税金も納めないクセに補助もらってのうのうと生きてるなんて、ずるいぜ」
「そんなことないんじゃない?」
「いや、老人は社会のゴミ。さっさと死んだ方がいい」
「うーん。常識的に言って、そりゃ不謹慎だなあ。自分の親に長生きして欲しくないヤツなんていないよ」
「うちの親だけ別で、他の老人には死んでもらった方がいい。不謹慎は承知の上」
「じゃ、全員がそう思ってるさ。他人の身にもなろうよ」
「実は、うちの親がそう言い始めてるんで、説得に困ってるんだ。よく聞いてみると、案外オレも『うちの親を含めて老人は全員死んだ方がいい』って考えに、反論できなくてさあ」
「・・・。ちょっとまってて。次の飲み会までに、きっちりした答えをつくっておくよ。
お前んとこの親が『生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ』とかハムレットにならないようにすればいいんでしょ?」
「そうそう。次の飲み会を楽しみにしてるよ」
次回の飲み会
「よう、うちの親説得できそう?」
「どうかなあ?」
「とにかくはなしてみて。今は聞いてる時間があるから」
「『あたしゃ生産しない。生殖もしない。じゃ、社会の寄生虫だタイプ』なら『大丈夫。今まで生きてきた中に、あなたしか知らないことがあるでしょ?それを保存する『文化の担い手』『文化継承者』として長生きしてね』って説得」
「それだと、自分で『あたしゃ何にもないから死んだほうがいいよ、ゴホゴホ』タイプ老人に対応できないなわけでしょ?うちの親は『あたしゃ・・・[skip]ゴホゴホ型』なんだ」
「ちとまて。トイレに行って考えてくる」
「よし。そこまで考えられる親なら『哲学に手を出せ』って言えよ。『おお、神よ。なぜわたしにこんな寿命を与えられたのですか?なぜ、人生の用事が終わったら、さっさと死ぬように、人間をお作りにならなかったのですか?』(ソニータイマー?)と悩む。自分で考える。
答えが出るまで『こんな面白い疑問に解答が出せるまで死ぬ気になんてなれない』になるんじゃない?」
「なんか、宗教っぽいぞ」
「いいじゃないか。宗教だろうと哲学だろうと。要は、本人が納得できるまで考え抜くことさ。こんな楽しい暇つぶし、そうそうないよ」
「・・・。面白いかなあ?絶対つまらないと思うよ」
「だから最初に言ったでしょ、『そこまで考えられるなら』って。お前の親は楽しむタイプだと思うよ」
「もし、『つまらない』って言ったら?」
「じゃ『宗教でもやりな』って言えば?聖書かお経かコーランかタルムードに、それらしい答えが書いてあるだろうから、答えだけだけちょうだいする」
「老眼で本なんか読めるか!ってか、三行で眠くなるタイプ」
「じゃ、読んでばっちり解釈した人、例えば教会の牧師さんとか、瀬戸内寂聴先生とか、ユダヤ教のラビとかに相談しに行く。で、おいしいところだけ持って帰る。要するに、市民会館とかでよくやってる『老人セミナー:老いたあとの生き方』とかなんとかに参加すればいい。
このときには、ちゃんとした宗教者が指導してるのが条件だよ」
「それでもだめなら?」
「そのセミナーの指導者がタコだったのさ。別なセミナーへ乗り換えろよ。『いいセミナー探し』で1〜2年は暇つぶしができるよ。問題はそのあとにしよう」
「おっけー。『老人セミナー:老いたあとの生き方』でも探せって言うよ」
「で、ダメだったら1〜2年後にまた飲もうね」
こんな感じでしょうか?
おっとっと。これは
「ハムレットを楽しめ」ですね。
--
お役に立ちますかどうか。
--
PSについては「小生の質問が悪い」という結論に達しました。
つまり、小生は質問経験が少ないので変な質問の仕方をして回答者を混乱させるわけです。
もう少し質問実験(笑)をしてみます。
詳細なご報告、ありがとうございました。回答する側の小生から見ますと、
japannetbookさんのように
「OK」「ダメ」「ダメならその理由を書く」タイプの質問者が一番ありがたいです。
お世話になります。丁寧な回答恐縮です。
さて、最初の飲み屋の件ですが、かなりいい線であると思います。私の身近にもハムレットになっている人がいますが、この先何十年もハムレットでいられては
こちらがかないません。老人の鬱屈はあまり良いモノではありません。次回の飲み会に関して言えば、後者のタイプが私の中の問題です。それから、私の老親は
哲学的にはある程度完成しておりますので鬱屈しながらも『おお、神よ。なぜわたしにこんな寿命を与えられたのですか?なぜ、人生の用事が終わったら、さっさと死ぬように、人間をお作りにならなかったのですか?』というテーマは充分に結論を出していると思います。長い時間をかけておりますので。で、結論が出ているから余計に自分の存在価値の無さに鬱屈していると思います。その辺がかなり特例であると思います。宗教に関しても同志社高校でキリスト教を学び、
イスラム教などにもかなり関心を持っております。
知識としては並ではありません。いろんな宗教をそこそこ知っている為、イスラム教以外に傾倒するとは思えません。ある意味、変に色んな事を吸収、理解できる為、熱心な信徒になることはまず無理です。そういう意味ではいろいろ知りすぎた弊害が老人になってでていると思います。ハムレットは残念ながら愉しめないのです。PSの件ですが、興味がおありでしたら、
私が他の質問をするときにでも意見のついでにお聞きください。ありがとうございます。
岩波書店ホームページ
URLはダミーです。
つたない文章の補足のためにポイントを消費させてしまいすみません。
>2.若い人が老後に過剰な期待しないように見本を見せている
ですが
老人は人生の(生きた)カタログのようなものではないかと思います。
そのカタログにはさまざまな人生の起承転結の各段階が紹介されていて、
どの起承転結を選択するか?ということを示しているのではないでしょうか。
興味の有るカタログは有用ですが、興味が無ければただのゴミです。
一般的には遺伝子が続いている人(カタログ)ほど有用だと思います。
(自分自身、既に似たような”起”や”承”を過ごしてしまっていると思うので)
そういう意味で、有意義な老人とは
「似たような経験した老人」「似たようなことを考える老人」
なのかなと思います。
上記の2は、
「生産も消費も若いうちにしておくべきで、老後の楽しみを過剰に期待してはいけない」
という祖母なりのカタログの示し方です。
なるほど・・・・・大変参考になります。どの起承転結を選ぶか、の材料である、とはいえているような。
『興味の有るカタログは有用ですが、興味が無ければただのゴミです。』とはなるほど、と思います。
一般的に遺伝子が続いている人ほど有意義、それは同じような考えを持つから、とはなるほどと思いますが
経験や考えが違えば遺伝子がつながっていても有意義でない、という事も言えそうですね。私は老親とはかなりその点において違うのでそうなるかも知れません。ですがあなた様の回答は多数派の意見であるように思い、参考になります。
それから2の件ですがようやく意味がわかりました。
優れた身内をお持ちでうらやましいです。
有難うございます。
Yahoo! JAPAN
URLはダミーです。
何が必要で何が必要でないか、とは生産性だけで決まるのでしょうか?
労働は本当に価値あることでしょうか?
資本主義社会は消費を促進させる社会です。
労働することによって地球の汚染が早まり、人類の滅びが間近になるかもしれません。
一生懸命作物を育てたお陰で過剰供給となり、結局は捨てられる食物が増えるかもしれません。
営業マンは商品を売るために必死でがんばりますが、やりすぎれば消費者から見れば悪徳商法と思えるケースもあるかもしれません。
土地や株を転がして儲けている会社は、本当に存在意義があると言えるでしょうか?
私自身、会社の仕事が、自分の食い扶持を稼ぐこと以外に、本当に意味があるのだろうか、と疑問に思うことは多々あります。
100歳になってテニスを楽しむ老人、畑仕事を営む老人もいます。
けれど、そうでない老人を無駄だと切り捨てるような社会に、私は住みたくありません。
私はもともと自分勝手で冷たい人間でした。子供のころは、病院で寝たきりの老人を、気持ち悪いと思っていました。
しかし、手足が不自由になり、よだれを垂らす祖母を優しく介護する母や今の配偶者を見て、優しさというものを少しずつ学んできたように思います。
老人がいたからこそ、家族というものの素晴らしさを実感できたのです。
核家族化が進み、一家の中に老人がいない状況は、非常に問題であると思います。
祖母を優しく介護していた母を、私は例え寝たきりになっても優しく介護して最後まで看取りたいと思っています。
ご意見有難うございます。私も現在、自分の労働に生活のため、という以外にほとんどやりがいを感じる事が出来ません。それは大きなストレスになっており、まだ若い時に管理職として結構やりがいを感じていた事は所詮勘違いであったかと思います。労働は名誉欲を満たす為のモノと考えていましたがさっぱりです。
ですが、往々にしてお金を僅かにでも余分に稼ぐ事は
今の時代、相当に大変であり、その稼ぐ行為に比べ、
多くの老人はただ恩恵を受けている事が感情的に我慢できません。あなたの言う事は正論であり、実感があり、あなたと家族の関係は素晴らしいモノである事は想像に難くありません。特に配偶者、お母様の両人は優れていると思います。私も結婚するならそういう伴侶を得たいと思います。しかし、私の友人のなかには『大して育ててもらった事に感謝していないし、むしろ恨みの方が多いので親が年を取ったら仕返しをする』という人もいました。彼が26才くらいの時でした。彼が間違っているとも思えません。ここまで色んな人の意見を聞き、私なりに意見は決まってきました。結局、私は『老親に誠意ある対応をするべきか否かは、その家族によって異なり、他人が口を挟む事でもなければ、哲学、宗教、論理は
関係無く、要するにしたいか、否かの感情の問題』であると思うのです。いかがでしょうか。
それにしても感慨深い意見ありがとうございます。
丁寧な回答有難うございます。
自分なりに意見を述べます。
1については若者の方が能力的に優れ、老人の必要性を感じません。
一応保険として生きているより、いない方がマシではないかと思います。
2、この意見は優れていると思います。正確に言えば
現代でも役に立つ実践的な知識を残す事に意義はあると思います。経験から学べる点は確かに大きいです。
ですが、そのメリットと、老人が長生きするデメリットとを考えれば存在価値はあると言えないと思います。その子供らが望んでいる事を
ある程度伝える事が出来れば存在価値は無くなると思います。
3、大変有難うございます。この点については私の偏見からどうしても年齢が大きなポイントになります。
私の知る老人は若いうちは優れていても老化するにつれ、大変愚かになり、過去の優れたイメージを壊す
だけの方が多いです。小さな尊敬が大きな幻滅に変わるケースがあまりに多いのでこういう質問をしたのです。又良ければお願いします。