http://www.hatena.ne.jp/1082826727#
占いの賛否をきかせてください。私の先生は占いが好きなのですが、授業中、人の顔をじろじろみて、いろいろ指摘するのがちょっと不快です。(ある意味失礼。)占いのよいこ.. - 人力検索はてな
URLはダミーです。
占いは未来(もしくは見えない人の心)を知る手段の1つではないでしょうか。
もし、占いで「今月金運が良い」と出れば、数日後お金関係でいい事が起こると予知した気になります。
そんな感じでのめり込んでしまうのでは?
私個人としては”良い事だけを信じる主義”なのであまり信じていませんが、その先生のように人に不快を与えるのめりこみ方はちょっと怖いですね。
・占う方法
・性格診断なのか、過去、未来の運命を占うのか
によっても違うかと思いますが、私自身は
・性格診断はどうやら当たるらしい
・未来の運勢は占い師の力量によるけれど、
あまり当てにならない
と考えています。上は血液型による性格の違いについて。
http://www.pastelnet.or.jp/users/kyoya-u/
占星学研究者 上田享矢サイト
こちらは西洋占星学のサイトです。
結構当たってしまうんですよね、これが。
そういえば動物占い、あれも当たってる気がしました。ちなみにゾウでした。
今日の運勢、とか結婚は2年後、とか言われてもあまり当たったことが無いので、こういうのは聞き流す事にしてます。
参考になれば良いのですが…。
>動物占い
ふーん、流行っていたのは知っていましたが。あまりどういうのか知らないです。
>当たってる気がしました。
たとえば、具体的な体験としてどういう風にあたっているのか、当たるといえる根拠などを話してもらえるとわかりやすいです。
ありがとうございました。
http://www.hatena.ne.jp/1082826727
占いの賛否をきかせてください。私の先生は占いが好きなのですが、授業中、人の顔をじろじろみて、いろいろ指摘するのがちょっと不快です。(ある意味失礼。)占いのよいこ.. - 人力検索はてな
URLはダミーです。
占いは趣味嗜好のレベルで楽しむべきだと思いますが、授業中に授業と無関係な指摘をするのは
押し付けでしかありません。毅然とした態度で授業中に生徒に占いの押し付けを止めるよう抗議すべきかと思います。
個人的には、携帯やレコーダーを用意して証拠を取った上で抗議することをお勧めします。
万一の場合に不利益な扱いを受けかねませんので
その場合にはその先生ではなく、学校に対して抗議できるような証拠は必須でしょう。
手を抜かず一歩先二歩先まで想定してください。
押し付け占いって迷惑ですよねー。
うーん、抗議することまでは考えていません。対立したくないので。他の人たちは楽しんでいるようなので、先生も話すのでしょうが。ありがとうございました。
Yahoo! JAPAN
上記URLはダミーです。
ご質問の契機が先生の行動と思えましたので、回答話題を広げてみようと思います。
「占い」自体は私は構わないのではないかと思います。「占い師」さんにご相談する、という形でしたら「カウンセリング的効用」も私自身の経験から感じます。
また、一人で自分を占う事自体も、不安感の沈静化的効用があると思いますので、「当たるもはっけ、当たらぬもはっけ」的によろしいかと思います。
問題の先生の行動は、「占い」を「何々心理学」に変えても、同じような行動をするような感じに思えます。要は、それを行う人の動機なのかと思います(個人的には、その先生の指摘の不快感は、先生の心の中に「他者より優越的になって支配したい欲求の感情」が強くなった可能性を疑います)。
>「カウンセリング的効用」
なるほど。じゃあ、当たる、当たらないよりも、別の効果を期待している、ということですか。
占いに凝るのは、オカルトに凝る人がいる理由と同じです。
オカルトは非科学的です。しかし、非科学的だからこそ、オカルトの「すべて」を科学的に否定することはできないんです。
じっさい占いがそうです。
確かに占いは非科学的でうさんくさいです。
しかし、当たるような気がする、、、、そうすると、科学では説明できない現象が起こってるような気になるんですね。
非科学的だからこそ、科学だけでは説明できない何かがそこで起こっている。そう思っちゃうんです。
そうして占いを信じてしまうのです。
では、なぜ占いが当たる気がしてしまうのか。
理由は4つです。
1、人間は心のよりどころを求めている。誰かに言われないと、「何が正しいか」「どうすればいいか」解らない。
(たとえば作文は自由作文より課題作文のほうが書きやすい)
とくに占いをするような人は、嘘でもいいから他人に言われることで、安心している、、ように思われる。
したがって、占いをする前から、いわば、占いを信じてしまっているわけです。
2、占い師は差しさわりのないことを言います。
3、言われるとそんな気がしてきて、じっさいそうなってしまう。(イメージトレーニングの原理)
4、当たったら信じる。しかし、外れた場合には、自分で足を運んでわざわざ占ってもらったんだから、信じたくない。
つぎに占い師の心理。
占い師はもとは「占われる側」だったはずです。
占われるうちに上記の理由で占いを信じるようになります。
そうするとありもしない迷信を信じるようになります。
そうして自分や周囲から(不吉あるいは幸福な)(普通の人には見えないようなありもしない)前兆を見てしまうのです。
自分にだけ見える世界。
それは友人の不幸であったり、幸福の予感であったり。
そうしたことを見てしまうと、教えてあげたくなりますよね。
このようにして、ただ占われる側だった人も、占い活動を始めてしまうのです。
>オカルトは非科学的です。しかし、非科学的だからこそ、オカルトの「すべて」を科学的に否定することはできないんです。
>科学では説明できない現象が起こってるような気になるんですね。
なるほど、たしかに。
だけど、2番の血液型占いみたいに科学を持ち出して説明しようとする占いもありますよね。
非科学的な言説でズルいと思うのは、あるときは科学を持ち出して自説をサポートしてみたり、科学で説明できない場合は、科学を超越する、と言ってみたり…。
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URLはダミーです。
人の顔をじろじろ見ていろいろ指摘する、というのは、占い以前の人間性の問題ではないかと思いますね。
「占いのよいことは信じる、悪いことは無視する」というとらえ方は、個人的にはおかしいと思っています。それは自分に都合のいい意見しか聞かない、という態度だからです。その先生は自分を誉めてもらうと喜ぶけれども、自分の欠点には目を向けたくない人なのでしょう。しかし、他人については欠点もずばずば指摘するわけです。これは自分に対する評価を気にするがあまり、他人の欠点を見つけて自分が優位に立とうという心理が働いているものと思います。
占いを信じるか信じないかは人それぞれの考えだと思いますが、信じるのであれば、いいことも悪いことも受け入れ、その上で自分自身を改善するためのアドバイスとして活かすべきだろうと思います。
そうではなく、自分に都合のいいことだけ聴き、他人には不快なことを言うような人は、決して本当の意味で幸福を手にすることができないでしょう。
そして、そういうことをされたあなたは、同じようなことをしないように自分自身を振り返る材料にするならば、同じ轍を踏まずに済むと思います。つまり、先生のことをいろいろ指摘しようと思わず、自分の改善すべきところをいろいろ考えてみると、そんなことも気にならなくなっていくと思います。
自分の場合は、占いでいいことを言われるのが嬉しい、悪いことを言われるのが嫌、のではなくて、一貫して占いが嫌だなぁ、と思います。私は「お金がたまる」人相なのだそうですが、そういうよい指摘も嫌だな、と思っています。人相の善し悪しの延長には、ある種の人種差別があるような気がするからです。目鼻形は自分ではどうしようもできないことであるだけに。どうもありがとうございました。
私は、雑誌などで、全人類(もしくはどちらかの性)を12の星座に分類しただけのような占いの場合には、いいことは楽しみにして、悪いことは気をつけるように、ほどほどに参考にしていますが、占い師さんに個人的に占ってもらう場合のことは、占いの内容を信じています。
URLは池袋西武のトップページですが、デパートのレストラン街には、占いコーナーがあって、占い師さんが数名ブースをかまえていたりしますけれど、私は池袋西武の占いコーナーで、占い師さんに占ってもらったことが2回ほどあります。生年月日、名前、などを伝え、最初はそういう情報をつかった占いをし、そのあとタロットカードを使いました。手相もちょっと見ていたかもしれません。私の近い将来のことや、ある人との関係などを占ってもらいました。結果として、言われたことはあたっていました。どの程度の近い将来まであてられるのか、という点に疑問はありますが、少なくとも半年分は大正解でした。今のところあたったのかあたっていないのか判定できないこともありますけれど。
ということで、個人的に占ってもらう場合には、かなり信じていいと思っています。
当たったというのは、どのくらい具体的なことについてなのでしょうか。ありがとうございました。
僕は占いの存在は否定しないけど、絶対に当たらない(というか無関係)と信じています。
なんでかって、タロットにしろ筮竹にしろランダムで科学的根拠がありえないからです。
ただし風水や人相、姓名のように、人との関わりがあるものに関しては、占いという観点
からではなく、統計的なものからある程度の判断がとれるのでは?と思います。
そんな僕ですが、占いに凝る気持ちはわからなくもないです。
小学生の頃になんとなく占いの本を立ち読みして買った経験があります。その時は占いにより、
他の人ができないことができるようになれそうな、そんな感覚でわくわくしていました。
それに、占いにより人とのコミュニケーションがとれるのも楽しかったですね。娯楽の要素です。
今現在僕の中で占いは、娯楽、もしくは迷っている人にきっかけを与えるものとして考えています。
占いにより、誰かの中に前向きに考えるエネルギーが発生するのでしたら、それはとてもよいこと
だと思います。また占いを全く信じない今でも、人が集まる場所で誰かが誰かを占うというのは、
当たらないとわかっていても、楽しいもんです。(何がでてくるのだろうという期待感)
しかし、このようなものは信じれる者同士、楽しめる者同士で行うってのが基本だと思います。^^
>ただし風水や人相、姓名のように、人との関わりがあるものに関しては、占いという観点
からではなく、統計的なものからある程度の判断がとれるのでは?と思います。
この点について、もっと詳しい説明をききたいですが。姓名と統計って、関係あるのかしら?ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
占星術は、惑星の動きが自分の運に影響を及ぼすというもののようです。
月の満ち欠けによって、犯罪率などが増減するという説がありますし、それなら他の惑星の動きとも何らかの関係があるかもしれない…ので、占いを生活に役に立てられればいいなと思っています。
同じような行動をとっていても、結果が良く出たり悪く出たりということは往々にしてあります。「今は悪い結果が出やすいから慎重にしよう」「今は良い結果が出やすいから冒険してみよう」という風に、行動のヒントにしてみています。
質問者さんの先生は、全く見当違いのことを仰っているんでしょうか。だとすると迷惑千万でしょうが、もしも何か役に立ちそうなことが言葉の中に含まれていれば、心の中に留めておくのも良いのではないかと思いますよ。
>惑星の動きが自分の運に影響を及ぼす
うーん、もし仮にそういうことがあったとしても、惑星のみに還元することはできないような気がしますが。ありがとうございました。
URLはダミーです。
占いとは、受けて側の将来の不確実性に対する、占い者の予想であって、そうなる可能性が高いというものではないでしょうか。
ですから、自分にとって都合のいい事は信じて待てばよく、自分にとって不都合なことは、発生しないよう避けて通るように行動すればよいのではないでしょうか。
その人は、自分にとって不都合なことが発生しないよう避けることを、単に無視するといっているのであれば、理屈には適うと思います。
>占いとは、受けて側の将来の不確実性に対する、占い者の予想であって、そうなる可能性が高いというものではないでしょうか。
なぜそうなる可能性が高いといえるのでしょうか?
はてなアンテナ
↑ダミーです。
一時期自分自身がタロット占いにはまって,クラスの友達にも随分みてあげた(?)ことがあります(笑) その時の経験からすると,占い(少なくともタロット占い)って現実にどんな結果が出ても当るようにできてるんです。どんな占い結果も作り出せてしまうというか。で,それなりに筋の通った占いを出そうとすると,相手の相談内容を聞き出して,その中身から占いの結果を「組みたてていく」のですが,だいたい相手が「こうなるんじゃないかと潜在的に思っていること」になっちゃうんですよ。ほとんど相手の話の中に答えがある。だから大概当る。
結局,自分がこれから取ろうとしている行動に,後押ししてくれるものが欲しいとか,心配事を他人と共有したいとか,そんな心理が人を占いに向かわせるんだろうと思います。だから,後押しが欲しいもの(いい結果につながること)だけに執着したりするんじゃないでしょうか。これといって興味のないこと(自分が以前から心配していたことではなくて,突如として言われた悪いこと)には「無視」という姿勢になるのもうなずける気がします。
ちなみに私自身のことですが,私の占いは結構当るという評判を取っいて昼休みには行列ができたりしていましたが,↑のようなことに気付いてからは自分自身あまり占いに関心がなくなりました(笑)
上にもカウンセリング効果という意見がありましたね。ありがとうございました.
http://homepage3.nifty.com/iromono/kougi/ningen/node80.html
科学と疑似科学--血液型人間学の例
占いにもいろいろな手法があるでしょうが、
血液型占いというか血液型性格判断は
明らかに科学的ではないといわれています。
URLは血液型性格判断がなぜ科学的ではないかを説明した
疑似科学のページです。
論法は占い全般の否定にも通じると思います。
占いを信じる人の言い分の一つに、
占いは統計学の一種であるから科学的だ、というのがありますが、
ここではそれについて検証しています。
こちらはなぜ超常現象を信じるのか、のページ。
なぜその人が占いを信じるのかについては、
おそらくその人に占いが当たったり占いが助けになった経験があるからではないでしょうか。
なにかに背中を押されたい気分の時、というのはよくあります。
個人が楽しんだり助けにしたりする分にはよいのですが、
聞きたくもない人に押しつけがましいのは問題ですね。
いいページですね。
科学的データのねつ造と、それが現実に及ぼす影響を考えると、占いは怖いと思います。
一番目のリンクですが、
>しかし、「血液型による性格分類は科学 的である」と思い込んで、それを企業の採用や職場の配置(古川理論の時にも、 軍がそういうことをしようとしました)にまで血液型を考慮するなどという実例 もあり、これなどは人種差別と同様の非科学的根拠に基づく差別であると言えま す。たまたま生まれつき血液型がB型だったせいで管理職につけないという企業 があったとしたら、それは黒人は管理職につけないという差別と何ら変わるとこ ろがないと思いませんか?
そうそう!これには、深く同意します。
はてなアンテナ - ■□■出版関連会社 採用情報アンテナ■□■
URLはダミーです。
占いも、ようは使いようだと思います。
上記の「カウンセリング的効用」や、「複雑な問題を単純化する効用(朝の占いでその日の行動を決める、みたいな)」は、迷惑にならない範囲ならありです。
問題の先生ですが、先生が「複雑な問題を単純化(生徒の心情)」するのは少々問題かと思います。
使いようですか。ありがとうございました。
上記アドレスはダミーです。
私は占いについては、全く信じません。
占いのコメントはほとんどが当たり前のことを表現しているだけだからです。
例えば、今日はあなたはご自身の発言に中位しましょうというような占いのコメントがあった場合には、それは常に発言に気をつけるのは当たり前のことであり、だれもが気をつけるべき事だからです。その中で、占いの信憑性を高めるために、ある特定の人におどしをかける目的で、悪いと言うことを言っているのでしょう。自分の将来は自分で決めるべきであり、自分の努力で切り開いていくべきものです。確かに運もあるでしょうが、それは努力すれば自ずと巡ってくるモノだと思います。もし、先生が顔色で生徒に占いの話を質得るのであれば、よっぽと暇な先生ではないでしょうか。先生の行動を肯定的に取るのであれば、生徒の顔色を見て、健康状態を知ろうとしているのだと考えているのではないでしょうか。いずれにせよ、占いを信じる必要はありません。むしろ、当たり前を信じることを当たり前にすることが大切ではないでしょうか。
>当たり前のこと
たしかに。でも、それをきいて「あたった」と認識する人は多い。
>ある特定の人におどしをかける目的で、悪いと言うことを言っているのでしょう。
やっぱり、脅されているのでしょうか?目の下に膨らみがある人は人に好かれる相なのだ、といっていました。「クラスのみんなはあるよね、みんなあるよね」と確認する中で、「あ、あなたにはない」といわれました。(鏡で確認しましたが、他の人と比べて特徴があるようには思えませんでしたが。)嫌われているのかな?
http://www.tokunavi.com/woman/
ハッピー無料占いリンク集
私は占いは無料サイトでやってます。ラッキーアイテムとかカラーとか今日の運勢がイイ、悪いよりもできるだけ自分にとって運をあげられる占いにしてます。信用していつ訳ではありませんが思い出した時ちょっとやってみる程度です。ただあまりのめりこまない方が良いかもしれません。有料で人のことを他人に言われるのは不愉快だと思います。あくまでもちょっとしたアソビ。信じすぎるのは良くないと私は思います。
なるほど、運をあげる。ありがとうございました。
ありがとうございました。読者のコメントになるほどです。
>著者は、京都大学で心理学を専攻した認知心理学と神経心理学の学者です。この本の著者はマスコミを通じて、超常現象信奉者に反論する陣営として活動しているようです。ただし、著者は「現象」の否定ではなく、オカルト的な思考や主張の態度、つまり思考停止→特定の解釈への飛躍と固執、というスタイルを批判している、という点なのだそうです。占いなどを用いて、安易にプラス思考を持つことも、責任回避や、無反省による誤ちの繰り返しにつながるため、非常に危険であると指摘しています。その点では、科学者による物理学的アプローチに対して、著者は専門の心理学的アプローチから批判していると言ってよいのではないかと思います。日本では占いは巷に蔓延していますが、これによる思考の安易化に警鐘を鳴らす本でしょう。
URLはダミーです
その「先生」と呼ぶ人は女性ではないですか?
占いを好きな人は、どちらかと言えば、男性よりも女性に多いのではないでしょうか。
占いを信じる人は、受動的といえます。
自分の考えでなく、占いの通りの言動だとしたら、自分というものを持っていないだけなのかもしれません。自信のないひとです。
陰陽師という職業があった古い時代は、占いが市民生活にかなり浸透していたようです。
今でも験(げん)をかつぐという言い方をされるように古い慣習として残っているものもあります。(この分野は詳しくないのでこの辺で)
近頃は占いが流行っているように思います。
学校での生徒との教師の話題作りくらいに受け止めてはいかがですか?
>その「先生」と呼ぶ人は女性ではないですか?
はい、女性です。
話題作りですか。ありがとうございました。
キャラミル研究所|ツキアイゲノムであなたの思考とコミュニケーションを大解剖!
URLはややダミーです。
「私はアナタのことが手に取るようにわかる」例えばこんな意味合いの言葉を相手に言われたとしたら、、、
先生と生徒の立場だと、「嘘だろう」と思いながら多少なりとも気持ちが萎縮して従順になるかも。←これが先生が手に入れたかった結果かも。
先生はそもそも自分の指導力やカリスマ性に負い目があったのでは?だから占いにハマったのじゃないかなと勝手に推測してます。
で、それに輪をかけて、占いにハマルと暫くの間は勝手になんでも人のことを占いたくなる時期があったりします。
占い自体は、私は好きで趣味です。ただ、毎日運勢などはあんまり意味ないし、雑誌に載っている星座占いも、厳密には言えば的はずれだったり(占星術などは10個の星+諸々で占います、本当は)。動物占いを始めオモシロ占い系は四柱推命をアレンジしているだけだったり。
もし、相手が頼んでもいないのに、占いもどきの事を言ってきたら、その人の生き方が幸せか不幸かで判断したらいいと思います。不幸な人からは不幸な結果しか聞けない事が多いです。占いをしている人が無欠の人格者とは限らないので。
(的はずれな解答なんで参考にならなければポイントは結構ですぅ。。。)
>「私はアナタのことが手に取るようにわかる」例えばこんな意味合いの言葉を相手に言われたとしたら、、、
先生と生徒の立場だと、「嘘だろう」と思いながら多少なりとも気持ちが萎縮して従順になるかも。←これが先生が手に入れたかった結果かも。
>自分の指導力やカリスマ性に負い目があったのでは?
なるほど。占いではなくても、「自分は生徒のことをよくわかってる」と言いたがる先生いますよね。いい意見です。ありがとうございます。
http://www.cainer.com/japan/default.htm
ジョナサン・ケイナーの星占い
URLは私がよくみてる占星術のサイトです。
占いというのは何かをしなさいというよりもそこから自分で考えるというアクションが必要だと思います。
数年前、すごく当たるという霊能者さんに見ていただいたことがありますが、彼女が言うには自分がいったことを参考にしてその人が幸せになってくれればいい、そのためにこういう仕事をしているといっています。先行きをいい意味にするための参考程度と考えるのがいいともいわれました。
占いを信じるあまり、自分のことを考えるというのを放棄しちゃいけませんということなんでしょうね。
賛否ということであれば、普段日常に流されてよく考えてしまわない自分のことを振り返ったり先のことを考える指標にしたりというチャンスをくれるものと考えるので賛成です。
ただ、占い師がすべて大当たりするかというと「はて?」と思います。
ありがとうございました。
なぜ凝ってしまうかは他の回答者の方々の回答で合っていると思いますので私は対策を。
その先生に「ハリー・ポッター」シリーズを読ませてみては?
丁度、あなたの先生のような先生(トレローニー先生)が出てきて、主人公達にちょっと嫌がられています。そういう時の相手の気持ちに気付き、身につまされてやめてくれるかも知れません。
直接「やめてください」というよりお互い精神的負担が少ないですしね。
または、その先生が既に「ハリー・ポッター」を読んでいるなら、トレローニー先生のファンで真似しているのかも??(^^;;
わはは。
JWord 検索サービス:インターネットをシンプルにする、簡単・便利な検索サービスです。
(urlはダミー)→jword検索
批判と肯定の慮面の意見を参考意見として載せます。
占いの歴史
哲学者は科学も専門領域なのですが、
自然科学を、真剣に哲学の対象とした、
カントやパスカルは、その時代の制度だけではなく占いは、観察や論理性に欠けると批判しました。
同じように観念論者といわれた
哲学者ヘーゲルも、
書斎のなかにとどまらず、
同時代に流行した通俗的な骨相学を論理的に批判しています。
人は古くから、未来を予測し物事に判断を下す方法として様々な占いを考え、また、より良い生活を求めて祈願やまじないを行ってきました。現在でも、数多くのまじないや占いの習俗が伝えられており、厄除けやおみくじ、運勢暦などの習俗は私たちの暮らしの中にしっかりと根付いていますし、特に恋愛や受験などに関するまじない・占い・祈願は大変人気があります。
いつの世でも、幸福になりたいという気持ちは同じでしょうし、誰しも日々の暮らしの中で、自分たちの力ではどうしようもない、それこそ神や仏にすがりたいという局面に出会うこともあります。そういうとき、人は「超現実的世界(異界という言い方もできます)」と、そこに由来する強大な力に頼ってきました。呪いや占いは、そのような異界の力をコントロールし利用するための方法であり、先人たちが長い年月をかけて蓄積してきた一つの知識体系といえます。
この展覧会では、主に民俗知識として庶民の間に伝えられてきた様々な占いや呪法などをとりあげ、その多様な習俗のありようをご紹介します。そこに展示されたさまざまな資料をご覧いただき、いま現在まで連綿と繋がっている民俗文化の一つを身近に感じていただければと思います。そして、現代社会に生きる私たちは、神仏の御利益といったことや呪い・占いなどの事象を非科学的なことと見なしているにも関わらず、なぜ呪いや占いに頼ったり気にしたりしてしまうのかということについて、考えてみたいと思います。
ありがとうございます。
http://www.infoseek.co.jp/Home?pg=Home.html&svp=LYCS
楽天が運営するポータルサイト : 【インフォシーク】Infoseek
占いで良い結果が出ればそれでいいですし
「金運が悪い」のような悪い結果が出れば気をつけてお金を扱えばいいワケですし・・・
ここで「金運悪いから今日はお金は使わない!」というのはどうかと思います
占いに振り回されてる気がします
宗教にも言えることですが占いなんてのは軽い心の拠り所にするべきもので
それに振り回されてるようでは本末転倒ではないかと思います
そんな私は占いが嫌いです
占いなんかに自分の未来が解られてたまるか(^^)
なるほど。ありがとうございます。
Yahoo!占い
確かに理論的には、合理的に説明できるものではありません。単なる経験的な積み重ねで、それが、たまたま「当たってる」ケースが比較的多いから、信じるのでしょう。
ありがとうございます。
VAGRANCY
URLはダミーです。
私は基本的に占いは信じませんが、なぜ占いに凝るかというと、占いは大半の人にとっては娯楽のひとつであるからと思います。
たとえばある有名人が結婚したとか離婚したとかって私たちの生活には基本的に関係ありませんよね。それなのになぜ人々はそれに注目するかというと、それが一種の娯楽になっているからだと思います。占いもその一つではないでしょうか。
そもそも占いは結構当たります。雑誌などの占いコーナーをよく読んでみると、交友関係に気をつける、だとか健康に気をつける、だとかいうものは誰にだって当てはまります。占い師もそうです。あまりはっきりしたことを言い過ぎて「当たらなかったから金返せ」といわれても困りますから。
ただ先生の場合は娯楽というより占いというものを勉強して得た知識を活用したいという思いでいろいろ言ってなさっているように思います。やり方によっては本当に失礼なのでいやな時ははっきりいったほうがいいと思います。(で過ぎた発言でごめんなさい)
いえいえ。ありがとうございます。
http://www.ikuyo.co.jp/orac/index.htm
霊能者育代 Orac
私は、事業経営において占い師に見てもらっております。よくあたるので、なんでそんなにあたるのか?と聞いたら、そもそも生まれつき霊感が強いのだということです。この先生には他に弟子がいるのですが、霊能力がない占い師が本当に当たるのか不安で依頼したことはありません
霊能力ってあるのですか?ありがとうございます。
占いは大嫌いです。よく朝の情報番組で占いを放送してますが、報道が占い?と思ってしまいます。好きな人だけを対象とした雑誌やネットの占いなら別に構わないのですが、占いを押し付けるようなやり方には疑問です。視聴率のためならなんでもアリの状態に不快感を抱きます。好きなひとにはいい。でも、嘘(占い)を流す姿勢は・・・なんか、今回の質問と、TVの占いと似てる気がしました。
先生が、なぜ占いに凝るのか。ただ占い的なものが好きなだけだと思います。特に意味があってやってるわけでもないでしょうね。
テレビの占いもなんだかおせっかいですよね。ありがとうございます。
Yahoo! JAPAN
易経を読んで占いに対する考えがはっきりしました。事に当たるに誠を尽くして、それでもまだ迷うことがあるなら占いに頼ることであるということです。つまり、人事を尽くして天命を待つ、くだらないことを占わない。ですから、雑誌やテレビなどで良く行われているちょっとしたした占いなどはあまり気にしない。自分にとって良い内容は大いに参考にし、悪い内容は放っておく。よほどのことでない限り、占いに頼るなどということはやめた方がいいと思います。それよりも、自分の力を信じて最善を尽くし行動すべきであると、最近強く思うようになりました。易経は岩波学術文庫の東洋思想分野に上下二冊で発売されているのでご一読をお勧めします。ただ、占いを楽しみで行うぶんには一向に構わないと思います。
>易経
機会があれば読んでみます。ありがとうございます。
http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/shohyou/kik...
予言の心理学・超常現象をなぜ信じるのか
「占いに凝る」という意味を
「占いが好き(選択的に信じたり捨象したり)」という意味と捉えました。
そもそも占いってなんでしょう。
自分の現在過去未来を、自分のことを経験的に知り得ない人が言い当てることです。
(風水や四柱推命など、何千年?の歴史や季節、文化、経験則をもとにして、伝承されて
いるものには、占いというよりは自然法則にも似た知恵のような要素は感じますが)
つまり、一般的な占いとは、冷静に考えれば超常現象にも近いと考えることもできるのではないでしょうか。
となると、何らかの原因で救いを求め、かつ、合理的には判断解決しにくい状況にある人が、
ブラックボックスのようなものではあるが、ともかく、自分の(救いを求める)問いに
「答えてくれる」存在=この場合の占い、というものに惹かれるのは認知心理学上、説明ができます。
そしてさらに、一度でも「占いが当たっていた」という(その的中の内容・レベルはさておき)
認知バイアスが加わると、その人の占いへの依存度が高まる現象はよくあることのようです。
>認知バイアス
当たったと思うのは、バイアスの役割が大きいかと思います。ありがとうございます。
URLはダミーです。
占いは全く解らない未来に何か示唆が欲しい人がやる物だと思います。
当てにならないとは解っていても、
未来のことが解ったような気がするというのは、どことなく安心できるのでしょう。
なるほど。ありがとうございました。
>みなさまへ
いろいろ意見がわかれましたが、今回は公平のために均等配分にします。質問を終了します。ありがとうございました。
なるほど、ありがとうございました。