http://dozeu.net/people/syouji/syoujicronicle.html
の年表の空白を埋めるような情報が知りたいです。
(もし何もしていないとしたら、どうして食っていけているのでしょう? また、もし才能が枯れてしまっているなら、中村紘子と別れない理由は何でしょう?)
この質問は、三つの疑問に分けるべきですね。
Q1=年表の空白を埋める作品、または活動の記録。
Q2=才能と収入がないのに、なぜ離婚しないか。
Q3=作家としての才能と収入があるか。
Q1の空白は、それ自体が(作家の)人となりを示すものです。
Q2とQ3は一見グレーゾーンと見えるが、才能や収入がなくても、
円満な夫婦は多く存在します。芥川賞作家は、受賞作の印税による年収
が推定1000万円以上あるので、とくに新作を書く必要はありません。
中村紘子女史は、往年の天才少女としての名声によって、内外3500回
を超える演奏会の実績、チャイコフスキー国際音楽コンクール審査員と
して内外に知られる。自立した現役ピアニストであり、とくに音楽大学
教授などの定職に就かず、弟子に頼って君臨していない。
亡母は銀座の画廊オーナーであり、応分の資産を相続したとみられる。
<PRE>
♀中村 曜子 画廊経営 19260221 東京 19920210 65 1988ミラノ事件
♀中村 紘子 ピアノ 19440725 山梨 〜《ピアニストという蛮族がいる》
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庄司 薫 作家 19370419 東京 /1969上期芥川賞《赤頭巾ちゃん気をつけて》
</PRE>
Q3=作家としての才能と収入は、原則として比例しません。
作家自身が社会的に適応しないアウトサイダーであるケースは、近代
文学における重要なテーマの一つです。
柳田邦男の仮説によれば、かつて農耕社会には“与太郎”と呼ばれる
無能力者の存在を容認する風土があった、といいます。
その思想的背景をたどると、仏教国では隠者・乞食・僧侶、ユダヤ教
の《屋根の上のヴァイオリン弾き》、イスラム社会では瞑想者、ロシア
では《オブローモフ》や《イワンの馬鹿》、フランスでは《にんじん》、
からサルトル《嘔吐》カフカ《変身》カミユ《異邦人》に発展します。
二十世紀最高の長編といわれる《失われた時を求めて》のプルースト
は、ほとんど外出せず、もっぱらベッドの中で書きつづけました。
もちろん、ものぐさ作家だけが、すぐれた作品を書くとは限りません。
(わたしは、庄司 薫の作品を、一作も読んでいません)
私の勝手な推測ですが、才能に枯れたわけではなく小説を書くことに飽きたのではないでしょうか。
印税や講演活動などで少しは収入はあるでしょうし、奥さんのマネージングなど探せば仕事もあると思います。案外、専業主夫なのかもしれませんし、実家が裕福なのかもしれません。
生活にはさほど不自由していないのではないでしょうか。
また、中村紘子も夫の収入や才能にひかれて結婚したとは限らないと思いますから、離婚する必要はないのではないでしょうか。
これまた、素敵なご回答をありがとうございます。
私、ちょっと勘違いしていたようです。
てっきり、隠遁生活を送っているとばかり思っていましたが、「講演活動」もしているのですね。
では、その「講演」の履歴がわかるサイトがあれば、引き続きご回答を募集します。
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「中村紘子も夫の収入や才能にひかれて結婚したとは限らない」とのことですが、確かにそうですね(笑)。
芸術家同士の結婚なのだからという先入観が私にはありました。
ここで参考になるかどうか。
中村さんが発表するエッセイなどは庄司さんが書いているのでは、という話しもあるようです。
中村紘子のエッセーを読んだことがないのでなんとも言えませんが、あり得るかも。
ともあれ、皆さんありがとうございました。
うむ、非常にありがたいご回答です。ありがとうございます。
確かに、「赤頭巾」だけで食えて行きそうな気もしますね〜
ところで、教えていただいた年表でも、昭和34年から44年、つまり22歳から32歳の間が空白ですよね。
この期間に詳しい方がいらっしゃいませんか。