Japanの語源は「日本」(http://www.hatena.ne.jp/1092503438)を見てふと疑問に思いました。
本書では舌内入声音を「ち」で表記した。「にちほん」もその例。類字音を示すならば、ニッフォン。この「にちほん」は、表記「日本」の九世紀ごろの音読みを想定している。
との記述があります。
日本書紀(紀元後730年)よりは古いでしょう。
http://www.nipponkaigi-tokyo.com/rekidai/001.html
初代 神武天皇(じんむてんのう)
初代天皇と言われている神武天皇の異称に「神日本磐余彦尊」というのがあるらしいので、紀元後730年ではなく紀元前700年よりも昔かも、、、
おや。さらに古く、8世紀には既に「日本」だったのですね。。
でもここでいう「日本」は、きっと今の「日本」よりもずっと狭い範囲なんでしょうね。そこから東へ北へと領土(?)を広げていった、と。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC
日本 - Wikipedia
この漢字で書かれた「日本」をどう読むか(にっぽん、にほん、ひのもと?)によって、
解釈は違ってきますが、上記のサイトによれば、大宝
律令の頃に、日本という国名が
最初に定められたようです。
なるほど「701年施行の大宝律令とされる。」ですね。せめて4桁年代に入ってからだろうと思っていたので、意外と古くて驚きました。
urlはダミーです。
新堀通也氏によると、国の呼称は『古事記』『日本書紀』によれば、古い時代には「豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)」あるいは「葦原中国(なかつくに)」などとよばれた。大和政権が伸張するにつれて、ヤマトが日本全土を表すものとなった。中国では日本のことを「倭」とよんでいた。日本でも、中国に対するときは、自国を「倭」とよんだ。これと日本でのヤマトが結び付いて、「倭」を「やまと」と訓ずるようになった。日本は「日出処」から由来したらしく東方の意味で、対外的にこの名称が採用されたのは7世紀ごろである。「日本」は「やまと」と読まれたが、漢字音で「にほん」あるいは「にっぽん」と読まれるようになった。「にほん」か「にっぽん」かという論議は、日本が近代国家として世界に登場するようになってからしばしば繰り返されたが、今日でも決着はついていない。1934年(昭和9)3月、文部省臨時国語審議会は「にっぽん」を正式の呼称とし、最近では、たとえば郵便切手や国際スポーツ大会などではNipponと表記しているが、これが一般的とはいいがたく、また法的にも根拠はない。
外国語では日本をJapan(英語・ドイツ語)、Japon(フランス語)、Japon(スペイン語)、Giappone(イタリア語)などとよんでいる。これはおそらく、マルコ・ポーロの『東方見聞録』にあるジパングに由来するものであろう。日本を中国語の漢音で発音したものをジパングと聞いたものであるというが、定説があるわけではない。なお、現憲法では、日本の国号を日本国としている。
詳細な情報ありがとうございます。
先ほどのコメントで書いた疑問についても「ヤマトが日本全土を表すものとなった」という経緯から、その後の表記「日本」も 総称として広がってきただろうということが想像つきました。
正式名称としては「日本」なんて国はなくて「日本国」なのですね。こちらも参考になりました。
ページの下段の方の「日本」「日出処国」の項目参照のこと。
その他上の方の項目も面白いとおもいます。
「7世紀後半の天武・持統朝付近から「日本」という新しい国号を使用しはじめたようです」なるほど。
結論から言うと、「諸説入り乱れ」
少なくとも聖徳太子(720年)前後には有名な【日の出ずる国】というお話で存在が確認されているため、聖徳太子説は良く聞かれますが…
●継体紀に引用された百済本紀の文中に「日本天皇」
●孝徳紀大化元年条に「明神御宇日本天皇」
●神代紀注に「日本、此云邪馬騰」
など色々なソースから、いずれも大化(645年)ごろに制定されたのではという説のようです。つまり、それ以前に誰かが考え出した、あるいは言われるになっていたということですね
そうですね。諸説入り乱れ。
少なくとも、江戸時代や文明開化の時期ではなく、700-900年ごろには呼ばれていたということがわかったので満足です。
ご回答くださったみなさん、ありがとうございました
9世紀ですか。。思っていたよりも古くてびっくりしました。