4日間戦争は何年でしたでしょうか?多分1967年だったと思うんですが。この戦争がパレスチナ・ゲリラの闘争のきっかけではなかったでしょうか。ナセルはこの戦争が要因で失脚したのでしょうか?

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  • 登録:2004/10/02 01:42:39
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回答(8件)

id:cantare No.1

cantare回答回数196ベストアンサー獲得回数02004/10/02 01:59:02

ポイント14pt

6日間戦争のことでしょうか?

⑥パレスチナ問題の項目、

1967年の第3次中東戦争後にナセル政権の権威失墜と記述があります。

id:mazak24

ありがとうございます。

記憶のあやまりのご指摘にも感謝します。

2004/10/02 12:31:25
id:idetky No.2

idetky回答回数426ベストアンサー獲得回数202004/10/02 01:59:24

ポイント14pt

うーん六日間戦争ならそうだと思いますが、四日間戦争は知りませんでした。「ゲリラ闘争」の直接的なきっかけになったかどうかは判りませんが、1948年に始まる第一次中東戦争の段階から泥沼化→ゲリラ闘争となる事は予想できた事かもしれません。URLは歴史的な経緯を良く教えてくれます。

id:mazak24

4日間戦争は間違いでした。ゲリラ闘争となったのは、ナセルのエジプトなどのアラブ民族主義国家に頼れなくなったからだと思います

2004/10/02 12:35:15
id:macbeth No.3

macbeth回答回数25ベストアンサー獲得回数12004/10/02 02:43:36

ポイント14pt

6日戦争のことでは?

確かにPLO結成に繋がった という点では

この戦争がきっかけです

詳しくは以下のURLを

ナセルは失脚してはいません

ナセリズムが衰退したというだけで

id:mazak24

確かにそうですね。ナセルのアラブ民族主義はこの戦争で破綻したのではないでしょうか。彼の死後指導者の後をついだサダトはソ連と袂をわかち、アメリカへすり寄っていきます。それで、シナイ半島を返還されたのでしょうが。

2004/10/02 12:38:42
id:so-shiro No.4

so-shiro回答回数594ベストアンサー獲得回数02004/10/02 02:48:20

ポイント14pt

1967年に勃発し、エジプト(当時はアラブ連合)が負け、ナセルが辞意を表明したのは「六日戦争」です

しかし、国民は納得せず、ナセルは激務を続けて、1970年9月に急死ししまいます。

id:mazak24

ありがとうございます。

しかし、アラブ民族主義はこの戦争に負けることで破綻したのではないでしょうか。

2004/10/02 12:40:18
id:komasafarina No.5

1500曲を突破♪回答回数1662ベストアンサー獲得回数42004/10/02 04:35:50

ポイント14pt

とくにそう限定する必要もないと思います。すでに御承知のように、べつにナセルの失脚をもってゲリラ闘争がはじまったわけでもありません。

id:mazak24

ありがとうございます。

しかし、この当時までの中東のイデオロギーはナセルに代表されるアラブ民族主義ではなかったのではないでしょうか。アラブの統一を目標として、その文脈の中で中東戦争があったのではないでしょうか。パレスチナ解放は一番のもくひょうではなかった。そうおもいます。また宗教性はほとんどありませんでしたね。

2004/10/02 12:46:51
id:tojiroh No.6

冬至楼回答回数7ベストアンサー獲得回数02004/10/02 06:55:30

ポイント14pt

六日間戦争なら67年ですが。

id:gara_cp No.7

がら回答回数458ベストアンサー獲得回数182004/10/02 08:15:19

ポイント13pt

こちらはどうでしょう?

id:mazak24

この戦争はあまり印象がないのです。サイトを読んで感じたことは、国家利害が全面にでているということですね。

私の関心があるのはパレスチナ・ゲリラです。日本赤軍とPFLPがありますから。

2004/10/02 12:59:01
id:namihei0 No.8

namihei0回答回数10ベストアンサー獲得回数22004/10/02 08:44:46

ポイント13pt

6日間戦争のことでしょうか?ならばアラブ世界で6月戦争とも呼ばれている第三次中東戦争で1967年であっております。

確かに第三次中東戦争のアラブ側の敗北はパレスチナ・ゲリラの先鋭化に繋がりました。それまでPLO内のファタハはアラブ世界とイスラエルとの対決姿勢・全面戦争の誘発を目的にテロを繰り返していたのですが、第三次中東戦争の敗北は欧米諸国への無差別テロによりパレスティナ問題への関心を欧州へ広めることを選択するようになりました。もっとも有名なのがミュンヘンオリンピックでのブラックセプテンバーのテロです。

また、ナセルは敗戦後辞意を表明しましたが、民衆の熱狂的支持により辞意を撤回し、スエズ運河をはさんで砲撃を繰り返すようになります。しかし3年後の1970年に心臓発作で急死し、副大統領のサダトが大統領に就任しました。

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