「文献の中で部分的に論じている」ものよりは、1文献丸ごと、このテーマについて取り組んでいるものの方が嬉しいです。
できるだけ、ご自身で読んだことのあるものについてご紹介くださいますようお願いします。
── 波多野 完治《文章心理学 200306.. 新潮社》
わたしは、文章を短くまとめるための三原則をこころがけています。
「同じ用語・同じ表現・同じ論旨を反復しない」
以下、わたしの中学時代を回想した「読書ノート」より。
たとえば《ことばと文章の心理学 1958 新潮文庫》を読んでみると、
《源氏物語》に用いられる品詞の頻度回数、などという研究手法がある
らしい。
しかし、当時“小説の神様”とされた志賀直哉さえも、無頓着に同じ
言葉を繰り返している部分があり、情景描写は(いくら説明しても伝わ
らないので)ほとんど無用ではないか。
考えた順序どおりに書けば冗漫になり、むしろ読む順序にそって書く
べきではないか。結局、ふだんから書くように話すべきではないか。
文学の本領は(公表をはばかるべき)自叙伝にあると考えはじめた。
── 《Day was Day 20001224 Awa Library》
ついで、松本清張《ミステリーの系譜》で、注目した意見(要旨)。
「これからの文学は、警察の供述調書のような手法で書かれるべきだ」
このような即物的傾向は、出版産業とは相容れないようですね。
まったくの私見ですが、これからの公立図書館は、母国語で書かれた
文学作品の収蔵に専念し、あらゆる論理的な著作は、ネット上の共通語
(英文)で公開されるべきかと思います。
ありがとうございます。これは知っています。そのために「文献の中で部分的に論じている」ものよりは、1文献丸ごと、このテーマについて取り組んでいるもの──との指定をさせていただいております。申し訳ございません。
上掲のような文献でも、あるいはhiroyukiarita様が実際に「ご自身で読んだ」後に、意外な読み方などご紹介いただければ嬉しかったのですが…
近年は政治的発言ですっかり有名になってしまった
チョムスキーですが、生成文法という定義によって
ソシュールの言語学を乗りこえようとした革新的な
言語学者です。ノーバート・ウィーナーのサイバネ
ティックス理論をベースとしたその研究は、言語を
ひとつのツールと見なす事により達成できたといえ
ると思います。バロウズに関しては、言語を道具と
見なすというかバロウズ自身の言葉として「言語は
宇宙から来たウィルスである」という一貫した言語
に関する実験的姿勢から書かれたテクストですので
あえて選んでみましたが、一寸トンデモ?的かもし
れません。他にもジョイスとかルーセルといった
異端の作家の作品群は、おそらく言語を道具とみな
す事により書く事が可能になったと思います。
かなり脱線した回答ですみません。
ありがとうございます。
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bk1で「詳細情報」がないようですので、アマゾンの書籍情報を付加します。
「言語道具主義」を科学哲学の面から論じたものです。
ただ、「言語道具主義」そのものを説明しているものではないので、質問の趣旨から反するようでしたら、ポイントは不要です。
ありがとうございます。見てみます。
ありがとうございます。ちょっと分かりにくいのですが波多野完治『文章心理学』がお薦めということですね?