『自分を監視する自分』

つまり<客観性>を自分の中に持つことが大切だと各上の人物に教えられました。
それを持たず、主観的にしか物事を捉えられない人が客観性を得るためには
(1)その理屈をどう説明して理解させるか
(2)具体的にどうやって実践させるか
を教えてください。
ちなみに私はその人に「客観性がない」と斬られています。

回答の条件
  • URL必須
  • 1人2回まで
  • 登録:
  • 終了:--
※ 有料アンケート・ポイント付き質問機能は2023年2月28日に終了しました。

回答23件)

id:hinop No.1

回答回数2601ベストアンサー獲得回数1

ポイント12pt

つまり、人の視線を気にする必要があるということです。

簡単にいえば、「自分に厳しく」で済ませてしまいますが。

ある意味、自分の中にもう1つの人格を作る、”二重人格”と作り上げればいいのです。

たとえば、PCにインストールするセキュリティ対策のソフトは、

PCに有害な情報が入ってくるときに知らせてくれます。

しかし、インストールしていないPCは、どんな情報でも次々に拾ってしまい、

悪い情報までも拾ってしまうことになります。何もかも信じ込むと”洗脳”になってしまいますよね。

しかし、情報を取捨選択できれば、洗脳はされずに済みます。

その取捨選択をする、洗脳を防ぐのが、ウィルス対策ソフトです。

つまり、頭のなかに、ウィルス対策ソフトをインストールすればいいのです。

意味不明ですか、そうですか。

id:tatibanaan

教えてくれた人は頭の中に3人いたそうです。

理屈として必要性はとてもよくわかりました。

具体的に実践するために心がけることはありますか。

2004/12/22 16:41:11
id:blizzard197101 No.2

回答回数149ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

URLはダミーです。

参考にならなければポイント不要です。

とりあえず言ってしまえば、無理です。主観的にしか物事を捉えられない人が、客観性を持つ、といっても、そのこと自体が理解できないでしょう。なぜなら、その人は常に自分中心の世界しか見えないわけですから。

とはいえ、それではにべもないので、できそうなことを考えてみます。

(1) 要は、関連する事柄のかかわること全体を考えるようにしろ、ということなんでしょう。ある事柄が自分に関連するとしても、それは自分だけではなく、他の人にも関係することがほとんどです。そのことを考える必要がありそうです。逆に、主観的にしか物事を捉えていない人の「物事」が、どう自分に影響しているのか、ということを考えてみるのもいいかと思います。さらに言えば、自分の判断力を自分のためだけではなく、自分の外の出来事を理解するために使わなければならない、ということを理解する必要があると思います。

(2) これもあけすけに言ってしまえば、観察眼を養う、ということになるかと思います。それも、自分の視点からだけではなく、他人にとってはどういうことなのか、ということをあらゆることについて常に考えるのです。さらに言えば、物事に論理的整合性があるかどうか判断できるように訓練すべきでしょう。その意味では、本当は数学を勉強するのが回りくどいようで一番手っ取り早いのですが。

わかりづらかったら申し訳ないです。

実を言うと、本当に客観的に物事を捉えている人なんて、いないんですよ。

id:tatibanaan

一時、客観性が芽生えたとほめられたんですけどね…

元に戻っちゃったので、どうすればいいのかなーと。

や、十分理路整然としていてわかりやすいです。

メモメモ…

2004/12/22 16:43:55
id:TomCat No.3

回答回数5402ベストアンサー獲得回数215

ポイント12pt

http://www.hatena.ne.jp/1

人力検索はてな

(1)については、客観性の意義、ということですよね。

そもそも客観性というのは、

いかに判断基準が事実に即しているかという物差しです。

誤った判断をしないためには当然これは不可欠で、

これを持たなければ目をつぶって道を歩くようなもの。

いったいどこにたどりつくかもわかりませんし、

第一危なくていけません。

しかし、往々にして「客観性」という言葉は、

「他人の意見も聞け」

といった意味に使われます。

そこが混乱の元なんです。

他人の意見に耳を傾けるのは、

単に判断基準の元となる事実認識の

参考にするために過ぎません。

あくまで判断していくのは自分なんです。

自分の判断に誤りが含まれないように

少しでも多くの資料を集めていく。

その「客観性を得る作業」のひとつが、

他者の言葉に耳を傾けるということなんです。

けっして他人の言いなりになれ、

という意味じゃありません。

むしろ「客観性」という言葉は、

事実を多面的に観察せよ、検証せよ、ついでに学べ、

ということに近い言葉です。

これなら、たいていの人が自己確立の一貫として

容易にその必要性を認めていくことでしょう。

(2)については、前述のように、

事実を多面的に観察する。

そしてそれを検証する。

ついでにそれらを助けるために

事前によく学んで知識をしっかりつけておく。

これに尽きると思います。

何かを判断しようとする時に、

今の自分の持ち物だけで判断しようとしない。

他者の意見を含めた多数の資料を求めて多面的に検討し、

そこから導き出される答えを探す。

それが客観的思考の実践です。

それを「自分の中に持つ」ということです。

謙虚になれとか、へりくだれとか、

自己主張するなという意味なら、

それは客観性を持つということとは違います。

むしろ客観性を身に付けた者の意見は鋭く強く、

聞く人々の耳に響きます。

id:tatibanaan

>むしろ客観性を身に付けた者の意見は鋭く強く、

聞く人々の耳に響きます。

まさしくそのとおりだと思います。

(そして今届いているわけですが)

細かい部分は私が言われた内容と異なりますが、

客観性そのものの本質はほぼ同じく感じます。

2004/12/22 16:49:19
id:seku No.4

回答回数33ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

僕は、客観などないと思っています。

自分を監視する自分というのは、物事を別の観点から捉えた主観でしかないのでは?

ということは、自分の中に客観性を得るのではなく、より多くの主観を手に入れることが大事なのだと思います。

それならば、同じ物事に対する意見を、なるべく多くの人から聞き、その考えを自分の中に取り入れてみのは、どうでしょうか。

あと、自問自答を繰り返すだけでも、1つの物事に対して、別のアプローチが出来ると思いますが。

id:tatibanaan

ヒトツの意見としていただきます。

ありがとうございました。

そういえば、客観と主観のとらえかたも人によって違いますよね。

そこが面白いところです。

2004/12/22 17:05:37
id:toshi_nishida No.5

回答回数525ベストアンサー獲得回数38

ポイント12pt

 立場を入れ替えて考えてみる習慣を付けることは有益だと思います。たとえば、私がBに対してある事をしようとするとき、これが適当かどうか判断するには、Bが私に対して同じ事をしたと想像してどうか、また別人Cが自分に対して同じ事をしたと想像するとどうか、と考える習慣をつけることは、客観的判断の助けになるのではないでしょうか?

id:tatibanaan

あ、これ教えられました。

そのうちの一つとして例題も。

答えは教えてもらいましたが、結構面白かったので

あとではてなで例題出してみます。

2004/12/24 10:08:17
id:kurupira No.6

回答回数2369ベストアンサー獲得回数10

ポイント12pt

(1)客観的に自分を見るとは学校のイメージで言うと、窓の外から見た教室の中の自分を見ることで、主観的に見るとは教室の中にいる自分自身が周りを見て考える状況だと思います。

(2)幽体離脱した気分になって、上から自分を含めた周りの状況を見て、その関係性を探ってみて下さい。

id:tatibanaan

件数が多いため以降、コメント抑え目になりますが

他意はありまんので…

幽体離脱、たとえとしていいですねー。

2004/12/24 10:09:34
id:tomo031208015 No.7

回答回数147ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

http://www.egogram-f.jp/seikaku/

エゴグラムによる性格診断

3人も…自分の中にもたぶんいるけど、何人だろ。

(1)やっぱり表現するなら「客観性」だと思いますが、感覚としては自分自身のことをある程度他人事のように感じているような部分です。自分自身の感情を持ってる部分と、そういう気持ちを持っている自分を冷めた視点から他人のように批判する部分がある。

イメージとしては自分の他に客観の視点を持つもう一人が遠くから俯瞰しているような感じかなあ・・・。

(2)まず自分の立場に立たずに考えるように気をつけてみたらどうでしょうか。

自分の好みとか嫌悪感などを無理に押さえつけるのではなく、それはそれ、として一般的には自分の考え方はどうなのか、と考えてみるとか。

自分の気持ち(主観的)と、自分の理性から考えた意見(客観的)がごちゃ混ぜにならないように気をつけて、どちらをどの程度表に出していくべきか、場面場面で対応できるようになるといいと思います。

最初は難しいとしても、時間をかければこういうことならできると思います。時間は、人によるかも…理論的な方が向いてるんでしょうねきっと(^ ^;

id:tatibanaan

「俯瞰」という言葉は、客観を表すのに便利ですね。

想像しやすい。

期間…か。本気でやれば半年くらいといわれたんですが、

実際のところ一般的にはどうなんでしょうねえ。

マニュアルなんて存在しないですから

手探りの分だけ時間はかかりそうですね。

2004/12/24 10:11:52
id:adlib No.8

回答回数3162ベストアンサー獲得回数243

ポイント11pt

1.列子(黄帝)狙公の故事「朝に三つ、夕暮に四つ」

2.曽野 綾子(カトリック)説「ヒトは、損だと分っても行動する」

3.グロピウス(バウハウス)建築理論「合理的なものは美しい」

 

 ヒトの行動原理は、野性・徳性・理性の順に、発達・進化します。

 合理性や客観性は、それ自体すぐれているわけではなく、そのヒトが

属する集団が、あらかじめ定めた価値基準であることが多いのです。

 

 したがって、高度な合理性を学んだはずのエリートが、公務員となり、

(定年目前で)ワイロをポッポする行為は、まことに矛盾しています。

 年をとって経験をつむほどに、別の方向に進むらしいのです。

 

 あなたに「客観性がない」と指摘した“格上の”人物も、いつの日か、

「ここはひとつ目をつぶって」とか「理屈はそうだが、現実を見よう」

などと云いはじめる“可能性”があります。

 

 そのとき、あなたがとるべき最善の態度は、つぎのとおりです。

(1)彼の理屈をどう説明して撤回させるか:わらって忘れる。

(2)具体的にどうやって実践するか:だまって代りに実行する。

id:tatibanaan

>合理性や客観性は、それ自体すぐれているわけではなく、

>そのヒトが属する集団が、あらかじめ定めた価値基準であることが多い

ああー。なるほどー。

ところで「可能性」ですが、その人物、親しくなるにつれて

感情で物を言うことが増えました。

まあ、人ですからね。。。。

2004/12/24 10:15:34
id:moonlightanthem No.9

回答回数285ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

http://www.yahoo.co.uk/

Yahoo! UK & Ireland

「客観とはなんぞや」というお話はもう皆さんされているので、具体的な方法を。

・日記を書くこと(なるべく詳細に)

最初は自分の心の内ばかりになると思いますが、なるべくその日にあった出来事、誰がどのように対応し、どんな言葉を言ったか、周囲の雰囲気はどんな感じで自分はどう受け止めたかなどを記録して行きます。最初は読み返す必要はありません。とにかく毎日、3行からでもいいので書き続けます。そして、書くために毎日しっかりその日の事だけでいいので記憶しておきましょう。

半年くらい続けるだけで、たぶんものの見方が変わります。このころに読み返すと、文章の書き方も変化していると思います。

id:tatibanaan

仕事との兼ね合いもあり文章自体をよく書くので、

トレーニングとして毎日日記を3つつけています。

一つは手帳

一つはサイト

一つはブログ

半年前のとかを見ると、恐ろしいほどですね。

ネットだと他人の視点も意識するので、

確かに効果はあったように思います。

2004/12/24 10:17:35
id:YOW No.10

回答回数69ベストアンサー獲得回数1

ポイント11pt

客観性が無くて主観に偏りがちな人というのは、単に不勉強な人なのだとわたしは考えます。

それに対してもしアドバイスを望まれたら、「5年〜10年は学習きちんと積んでいけばなんとかなるよ」と言います。

しかし重要なのは、コントロールしたい欲望の動機にあまり捕われていると、

勉強や学習というものは決して身につかないものでもあるのです。

勉強が身につくには、ひとえにどん欲な知的好奇心の持続と、ある程度の年数が必要なだけ、と思います。

努力も根性も向上心も後からついてくることです。

生まれながらにして、自然状態で、客観を備えられる人間などいないませんよね。

「内面からおのずと何か湧き上がってくる」なんてことを待っても、永遠に何も「訪れ」ません。

これは私の属している美術の世界でも同じです。現代美術だろう同じです。

インスピレーションの訪れは、外の世界から取り入れた知識や知覚刺激からのみ、です。

人間が内面的にひと皮むけるには、内面重視するのではなくて、外の世界からの刺激が絶対に不可欠です。

人間の「想像力だけでなせるわざ」などというものを絶対に信頼してはならない、考えています。

想像力のみに頼った発想や思考というのは、偏向的でご都合主義の枠を出ることなど

“物理的に”あり得ません。それはどんな大天才だろうと凡人だろうと同じです。

人間の内面世界よりも、外部に広がる世界の方がはるかに豊かでバリエーションに富み、まさに

「想像もつかぬ」のです。

たくさんの知識やきちんとした検証データを参照しなくては、人間が主観の粋を出ることは不可能です。

それには専門性ある話に耳を傾けることが必要になりますし、

そのためには専門の言葉を理解をしないといけないので、基礎的な理解をおろそかにして早道行こうとせずに、

基礎もきちんと修了して体系的に学ぶ必要があります。

またこれらを独学でするためには今度はさらに一つには、

生活リズムを規則正しくすること。それには朝型の生活を徹底すること。食事もバランス良く栄養摂取すること。

こうしたことでもの覚えの能率や、精神健康面でも、美容面でも、がらっと変化するのが実感出来ます。

とりあえず学ぶジャンルは何でも良いのです。文学でも、美術でも、政治でも、自然科学でも、ファッションでも。

そして物事を体系的に学ぶには、「ノートをとりながら学ぶ」ことと「関連する本を半年で20册は読む」(ネット記事のみでは×)ことが、

どんな分野においても不可欠だと思います。

id:tatibanaan

無為に5年、10年経験をつんでも効果はないと思うので、

どうせ経験するならばそれからできるだけ多くのことを学びたいな、と思っているので

この質問をした回答、粒ぞろいで満足してます。

>人間の内面世界よりも、外部に広がる世界の方がはるかに豊かでバリエーションに富み、まさに

「想像もつかぬ」のです。

説得力 アリ!

2004/12/24 12:57:41
id:kamioookahigasi No.11

回答回数334ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

私たちはどうしても 知ってる情報見えてる情報から判断しようとしますよね。 床を這いずり回っている虫のように しかし世の中には見えないものがいろいろあり それが大きな影響をあたえているのです。 だから主観で判断するのでなく その奥にあるものを洞察する能力はとても大事なことだし そのために虫の目から離れて 大きく飛び上がって鳥の目で見ようとすると ものの見方も判断の仕方も変わって

くるのではないかな。大きく全体を捉えるように心がけて見ましょう。

id:tatibanaan

「大きく全体を捉える」

言葉で言うのは簡単なんですが、

感覚的に理解するまでが長かった!

無意識に実践できるようになるまでが

また長いんでしょう…。

時々、俯瞰の仕方を忘れてしまいます。

身につくのはいつなのかしら…

2004/12/24 13:00:34
id:siohkun No.12

回答回数131ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

http://www.kitaohji.com/wadai/critical.html

クリティカルシンキング

「客観的な思考が出来る」というのは

「自分の思考を理論付けて、それを相手にも理解できる形で用意できる」

ということだと私は理解しています。

人間が思考する場合、必ず判断を下すポイントがありますよね。

その判断は各々が自分の中の基準を基にして行います。

しかし、その基準が他人から見えにくい人も多くいると思います。

そういった方のことを「客観性がない」と言うのではないでしょうか?

その判断基準を論理的な飛躍なしに説明できれば、

きっとtatibanaanさんもお友達に斬られることがなくなるのではないでしょうか?

URLはクリティカルシンキングという、

考え方をある程度系統付けて分かりやすくした

いわゆるガイドラインのようなものです。

演繹法や帰納法といった小さな論理展開から、

ピラミッドストラクチャなど議論などにも使えるような

大きな論理の組み立て方までもカバーしてくれています。

もしお時間が許すのであれば、一度目にしてみてはいかがでしょう。

ただ、こういった方法は非常に大変ですので、

比較的簡単に実践できそうな方法を…

客観性が必要とされる議論などの場では、

口に出す前に必ず一度、自分の思考を反芻し

論理の飛躍がないことを確認する。

(頭の中で算数の確かめ算を行うようなものです)

まずはこれが一番かと思います。

あとはそれ以前のことですが、

人の話は最後まで聞いてから反論をする、

自分の言動を受けた相手がどう思うか考える、

あたりでしょうかね…

まだ私も未熟者ですので、人にあれこれ言える立場ではないのですが、

参考になれば幸いです。

id:tatibanaan

興味深い内容だったので、ご紹介いただいた本を

早速注文してきました。

回答もとても参考になります。

ありがとうございました。

2004/12/24 14:12:05
id:neko73 No.13

回答回数13ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

http://www.obihiro.ac.jp/~psychology/abofan.html

$BC\Bg?4M}!'#A#B#O#F#A#N$X$N<j;f(J</p>

客観性とはどういうものかについては既に他の方が説明していますね。

情報というのは受け取った時点で「素の情報」ではないですから、

誰かを通して受け取った情報ならその誰かの利害や願望に影響を受けて歪められたかも知れません。

自分が受け取った時点でも思いこみが生じます。

違った立場から発した情報と比べてみる事ができればそうしたいですね。

自分のある認識について「なぜそう捉えるか」と考えてみることも大事でしょう。

よく日記を付けると良いなどといいますが、

はてなダイアリーで日記を書いてもいいですね。

しばらく経ってから見ると偏りに気付くかもしれません。

id:tatibanaan

>誰かを通して受け取った情報ならその誰かの利害や願望に影響を受けて歪められたかも知れません。

これは普段生活していても気をつけたいなとは思います。

2004/12/24 14:26:48
id:matiki No.14

回答回数172ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

以下は私の私見です。

(1)全ての事柄は自分の五感を通して認識し、それを分析・判断して行動に移すのは自分の判断基準に依りますから、色々な方がおっしゃっている様に本当の意味で客観的に認識・判断することはできないと思います。批判の意味で「客観性がない」という意味は実はその認識・判断その結果として表れる行動が社会に生活する大多数の人に受け入れられ得る価値観とそぐわない、(またその為に不快である)という事だと思います。ですから、客観性を得るということは大多数の人が持つ価値観を理解し、その価値観からも事柄を判断してみると言うことだと思います。

(2)ではその価値観を身につけるためにはどうすればいいか。色々な人と話をし、その人の考え方を聞き、共感してみることです。実践ということでいえば、小さな事でも周りの人が喜ぶことをしてあげるのが一番良いと思います。他の人が何を考えているのか、どのようにされたら喜ぶのか、それを考えることは人の価値観を理解する必要があるので、自然と人の価値観でもって事柄を認識・判断する実践になっていると思います。

抽象的ですいませんが、1日に一善を実践してみてはどうでしょうか。

id:tatibanaan

>大多数の人が持つ価値観を理解

これ、同じことを教えられました。

偏りなくいることが大切だとも。

こうして出てくるということは、やっぱり普遍的に

重要なことだからなのでしょうね。

2004/12/24 14:29:02
id:meronpanda No.15

回答回数4ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

参考になるか判りませんが…。高い空の上から自分と自分を取り巻く状況を見下ろしている想像をすると、良いと思います。まったく関わりのない第三者になりきって考えてみるとか。

自分はA=B,と思っても、別の人にはA=CだったりA=Dだったりするかもしれない。自分にも相手にもそう考える根拠があるとしたら、そんなことどっちだっていいじゃないかという立場の人の意見が一番客観的なんじゃないかな、と思うんですけどどうでしょう。

id:tatibanaan

>一番客観的なんじゃないかな、と思うんですけどどうでしょう

質問に質問でこられても

「そう思います」とはいえません。

2004/12/24 14:30:19
id:dodonga No.16

回答回数18ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

実践についてですが、常に「これでイケてるかなぁ」、と自分の中で反芻しながら、欠点(人が嫌いそうなところ)を探るようにしてみてはどうでしょう。

誰だって初めは客観性なんて持っていないと思うんですよね。女の子の化粧とかだって、若い頃はやっぱり下手ですよね。それが雑誌のモデルとか友達やアイドルなどを参考にしながら、

周りの反応を伺いつつ、上達していくのだと思います。自分で化粧がうまいと思っている人に限って下手だったりしません?結構この心理状況と客観性は関連があるようで、僕自身(僕はものづくりをしている人間ですが)自分でこれでめちゃイケテル!って思うときほど回りの反応は良くなかったり、かえって、これでいいのかなぁ、と試行錯誤繰り返して出来たものの評価が良かったりします。自分では客観性がついたなんて思ったこともないですけど、長年続けていて自分のスキルが上がったのか、周りが「良いね」って言ってくれる回数が多くなったように最近感じます。確かに今何年も前に作ったものを見ると、下手くそ過ぎて赤面するぐらい恥ずかしくなります。でもその時は本気で世界一上手いと思い込んでましたからね。おっと、長くまとまりがなくなってしまいましたが、最大公約数を探す(人と人との共通点を埋めていく)ような感じでがんばってみてください。

id:tatibanaan

>最大公約数を探す(人と人との共通点を埋めていく)ような感じ

お!この文は自分の中にあった穴をわかりやすく補完してくれました。

2004/12/24 14:32:41
id:komasafarina No.17

回答回数1662ベストアンサー獲得回数4

ポイント11pt

http://spaceinfo.jaxa.jp/note/kagaku/j/kag02_j.html

宇宙情報センター/SPACE INFORMATION CENTER

主観とか客観というのは、学問の世界では19世紀で終わっています。

客観というのはありえないし、主観というのも疑わしい、というのが結論です。

客観というのがありえない、というのは客観というある種、特権的とも言える「場」というのが実はありえないことが現代物理学を発端として学問の各分野で了解されています。つまり、(物理学がそうなのですが)あらゆることがあらゆる方向に向かってあらゆるかたちですべてが同時に起こっている。のが世界だったり宇宙だったりします、そういうときに時間を止めたり時間から切り離されたようにして「客観」という場を仮りにでも設けようとすることはひじょうに傲慢かつ不合理で非現実的なことになります。だって、そんな場はないんですから。そういう客観的な立場から見る世界は実際の世界とはちがったありえない世界になります。

(突然ですが、カメラを向けられると、その人はもうカメラを意識したその人になります)(カメラもカメラを操作する人によって映り具合が変わります。)

で、主観の話に移ると、主観と思っている見方が実は必ずしも主観ではないことに気づかない(あるいは気づけない)がゆえに、それが主観とされて、かろうじて主観が成り立っている、というお話なのです。早い話が、主観自体がすでに(あらかじめ)主観以外のあらゆるものの交叉点として成り立っていて、それを「主観」と呼ぶことがすでにして不正確であり傲慢だということです。主観が知らず知らずのうちに乗っかってしまっている足場を見れば、もはやそれは主観ではないということ。何かを考えるときにあるひとつの「問題」の枠内でだけ考えてしまったり、何かを考えるときあるひとつのかたちでの「問題」化をして、それ以外の「問題」化はないがしろにされてしまう。そういうこと、あるいはそういうやり方は、けっして主観でも主観的なのでもなく、自分以外のさまざまなものの影響を受けて、すでに/つねに歪められてしまったものといえます。

主観も客観もどちらも「認識」ということがあっての話です。そして主観も客観もダイナミックな宇宙や世界においてはスタティック(static)に独立した主観や客観といった圏域を保ちえない、というのが現実であると20世紀後半以降は世界的にそれが相場となっています。つまり、主観も客観も幻想であって何の現実的な効力はなしえません。

ようするに全方位状に隈なく拡がる網の目のその無数の交叉点のほんの一点でその都度、その都度、いろんな言葉や出来事やそのたもろもろにその都度その都度そのときのかたちで反応してしまうわたしたちがあり、そういうわたしたちがまた全方位状に拡がるその網の目を更新しているということです。そういうところに主観も客観もないというお話でした。

たぶん、1時間後に書いたら全然違う言葉になってしまうだろうというところにも主観も客観もないということの表れが見れるかもしれません。

(あんまり頭よくないですけど、、、)

以上、マア、ざっとハッタリ半分ということでどうぞご賞味ください。

id:tatibanaan

本当の意味での客観はない、ということも

これくらい説明してくれれば納得がいきます。

リンク先「ドラえもんの宇宙」、とても面白かったです。

相対性理論は興味があったんですが、まさかここで出てくるとは(笑)

2004/12/24 14:35:19
id:ueshin No.18

回答回数1ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

(1)自己中の人が客観性を得るためには、ほかの自己中の人の行いやふるまいが格好悪くて、情けなくて、恥ずかしいものだとわかったときにはじめて客観性は必要になるのだと思います。

自己中の人が軽蔑される人だとわかることが必要なのだと思います。

(2)客観性の欠如はもう情報不足と想像力の欠如しかないでしょう。

自分の思い込みとか考えに凝り固まっていて、ほかの人が自分のことをどう思うとか、迷惑に思っているとかの他人の視点がまったくないわけですね。

そういう自己中の人に迷惑をかけられた経験があれば、その人を嫌悪し、自分もそうなりたくないと思うでしょう。

まずは自己中の人の迷惑さやかっこ悪さに気づき、その捉え方を自分に反転させて、自分の情けなさを悟る必要があるのだと思います。

他人の視点はもう想像力と情報で補うしかないです。他人はどう思うか、どう考えているか、それを怖れる気持ちがあれぱ、たぶん他人の視点は自然に入ってくるものだと思います。

他人に嫌われたり、不快に思われたりするのを怖れると、客観性が養われるわけですね。

まあ、でも人間関係の中でたえずびくつき、他人の顔色ばかりうかがっている人生があまりすばらしいとは思われませんが。

id:tatibanaan

>他人に嫌われたり、不快に思われたりするのを怖れると、客観性が養われる

極論でいうとそうなるんでしょうか…

2004/12/24 14:38:10
id:sami624 No.19

回答回数5245ベストアンサー獲得回数43

ポイント11pt

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=55517

認識者を想定しない「客観的実在」とは? - 教えて!goo

主観的に物事を捉えると判断されることは、物事の判断において、事実認識が不十分であるにも拘らず、自己主張をしているためではないでしょうか。先ず事実関係を形成に整理し、その上で判断をすればいいのではないでしょうか。

1.物事を判断する場合は、自己の過去の経験から推測したり、自己の知識の範囲で判断をするのではなく、事実関係を明確にしなければ、現状を取巻く環境と異なった対応をしてしまうリスクがある。

2.物事を判断する場合は、判断するために必要な事実関係の調査を行い、その事実関係に関わる法律・慣習を調査した上で、世間一般的な判断はどのような物かを考えたら如何でしょうか。自分の中に第三者的な視点を加えるというのは抽象的で、実践困難な方法かと思います。事実関係に基づき、時事関係に関わる根拠放棄慣習に基づく判断をすれば、主観的に判断がぶれることなく、客観性を帯びてくるものです。先ず思い込みをなくすことから始めたら如何でしょうか。

id:tatibanaan

思い切って簡略化すると、

思い込みを排除=主観の排除→客観化

で間違ってはいませんよね?

専門書を読んでいるかのようです。

ありがとうございました。

2004/12/24 14:45:18
id:tsukitousagi No.20

回答回数172ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

http://shopping.yahoo.co.jp/

Yahoo!ショッピング - ネットで通販、オンラインショッピング

urlはダミー

以下に示す内容はネタではなく、全く真面目な内容ですのでよろしくお願いします。なお、

この解答は単純明快です。かつ効果的と思います。さて、本題に入ります。

自分の部屋の天井のカドあたりにビデオカメラを取り付け、録画して、あとでみる。

できれば、ビデオデッキのAV入力につないで10時間テープで録画する。時間が長いのでカメラを全く意識しない時間帯が必ずあるはずなので、その部分を観察して、自分を客観的に見る。この方法は真の客観性を見れる。なぜなら、見られていることを意識していない時間帯を見るのだから。

id:tatibanaan

ああー、確かに、なるほど!

真の客観!

質問自体とはずれますが、「客観」という意味合いでは

けして無効ではありませんね。

非常に面白い回答でした。ありがとうございます。

2004/12/24 14:47:33
id:juliannaoki No.21

回答回数184ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

私は客観性MAXな人間だと自負しておりますw

とりあえず、友人の輪の中から一歩退いて

少し冷めた目で見ていてください

その集団の様々なことがわかります

それが客観性の始まりです

id:tatibanaan

>自負しております「w」

「w」?

笑い?

だとしたらどういった意味合いなんでしょう?

「自分でいっちゃうけどね〜」(笑)?

そもそも笑うところなのかどうか判断がつきかねます。

すみません、回答よりもこっちが気になりました。

2004/12/24 14:51:52
id:YOW No.22

回答回数69ベストアンサー獲得回数1

ポイント11pt

http://www.kokaku-s.com/root.html

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX

10番目の回答者です。

気になる点があるので、再回答致します。

まず、主観客観の命題は必ずしも現代においても、哲学の世界でも科学の世界でも

もう済んだ話とはいえないだろうと思います。

(これだけでそれこそ、本来は体系的な理解が必要。)

それよりも、もう一つ。

「私だけが客観的な視点に置いて状況を眺めているんだ」という自負を持つことそのものが、

実は「主観的見方」の枠の内を決して出るものではない、という、

これは戦後哲学上の大きな成果としてあるのです。

そこで、たとえば管理社会や全体主義体制下でのいちいの市民らの生きざまを通して

「冷めた客観的で“冷笑的”な自分」を自負する個人のあり方そのものに、懐疑が向けられてきました。

例えばこれを政治的な状況で言いますと、

結果的に管理社会のシステムに大きく貢献しているのはそうした

「世間一般の風潮とは距離を充分にとれた客観的な見方をしている」と思い込む個人なのであると。

要するに実は同じように皆が皆、内心はそう自負しているだけのことなのであって、

自分以外の人間に「政治的に客観的になれない」そんな信じやすい庶民的おめでたさを、

皆が一様に他人にたらい回ししつづけて、それで管理社会システム自体は揺るぎなく成り立ち続けていけるのだと。

いちいの市民に「政治システムに一体化してないという自覚を維持させてあげる」ことそのものが、

実際は「見えない管理体制が真の拘束力を及ぼしている」からこその結果でしかない、ということです。

最近、このことを大きくテーマとして取り上げたドラマが、「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」でした。

「STAND ALONE COMPLEX」とは今作品での造語なのですが、これは意味は色々あると思うのですが、一つには

「自分だけが、嘘くさい社会の奥に潜む何か真理を見定められていて、しかし周囲や上層の人間を上手く出し抜いてやるんだ」

と誰にでも一度は自負させてしまう、社会心理的な錯覚のようなもの、として制作者側は想定しているんだろうと思われます。

id:tatibanaan

わかりやすく丁寧に説明してくださってありがとうございます。

攻殻機動隊、その人にもすすめられました。

「3回くらい見れば意味がわかるだろう」って。

2004/12/27 15:31:04
id:Raiden No.23

回答回数88ベストアンサー獲得回数1

ポイント11pt

URLはダミーです。

主観とか客観とかそういうもの自体人の取りようだと思うので自分が思うようにされるのが一番良いと思う事を先に申し上げておきます。

・「自分をつねって人の痛さを知れ」ということだと思います。

 ビジネス用語で「共感力」という言葉があります。

 お客様の立場になってお客様が一番何を求めているのかを察知し(先回りして)行動したりする事です。

 少し例が硬いと思いますが、例えば自分以外の人物が自分に対して感じる事を自分に置き換える…

 それだけで「客観的」に物事を感じ、見る事ができるのではないでしょうか?

ちょっと具体的でなくてすみませんでした。

id:tatibanaan

ありがとうございました。

回答も出揃いましたので、そろそろ締め切らせて

いただきます。ありがとうございました。

2004/12/27 15:31:37

コメントはまだありません

この質問への反応(ブックマークコメント)

トラックバック

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

回答リクエストを送信したユーザーはいません