司法制度改革の目玉として、裁判員制度が2009年度までに導入されます。


<参考URL>
http://homepage1.nifty.com/lawsection/special/saibannin/quickreference.htm

この裁判員制度ですが、1928年から始まり、1943年に施行停止となった、陪審制度がもとになっているようです。また、この陪審制については肯定的評価・否定的評価の両者が存在するようです。

そこで、第二次世界大戦前の陪審制の状況を解説したURLを提示いただき、陪審制度についての意見を述べていただけるでしょうか?

肯定的な評価をされる方は、なぜ1943年の施行停止以後、今日まで陪審制度が復活しなかったかの考察、否定的評価の方は、今後導入される予定の裁判員制度についての懸念を述べていただけますか?

上記を満たしていただければ、裁判員制度についての展望を述べていただいてもかまいません。

よろしく御願いします。

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回答2件)

id:kamikio0910 No.1

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ポイント50pt

戦前の陪審裁判

『裁判員制度で司法との距離は縮まる?』

http://www.ewoman.co.jp/report_db/pages/12_030519_3.html

弁護士 窪木登志子さんが問いかける「裁判員制度で司法との距離は縮まる?」

『貧困なる精神 「司法改革」で日本の裁判は本当によくなるのか』

私は、この裁判員制度については否定的です。

問題点は、

1.「片手間の」裁判員にしっかりと判断をする能力があるのか?

はっきり言って、仕事の片手間の中の裁判員。めんどくさいし、適当にやっちゃえっていう人だっているはず。そんな中で、公正な判断を下すことができるのだろうか?

2.裁判員はだれだってよいというわけではない!!

選挙登録名簿から、抽出されるようですが、はっきり言って、誰でもよいというわけではないと思います。

あいつにだけは裁かれたくない!!と思っている人があなたの周りにだっているはずです。判断能力が欠如している人ばかりが集まったらどうするんだろう・・・。

3.『劇場型弁護士』の大活躍!!

専門家でない裁判員の判断では、やはりパフォーマンスや弁のたつ弁護士の方に分がありそうです。

名の知れた弁護士やパフォーマンス型劇場弁護士に判決が左右されてしまうのではないかと危惧します。

4.差別や人情も大きく判決に左右しそう

被告人が外国人(例えば朝鮮人、中国人など)の場合、どうしても彼らには厳しい判決になりそう。(偏見が結果に左右しそう。)

また、残忍な殺人事件や、有名人が関与したものなどは、世論や感情に流されて、えん罪も多くうまれそう。

5.『暴力団』『宗教団体』『右翼』などの事件は仕返しがこわい

上記団体は、判決後の仕返しがこわいです。だから、公正な判断になりづらいのではないかと思います。私なら、関わりあいたくないです。

以上、『餅は餅屋』に任せたいというのが、正直な気持ちです。

ただ、上記URLの『貧困なる精神』にもかかれていますが、(すごく左翼的ではありますが・・・。)現在、司法制度の抱えている問題点も理解できますので、何らかの形での改革は必要かとは思います。

id:ThomasFeline

ありがとうございます。

さすが、夜にならないと回答は入らないですね。

戦前の陪審制度は、司法の恣意的運営を抑制し、冤罪を防止する機能があったとの記述を読んだことがあるのですが、原敬が導入したんですね。

検察側・裁判官が権力と癒着してしまうと、これは怖いですよね。

ただ、裁判員制度のシュミレーションの番組を見たことがあるのですが、何だかだいじょうぶなのか?

(kamikio0910さんの挙げたような問題について、ほとんど考察されていない)と思い、質問した次第です。

2005/02/02 21:46:47
id:morningrain No.2

回答回数824ベストアンサー獲得回数2

ポイント50pt

陪審制度に関しては肯定的な立場です。

戦前の日本の陪審制度に関しては、上記のURLにあるように欠陥が多かったためだと思います。

・制度上の欠陥が多くあった。 (枢密院の抵抗で、法案が大修正される)

  1)治安維持法などでの罪には適用されず。

  2)答申(評決)は、陪審の過半数。(陪審内の討論を軽視)

  3)裁判官は、陪審の決定に拘束されず。(裁判のやり直しが可能)

  4)控訴が認められず。(「危険な賭」)

  5)敗訴の時は、被告人が費用負担。

さすがに3,4,5のようなことでは、裁判官による裁判と陪審による裁判のどちらかが選択できるといわれても、陪審を選択する意味があまりないと思います。

陪審制について肯定的な理由は、トクヴィルが『アメリカの民主政治』の中で述べたように、「陪審は人々に社会への義務感を養い、利己主義がはびこるのを防ぎ、しかも無料常時開設の学校として人々の判断力を形成し、知能を拡充する」と思うからです。

日本では人々の法律に関する関心が低く、また法律も非常に専門的な用語で書かれていて、素人には近づきがたいものです。そしてそれが、法律の通じた官僚の力の肥大化につながっていると思います。

そうした中で、陪審制により市民が法律に触れる機会が増えることは、市民の法律理解につながりますし、専門的な用語ばかりの法律を変えていくきっかけになると思います。

つまり、陪審におけるさまざまな問題点(判断力への疑問など)よりも、政治的な教育機能を寄り重く見たいというのが僕の意見です。

なお、なぜ日本で陪審制が停止されたままだったかという点に関しては、経済発展が重視される風潮の中でやはり負担は避けたかったということと、官僚、そして官僚的な裁判所の組織が素人による介入を嫌ったということではないでしょうか?

ただ、官僚が業界を指導して経済発展をさせていく、といった社会はもう終わったと思うので、今こそ透明なルールに基づいた社会を目指して陪審制を取り入れてもよいと思うのです。

ちなみに今度導入予定の裁判官制度は、職業裁判官が議論を整理するということから、市民への教育機能は落ちてしまうと思います。

id:ThomasFeline

昔なら裁判に持ち込まず、地域の世話役が仲裁していたような内容が少額訴訟制度で裁判になる例が増えてきたような気がしますので、日本でも陪審制の良い面を取り入れる改革は必要な気がします。

いっぽうで難解な法律用語をもっとわかりやすいものに変えていく運動もたしかに必要なのかもしれません。テレビ番組のネタにするだけでなく、法律が自分たちを守っているんだ、という意識も必要ですよね。

お二方、熱のこもった回答をありがとうございました。

ひとまず締めます。

2005/02/06 18:25:54

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