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人力検索はてな - 日本人が「ランキング」を好む理由を教えてください。
ダミーです。
日本人って誰かが決めてくれた序列的に習うことで始めて「これを自分で楽しんでもいいんだ」と考える傾向が海外に比べてあるからではないでしょうか。
理屈とか肩書きのようなデータで判断するからではないでしょうか?
西洋のように「しゃべってなんぼ」の世界では、人と直接会話して集めた情報で判断することが多いでしょう。
運動会とかそういうもので常に順位を意識する教育をうけてきたからじゃないですかね?
単なる勝ち負け(いい/悪い)よりもより細かく状態を把握したい欲が強くなっているのでは。
BIGLOBE
既に出ている回答、ぜんぶその通りだと思います。
面白くするために演出としてランキング形式を使って見せている場合でも、実はきっちりとした数字を得た結果ではなく、ランキングに根拠がないものもよくありますよ。ハッキリ言って踊らされているわけです。
CDのチャートなんかではアーティストの実力を表しているわけではなく、本来はプロモーターが行ってきた宣伝効果の目安にするもので、ユーザーが知っても仕方のないデータのはずです。
コメント(2件)
理由はそれぞれあるでしょうが、文化的な背景で言えば江戸時代の番付が大きな影響を与えたと言えますね。これはもちろん相撲の番付ですが、ここから派生して、食べ物や花魁に町娘の美人、はては学者に医者に絵師、何でもかんでも番付がついて江戸庶民の娯楽として定着していた部分はあるでしょう。
この番付自体も遡ると、戦国時代に恩賞を授ける際に、勤務評定的な部分で順位付けをする必然性があったからで。能力主義の時代は、どうじにランキング主義の時代でもあると言えますね。相撲に関して言えば、今昔物語の中に相撲節での最高位を現す「最手(ほて)」という言葉がありますから、遅くとも12世紀前半にはランク付け・格付けの意識はあったようですね。
920年に源為憲が藤原為光の子供の教科書としてあんだ『口遊(くちずさみ)』の中に、雲太・和二・京三という言葉が出てきます。雲太は出雲太郎、和二は大和二郎、京三は京三郎の略で、日本の高い建物のを太郎・二郎・三郎でランク付けした物です。出雲太郎は出雲大社本殿のこと、大和二郎は大和の国にある東大寺大仏殿を、京三郎は京の都の大極殿を指します。このように、8世紀頃には既に建物などをランク付けして覚える嗜好が見えますね。
根元的に遡ると、やはり中華文明の長幼の序という、ピラミッド型の序列付けが根本にあるのではないかと思います。日本というのは、中国という巨大文明圏の周辺国家だったせいか、中国に対するコンプレックスが強かったようです。こんな小さな島国なのに、仁徳天皇陵や奈良の大仏、大仏殿など、当時(そして現在も)中国にもないような巨大な建築物などを造っていますね。五重塔なども、当時は70メートルを超える巨大な物が建っていたそうです(現存する物でも50メートル以上の物があります)。
中華文明に対するコンプレックス故に、ウチはこんなに凄いんだぞ!という意識から、当時世界の超大国だった中国にもない『世界一』に執着したのではないでしょうかね。この意識は1000年以上たっても変わらず、戦前は世界一の巨大戦艦・大和を作ってしまったりもしていますね。どうやら、日本人のランキング好きの背景には、こういう歴史的な流れがあるような気がしますが、いかがでしょう?
現在UK暮らしをしていますが、UKでもランキングを好むと言うか
普通にありますよ。
TVでも、音楽や観光地のランキング放送を良くやっています。
ミュージック・ショップに行けば、1位〜50位の順にCDやDVDが
並んでいるし。
知り合いと話せば、スーパーのランキングも話題になるしね。
それに何てったって、ギネス・ブックがある位ですからね。
では