二日で行きます。宿は決めてあるのですが、
他は未定です。お奨めの食事処、お奨めの見
所、お奨めの外湯がありましたら、教えてく
ださい。
http://marineworld.hiyoriyama.co.jp/
感じる水族館 城崎マリンワールド
マリンワールドでひと時。
http://marineworld.hiyoriyama.co.jp/access/fram._yorimiti.html
感じる水族館城崎マリンワールドへようこそ
城崎温泉でひと浴び。
http://www3.ocn.ne.jp/~genbudo/
玄武洞(げんぶどう)ミュージアム
宿に泊まれば外湯は無料なのでてあたりしだいまわってください。駅前にスーパー銭湯っぽいところもできてますよ。
水族館はかかせません(^ー^)
で玄武洞はひとつ前の駅です。
NPO法人但馬國出石観光協会
車なら出石経由で。ミニミニ京都ってかんじです。
http://www5.nkansai.ne.jp/org/syo-kan/index.htm
小天橋観光協会のホームページ
車なら小天橋まで。景色だけでもきれいですよ。
オススメの観光モデルコースがあります。
気候が良ければサイクリングしてみてはいかがでしょうか。
出石観光
お蕎麦屋さん、ほり川 TEL 0796-52-2213 です。地元の人に、教えてもらいました。有名人も多数来られています。予約をしていかれたほうがいいと思います。予約でいっぱいで、食べれなかったこともありました。
●城崎マリンワールド
定番です。
http://marineworld.hiyoriyama.co.jp/
●文学碑めぐり
志賀直哉や野口雨情など文豪ゆかりの碑を廻るのはどうでしょう。
また文芸館前、駅前、一の湯横、温泉寺薬師堂前にある歌のポストに、旅の思い出を詠んだ短歌を投稿しておけばちょっと変わった記念になると思います。優秀者には粗品が贈られるそうです。レンタサイクルがおすすめです。
http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/dokyu.html
●外湯7つ
旅館 山本屋提供 城崎温泉ガイド
下記は作家、石井しんじさんの城崎の楽しみ方です。参考に(?)してください。
ひとつ関心を持ったのは、安部公房の『砂の女』の舞台が城崎山中にあるかもしれないという一節。時間さえあればぶらりとしたいところです。
城崎案内・印象派風
(城崎滞在を、さらに思い出深いものにしたい人に)
城崎には、日没3時間前に着くといい。 宿で一息ついて、旅装からゆかたに着替え、つっかけ下駄を履いて、通りに出てみよう。
からりころり、からりころり。地面から伝わる振動が、最初は少しくすぐったいかもしれないけれど、大丈夫、すぐに慣れる。
久し振りの空気に素足が心地よさげな伸びをする。 風は、川上からかすかに吹いてくる。
幅5メートルほどの、疎水といった方がしっくりくるささやかな流れ。大谿川だ。
下流にはしだれ柳、上流には吉野桜が並び、春なら街の真ん中に巨大なピンクの腰巻を干したように見えるだろう。
アーチ状にそりかえった石橋の真ん中に立つ。陽光が乱反射して、黒っぽい川面にあひるやさぎの白が溶けだしていく。
緑の巨人が落としたかつらみたいに、長く延びた藻がしなやかにうねる。 川沿いの道を、ついさっき着いたらしい団体客が、ひさしぶりのゆかたに照れ笑いを浮かべて歩いている。 数十分ほどの間にずいぶん人が増えた。女性が4人、近寄ったり離れたりしながら、下駄の音を長く響かせて向こうからやってくるのが見える。
彼女たちを見送ったら、こちらもからころ歩きを再開しよう。陽はまだ高い。
城崎の温泉地は、大谿川をはさんで細長く、長屋のように延びている。他の温泉地によくあるコンクリートの大規模旅館は、ここではあまり見られない。
宿も、商店も、どちらかというと小じんまりした、しかし地に足のついた和風建築で、それぞれに異なった表情をたたえ静かに建ち並ぶ。
一軒ずつ見て回るだけでも、盗まれたみたいに時は過ぎる。出来心を起こして通りから逸れ、迷路のように入り組む路地になど入ってしまったら、万事急す、だ。大衆食堂、射的場、スマートボールにストリップ小屋。今朝までの日常とまったく違った時間の流れるエアポケットのなかでは、時計などなんの意味も持たない。射的台に身を乗り出し、ずらりと並ぶ小さな陶器のヴィーナスに向かって、永遠にコルクの弾丸を撃ち続けるはめになる。
ここで一言。スマートボールもお忘れなく。 運よく通りに戻れたら、ひとまず旅館に戻ろう。休憩?いやいや、まだ陽は沈まない。あと1時間と少しある。タオルとせっけんを借りだし、旅館の名が入った籠に入れ、最寄りの外湯を目指すのだ。
ゆっくりつかろう。思いのほか歩き疲れたふくらはぎに、熟練のマッサージ師の指みたいなお湯が浸透していく。体を洗うときの注意は、生活の汚れが少しでもはがれるように、ひとこすりひとこすり、着実に、削るように。
外に出ると、西陽が山の稜線を細長く地面に落としている。さあ、今日の仕上げだ。通りを東へ、線路を越えたところに、目立たない看板がある。東山公園、と書かれている。矢印の方向へ10秒ほど歩き出しただけで、もう、いやになるかもしれない。かなり急な坂道だからだ。しかもどこまで続くか、下からではまったく見えない。実のところ、ずいぶん長いのだ。けれど、ここは耐えてほしい。
汗ばんで頂上につくと、草っぱらが向こう側へ長く延びている。まだかすかな傾斜が残る。舌打ちしながら歩いていると、突然、目の前に奇妙な構造物が現れる。コンクリートの階段がつき、手すりまである。どうやら、展望台のようなものらしい。とにかく上ってみよう。かなりせまい階段だ。足元だけを見て、一歩づつ登ろう。息まで切れてきた。まだか、まだてっぺんじゃないのか。ああ、やっと手すりがとぎれた。着いた着いた。 そこで目を上げよう。 宝石が見える。
城崎の街が、四方の山が、そして空が、飴色の光線を受けて燃え上がっている。こちらが動けばきっとすべて消え去ってしまいそうな光の砂絵。この世の終り、その瞬間で時が止まってしまったかのような錯覚が訪れる。
もはや自分は骨休みに来た観光客ではなく、それどころか確実に「ここにいる」のだと、「ここから始まる」のだと、いつの間にかそういう気分になっている。
さあ、行こう。気持ちはわかるが、もうじき暗闇がのっそりと道をふさぐ。急な下り坂だから、細心の注意で歩を進めること。慎重になってなりすぎることはない。
下り終えたら甘やかな光りが夕暮れの街に満ち溢れているのが見える。太陽が砂粒をこぼしていったらしい。
もうじゅうぶん歩いた。通りに出たらからころ音を鳴らして、まだほてった自分にうぶ湯をあげにいくことにしよう。 時計を見る。ちょうど3時間、だ。
■石井しんじ・城崎紀行(その2)
ゆでたまごの誘い、温泉のよろめき
(城崎名物「外湯めぐり」について知りたい人に)
日本人は温泉が好き、なんだそうだ。
これはもう、100%に近い確率でそうなのだという。
城崎の温泉街でも、うれし恥ずかし、といった風情の女性たちが、手提げの籠にせっけんと手ぬぐいを入れ、春先の親つばめみたいにいそいそと「外湯めぐり」をする光景が、年中見られる。
「外湯めぐり」は城崎名物で、お客は宿の浴衣で街なかへ出、それぞれ特徴のある6か所の入浴場をまわるのである。
夕方に2つ、晩御飯の後に2つ、朝風呂に2つ、と割りふって思い思いのルートをたどり、人々はみな、ゆっくりとふやけていく。
城崎は湯治場として千年の昔から有名だ。
明治以降も、志賀直哉、与謝野晶子、吉井勇など、有名どころがここを訪れている。
まあ、昔の作家なんていうのは、子供のころから体が悪くて本の虫になった、あるいは経済的に厳しい時期が長くて健康を害した、あるいはただのじいさんであった、など、とにかくもともと体のどこかがおかしい人が多いわけだ。
それを、わざわざ東京からリペアしに来るのだから、昔の作家は、なんというか、生活に余裕があったのだろう。うらやましいことだ。
それにしても、彼等はどんなふうに体を補修していたのだろう。聞くところによると、こういう感じだったそうだ。
まず、歩く。のんびり、いい空気のなかを散歩する。
城崎はだいたい平坦な土地だが、その気になれば山道などにも不自由しない。
ふだん部屋にとじこもりっきりで丸まりっぱなしの背筋が、だんだんと伸びてくる。
それに「お参り」だ。神社仏閣が多く、散歩の途中で突然、鳥居にはち合わせすることも珍しくない。そこで、拍手をぱんぱん。
汗ばんだところで、入浴。誰の目も気にすることなく、素っ裸。
そして、食事。これは材料を買ってきて、自ら料理する人が多かったそうだ。
これをひと月以上、長い人で半年近く続ける。
湯治とは「苦労しない山ごもり」みたいなものだ。
歩いて食事を取り、お参りして風呂に入る。要するに、新陳代謝の徹底だ。
日程が終わる頃には、レストアされたクラシックカーみたいな気分になれんだろう。
「なに書いてはるの」街角でこういうメモを取っていると、おばさんたちが次々と声をかけてくる。
彼女たちは昔の作家なんかよりよっぽど器用だから、たった半日の滞在で、あっという間に生まれ変われるのだ。
外湯をひとつずつ回る度に、中野さんは新・中野さんに、小畑さんは新・小畑さんになっていく。
「温泉に入るとね、すっごくアクビが出るのよ」眼鏡をかけた上品なおばさんが言った。
かなりの城崎通、といった感じである。「体の底から、なんだか、ほわほわあっとしたものが湧いてくるの。ちょうど温泉みたいに」「それは、どの時点で湧き始めるんですか」「そうねえ、家を出て、城崎行きの特急に乗ったときかしら」彼女は答えた。
「温泉に行くって実感するとね、ほわほわが、ね」
おばさんとは言っても、彼女はとても若く見えた。
きっと、日常の殻(母とか義娘とか奥さん)をするりと抜け出した、磨り減らしていないむき身のゆで卵姿だからだろう。
つい、飲みに誘いそうになってしまった。
温泉地では、湯断、いや油断しがちで、よろめかなくていい所でよろめいてしまう。やばい。
ぼくも「ほわほわあ」がやってみたくなって、目の前の『一の湯』に突入した。
2階から螺旋階段を降りて浴場へ。まるでローマ貴族みたいな気分だ。
目の前を素っ裸のおやじがぶらぶらしていなければ。
『御所湯』は「美人湯」と銘打たれていて、なるほどサウナなどもあって、女性受けしそうなところだ。
『まんだら湯』は、外観はお城みたいだが、中に入ればごくふつうの銭湯という感じで、ぼくはここが一番気にいった。
最後にたどりついた『鴻の湯』には唯一の露天風呂があり、そのせいもあって、後で聞くとやはり人気が高い外湯であった。
ここで教訓。4つも続けて入らない。
完璧な湯あたりだ。熱ぼけした頭を抱え夕暮れの街を歩いた。旅館の明り、石灯籠の灯など、色とりどりの光が川面に反射して、ゼリーの雨が降ったみたいに見える。
通りの向こうから、女性が二人、歩いてくるのが見えた。「いややわ、こんなピンクの浴衣」胸元をひっぱりながら、ひとりが言った。「なに言うてんの。まだ若いやないの」もうひとりが答えて笑った。
「そんなこと言うて、あんたいくつになる?」「75や」「うち83やで」 ふたりは笑い合い、軽やかな足取りで「美人湯」の方へ消えた。
しだれ柳みたいなその後姿を見送りながら、50年間湯治を続けているみたいだ、とぼくは思った。
■石井しんじ・城崎紀行(その3)
浴衣とカニ、その類似性について
(城崎といえばお風呂あがりにカニ、と思う人へ)
女性の浴衣姿は、いい。
大谿川に架かる橋の上から眺めていると、様々な模様がふわふわと通りを行き来する。やはり年配の女性、それも背筋が曲がりかかった老婦人の体などに、浴衣はとりわけ無理なくなじみ、ひとつの造形美を生み出している。
それはどこか、イスラムの寺院を思わせる光景だ。
イスラムの人々が衣の下に信仰と剣をしのばせているなら、温泉地の女性たちが浴衣の下に解放感と射的用ライフルを隠し持っている。
浴衣は変身マントである。
スカートやスーツの中で無理な態勢を余儀なくされてきた肉体は、肌に心地よい木綿の衣擦れマッサージによって、本来の姿勢を思い出す。
服に体を合わせるのではない、真の意味でのボディコン、これが浴衣姿なんだろう。
城崎では宿によって、浴衣が違う。昔からそれは、一種の広告の役割も果たしてきたからだ。
しかしマスメディアにおける広告がデザイン的に進化を遂げたように、現代の浴衣デザインも発達してきた。当然、宿の方もその点はわかっており、複数のデザインから好みの浴衣を選べる宿さえある。
そうした宿では、若いカップルがお客で来た際、ほとんどいつも、男性が女性の浴衣を見立てるのだという。「うん、そっちもいいけど、こっちの方が似合うと思うよ」なんて言って。
そうして選んでもらった浴衣を着て、彼と並んで外湯に出かける彼女は、たぶんものすごく浮き浮きしているはずだ。
まあ、男の立場から見れば、コスプレというか、イメクラというか、多少、甘酸っぱいイヒヒ感はあるだろうが、そういうことは置いて、彼女にしてみれば体にも気持ちにもやさしくなじむ衣装として、浴衣はある。
奥衿が首筋に張り付いて不格好でも、帯を上で締めすぎてこぶ巻きみたいになっていたとしても、彼女にはなんら問題ではない。
年がいっていても、若くっても、城崎の浴衣はそれぞれの女性らしさを引き出してくれる魔法のコスチュームなのである。 では、カニはどうか。
唐突で驚いたかもしれないが、城崎と言えばカニ、ということになっているのである。
カニ王国、というものもあって、王様までいるらしい。毎年3人「カニギャル」が選ばれるという話も聞いた(カニに似てるギャル、ということではないよ、きっと)。
11月の終りには「絶叫大会」なるものが開催され、一番の大声を出した人には「ベスト賞」として松葉ガニが送られるのだが、大会で叫ぶ文句は決まっている。「カニさん、ありがとう!」と叫ぶのである。
ありがとう、なんて言われても、カニはどうすりゃいいんだろう。
「そうカニ」なんて受け流すのか。
「照れるガニ」と、頬を染めてうつむくのか。
カニの頬はどこか、あったとしてももともと赤く染まってはいないか、などと問題も残ろうが、とにかく、それぐらい城崎は、町を挙げてカニ熱心なのである。冬場の予約が初秋にはいっぱいになるのも、11月から3月が松葉ガニ解禁シーズンだからなのだ。
実を言うと、ぼくはいままでカニを食って「うまい」と思ったことがない。
城崎の方々の逆上する顔が目に見えるようだが、ぼくが訪れたのはシーズン・オフだったのだ。
フランスの美食家が世界中をまわり、究極の食材を探し求めた結果、松葉ガニにたどり着いた、という。
国際的な評価が定まっているわけである。そう言われても、食べたことのない身としては、なんとも言葉が出ない。
ちなみに「カニづくしコース」とは、以下のようなものらしい。・カニ刺し・ゆでカニ・焼きガニ(足、腹を焼く。香ばしいそうだ)・カニすき・こうら蒸し・カニ雑炊(カニすきのだしに、残しておいたカニみそを足す。緑がかったもの)
ぼくには、どうもぴんとこない。カニばかり、こんなに続けて食べたいだろうか。カニのたたりも心配だ。お祓いの方はどうなっているのか。ついでに、支払いの方も、どうなっているのか。
そういうわけで、いずれ松葉ガニとは決着をつけなければ、と思っている。いやいや、ぜひに、とも思う。明日にでも行ける人は、ぜひ城崎に出かけ、コース順にカニと対決していただきたい。
まるでブルース・リーの映画みたいに。ヌンチャクのかわりに「ほじり棒」を握りしめて。
カニは殻を剥くのが面倒だ、という輩がときどきいるが、それはカニについてぼく以上に無知な発言だろう。全部剥いてもらった身だけをお皿に盛り付けてもらって、はいどうぞ、なんて言われても、食べ物という感じはしない。
食欲はそそられない。殻を剥くところからが、カニの大人の楽しみであろう。 その点で、カニと浴衣は似ているのだ。
■石井しんじ・城崎紀行(その4)
観光案内では触れない、裏・城崎
(温泉もいいけど、もっと自分だけの旅がしたい人へ)
まずストリップ小屋から行こう。2軒ある。
ある、というより、残っているという方が当たっているかもしれない。
どちらもワンルームマンションほどの客席に、ベンチが3脚。デヴィッド・リンチの映画に出てきそうな、色とりどりの照明が素敵だ。
1500円払って席に着くと、もぎりのおばさんの声が聞こえる。「はあい、さんきょくう」。
なんだそりゃといぶかしむ暇もなく、ぶちぶちっとレコード針の音が後に続き、3曲ぶん踊る、という意味であったことが判明する。
出てくる踊り子さんは2軒で対照的だ。
片方はとても無口、もう一方はのべつくまなしにおしゃべりをする。
ただ、どちらもある意味、プロフェッショナルである。
無口の踊り子さんは凄味があり、ストリップの真髄、という感じである。
彼女が『日本ストリップ保護連盟』の理事長をやっていたとしても不思議ではない。
おしゃべりな方は、これまたストリップの「芸」的な側面を全面に押し出して、3曲ぶんの時間、まったく退屈させない。
ときどき爆発するダジャレには、世界を滅ぼすほどの破壊力がある。「ここは城崎温泉、だから、ほら。毛の先だけね」とか。
ただ、あまり長居すると、「お終いやで、出ていき!」と一喝されることになる。一流の芸人は、客にも厳しいのである。温泉情緒、などというありきたりの言葉は言うまい。脱・日常という意味で、こんな場所は他に見たことがない。
そういえば安部公房の『砂の女』について、妙な話を聞いたことがある。
行方不明になった教師が、海沿いにできた砂丘のなかの村に迷い込んで出て来られなくなる、というのがだいたいの筋だが、これは安部公房自身の体験に基づいており、その場所が城崎の山中だというのだ。
ぼくには時間がなかったが、興味と勇気のある人は、散策してみてはいかがだろうか。
「砂の女」に会えるかもしれない。まっぴらだ、という意見もあるだろうが。
東山公園については、別項で触れた。
どの旅行案内にもあまり載っていないが、ここから見る夕ぐれの城崎を言い表すうまい言葉を、ぼくはまだ見つけられない。地元住民もお勧めの、劇的な展望だ。
地元の人と交流するのも旅の楽しみのひとつだが、城崎ではなかなかそうもいかない。
温泉客が非日常を堪能している真横で、地元民は日常ど真ん中だからだ。
こちらはつい忘れがちだが、彼らは仕事中なのだ。「うらやましいわあ、毎日、温泉に入れて」とんでもない。
彼らの自宅では、ふつうのお湯を沸かして入浴するのである。
温泉はとことん限りがある資源なので、お客さんのためにしか使われない。
外湯だって、きちんとチケットを買って入る。
観光産業は、お客さんがいる限り、基本的に休みがない。とすると、城崎町民との会話は、タクシー運転手と乗客のそれみたいに、空虚なものにしかなり得ないのか。
実は、そうじゃない。彼らの非日常の方向へ、話を向ければいいのである。
それは、「祭り」だ。
温泉街城崎の、これはあまり知られていない側面だ。古くからの城崎町民は、口をそろえて言う。「10月14日、15日のために、残りの363日がある」、と。
なにしろ観光パンフレットには申し訳程度にしかのっていない祭り、つまり見世物ではない、純粋な日常の爆発である。旅行者は耳を傾け、その日の彼らを想像してみるぐらいしかできない。
城崎には祭での役柄に基づく軍隊にも似た階級制度があり、これが日々の暮らしにも影響する。
「上部執頭石井連中」とか「下部後見石田連中頭」とか、男性ひとりひとりに役割がつく。祭の実行役である「執頭」を経験しないと、一人前の男性として認められないという。つまり、こういうシステムの中で、物事をうまく運ぶやりかたや礼儀を学んでいくわけだ。
この祭は、徹頭徹尾、男性のものだ。男性のみにだんじりを引く資格がある。女性はそれを「かっこええなあ」と見送るのである。
こういうことについては、お客が帰った後、お昼どきや深夜に、地元のおでん屋なんかで会話が交わされる。「温泉で気持ちいい」だけではもの足りない人は、ぜひ詳しく話を聞いてみてほしい。
繰り返すがぼくの滞在は短く、祭のおおよその部分しか聞きかじれなかった。
温泉が観光資源だとするなら、この祭は、城崎の素顔だ。部外者にはもっとも入りづらく、だからこそもっとも興味の魅かれる熱い根幹だ。
温泉だって、もしかするとここから噴き出してくるのかもしれないと思えるほど、それはそれは「熱い」のである。
なお、城崎は平日を勧める。昼間に着いて翌日の昼間まで、だらだら過ごそう。休日だと、非日常どころか、日常以上に忙しい外湯めぐりを余儀なくされる。
会社や家事は、休んで来よう。思うに、温泉旅行って、そもそもそういうものなのだ。
出石の皿そばは沢山のお店がありますが、こちらに書かれています「よしむら」がお勧めです。老舗だけあって注文してからそばを作ってくれます。
城崎温泉 旅館 緑風閣 | 城崎温泉 旅館 城崎温泉 かに カニ 城之崎温泉 旅館 城崎温泉 旅館 城之崎
宿は緑風閣が良かったです。従業員の方はみんな親切できれいな旅館でした。
こちらの旅館は夏は夏のかにを・・・、と書かれていますので夏でもカニ料理を出してくれると思います。
カニの安くておいしい食事処ありますか?
特にカニ味噌が好きです。