『人間一人の命は地球より重い』という言葉の意味がどうしても理解できません。

だって人間含めて地球上の生物は地球が無いと生きていけないですよね?地球あっての人間ではないの?
もし人類が滅亡する事があっても、きっと地球はもっと長生きして、また新しい生命を生み出したりして、人間とは比べ物にならない大きな存在だと思うのですが・・・

回答の条件
  • URL必須
  • 1人2回まで
  • 登録:
  • 終了:--
※ 有料アンケート・ポイント付き質問機能は2023年2月28日に終了しました。

回答28件)

id:astral_box No.1

回答回数372ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

http://www.numse.nagoya-u.ac.jp/F1/proftakeda/syoku/syoku7.htm

食の安全シリーズ7 狂牛病の犠牲者

「命の尊厳や命の重みというものを一つのコピーにして示したに過ぎないので、それほど厳密に言ってはいけないとも言える。」と書いてあります。


「一つのコピーにして示したに過ぎない」に私も同意です。

地球がなければ地球上の生命は存在できないと私も思います。

id:norusoru

ただのコピーって事ですかー。回答ありがとうございます。

2005/07/18 09:24:16
id:funky4949 No.2

回答回数20ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

http://www.m-nomura.com/st/index.html

Star Trek�Ȋw�Z�p���� [TOP PAGE]

ごもっともです。しかしながら色々な可能性もあるのも事実です。人間は知的生命体ですから、いずれ太陽系を抜け、大銀河系へ行くことが出来ると思います。スタートレックのような感じになって良くと思われます。そのときに地球がどのような存在になっているかはそのときまでの創造でしかありません。ですから、人間の主観で物事をとらえるとそのような言葉になるのでしょう。

id:norusoru

えっ。いずれ地球を出て行くから、地球より人間が大事ってことですか?

すみませんがこの説明では納得できませんでした。

2005/07/18 09:26:02
id:majigarin No.3

回答回数99ベストアンサー獲得回数1

ポイント12pt

客観的に見て、人間が生きようが死のうが地球にとってはどうでもいいことだというのは当然ですね。

ちょっと前まで生き物なんて全然いなかったわけですし、もう一回いなくなったってどうってことないですよ。


主観的に見ると 『人間一人の命は地球より重い』の意味は価値観の違いだと思いますよ。

私にとっては私の命は地球より重いです。

私に知覚できるレベルで影響を与えない他人の命より、自分の100円の方が大切です。

つまり誰にとっても自分が一番大切だということではないでしょうか。

id:norusoru

>私にとっては私の命は地球より重いです。

でも、地球無くなったらどの道majigarinさんも死んでしまいますよね?

2005/07/18 09:27:50
id:coga No.4

回答回数883ベストアンサー獲得回数7

ポイント12pt

http://www.asakura.ne.jp/coga/

�� mutans.Coga's ��

反語的な意味で質問をされているのだろうと思いますが・・・私も同感です。

まぁ、単にそれくらい人間の命の価値は高いのだよという意味で使われているのでしょうけど、人間の命がが束になっても、その人間が暮らしている地球の価値にかなうはずありません。

偽善的な言葉ですよね。私は、この言葉が大っ嫌いです。

id:norusoru

なるほど。命の価値を高く見せるための言葉って感じなんですかね。

2005/07/18 09:29:29
id:mynameis4211 No.5

回答回数120ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

私も同意見です。

『人間一人の命は地球より重い』という言葉はあからさまに、地球上で一番尊いのは人間であるという、人間中心主義をあらわしています。

norusoruさんの言う通り、「地球上の生物は地球が無いと生きていけない」ということは紛れもない事実であり、だとすれば、人間は地球に奉仕する生物の一部だということになりますよね。

つまり、人間は地球という視点から見たら、自然の一部に過ぎないということになります。

私は、この世界の中心は決して人間ではなく、地球であり、その存在はとても大きなものだと考えています。。

id:norusoru

私は恥ずかしながらこの言葉を最近知りました。正直びっくりしたのですが、ネットで軽く調べてみたところ、学校の道徳の時間でそう教えられた人もいるとか。

2005/07/18 09:31:26
id:komiyatakun No.6

回答回数910ベストアンサー獲得回数0

ポイント12pt

人間のエゴの言葉ですね!!

世界がもし百人の村だったならの

元ネタは、アメリカ人のエゴの歌と同じです!!

id:norusoru

もっと詳しい回答を希望します。

2005/07/18 09:48:36
id:HOSPITAL No.7

回答回数207ベストアンサー獲得回数1

ポイント11pt

http://www.hatena.ne.jp/1121623079#

人力検索はてな - 『人間一人の命は地球より重い』という言葉の意味がどうしても理解できません。 だって人間含めて地球上の生物は地球が無いと生きていけないですよね?地球あっての人間で..

人間が生まれる前は猿、その前は爬虫類その前は両生類、魚類、アメーバー、プランクトン・・・山、海・・地球も元々は宇宙のチリが集まってできたもの。そんな宇宙のチリから生まれたモノの中で喜んだり感動したり怒ったり考えたりできる人間一人の価値はすごく貴重であり地球よりはるかに重いでしょう。

id:norusoru

感情があるから惑星より貴重だという事でしょうか?むむー。

「何言ってんの?人間の命は地球より重いに決まってんじゃん!」という方のご意見もたくさん聞きたいです。ご意見お待ちしてます。

2005/07/18 09:51:20
id:samurai_kantoku No.8

回答回数3ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

http://d.hatena.ne.jp/samurai_kantoku/

サムライ監督のハッピー社会

「地球より重い」というのは比喩であって、実際に天秤にかけて考えるものではありません。

id:norusoru

もちろん、実際に天秤にかけられるものではないですね。比喩としても何かちょっと納得できないわけですよ。

2005/07/18 09:52:56
id:murorankko No.9

回答回数16ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

上のアドレスはダミーです。

 ここで指す地球は物理的な重さを意味しているかと思います。また、ここで言う人間の命は、重要度を示しているかと思います。

 確かに、この言葉は訴える力、ひきつける力は持っていますが、よく考えれば比較する単位が異なりますね。「人間の命(重要度)は地球より重い(物理的な重さ)」

 

id:norusoru

それちょっと面白いですね。最初から比べることが間違ってるってことですかね。

2005/07/18 19:09:35
id:osashimi No.10

回答回数320ベストアンサー獲得回数5

ポイント11pt

この言葉の元はサミュエル・スマイルズの『自助論』にある「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い」から来ているそうです。

『自助論』がどういう脈絡でこの言葉を使っているのかわかりませんが

人間と地球(自然環境)を比較したエコロジー的な立場から述べたのではなく、

人間の命の尊さを述べただけの言葉なのではないでしょうか?


この言葉を引用したもので有名なのは 

1977年日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件で福田赳夫首相が人質の命を救うためにテロリストの要求を呑んだ時の言葉や


昭和23年(1948年)、最高裁において。「一人の生命は全地球よりも重い。死刑はあらゆる刑罰のうちで最も冷厳な窮極の刑罰である。」とした、この判例が有名です。


要するに元々はエコとは何の関係もなく

地球というかけがえのないものよりも重いと表現することで

それだけ人間の命は尊いものだということを強調した言葉であり、

いわゆる喩え話なのです。


ですからこの言葉を持ってして

人間の命は地球より重いのだから地球(自然環境)をおろそかにしても良いと解釈することがあればそれは間違いです。


現実問題としては人間の命は地球よりも軽いです。

しかしそれでも尚、重いと主張することで人の命の尊さを説いているわけです。

id:norusoru

詳しい回答をありがとうございます。

えへ。こんな質問すること自体野暮って感じですかね。恥ずかしくなってきましたよ。

2005/07/18 19:12:23
id:kyokusen No.11

回答回数824ベストアンサー獲得回数86

ポイント11pt

この発言自体は、ダッカ・ハイジャック事件時、当時の福田首相が超法規的措置を取った際のコメントとして述べられたもので、それ以外の何物でもありません。正確には『人質の命は金には代えられん』と言う事なんでしょうが、実際このあと日本赤軍はイスラエルでの空港襲撃事件やその他を起して日本政府はテロに屈した国として誹りを受ける事となります。


で、この言葉を道徳に用いるのは誤用であると考えます。『心頭滅却すれば火もまた涼し』も今では『暑いの我慢しろ』と言う意味で使われてますが、実際は織田勢の攻撃にあった甲斐の高僧が焼死する間際に残した言葉であり、本来の意味は『無我の境地に到れば火など恐れるに足らん』と言う意味で、これは覚悟の言葉だったのだと思います。


それはさておき、実際問題として人質の家族に『テロには屈する事は出来ない、だからあなたの愛するご家族はその犠牲となって死んでもらうしかないのです』と言えたかと言うと疑問ですが。

閑話休題。


私はnorusoruさんの考えに全面的に同意します。


そもそも生命とは時間の缶詰であり、すべての現存生物は遥か昔偶然もしくは必然的に現れた一個の生命を先祖として在るものでそれぞれについては上下の差などはありません。


で、あるならばその命の重さとは皆等しく同じであり、何も人間のものだけが尊重されるべきではありません。逆の意味で人間の命だけが軽んぜられるべきでもないと考えています。我々は少なくとも人として生まれてきた訳ですから、人として天寿を全うするしかないのです。それに意味があろうがなかろうが、それは後々わかることなのでしょう。


また、現在我々の言う『地球』とは主に人間が生存可能な『環境』を指すのだと思われます。これは膨大な数の植物や動物、微生物によって構成されているものであって、人間のみで構成されているわけでもありません。ですから、人間一人の命をそれらと交換できるのかと言えば、それは無理と言わざるを得ないでしょう。


ただ、『人を何故殺してはならないのか』と言う事を理論的に説明せよと要求してくる人間に対してはある意味使用してもかまわない単語なのかもしれません。

id:norusoru

長文でなおかつ分かりやすい回答が続いていて嬉しいですね。

道徳に用いるのは誤用というのが興味深いです。

2005/07/18 19:16:36
id:kubitaoru No.12

回答回数17ベストアンサー獲得回数1

ポイント11pt

http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage97.htm

日本赤軍、インドでハイジャック(事件史探求)

1977年、日本赤軍のハイジャック事件の時に、福田元首相が「人の命は地球より重い」と言って超法規的処置をしたという記憶があります。テロリストに日本政府が屈した有名な事件ですが、テロと戦うことで犠牲者がでることに責任をとりきれなかった政府の苦し紛れの一言でありました。

テロと戦いすぎて不幸を拡大する国も困りますが、犠牲を恐れすぎてテロリストを釈放する国も困ったものです。

id:norusoru

ありがとうございます。

これ以降の未開封の回答は全部ハイジャック関係かな?

2005/07/18 19:18:05
id:neoarcheologist No.13

回答回数776ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

http://www.yahoo.co.uk/

Yahoo! UK & Ireland

理屈で考えればそうですね。地球は大きな存在である、というのが揺らがない前提条件としてあります。そのフレーズは、その地球よりも更に人の命を大事にしなさいよ、ということだと思います。


まず、本当に、人間が地球よりも重要な存在であったら、フレーズにして言うまでもないと思います。やはり、地球の重さ、というある意味絶対的な価値観と比較したら、揺るぎやすいのが人間の価値ですよね。毎日、飢餓で死ぬ人がいて、テロで殺させる人がいて。でも、それらに対して私たちは無感覚です。だからこそ、人間の価値観を思い起こさせる必要がある、ということなのかな、と勝手に思います。

id:norusoru

人間の価値観を思い起こさせる必要があるから。

2005/07/18 19:18:47
id:castle No.14

回答回数1011ベストアンサー獲得回数12

ポイント11pt

http://www.hatena.ne.jp/ダミー:detail]

「なければ誰も何も生きられない大切な地球、そんな地球よりも人はがここに今生きているということは尊いのです!」

と、命の大切さを強調するためにあえて使用された比喩表現です。

俺は宇宙一強いんだぞー!! と同じ構造のフレーズです。宇宙一ってお前宇宙人と戦えるのかよ! と突っ込んだら負けなのです。

id:norusoru

私の負けかぁ…。

2005/07/18 19:19:14
id:a_anpan No.15

回答回数236ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

「自分一人だけ」を中心にして世界を考えた場合、

『人間一人の命は地球より重い』という言葉は正解です。

例えば今、Aさんの命が無くなったら、

Aさんにとってはもう他人も地球も何も存在しなくなるのです。

それは、生がある間は

「自分が存在してるからこそ、他人も地球も存在している」

と考えられるからです。


ただ、このような考えはとても孤独で寂しいものです。

自分の命が無くなる位なら、地球が無くなって全て消えた方がマシ。・・と言っているようなものですから。

この世には自分だけが存在しているのではなく、

過去の人が作り上げた歴史や文化があり、生きるために他人があり、ようやく自分が存在できているのです。


どこかの下らないヒューマニストが「個人尊重」をアピールしまくり、

上辺だけ綺麗に思えるような馬鹿げたキャッチコピー

『人間一人の命は地球より重い』

を作り、それがさも美しいものであるかのように広まっていった、間違った言葉だと私は考えます。

id:norusoru

色々な考え方がありますね。興味深いです。

2005/07/18 19:20:43
id:thebluenote No.16

回答回数198ベストアンサー獲得回数4

ポイント11pt

重く無いです、手が冷たいと心が温かいと言うのも嘘です、おそらく、自殺をしようとしている人を説得するときとかに使う様な言葉だと思いますが・・・

id:norusoru

長文ほどポイント高いというわけではないですが、短くてももうちょっと濃い回答をしてほしいナーというのが本音です。

2005/07/18 19:22:38
id:katinoed No.17

回答回数1ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

『人間一人の命は地球より重い』という言葉の「地球」は、物質的な意味での「地球」ではなくて、「全人類」という意味ではないかなと思います。そしてこれは『個人の方が集団より重要』という意味のたとえだと思います。


その前提で、「人類」を「子供」、「地球」を「家族」に置き換えてみると、違う見方ができるかもしれません。

「だって子供含めて地球上の生物は家族が無いと生きていけないですよね? 家族あっての子供ではないの? もし子供が死ぬ事があっても、きっと家族はもっと長生きして、また新しい生命を生み出したりして、子供とは比べ物にならない大きな存在だと思うのですが・・・」


たとえば子供が難病にかかり死にそうになる、だけど治療するのに莫大な費用がかかって、治療費を払うと家庭が崩壊する……現実的にあり得る問題です。

『人間一人の命は地球より軽い』なら、ここで家族を優先して、子供を治療しないことでしょう。子供は悲しむかもしれませんし、逆に子供自身が上記のように「自分は家族の負担だ」と思うかもしれません。


この論理では、家族より村が大事、村より国が大事、国より地球が大事、といった形で「強者が弱者を食い物にする」という考え方になっていくと思います。

この考えで行くと、地球より太陽系の方が重要になるので、もし太陽系にとって地球が負担になるのなら地球がない方がいい、という考え方になります。最終的には星ひとつない宇宙だけが残るかもしれません。


かといって、そういった極端な例に陥らない限り、集団がなければ個は存在し得ないでしょう。家族がいなければ子供は生きられません。また、全体的な利益や成長率を考えると、集団を優先した方が効率的です。

子供と家族の例で言えば、治療をした場合、両親や祖父母、他の子供達全員が不幸な結末を迎える可能性もあります。


戦中から戦後直後の日本は「個人よりも集団」を優先してきました。『人間一人の命は国より軽い』というわけです。

そこに個人主義が対抗する形で『人間一人の命は地球より重い』というスローガンが広まり、また資本主義対社会主義という政治的背景もあって、マスコミ等で頻繁に使われてきたという過程があると思います。だから『人間一人の命は地球より重い』という考え方が一般的には強いのではないかと。

結論を言うと『人間一人の命は地球より重い』は、正しくありません。でも間違ってもいないと思います。

※もし、こういったことではなく自然問題に絞り込んだ回答がご希望だったのであればごめんなさい。長文失礼しました。

id:norusoru

いえ、特に自然問題にこだわってるわけではないです。あらゆる視点からの回答を読みたいです。ありがとうございました。

2005/07/21 00:35:35
id:match7 No.18

回答回数31ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

http://mixi.jp/

ソーシャル・ネットワーキングサイト [mixi(ミクシィ)]

第三者的にはそうですね。


しかし、

「人の命」=「自分の命」

という意味だと捉えると、

自分の命は地球よりも重いです。

何たって、自分がいなけりゃ、地球があろうが無かろうが関係無いですから。

自分という存在を通して、僕らは初めて地球を認識できるわけで。

でも、地球が無くても、自分さえ存在出来れば、例え宇宙船の中だろうと、何だろうといいわけです。


というわけで、

自分の命≧地球

です。

id:norusoru

うんうん。なるほど。

2005/07/21 00:36:51
id:eityan No.19

回答回数477ベストアンサー獲得回数5

ポイント11pt

↑ダミーです。


変な考えかもしれませんが、

自分の親が死ぬのと、

地球が突然爆破(多分ありえないけど)して全員死ぬのなら、

あなたはどっちがいいですか?


例えば親が死んだら他の大勢の人が悲しみます。

しかし、地球が爆破するなら、皆一緒に死ぬという

逆に変な安心感がでるのではないでしょうか?


要するに、「悲しみ」の事ではないでしょうか?

id:norusoru

比べるまでもなく親が死ぬ方がいいです私は。不謹慎で申し訳ないですがたとえ話ということで。

親は子より先に死ぬものだし・・・

2005/07/21 00:41:55
id:tacn_nontan No.20

回答回数511ベストアンサー獲得回数1

ポイント11pt

http://iss.sfo.jaxa.jp/

宇宙航空研究開発機構:JAXA 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター

地球がなくても生きていけるようにする研究が行われています。

例えば、木星への移住や宇宙ステーションなどの研究です。


その一人の人間が将来どんな発明をするのか、

また一人の人間が歴史にどんな影響を与えるかは未知数です。


地球外に、地球上の生物の可能性を広げられる可能性を

持っているのは大脳新皮質(理性)を

他の生物には無いくらい、大きく発達させた人間だけです。


木星に植物や生命体を植えていったとします。

さらに、太陽系から生命体が宇宙船によって飛び出していく日もくるかもしれません。

さらに、宇宙の謎が解き明かされ、

複数の宇宙を自由に旅できるようになるかもしれません。

地球だけではいつかは破滅してしまう地球上の生命体を宇宙に広げていくのです。

人間は、その可能性を秘めており

地球上の生命の希望とも考えることができます。


その人間の一人である個人の命も、

「地球より重い」と考えることもできると思います。

id:norusoru

面白いです。ありがとうございます。

2005/07/21 00:42:37
id:shikakuiatama No.21

回答回数1ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

http://www.hatena.ne.jp/ダミー2:detail]

身近な人が亡くなった時に真っ先に頭を占拠するのは、自分が楽しみにしていた、その人との将来像でしょう。赤提灯や家族ぐるみの付き合いなどでしょうか。その将来像を、地球の自分との将来像を秤にかけた時、人間一人の命は地球より重く感じられるのだと思います。


どういうものが「大きな」存在なのか、という定義の問題かもしれません。

・長生きすれば「大きい」→地球の方が大きな存在

・新しい生命をたくさん生み出すなら「大きい」→地球の方が「大きな」存在

・将来自分を楽しませてくれる方が「大きい」→人間一人の命の方が「大きな」存在

id:norusoru

ありがとうございます。

2005/07/21 00:43:15
id:mikangumi No.22

回答回数88ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1468385

[教えて!goo] 地球のエネルギー(重さ)

↑ダミーです。


地球の大切さと、命の大切さを比べてるんじゃなくって、地球の重さ(重量)よりも重いんだよ、という意味だと思ってました。

重い物を表す時はやっぱり地球くらい大きい物がいいかと。

id:norusoru

9番の方と同じですね。私にとってはこれは結構目からウロコでした。ありがとうございます。

2005/07/21 00:44:36
id:lovebody4 No.23

回答回数58ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

いわずもがなです。

真に受けて考えると

死刑制度・事故死・病死いくつ地球があっても足りません。

が・・命を尊重する観点を失わない為の

標識代わりと考えれば合点がいきます。

id:dac_fuga No.24

回答回数12ベストアンサー獲得回数0

ポイント11pt

それが与える影響力を、人が認識する上で差があるということでしょう。

地球は物であり、人は生物です。

そして、人は往々にして「物が与える影響」よりも、「生物が与える影響」に価値観を覚えます。


たとえば、物と生物が同じ影響を与える行為を人にしたとしましょう、

しかし人は同じ影響を与える行為でも「物が『している』」・「生物が『してくれている』」と感じます。

モノの行為を客観的に捉えるのに対し、生物の行為を受身的に捉えるわけですね。

その微妙な差が認識の差に繋がり、価値基準の差につながります。

その結果、ある種の錯覚として『人間一人の命は地球より重い』という認識に繋がるわけです。

質問者が未読の回答一覧

 回答者回答受取ベストアンサー回答時間
1 kurupira 2369 2056 10 2005-07-20 00:48:34
2 mirukutamago 7 4 0 2005-07-20 04:19:38
3 yamayan1967 74 56 0 2005-07-20 07:34:39
4 taizou_tigers 166 131 0 2005-07-20 18:18:50
  • id:majigarin
    最終兵器彼女じゃないけれど

    >>私にとっては私の命は地球より重いです。

    >でも、地球無くなったらどの道majigarinさんも死んでしまいますよね?

    宇宙に飛んで行って一時間でも長く生きるというのはダメでしょうか。
    相当お金が必要になりますが。

この質問への反応(ブックマークコメント)

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

回答リクエストを送信したユーザーはいません