http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mayor/1123298008
�悤�����o�[�{���n�E�X��
こんなスレッドがありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C
鳥取県 - Wikipedia
1876年に鳥取県は島根県に併合され、
1881年には再び鳥取県が設けられたようです。
一度併合されたのにも再び鳥取県が出来た理由ですがについてですが、
香川県の場合は
併合のたびに地理的要因、異なる地域文化、住民意識の不一致などにより
とあります。
推測ですが、鳥取県の場合も同じような理由だったのではないでしょうか。
明治政府はかなり頑張って県の合併を進めたようですね。小人口県は、それでも断固として合併に反対し続けた、かなり個性的な人々が集まっている県なのか……。今でもそうなのでしょうか。
http://www.tm-21.com/gappei/index.shtml
市町村合併が面白い!山陰(島根県・鳥取県)の市町村合併情報
おっしゃるとおり。
しかしながら2つの県が1つになるということは、それだけ利権を失う人が増えるということも孕んでいます。
そして、合併の決定権を握るのは、往々にしてそういう権力の裾を持った人々。
利を手放すのはやはり惜しいのでしょう。
もう一つは県に対するプライドというか愛着というか。
やはり自分達が長年生まれ育った地の名前が変わってしまうというのは、
やりきれない気持ちになるからではないでしょうか。
よく、何々県人といいますが、それ自体すら呼び方が変わるわけでしょう?
となればやはり、合理性だけでの統合はいやなんでしょうねえ。
全国各地の市町村会議員さんらは議席を失うことを覚悟で合併に賛成していったわけです。県議会議員にだって、同じことはできそうですよね。
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/huken/k-tyugok.htm
�{���̕ϑJ�E����
島根県と鳥取県は1876. 8.21に一度合併しました。(合併した県名は島根県。県庁は松江)しかし住民運動等で81. 9.12にすぐ分離しました。という経緯があるので合併しないのだと思います。
都道府県が一番少ない時期は、1876(明治9)年4月18日と8月21日の2度にわたって再び全国的な府県統合が行われて,府県は38になった時です。
しかし,こうして統合された県ではそれぞれ盛んな復活・分県運動が行われ,その結果1888(明治21)年までに富山県,福井県,奈良県,鳥取県,徳島県,香川県,佐賀県,宮崎県の8つの県が復活して45府県となり,1890(明治23)年に公布された府県制の施行を経て現在に至るわけです。(45府県に沖縄、北海道が加わって47になった。ちなみにこの時は東京は府で、1947年に東京府と東京市が合併して東京都が誕生した)
今でもそれらの地域では分県派が多数を占めるのでしょうか。もうそろそろ、いい加減に、そういった気風も薄れてきてもよさそうな気はしますが……。しかしまあ、佐賀や富山や福井も人口少ないよなー、と思ったらやっぱりそういうことだったんですね。
結局、合理的な考え方よりわがまま勝手を優先したがるのは一般庶民であって、議員さんらはその代表に過ぎないのだな、と思います。
いや、そういう意味ではなくて、市町村の合併のように、県も合併して山陰県になってしまえばいいだろうに、と。