【政教分離-各国で比較】8/20の丸激(政教分離特集)において、宮台真司氏が例にひいた近代国各国の意識調査のことについて調べています。各国市民対象に宗教と社会の関わりについて聞いたところ、

「『社会に宗教は重要だと思うか』と聞くと、西ヨーロッパでは4割を超える人がYESと言う国は、無い。しかし、米国では7割を超える人がYESと言う」
との結果が出たそうです。
たとえ同じキリスト教圏であっても抱える歴史の違う国同士のこと、ましてそこへ東アジア国を含めるとなると、一体どんな設問を立てて聞いていたのでしょうか?もしくは、
どのような設問を立てるのが有効なのでしょうか?
興味津々です。

※前に同じ質問をしてますので、必ずここを目を通してからお答え下さい。
http://www.hatena.ne.jp/1124281929

※わたしの調べた限り、日本語ページでは調査元など突き止めることは出来ませんでした。もちろん、英語ページで構いません。

※有効回答には100p進呈します。

よろしくお願いします。

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ポイント100pt

http://www.hatena.ne.jp/1082978291

人力検索はてな -  アメリカの州立高校では、8割が“進化論”を教えないそうですが、 近年の動静(できれば在米経験者の見聞など)を教えてください。..

 

A=宮台真司が紹介した意識調査(20050820)の設問詳細(出典)

B=Aの結果について、宮台真司の解釈は正しいか否か。

C=将来の近代市民国家にとって、政教分離は必要か否か。

 

 YOW さんが知りたいのは、上記のどれでしょうか?

「アメリカが最も政教分離のけじめが無い」のは共産党の議席がなく、

「フランスが最も厳密にしたがる」のは共産党員の数が多いからです。

 

 近年のアメリカは、大統領選挙のたびに、ユダヤ教やカトリックなど

少数派の取りこみが焦点となり、ふたたび進化論→唯物史観→共産主義

への風あたりが激しくなっています。

 

 かつてのフランスは、ナポレオンも迎合したほどのカトリック国家で、

ミレーの《晩鐘》とサルトルの《嘔吐》が共存している市民社会です。

 共産主義にとって「宗教はアヘン」なので、分離したがるのです。

 

 はじめに「神ありき」という人たちと、人類の起源が「微生物だった」

と考える人たちは、そもそも議論できないのです。

 さらに、イスラムの政教一体思想が、両者の議論を複雑にしたのです。

 

http://www.hatena.ne.jp/1122845331

人力検索はてな -  ヒトは、どこから来て、どこへ行くのか。  あなたの考えに、もっとも近い説を選んでください。 (この集計につづいて、あらたな関連質問を予定しています)..

 

 上のアンケートは、とても安直な設問ですが、推定平均年齢30才、

やや高学歴のはてなユーザーの心情が、よく伝わっていると思います。

http://www.hatena.ne.jp/1122851721

id:YOW

どうもありがとうございます。

御紹介の質問は興味深いですね。これを読むと、前回、「アメリカが厳然たるキリスト教国家とするのは違う」とした自分の言葉がそらぞらしくもなってきますよ。

それと、わたしの質問文には不備がありましたね。

A、さらにB、です。わたしの知りたいのは。どちらかでも回答頂ければ、と思いました。

余力があればCを論じて頂いても、と思ってます。

時間があればまた回答下さいませ。

>「アメリカが最も政教分離のけじめが無い」のは共産党の議席がなく、

>「フランスが最も厳密にしたがる」のは共産党員の数が多いからです。

そうですね。それは念頭にあまり無かったです。

一度目の質問の時は、教条的マルクス主義もほとんど宗教として機能しているのではないかとして、書いているところがありました。

確かにマルクスはキリスト教批判していたわけですが、これはラカン派のマルクス分析から知ったのですが、

マルクスの資本主義批判の中の「呪物崇拝」という概念がありまして(他の思想家も呪物について論じてますが)、

そこを突き詰めると、例えば、「宗教はアヘンである」として自分だけは覚めている自覚でいることこそが、実は最も強固な呪物崇拝に囚われているものでしかないのだ、

と、マルクスも批判している

とそこでは解説されていました。

>さらに、イスラムの政教一体思想が、両者の議論を複雑にしたのです。

そこも疑問に感じてました。

政教の100%完全な分離は人類には当分無理、と前回書きましたのは、

上の話も関係ありますが、

これはこういう場合よく引き合いに出される話として

「どうして人を殺してはいけないのか」という、人間社会にとっての善悪価値の究極の拠り所が人間社会の枠内では求められない

という実存的な問題があるからです。

ただし、これとは別に「政教分離のけじめはきちんとつけるべきである」とも思っています。

-----------------<追記です>--------------

>B=Aの結果について、宮台真司の解釈は正しいか否か。

宮台さんの解釈が間違っていたとは思ってませんが、

ただ、「社会にとって宗教は重要かどうか」とそんなこと、Yes/Noで答えさせて、それってどうなんだろう?と、そこはかとなく違和感をおぼえました。もちろん強い興味もです。

(以上9/29)

---------------(10/5追記)-----------------

前回質問と同じく、回答がなかなかつかなくても、5週間は質問を開けておくことになると思います。

2005/10/29 08:35:50
  • id:YOW
    多分、WHOQOL-SRPB FIELD TEST?

    8月19日に開始したこの質問でしたがようやく自力でなんかそれらしいものが見つかったので、これにて質問終了のはこび致します。でも実は、これに違いないという確信は、100%はありません。

    WHO(世界保険機構)が1998年から準備して20ケ国以上対象に行った「WHOQOL-Spirituality Religiousness and Personal Beliefs(SRPB) FIELD-TEST」という国際比較調査がありまして、
    これはもちろん政教分離についての調査でなく、「メンタルヘルス的に」や”Quality of Life”の面で、今どれだけ宗教や祈りが支えになっているのかを知ろうというもの。
    今後WHOとしては必ずしも、たとえば民間療法での祈祷治療なども、軽視/排除すべきでないといったような、これは多分「文化的リベラル路線」としての政策の一環で、健康保健の要素として”Spirituality”(霊性と邦訳される)という概念を新たに盛り込むことにしたらしいです。そのため日本も含めた各国の宗教学者を招き”Spirituality”についての定義のこととか(←結局明確な定義はできないと結論付けられた)調査票の作成で討議が行われてきたと。
    ●WHOページ
    http://hygeia.fsp.usp.br/rsp-engl/v37i4/FleckDevelopment/
    ●第14回厚生科学審議会研究企画部会議事録
    http://www1.mhlw.go.jp/shingi/s9904/txt/s0412-1_6.txt

    調査票質問とは次のようなものでした。
    ●WHOQOL-Spirituality Religiousness and Personal Beliefs(SRPB) FIELD-TEST INSTRUMENT
    http://www.who.int/mental_health/evidence/whoqol_srpb_users_manual_rev_2005.pdf
    <一部抜粋>
    imp 25.1 How important to you is it to feel connected to a spiritual being or force?
    imp 26.1 How important to you are your spiritual,religious or personal beliefs in understanding the meaning of life?
    imp 31.1 How important to you is it to have faith?

    ざーっと見ても、調査目的から質問もごくプライベートな価値観を問うてるまでの内容だと思われます。「社会に宗教は必要かどうか」の価値観として捉えるには、ちょっと微妙な感じがします。なので、やはり宮台氏の引用がWHOQOL以外にあったなら、申し訳ない。


    わたしには相変わらず、政教分離についての国際比較調査というのはどう出来うるものか、そのマジック・ワードとなるような質問の仕方があるのかなどと、この子どもじみた疑問はとうとう晴れませんでした。統計学や社会学調査の教養が無いので調べ方の要領もよく分からなかったです。今回の質問にあたる内容の日本の論文でここ10年以内のものを自分で調べた範囲ですが、WHOQOLの以外は見当たりませんでした。少し近そうなものはありました。↓
    ●価値体系の国際比較(アジア価値観調査)–南山大学
    (→ヨーロッパ調査グループもあった)
    http://seika.nii.ac.jp/cgi/lgn/SearchCoreDetail
    ●「先進産業国家における利益集団構造の形成および変容に関する比較政治的統計分析」 –筑波大学
    http://seika.nii.ac.jp/cgi/lgn/SearchCoreDetail

    英語文献検索は得意じゃない方で、さぼってました。


    以下はわたしの雑感ですが、
    WHOの調査票はごくプライベートなことを訊くもので、この質問の仕方に特に疑問を感じるものはありませんでした。
    しかし仮に「社会に宗教は必要だと思うか」となると、少々違和感が出てきます。
    わたし自身は信仰は無く、育った家でも神棚も仏壇も聖書も無く、科学的理解を尊重する者ですけど、
    でも雛祭りや端午の節句、地元の宮祭り、古今東西の宗教美術にも深い愛着をおぼえて生活してますから、簡単に「必要ではない」とは答えるわけにいかないのですね。
    しかし、「政教分離の区別はつけられるべきだ」という近代社会の価値観を尊重する意識はちゃんとあり、「社会にまだ宗教は必要だろうという感覚」とは、少なくとも自分の中では「また別のものじゃないか」という感じがします。←この辺まだ整理してまとめられてないです。

    ある方のブックマークのコメントでイギリス国教会とドイツのキリスト教系政党について触れている方がおられました。あれは政教分離的にどうなのか、わたしも不思議に思ったのでぼちぼち見ていってます。
    イギリスもドイツもフランスも、宗教革命時代は過酷な抑圧の歴史を経てきたのですが。
    ひとつに、フランスは革命があったことによって「我々はフランス国の国民だ」というナショナルな意識を形成できた経緯がありました。しかしドイツの場合19世紀に国として「統一」というまとまりを仕立てたばかりです。コーンの二分法といって「西型ナショナリズム(例:フランス)」「東型ナショナリズム(例:ドイツ)」という考えがあり、「宗教革命後の共同体の擬似宗教」としてのナショナリズムを説明するものです。ドイツーフランスの政教の考えの違いは、そのナショナリズム形成の違いとも関係してくると思います。
     西型:既存の政治的境界を継承。
     東型:文化を共有するものとして民族を想定、しばしば既存の境界を破壊する。
    ●3.疾風怒濤期のナショナリズム:ヘルダーの場合
    http://www.geocities.jp/araikoi/report2.html#ドイツ

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  • 質問と回答の想ひ出 質問と回答の想ひ出 2006-03-13 16:13:23
    みんなもう忘れて今さらどうでもいいかもしれないが、前々から気になってた、わたしが後になって思いついたことや分ったことを書き付けていくという、もはや無駄無駄なフォローのオン
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