(先行質問 http://www.hatena.ne.jp/1128084618 学歴・年齢・スキルなどは条件として明示できても美人募集と明示できない理由)
最近は美容整形とかが増えているので、美顔が人格形成とはいえないでしょう。但し一ついえることは、輝きのある目をしている人は、充実した人生を送っている人が多いということでしょうか。
惰性で人生を歩んでいる人は、自然と目の輝きが失せてしまいます。趣味に没頭したり、学業に没頭したり、仕事に情熱を燃やしたり、何かしらに対して懸命になる物があれば、充実した人生と同様に輝いた目となるでしょう。目を見れば人生が充実しているか否かはある程度分かりますね。
そう考えると、目の輝きがない人は、与えられた物を与えられたとおりにこなす人生しかしていないという感じがします。人格的に劣るというか、生きる喜びを知らないということでしょうかね。
http://www.chironoworks.com/ragnarok/psychology/log/eid58.html
「いんちき」心理学研究所 | 外見と性格と化粧
30代半ばの私の人生経験によれば、性格の良さと顔の良さは全く一致しません。
外見は非常に美しく、性格も優しかった人を信用してお金を貸したら、行方不明になりました。
ただし、整形やメイク技術によって本人が自身を持つことがいい面に作用することもあれば、その逆もあります。
正に両刃の剣だと思います。
ありがとうございます。両刃の剣ですか。
美人・不美人は人格との一部だと思います。漢字からみても うつくしい人ですから、必ずしも容姿に関わらず、心が美しい人でも良いと私は思います。
主旨とはちょっと外れますが、女性を採用するに当たって美人はもちろんいいと思います。でもそれは男の世界でも同じで、やはり愛想が悪い男で、ぶっきら坊の人間を採用したいと思わないのが普通だと思います。 はなしを戻しますが、美人とか不美人という問題でなく、企業の採用ではこの人がいかに我が社に対して利益もたらしてくれるかが一番重要なのではないでしょうか?そうなると美人がいいのはひとつの理由としてあっても良いと思われます。しかし会社はそれだけでなく総合的に判断しているはずです。例えばこの部には、営業の優れている人が必要だとか、ムードメーカーが必要だとか、人間関係を円滑にできる人間が必要などいろいろあると思います。
最後に長くなりましたが、不美人と美人これは極論になると思います。別に普通の人もあると思いますので、不美人に思われないよう努力することが人間的に大事なのではないかと考えます。
ありがとうございます。あなたのご意見に同感のところが多いです。
美人・不美人は人格との一部だということですが、その場合、不美人だとやはり人格的に劣ると考えてよいのでしょうか。また、「女性を採用するに当たって美人はもちろんいいと思います」ということですが、先の質問では、企業が美人を採用の方針ということを明示することは、社会的に批判される可能性が高いという回答が多かったのです(http://www.hatena.ne.jp/1128084618)。あなたがおっしゃるように、企業の採用ではこの人がいかに我が社に対して利益もたらしてくれるかが重要であり、その判断の結果として、美人を採用すると明言したとしても、何も問題ないと思うのですが、にもかかわらず、社会的に批判されるとかイメージダウンになるという理由が私にはわからないのです。美人が採用されると、自分が不美人だと思っている人が腹が立つからというご意見もあったのですが、自分が不美人であることをそんなことで逆恨みするほど心が狭い人が多いとも思えず、今回の質問に至っています。
http://www.hatena.ne.jp/1128250996
人力検索はてな - 美人・不美人の度合いは、人格の一部と考えた方が良いのでしょうか。人格の一部であれば、企業の採用条件として明示すべきでないことは理解できます。しかし美人・不美人の..
考えないべきでしょう。
美人、不美人はあくまで客観的なもの。しかも時代によって基準がかわるものなのです。
それによって社会に影響が出ているのも事実です。
あと、スキルと美人は全く関係ないものなので明記されないのでしょう。
よって考えないべきです。人格的にも劣っているとは思いません。
ありがとうございます。人格の一部ではないということですね。
はてなアンテナ
ダミーURLです。
美人・不美人も人格と言えると思います。言えなくとも、「徳」と言えるかも知れません。
しかしきれい事を言うようですが、美人・不美人は人格の欠陥ではないと考えます。
この「美人」の定義は相対的であり、非常に曖昧なものだと思います。
法律論から言えば男女雇用機会均等法に反し違法な求人広告となる恐れがありますが、そうでなくとも、これでは採用の基準が極めて分かりにくく、適正な手続の要請に反し、更には不採用となった人を著しく傷つけます。
また、レースクイーンやアイドルであれば、美人がやる仕事とはじめから分かり切っていますから、そいうった職種で「美人募集」と書くのは法律的見地からはともかく、極めて不当なものとは思いません。
しかし一般企業で働く者にとって、美人・不美人は仕事のできない条件とはっきり言えるしょうか?
それは美人の方がいくらか得をするかもしれません。しかし、それは能力ある美人の話です。やはり企業で働く以上、能力なき者は美人であれ、無能者の烙印を押されることに間違いはありません。
従って私は、これをもって直ちに人格的に劣るとは言えない所以だと思っております。
ありがとうございます。『美人・不美人も人格と言えると思います。言えなくとも、「徳」と言えるかも知れません』ということですと、不美人の人は「徳」が少ないということでしょうか。そして、この「徳」が少ないというということは、就職には限定されず一般的に言えることと考えてよいのでしょうか。なお、男女雇用機会均等法については、私の書き方に問題があったかもしれませんが、美人=美男・美女と考えれば、特に男女差別ではないと思います。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/morals/?1128251555
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私は顔と人格はつながらないものだと思います。
それはなんか、ガキみたいで、背が高い人が
偉く、低い人は劣っているというのと似たような感じで
ありえないと思います。
ありがとうございます。そうですね。私は別に人格の一部だと主張したいわけではなく、もしも、人格の一部で無いのであれば、就職のとき、英語のできる人(英語ができるといっても千差万別で、多種多様な判定基準がある)を募集する場合等と同様に、美人募集として求人しても、特に社会的に批判される対象にはならないのではないか? と思うのです。しかし、先の質問では、美人募集の求人広告を出すことは、世間から批判されるだろうという回答が多くあるため、それであれば、そのような人たちは美人・不美人という要素を人格の一部と考えているのですか? と尋ねているわけです。
フランスでは差別をなくすため、履歴書から早急に写真を外すべきだとする研究があります。
人格と容姿の相関関係についてですが、もうずいぶん前に、短大の子がいっていたことを思い出しました。「きれいな娘、かわいい娘は性格もさわやかだったり、優しいことが多い。」断言に近かったです。容姿にコンプレックスを持たずにまっすぐに育ってるからだ、という見方をしていました。
ただ、そうでもない場合もたくさんあるでしょう。美人でも、ダイエットとか美容とかギリギリ頑張って努力してキレイを維持してる娘はまっすぐ育っているとはいえず、人格もそれほどではないことはよくあるでしょう。そういうことも含めて容姿は人格の一部といえると思います。
ありがとうございます。「きれいな娘、かわいい娘は性格もさわやかだったり、優しいことが多い」。私はどちらかと言えば、美人は性格もいいと思っているほうです。ただ、美人といっても、男性から女性を見た場合の評価しかできないのですが、経験的にはそんな感じですね。
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%c8%fe%bf%cd+%c9%d4%c8%fe%...
Yahoo!検索 - 美人 不美人
URLダミーです。
そもそも美人・不美人というのは人の好みの問題であって、明確な線引きが出来ないからでは?
自称美人と他称美人では違いますし。
ルックスが良い事が企業の利益につながるのであれば採用するでしょうが、それは面接官なり役員等の判断になるでしょうし。あとは清潔感のある美人なのか、日焼け美人なのか、化粧美人なのか、それとも・・・。
とある会社では、あまりに美人を採用すると、周囲の異性の社員の気が散って業務能力が低下するために、美人採用を控えている、などという話も聞いた事がありますよ。
ありがとうございます。「あまりに美人を採用すると、周囲の異性の社員の気が散って業務能力が低下するために、美人採用を控えている」というようなことが実際に行われているとしたら、美人に対する差別ではないですかね。「美人採用を控えている」ならば、それはそれでその条件を明示しているかどうかが問題になるように思います。
http://www.hatena.ne.jp/1128250996#
人力検索はてな - 美人・不美人の度合いは、人格の一部と考えた方が良いのでしょうか。人格の一部であれば、企業の採用条件として明示すべきでないことは理解できます。しかし美人・不美人の..
ダミーですいません。
ちょっと最近、おなじみになりつつありますが、「男性」として、答えさせて下さい。
通常、いわゆる「一般的な相場」で言えば、美人・不美人といえば、外見の事を指します。ですから、あえて「性格美人」などと言わなければならないのですね。ヨーロッパなどの価値観で言えば、「身繕いも、人格の要素」と考えますが、それは、生まれつきの外見ではなく、清潔さや身だしなみに気をつける、マナーが出来ているか、という指標として考えるからです。
日本の場合、もはや、そのような心構えは、当たり前、という文化的土壌があるので、「人は見かけによらず」ということわざがあるわけです。で、最初に戻りますが、美人・不美人は、日本の場合、「生まれつきの外見」というのが、「相場」であると思います。つまり、人格として考える人は、普通いない、と思います。ひどい言い方をする人は、「性格ブス」とも言いますね。
ただ、最近は、身だしなみに気を配るだけの、精神的余裕を持っているか、という事は、人事において判断材料にはなると思います。そのニュアンスは、コモンセンス頼み(良識に頼っている)ので、条件として提示するような、コンセンサスが日本社会にはありません。
いつもお世話になりありがとうございます。外見的な意味での美人・不美人は人格ではないということですか。だとしたら、採用条件としては、何らかの企業目的のために、外見的に美しい人を優先的に募集と明示しても特に問題は無しで良いですか(その点を私は知りたいのです)。そのような外見的に美人とは別に、「身だしなみに気を配るだけの、精神的余裕」がコモンセンスによって選別されることと、それを明示する必要性のないことは私も理解できます。
女性の容姿は基準が最も曖昧な分野です。評価する人の主観が全てを決定します。サラ金ガールズなど頭から丸齧りされそうで怖いんですが、感じ方次第で「カワイイ~」と感じる人も居るでしょう。アメリカ的な基準では歯並びに象徴される健康美でしょうし、優しい人を求める向きには控えめな愛嬌と猫の皮でしょう。以前白痴美人などが話題になった時期がありましたが彼女達は本当は賢かったんじゃないかと思います。相手に好意を持たれる事が美人の条件とすれば人格とは別に企業の一員として戦力、実力の一部と見做せます。現在の日本では職場の花を飾っておく余裕はあまり無いはずです。ただそういったことを理解できず、表情を歪ませてゆく女性を見るのは辛いです。皆本来とってもカワイイはずなのにいつの間にか歪んでゆく。この歪みは不美人の条件だと思います。自分自身の欲望や欲求によって歪んでいっている様に見えてなりません。
ありがとうございます。「相手に好意を持たれる事が美人の条件とすれば人格とは別に企業の一員として戦力、実力の一部と見做せます」。私もまさにそのように思います。
ご質問にお答えするまえに
まず
美人・不美人 についてひつとの基準線をひかねばならないと思います。
たしかに誰が見ても「美人」とうなずける人はいるわけですが、かといって、だれがどうみても不美人という基準はないわけです。
思うに美人、不美人の境界線は
顔色(血色)がいとか、肌がきれいだとか清潔だとかいうことに要約されると思います。
パーツの良し悪しというものはなく、ただ単に個性というものが存在しているだけです。
いくらパーツが整っていても、フケが落ちていたり、歯くそや耳くそがついていては、美人とはいえないわけで、そんな些細なパーツの問題より、髪の毛にツヤがあって、顔色と爪はピンク色でいつも笑顔のおかめのほうが素敵です。
以上を踏まえて結論を申し上げれば
美人(血色がよく清潔感あふれ笑顔)は人格が高いのは事実です。
なぜならば、顔は他人の為にあるようなもので、自分の顔だからかまわないカラスの勝手でしょ(古ッ)とかいって、目やに鼻くそ鼻毛伸び放題口臭ぷんぷんでは、土台が吉永小百合でも美人とはいえまい。
しかるに小生の美人・不美人の定義は以上のことからして、
厳然として
美人は人格的に良好で
不美人は人格に問題がある、と結論します。
ただし、企業で採用される美人不美人の定義はまんま(採用するオヤジの)見た目だけです。
すなわち、採用する側(個人)の定義にゆだねられるわけだから、ぶちゃけ、そのオヤジの「好み」だけの問題になります。
人格と人相には相関関係はありません。
なぜならば、美人・不美人なんてのは数値化できる絶対的な基準などないわけですから、完璧に個人の主観に依存される問題です。
企業の採用条件として明示できるはずがないのです。
もし、そんな求人をする企業があったとしたらその会社に未来はないに等しいです。
ようするに、「オレの好みのおんな募集!」といているようなものだから。
悲しいかな、人は見た目で判断されます。
見た目とは他人に不快感を与えるか好感を与えるかの違いです。
美人、美人というけれど、笑顔が似合うのが一番の美人であって、人は誰も笑顔に好感を持つようになっています。
「厳然として、美人は人格的に良好で、不美人は人格に問題がある、と結論します。ただし、企業で採用される美人不美人の定義はまんま(採用するオヤジの)見た目だけです」であるならば、第三者機関か何かで、人格的な良好な美人を選別してもらうのであれば良いということでしょうか。
http://weather.msn.co.jp/home.armx
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URLはダミーです。
私も美人・不美人は人格と考えても良いかと思います。ただし、不美人だからといって全人格を否定されるわけではなく、他のポイント(性格等)で十分カバーできる、または努力(おしゃれ等)でカバーできるものであると思っています。
ですので企業が採用するに当たって、美人を募集したとしてもそれは問題がないことだと思います。(明示的に「美人募集」と謳っていなくても、採用時に美人だけを意図的に選ぶことは実際にもあるでしょう)
なぜ社会的にそれが認められないのかというのは難しい問題ですが、企業側が「あの企業は人間の表面しか見ない」というレッテルを貼られるのを恐れているのかもしれません。
おそらく世間的に表立って批判する人は多数派ではないでしょうが、そういう批判を積極的に行う人たちの動きがマスコミ等に取り上げられることによって、まるで日本中からその企業が批判されるように思えてしまう、それが企業にとっては怖いことかもしれません。(一時期のミスコンテスト反対運動の時などにそういう雰囲気がありました)
ありがとうございます。「私も美人・不美人は人格と考えても良いかと思います。ただし、不美人だからといって全人格を否定されるわけではなく、他のポイント(性格等)で十分カバーできる…」これについては私もまったく同感です。私がもっとも問題に感じているのは、ご指摘の「そういう批判を積極的に行う人たちの動きがマスコミ等に取り上げられることによって、まるで日本中からその企業が批判されるように思えてしまう」。まさしく、そのような風潮こそ、社会の病魔であり問題点なのだと思っています。
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一つ前の方に謝辞をわすれました。cxj02436さん、ありがとうございました。
昔、何かで耳にしたことがあるのですが、大企業で美人を採用する理由として、「経験則として、かなりの割合、寿退社してくれるから」というのを人事部の採用担当者のコメントとして聞いたことがあります。7~8年前の話なので、結婚しても退社する女性の率は下がっているかもしれませんが、人の入れ替えをある程度したい「大企業」の場合は、それなりに切実な問題かもしれません。
ありがとうございます。美人の方が、寿退社する比率が高いということですか。
http://pasosavi.ld.infoseek.co.jp/
無料IT関連情報提供サービス Pasosavi
該当URLは…恐らくこちらの一連の質問かも
#だんだん論議が煮詰まってきているような
最初に確認ですが、
> 不美人の人は人格に問題がある、あるいは人格的に劣る
これはあり得ません…
#人は容姿ゆえにひどい目に遭って(つまり被害者)本当に人格に問題が生じることもあれば、容姿ゆえにちやほやされて(これもある意味被害者)人格に問題が生じてしまうこともあるでしょうが、どちらかといえば、後者の方が破壊的で割合も多いような気がしないでもない…
(人格の欠陥を容姿でカバーできるという錯覚が生じやすいかも
本論ですが、
> 美人・不美人の度合いは、人格の一部
人格というよりは、個人(人格より範囲が広い)としての特徴の一部、ということになろうかと
人格(内面)は生まれつきよりも生い立ちに負うところの方が強い一方、美人/不美人(外面)は、生まれつきという要素の方がかなり強いように思いますが
#既に別の方からのご指摘にあるように、目の輝きといった、表情のいい/悪い、というのは、内面の人格のある程度の反映、ということがあるかもしれません… 違う時もありましょうが…
それで、一連のご質問の核心ですが、
> 企業の採用条件として明示すべき
すべきでしょうね…
#現実は、しないでしょうかやはり…
#このようなご質問を改めてじっくり考えてみると、なんというか、わたしたちの生きている社会/現代人のひずみを感じないでもありません… 漫画家の赤塚不二夫氏のギャグマンガの中で、社会的に美人/不美人が逆転した別世界に行った不美人の主人公(男性)が、美人(別世界では「不美人」の女性)に追い回され、その後に現実世界に戻ったところ、これまで現実世界で不美人だと自分が思っていた人(女性)が美人に見えてきた、というのがありましたが、あれはまさしくアイロニーです… 日本でも昔は、日本画に出てくる、あのおたふく顔の女性がこよなく愛されてきましたから… わたしたちがそれぞれ程度の差こそあれ、美人/不美人の21世紀的社会通念の影響を受けており、それゆえに雇用する側/される側で不要なエネルギーの浪費が生じているのは悲しむべき現実…
#人間もいつの日か、コリーも可愛いがブルドックも可愛い、ぐらいのごくごくあっさりした評価を、お互いの容姿に対して心から下せるような日が来ることを望みます…
ありがとうございます。私も、不美人の人は人格に問題がある、あるいは人格的に劣ると思って質問しているわけではありません。おっしゃるように、「わたしたちの生きている社会/現代人のひずみを感じないでもありません…」まさにそうゆうことですよね。今はまず、どのように歪んでいるのかを明確にしてゆきたいと思っています。
ビジネスていレベル研究所
企業が採用時に相手を見る要素は「人格」「能力」「熱意」の三つです。これは人事採用に限らず、人は他人のこの三つの要素を総合的に判断して関係が成されてゆきます。
美人はこの中の「人格」に当たると私も思いますが、では人格はどこにあるのか?と考えた場合、それは「相手の頭の中」となります。確かに自分が形成して持っている人格なのですが、いくら自分で「美人」と言い張っても人格の決定権は相手にあり、自分では持ち得ない結果になります。
そして同時に美人の方も相手である企業を見ることになります。法人(一人の人間と例えた場合)の人格(企業文化)能力(報酬)熱意(環境、待遇)が私の美人度にふさわしいか、ということになります。
初対面の第一印象ではコミュニケーション学で有名なメラビアンの数字(アメリカの心理学者)だいたいで表情や身だしなみの清潔感が6割、声のトーンや滑舌が3割、言葉の内容は1割で、美人で明るい清潔感があれば、初対面で60%の好感を得られることになります。
大雑把な計算をすると人格、能力、熱意の300点満点で美人なら60点は既に獲得してるので他の人より20%好感度が良い可能性があることになります。まあ、美人2割増、こんなもんじゃないでしょうか。
しかし、関係が長期化するとこの割合は崩れてゆきます。初対面で美人が喋らなかった場合、情報は「美人」だけ相手に伝わり優位性が高いわけですが、長く付き合うことになると残りの「声」と「言葉」が重要になってきます。声は感情を伝える高度な情報であるし、言葉は伝える内容そのものになってきます。容姿は毎日前提として既にあることになってきます。
コミュニケーションの流れでは
①初対面・・・第一印象
②会話・・・・認識の調整
③感動・・・・価値の一致、共感
④信頼・・・・期待、継続関係
と進んでゆくので、この流れでは、美人が最初に受け入れやすい程度の優位しかありません。
ですから不美人が即ち人格に問題があるとは言い過ぎです。第一印象で美人と比較すると少し損かな?の程度でスキルや経験、会話力やモチベーションで充分追いつける程度の差ではないでしょうか。
一般的に採用の場合、面接で「どの人もあまり変わらんなぁ」となれば、自然に美人を優先していると思いますよ。好感印象です。明るくて素直そうな感じの。実際に中小企業の社長さん達は「美人しか取らない」と言っている人もいますから。スキルの必要や目的職でない場合「素直で美人」がこっそり基準となっていると思います。
会社の存在は社会貢献ですから、誤解や差別を招く表現を公にすることは避けるでしょう。
ここで言う誤解は「美人」に対しての基準がないことと、肉体的な差別に受け取れることです。美人でないとできない仕事内容なのかが問われ、生まれ持った個人の顔で採用を判断するとなれば、自助努力で達成できない事項なので、明らかに差別審査で社会的影響力の大きい企業、上場企業等がそんなことをすれば大問題、事実上人権侵害で、解釈によっては憲法14条の平等・・・に抵触する可能性だってあり、イメージダウン等の経済的損害は美人の優位どころではないと思います。求人広告を掲載する企業も募集表現の編集制約は厳しいものがあり、現実にできるのは個人的な張り紙程度の募集になりそうです。
けれども、そもそも「美人募集」「美人優遇」等で本当の美人が来るのでしょうか?かなり疑問です。仮に「天才募集」とした場合、広告を見た者は冗談にとるか、うさんくさい会社に印象を受けると思います。それから本当に面接にきた「天才」も危ない奴です。美人にしても同様なイメージです。
美人を本当に選ぶなら「美人募集」を明記するより、多くの求職者がくるように会社の環境を整え、働き安いイメージの職場をアピールする方が結果、より多くの中から選べるようになり、美人度は増す傾向だと思います。「美人募集」ではかなり限定された人しかこない感じがあり、不美人に来て欲しくないなら「ブス募集」方が効果があるような気がします。
ありがとうございます。不美人が即ち人格に問題があるとは私も思いませんが、人格外のことであれば、もう少し表裏の無い社会であるべきだと思っています。ただ、美人が、自助努力で達成できない事項という点については、私は強く反対の意見を持っています。日ごろから美しくなろうと努力しているかどうかは外からみていてもわかるものです。何も努力もしないで、素が悪いからと開き直っている人を見ても同情する気にはなれません。美人の度合いは、先天的な要因も確かにありますが、美容・化粧・服装など後天的な要素の方が大きいと思っています。整形手術という手段もあります。これに対して、頭の中を手術して、成績が良くなったという話をきいたことがないので、美人の度合いに比べたら、勉強・学歴などの方がよほど先天的な要素は大きいと思います。
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jazzzyさんの回答と基本的には同じです。
付け加えさせて頂けるなら、
企業は利益を追求するものですから、
A,美人を採用したい
B,イメージダウンは避けたい
と考えるでしょう。
「AとBを両立させて最大の利益を獲得する」という事を目的とするので、
それを実現する為に、
「採用基準に含めるが、明言しない」という手段をとるのではないでしょうか。
企業は、「美人・不美人は人格の一部?」という事に興味はなく、
「社会的に批判される」という結果にのみ興味があり、
そのリスクを回避する方向に動くのだと思います。
ありがとうございます。おっしゃるところは理解できます。何故、「社会的に批判される」のかが、謎になっています。批判する理由が思い当たらないのですが。
基本的には、美人・不美人の度合いを、人格の一部と考えるかどうかは、個人の自由だと思います。
私個人は、人格の一部だとは思いません。
まあその前に美人を定義したほうが良いと思いますが。
世間一般的な薄っぺらで見る側が勝手に決めた美人と
人としてトータルな意味での美人と
にです。
ありがとうございます。美人にも色々あるということですね。
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2度目ですいません。
美人・不美人が、人格かどうか、だけで、これだけ意見が分かれる、という事は、美人の定義が、非常に曖昧である事を意味しますね。
美人の基準、というものが、資格や数値で明らかにはなっていないので(例えば、顔が限りなくシンメトリーであれば、美人であるとか)、採用基準とした場合には、問題になると思います。「美人係数」とかあれば、問題無いのですが。
卑近な例ですが、ミス・ユニバースであっても、人種的偏見なしには、成り立っていませんよね。ミス・ユニバースの場合、出来るだけ人種差別を排除して、美人を選ぶ、という建前ですが、審査員が、果たしてフラットな基準を持っているかというと、これは疑問ですね。
逆に、「ミスコン優勝者募集」としてみても、ミスコンにもピンからキリまでありますから(失礼)、これでは、企業側の意図とは違う人を集めてしまいます。美人の定義が、あまりにも主観的なので、もっと具体的な基準を明示する事は出来ると思います。身長170cm以上とか。しかし、この程度では、求めている美人は見つからないのでは?
ありがとうございます。これからの社会は、量的なものだけではなく、質的なものもきちんと評価できるシステムにしてゆくべきだと私は考えています。でなければ、文化とか芸術とかは発展しないのではないかと思うからです。美人については、美人検定とか、美人偏差値とか、ミスコンのようなものをもっと一般に拡大・普及し、誰しもが、自分の美しさというものにセンシティブでいられようになったほうが良いと思っています。
美人、不美人は人格の一部ではないと考えます。
ではどうして採用条件に明示しないのか?
まず、美人のガイドラインを作るのが大変です。
そのほかの技能のように検定でもあれば楽ですがどうやって計ればいいでしょう?
さらに、現在の日本では「美人ではないけれども有能な人」に敬遠される恐れがあります。
また、我が社の場合は美人であることの優先順位が高くありません。
同じ成績だったときの合否を左右する要素になる可能性はありますが
それは残念ながら担当者の主観です。
そんな判断になるかならないかといった曖昧な物はなかなか明示が難しいかと思います。
ところで、私の経験上、美人・不美人と性格は一致しません。
ありがとうございます。やはり美人のガイドラインが必要ですか。そのような動きは無いのでしょうか。
人力検索はてな
urlはダミーです。3番目に答えさせていただいたものです。二回目なのでポイントは不要です。
企業があえて『美人募集』とかかない理由として、まず美人と書いて10人10色感じ方がちがうということです。
私は美人は心の豊かな人も指すとは思いますが、中には顔だけと思う方もいるかもしれません・・・
(心が美しいのに容姿は美しくない人も 私は美人じゃないからだめね・・と思ってしまうかもしれません)
そうなると企業もこころの豊かな人だと思って募集したはずなのに顔美人ばかり来てしまったとなると機会損失ですよね?!そういった部分からも美人とはなかなか表示ができないように思えます。ですが、本当に容姿美人だけ欲しいのであれば、どうどうと『容姿美人募集』記載すべきだとも思います。特にエステや化粧品会社は売り場の方が美人の方が絶対得だと思います。だだ先にお話したとおり、美人=容姿 だと思って心の美人でない方がたくさん集まってしまっても問題です。そこであえて総合的に判断し採用する側からとしては美人という、【かたよった表現に捉えやすい言葉】は掲載しないのではないかと思われます。
二度にわたり長々と失礼致しました。ご参考になれば幸いです。
ありがとうございます。もともとは、先の質問で美人は有利だという回答が多くあったため、それであれば、あらかじめ条件を提示してくれないと、美人で無い人は損をするのでは…ということからスタートしたのですが。この問題は、なかなかに難しいですね。
ありがとうございます。目の輝きは例外として、美顔が人格形成ではないということですと、美人・不美人の度合いは、学歴・年齢・スキルなどと同様に扱っても良いということでしょうか。