「ビッグバンの前には何があったのか?」
というのは大きな謎の一つではないでしょうか。
「観測が出来ないので知ることは不可能」というのが一般的だと思いますが、
これまでにも諸説あるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%9...
ビッグバン - Wikipedia
まずはじめに、究極の問いについて複数の問いを提示することをお許しいただければとおもいます。いずれか一つと言うことであれば前者だと思います。生命と宇宙と万物に関する究極の問いですが、私の能力では三つについて一度に答えを出すのは難しいので、一つずつ考えていきたいと思います。また、問いだけを回答するのは不誠実とも思いますので、答えについてもある程度書いておきますので、評価していただければ幸いです。および、生命と宇宙と万物については我々が共通に認識している範囲を前提とし、例えば、宇宙の外にもし宇宙が存在しているとしての問いなどメタレベルの問いは無視して考えます。
生物についてですが、多くの生物学者に究極の問いであると認めていただけそうなものは生物の誕生と宇宙には地球以外でも生物が発生することがあるのかではないでしょうか。二つの問いのようですが、両者には関連があるので一つの問いとも考えられます。答えは前者については推測レベル、後者についてはその発生確率を示す式は表されています。
宇宙についてですが、多くの天文学者、宇宙物理学者に究極の問いであると認めていただけそうなものは宇宙の始まりと宇宙の終わりです。上下のリンク先にあるようにどちらもモデルは出来ており、宇宙定数と呼ばれるパラメーターが決まることによって分かります。
前提条件より、万物は宇宙の中に存在しますので、万物についての究極の問い=宇宙についての究極の問いです。
ここまで考えてから、やはり私一人では生命と宇宙と万物に関する究極の問いについての答えを得るのは難しいと思い、goo先生とgoogle先生に聞いてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E7%B5%8...
宇宙の終焉 - Wikipedia
現時点では、goo先生とgoogle先生によれば該当する検索結果(=生命と宇宙と万物に関する究極の問い)が見当たりません。とのことですので、究極の問いなどgoo先生とgoogle先生の検索力にとっては存在しないも同然のようです。(少々驕り高ぶっていらっしゃるような気もしますが)
なお、この質問がクロールされてこの質問が究極の問いになる可能性も存在します。
なんか、四、五人分ぐらい回答した気になっているんですが、こんなものでよろしいでしょうか?今日は疲れたのでこれをblogのネタにさせていただきたいと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%80%81%E5%AE%8...
人生、宇宙、すべての答え - Wikipedia
「生命と宇宙と万物に関する究極の答え」は「42」である。それはディープソート(この時空上2番目に優れたコンピュータ)によって導き出されている。
ディープソートはまた「生命と宇宙と万物に関する究極の問い」を導き出せるコンピュータを設計した。それは巨大な為、殆どが異次元に建設され、一部のみこの次元に存在している。それが「地球」である。
しかしながら、地球は「究極の問い」を導き出す5分前に破壊されてしまった。5分前の段階で、究極の問いは「6×9は?」であった。しかしこれでは「42」にならない。5分後に導き出した答えは「6×7は?」かもしれないが、今となっては不明である。
H2G2を知らない人が回答していたら笑えますが、映画公開直後なので意外と少ないか?
Yahoo! JAPAN
URLはダミーです。
私が昔から悩んでる事。
宇宙はいつから何の理由で存在しているのか、生物が多くいるが、生き抜いた先に最後に何か残るのか。
要するに、この世の全てにおける存在理由が私にとって究極の問いですね。
考えすぎると気持ち悪くなってきちゃいます。
こんな回答でいいのでしょうか…?
ユニークな質問と回答が多いです。
http://www.hitachi-hitec.com/about/library/sapiens/014/pre1.html
日立ハイテク : 第14回科学シンポジウム サピエンス
無を有に変えるのはなにか?
Yahoo! JAPAN
すみません、2度目の投稿です。
質問の意味を間違えておりました。
「答え」ではなく「問い」だったのですね。
当然ポイントはいりません。
寝起き一番で、質問になど答えるものではないということがわかりました。
率直なところ、究極の疑問が何であるかわかっていなかったところに問題があったようです。
http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data6025.html
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物はどこまで小さく分割できるか。
URLはダミーです。
科学的な高度な知識に基づいた回答でないので、Deepthoughtさんの期待するようなものではないかと思いますが、私は世界そのものは不可知なものであると考えており、そのことで回答してみたいと思います。
私がある種、究極の問い(解決されることはないと思いますが)と考えるのは、人の感覚です。
私が何を見ているか、それをそのまま、他の人が感じることはできません。同じかどうかを証明することはできません。
同様に、味も、痛みも、感情といったものも、他人は感じることができません。
まず、それを踏まえたいと思います。これは真実です。
では、私たちの瞳に光が入り、私たちはそれぞれ「見る」ということができます。何故光子の刺激が網膜に入り、電気信号などに変換されるなどしたものが、私の見る”ビジョン”になるのでしょうか?
同様に、物質の味覚刺激が、どうして味という感覚になるのでしょうか?
それらは謎です。そして、感覚も心も、他人が直接同じものを感じることはできない(また同じと証明できない)ものである以上、科学の客観的な探求方法では、探る限界があります。その限界は、実存する真実に比べ、遥かに及ばない、解明の遥か手前までしか到達できないものではないでしょうか。
現代は脳と心の関係が研究されていると思います。しかし、サンプルとする脳を持つ被験者の心や味、見る景色の実感そのものを、解明する側が直に感じることができないのですから、やはり心は究極の問いという表現に値すると言ってよいのではないか、と思います。
科学の大前提は、同じものを見て、例えば「これはりんごである」と人同士が決め事をすることから始まります。人、ひとりひとりが、どう見ているか、どんな感覚を持っているかは確かめようが無い為に、個人の実存的面からは、ジャンプして基礎を作っています。
ですから、個人をそれぞれの命として考えた場合、個人が、その人知を超えた、不可知な人体という命を得ている為に、世界を感じたり、或いは考えたり、話したり、食べたりすることができるのですし、そして、大事な点は、その命が私たちの知性以前に、すでに予めあったものであるから、私たちは、その命ゆえに世界を生み出して知覚しているのだ、ということだと思います。
私たちは生き物です。私たちが見ている景色、世界そのものではなく、体の仕組みが生み出していると推測されるものです。ですから、幾ら世界の実質を知りたいと願っても、本当の世界は、恰も「神の領域」とでもいうべき不可知なものであって、私たちは備えられた知性や感覚で、それを推し量ることしかできない、そういうことだと私は考えています。
ですから、私は「世界にはまだまだ不思議があふれています」というような、人が世界を分かりつくせるような錯覚を前提にした言葉に、違和感を感じます。
どれ程、知性が発達しても、世界は人知を超えたものであり、決して世界を所有することも分かることもできないものなのだと、私は思っています。
すべての人は、死して塵に還るのです。科学は役立ち、知見を高める重要なものでありつつも、この点において、ややトリックが隠された表現をするものだと、私はやや批判的です。
私はこういったことを信じていますので、理解してくださると嬉しく思います。
ありがとうございます。
それぞれの回答、面白く読ませていただきました。
ここで質問を終了したいと思います。
質問は、生命と宇宙と万物に関する究極の「問い」です。引き続き回答を募集します。