http://www.hatena.ne.jp/1133451364#
人力検索はてな - 100万回生きた猫 という絵本があります。ストーリーは単純ですが、とらえ方は人それぞれだと思います。具体的にはどういったメッセージを伝える作品なのだ感じましたか?..
猫の逞しさを伝える作品だと感じました。
歯医者にかかったときその本は読みました。
「人生の儚さ」「輪廻転生」これは釈迦の教えに影響を受けた偉大な作家が描いた絵本だと思いました。
ご回答ありがとうございます。
たしかに仏教的な無常観が背景にあるのかもしれません。
ところで、なぜ猫は最後に死んでしまったのでしょうか?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061272748/503-7563504-...
Amazon.co.jp: 100万回生きたねこ: 本: 佐野 洋子
1)生きることは大事だが、「どう生きるか」、生き方の質が大切だと思います。
2)中でも「どう愛されるか」ではなく、「どう愛するか」。いろいろな女の人とおつきあいしてみたいと思っていましたが、この絵本(大人になってから読みました)と出会ってからは、そういうことにあまり価値をおかなくなったような気がします。
3)結局、幸福は与えられるものではなく、自ら見つけ出すべきなのですが、それはどこか手に入らない遠い場所にあったり、大金を必要とするわけではありません。むしろ自分自身の中にあり、そのことに自分で気がつかなければ、決して幸福にはなれないでしょう。
そういうことを伝えたいのだと思います。
ご丁寧な回答に感謝いたします。
自分にはない視点でしたので、すごく参考になりました。qwertyasdfさんにとってとても重要な本のひとつなのですね。ありがとうございます。
http://www.infoseek.co.jp/Home?pg=Home.html&svx=101100
【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト
「人生は一回きりだからいいんだよ。。。」でしょうか。
なんか怖さのような物悲しさを感じました。
ありがとうございます。わたしもわかる気がします。
人生は一回きりだからこそ良いのでしょうか?それとも生き返ったほうが人生は充実するのでしょうか? 考えるほど生命とは不思議ですね。
人を好きになることの大切さ、
命が限られていることの意味、
を伝える作品だと感じました。
好きな相手と命を紡いだから、
100万回生きた猫はもう生き返らなかった
のだと思います。
蛇足ですが、作者の佐野洋子さんの
エッセイは面白いです。
「がんばりません」や「ふつうがえらい」
がおすすめです。
前の夫である谷川俊太郎との共著、
「入場料四四〇円ドリンクつき」もいいです。
ありがとうございます!タイトルだけでもとてもよい感じですね。
逆に、ねこさんへ恋をしなければずっと生きられたのに、、などという見方もありますか??
http://www.u-keiai.ac.jp/houjin_chair.html
敬愛大学・千葉敬愛短期大学/学校法人千葉敬愛学園/理事長の挨拶
URLは完全にダミーです。
1)ロマンチックに解釈した場合。
「愛は与えるもの」ということで今までかわいがられては来たものの自分から愛することをしなかった猫が最後に愛することで人生(猫生か?)の目的を達したから死んでしまったのだ。愛こそ全て。
http://www.kanshin.com/keyword-854001
中島らも (ナカジマラモ) - 関心空間
2)皮肉に解釈した場合。
ちょっとディテールを忘れてしまったんですが、猫、子供できましたっけ?>最後。
だとすると実は遺伝子的に正しい話で「全ての生物は子孫を残すことが最大の目標であり、その目的を達したから死んでしまったのだ」と解釈してみたり。
URLは中島らもの関心空間ですが、この人の「日の出通り商店街いきいきデー」はそういう発想で書かれていて怖面白いです。
ご回答ありがとうございます。
ねこさんには家族ができました。
ご指摘いただいた2点は一般化できる解釈のように感じます。自分の中でもかなり明確になりました。大変感謝します。
しろねこさんが死んだ後、ねこは号泣するんです。本来猫という動物は泣かないものです。
猫の話ですが、実際は擬人化した物語であることに注意する必要がありそうですね。
これは、輪廻と成仏という一見相反する考え方を、
死という人生の完結を見つめながら融合させていくお話・・・・、
かな、と思います。
自分とは誰なのか、自分の命はどこから来てどこへ行くのか、
ということが分からなければ、
生きる満足も目的も見いだせないですから、
何度となく生まれ変わり死に変わり、
同じことをを繰り返す、
そんな輪廻のループの中にいるんです。
でも、ひとたび何かに気が付くと、
何万回と堂々巡りを繰り返して
何万本という曲がりくねった
別個の線の上に描いてきた人生の軌跡が、
全てつながって、一本の真っ直ぐな道になっていきます。
そして、その人生の軌跡の終点は、
真っ直ぐ天上に向かって伸びています。
ここにおいて、死は不幸でも悲しみでもなく、
成仏という名の「完成」を迎えるわけなんですよね。
でも、この本は、そんな難しいことを考えなくていいんです。
ただ、猫ちゃん、幸せだったよね、
最後の最後に死んじゃうけど、
幸せな最期ってあるんだよね、
猫ちゃん、今も幸せかな・・・・。
そんなふうに思えたら、
それでいいんだと思います。
ご回答ありがとうございます。
日本人が忘れがちな仏教の心、もしかしたらこの物語に集約されているのかもしれません。
ことばにはなりにくいですが、読み終わったときには独特の感触があります。
それは日本人独特のものなんでしょうか。。
この物語は 悲しい けれど 不幸 なものがたりではないようですね。参考になりました!!
生きることの意味、それは「愛」だということを伝えたいのだと思います。
余談ですが、岡崎二郎というマンガ家に「アフターゼロ」というSF短編マンガのシリーズがあって、その中に「前世が映る鏡」の出てくる話というのがあります。主人公がいろいろな人を映してみるのだが、前世が人間であるのは自分だけで、自分は神に選ばれた人間だと喜びます。しかしその様子を神が眺めていて、実は主人公は前世で大きな罪を犯しており、罰としてずっと人間にしか生まれ変わらないようになっているのです。男はそのことに気がつかず、次もまたその次も、人間にしか生まれ変わることができない。。。
私の中では、このマンガと「100万回生きた猫」は表と裏の関係になってますね。「アフターゼロ」は手元になく、タイトルも忘れてしまっているので、「これ」と特定できないのですが。。。
ありがとうございます!素敵ですね。輪廻を主体とした物語は 手塚治虫の火の鳥が有名どころかと思います。SFなのにすごく現実味を感じるような気持ちになります。
生命が存在するというのは本来は奥深いのでしょうね。。。
qwertyasdfさんに似てるのかもしれませんが、猫は何回も「生きる事のやり直し」をさせられたのではないでしょうか。そして愛する猫が出来た事で、やっと終える事が出来た。
猫は何回も生きている事に何も感じていなかった。むしろ自慢だった。だから好きな猫を振り向かせようと、生まれ変わった話をする。でもそれが意味をなさない事を知る。そして愛する猫と出会った事で、死ぬという事への恐怖を知るのではないのでしょうか。だって、死んだら愛する猫とはずっと会えないのですから。
死ぬのが恐いというのは、今の人生に充実感を持っているからだと私は思います。
そしてそれは生きる意味が分かる瞬間だと思うのです。
ん~、自分で何をいってるのかわからなくなっちゃいました。すみません。
でも、恋をしなければ生きれたかもしれませんが、幸せではなかったと思いますよ。
終わりにする機会を失うのって、なんにしてもつらくありません?
追加:猫さんとの出会いはながーい「一生に一度」だったから、っていうのもありかな…
駄文ですみません。
ご回答ありがとうございます!!
愛があるからそれを失う死の恐怖を知る、すごく納得です!!
逆に言えば愛するものが泣ければ死は恐れるということはない。
恐れないから何度も繰り返し生まれる。
そう考えると物語にもしっくりくる気がします。
ヒントになりました!
http://d.hatena.ne.jp/jyouseki/
jyouseki(定跡)の日記
>なぜ猫は最後に死んでしまったのでしょうか?
私は宗教家ではありませんが、知っている範囲で答えさせていただきます。
多くの宗教で人生は霊魂を鍛えるための修行の場と説いています。
100万回生きた猫はもう人生の修行を必要としないレベルに達したので、最後に死にはしましたが天国の高い位置に行ったのでしょう。
ご回答ありがとうございます。
人生は修行の場、わたしもそう思います。
ただ、人生の修行を必要としないレベルに達したという変化点がしろねこさんへの恋ということになるのでしょうか。具体的に聞きたいところです。修行を必要としないというのは、仏教で言うところの解脱などにあたるのでしょうか??
飼い主<>猫という関係から生じた死と
自分が選んだ相手の死を対比させることで
相思相愛の素晴らしさを説いているのだとと思います。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20041107
ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 福音派サブカルチャーその1
あと男は「謎の女」というか
自分が死ぬときにジタバタしそうにない
そっけない女に弱い
じゃなくて・・・ 自分のエゴ(自分で自分を誉めたり)なんか
どうでもよくなるぐらいの素敵な相手と暮らしたい
ご回答ありがとうございます。
確かに、恋愛物語の側面もありますね。
”そばにいて、いいかい”というねこさんの言葉も、人の心をつかみます。
心から満足できる何かに出会わない限り、
同じ人生を100万回過ごしても、何の意味もないんですよ。
というメッセージを私は感じます。
逆に、満足できたなら、人生はその一回きりで十分で、
また同じ人生を一からスタートする必要はないのだ、
という意味が込められていると思います。
猫さんは猫さんの生を100万回目にして
ようやく全うして死ぬことができたので、
次に生まれ変わるときには、きっと
異なる生を受けたに違いないと
私は考えています。
ありがとうございます!なるほど。。「人生の有用さはその長さにあるのではなく、その使い方にある。長生きをしても、ほとんど生きなかった者もある」というキケロの言葉そのものかもしれませんね。
http://www.stat.go.jp/data/topics/171-3.htm
統計局インフォメーション(NO.171)
こう考えてみる事も可能かもしれません。
「しろねこさんも生まれ変わりが可能な存在だった」とすれば、ねこは100万じゃきかない程生き返りを選んで、しろねこを探し続けるでしょう。
(この続編っぽいシチュエーションも主題を壊す事にはならないと私的に思います)
ただ本編のしろねこさんは普通のねこなので、死んでしまうとそのままでした。
「愛」というものが無い場合には「生きる」という意味が変わるという事が主題と私は思います。
不死ではなく不老ですが、
銀河鉄道999の機械の体を想起します。
、
「漠然と命を永らえる事」は「生きる」という「意味」では同じではないという事と私は思います。
ご回答ありがとうございます!とても面白いですね。やはり命は一回だからこそ意味があるのでしょうか。死のない命は心の満足を得られないのでしょうか。。
財団法人 日本盲導犬協会
実はあまりこの絵本、好きではありません。あまりにもリアルだからです。
「愛情」という感情を、大概の人は美化したがります。
自分が与えてナンボだとか、高尚な物だとか。
でも、結局は愛情なんて一方通行で不毛な物だと、猫は99万回、突っぱねるのです。
ところが、自分が実際に愛を感じたとき、その猫は死んでしまう。
99万回生き返った猫は今度は生き返「れ」なかった、ではなく、生き返「ら」なかったのでしょう。それは自己満足のうちに死を選んだ、あるいは生にこれ以上の意味を感じ得なかったのでしょう。
蛇足ながらこの気まぐれさ、自分勝手さは猫派の心をくすぐるのかもしれませんが、犬派としてはあまりにも人間っぽくて、嫌になります。
ラストで愛を知り死ぬ、という事で一瞬美化されがちですが、人生とは己の価値観のみで決定付けられ、終息する、というのであればあまりにシニカルなオチです。
こういう見方もできると思います。
愛情という感情や、それに対する愛惜や思い出という満足を得る事で、人生は無感動な輪廻から(枷)から解き放たれる(死を迎える事ができる)
でもこれも死というネガティブな行動(選択)を美化してしまい、好きではアリマセン。
でも、嫌いなのですが、そのリアリズムにふっと涙が出てくるのも事実なのです。
猫を愛した数多の思いは通り過ぎ、忘れ去られ、与えた人は皆死を迎えて行く。
そして、それは自分自身でもあるのだと。
猫はこれまで受けてきた愛を知って、死んでいったのでしょうか。
多分それは違いますよね。
99万回の生も、関わってきた人も、猫にとっては無意味で、理解できない過去でしかなく、最後の100万回目だけが真実となり、やがてそれも消えていくのでしょう。
まさか、これまでの人生の後悔を背負って死を選んだ…訳ではあるますまいし、99万回の生が罰だとも思いたくありません。
正直、絶対に幼い子供には読ませたくない本の上位です。
特に今の子供ってそうじゃないですか?
受ける愛情や親切は当然であって、無意味。
自分が大切に思い、育む事だけが最後の真実、なんて。
この猫に反発を覚え、猫の99万回の生の”脇役”にこそ意味(意義)があり、と(そして、最後の最後でその猫も脇役になるのだと)そう感じ取れるくらいに感情と経験をつんでから読ませたい。
”脇役”の、それぞれの愛情は、猫にとって無意味だったかもしれない。無視される99万の思いだったかもしれない。
それでも、そこには「生」があるのだと。
99万もの人生と思いを受け止めながら、無感動に流されていく猫になってしまうかもしれない恐怖。
もしかしたら、99万の愛情を誰かに与えることができたかもしれないのに。
ふと、対極にある犬を思い起こしてしまいます。
盲導犬は、3度人生を送ります。幼少期、青年期、老年期(というには早すぎますが)。それぞれ、パピーウォーカー、視覚障害者のパートナー、リタイア犬のボランティア、と。
望んだ訳ではないのに、3度の人生を人間という我が儘の為に背負わされる彼らは、それでもその3度の人生全ての相手に懸命に尽くします。
誰だって人生の真実は1つではないはず。沢山の愛と可能性に満ちていたはず。
猫も、きっとこんな生き方ができたはずなのに。
でも、きっと猫の人生が多くの人にとっての結果なのでしょう。
99万回の無感動を、惜しみのない愛を経なければたったひとつの愛も、生の終着さえも見つけられない。
だから、ふっと涙が零れてしまうのです。
ご丁寧な回答、ありがとうございます。
わたしも共感する部分があります。人の愛情というものはエゴを含むものだと考えています。ねこさんが最後に死んだのはしろねこさんへの執着というエゴによってなのかもしれません。
わたしも、特定の人への愛だけで生きるより、苦しい人に献身し助ける生き方のほうが立派だと思っています。ただ、そのような生き方には勇気がいると思っています。
検索デスク SearchDesk スタートページ
URLはダミーです。
『生きるってどういうことか考えよう』、『ちゃんと生きよう!』というのがテーマなのかなと思いました。
これまで100万回“生きてきた”という猫ですが、それは果たして本当に“生きてきた”と言えるの?言えないんじゃないの?生きるって何?というのが最初のテーマなんじゃないかと。
それとしろねこですが、このしろねこは、猫に対して基本的には“何もしていない”んですよね。そっけない返事をしたりするだけで。
猫は、決してしろねこによって変わったのではなく、そこに愛?を見つけたのは他でもない猫自身なのではないでしょうか。
すなわち、生き方ってのは常に自分自身の中にあるもので、それに気づき、見つけ出すことができれば、ちゃんと(幸せに)生きていくことが出来るんだよ!ってのが2つ目のテーマなんじゃないかと。
ともあれ、子供に読み聞かせる時に色々な話ができるいい絵本なんじゃないかなと思ってます。
今から楽しみ~~
ご回答ありがとうございます!確かに、しろねこさんはべっぴんさんですが、なかなかそっけないですねw 生きるとはいったいなんでしょうか。愛というものが一人の異性に向けられるものと仮定して、愛がない人生は無意味なのでしょうか。
わたしもいい絵本だとおもいます。
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30685879
Yahoo!ブックス - 猫だましい / 河合隼雄/[著]
喜びと悲しみは相反しているようで、
実は隣り合わせにある。
そんなことを感じさせる物語だと思います。
愛すること、愛されることの喜びと
失うことの悲しさ。
それは表裏一体なんだろうなと
考えさせられました。
あと、孤独とか、人(猫)とのつながりとか、家族とか、
そういう関係性みたいなものも
考えさせられました。
ご回答ありがとうございます。
苦楽表裏ということですね。
一人→苦はないが喜びもない
家族→喜びもあるが苦しみも大きい
ねこは最後死んでしまいますが、どういう気持ちだったのでしょうね。。
Yahoo!������������
URL=dammy
わたしは、自分に降り掛かった悲しみより、
人がつらい目にあっていて、
それをどうする事もできないことの方がつらいことなんだな、と感じました。
ここを読むとひとそれぞれですね。。
なるほど 自分にはない視点でした。
ねこさんはほんとうに悲しみの淵にいたんでしょうね。愛する人を亡くしたときの苦しみは、場合によっては肉体的な苦しみよりもつらいようです。
わたしたちは喜びを得てもそれをとどめておくことができません。苦しみからは逃れることは何人であってもできないのでしょう。
どうしてわたしたちは苦しくても生きていかなくてはいけないのでしょうね。。。
考えされられました。
http://d.hatena.ne.jp/katarizuki/20051203
語り好きの家庭教師の日記 - 前口上のようなもの
こんにちは。非常に月並みな答えになってしまうかも知れませんが、本当に満足する/意味のある生をまっとうしなければ、何度生まれ変わっても生き返っても幸せにはなれないと感じました。
ご回答ありがとうございます。
月並みということはないと思います。そのように解釈し、自分の人生を再考することがまっとうな物語の受け取り方だと自分は感じます。
ねこはさいごものすごく悲しんで死んでいきました。
ねこは、幸せだったのでしょうか?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569660436/250-1440991-...
Amazon.co.jp: ミッドナイト・コール: 本: 田口 ランディ
田口ランディの「ミッドナイトコール」という
短編集の中に、100万回生きた猫の絵本が出てくる
お話があります。
それを読んで、100万回生きた猫が
伝えたかったことは、
何度も誰かの飼い猫として生まれ変わっていた猫が、
最後、野良猫として、本当の恋をし、
誰のものでもない自分の生を全うすることが
すばらしさ何じゃないかなと感じました。
ご回答ありがとうございます!
田口ランディのコンセントなどは面白く読ませていただいていました。ミッドナイトコールもよんでみます!
生きるすばらしさ、わたしも再考したいと思います。
Yahoo! JAPAN
私はこの話、とても好きです。
私が感じたのは「生き切って死ぬ」ということです。
命を使い切るという意味で「生き切る」という感じです。
ねこはずっと自分は100万回死んだんだと言います。
生きたのではなく、死んだのだと。
しかしタイトルは「100万回生きた猫」です。
私は、しろねこと出会ってようやくねこは生きたのだと思いました。
生きるということは、冒険をしたり裕福に暮らしたりということではなくて、
誰かを大切に思い、またそういう自分を大切に思うことなのではないか。
名をなし功を上げることが人生のすべてではなく、
平凡な些細な人生ですらちゃんと意味がある。
与えられた命を自分と誰かのために生きられたら、
その生の果てに死が訪れる…というふうに読みました。
なにもない人生と思う日もあるけど、命を使い切るように生きていきたいです。
とても感動しました!
わたしも「生きる猫」という題名が気になっていました。すっきりしました!
精一杯のいのちを全うしたいですね。ありがとうございました。
ご回答ありがとうございます。
自分の命はひとつなので大切に、ということでしょうか?具体的なシーンなど教えていただけると大変参考になります!
その猫を思って初めて泣けます。
その猫の大事さはいなくなってからわかるんだと思います。
「人のために泣ける心を持ってください」
って伝わってきました。
ご回答ありがとうございます。
大切さはいなくなってからわかる、、人間(今回は猫ですが。。)とは無知で悲しいものですね。
心のあたたかさを大切に生きて生きたいと思います。ありがとうございます!!
http://www.hatena.ne.jp/(0,0):detail]
私が小学生のころ、初めてこの絵本を読みました。
そのころの私はよく「記憶を持ったまま何回も生まれ変わって、
色々な人生を生きてみたいな。」と思っていました。
また、「死ぬのが怖い。」とも思っていました。
でもこの本を読んで、猫は何が幸せだったかというと、
『何回も生きた事』ではなく、『一回の人生で最愛なもの』
を見つけたことでした。
この時私は、「そうか。何回も生きる事ができないから、
人生に深みが出てくるのかな。」と何となく思いました。
また、私には、死ぬ時の猫がそれほど不幸にも見えませんでした。
なので、「もしかしたら死ぬことはそんなに辛くないのかな。
怖い事ではないのかな。」と思うことが出来ました。
人生に終止符を打つとき、最愛なる思い出があれば、
それで十分なのではと思いました。
きっとこの絵本は、人生が1回しかない意味について教えてくれてるのだと思います。
拙い文章、失礼しました。
ありがとうございます!人生が一回しかない意味、言葉にすると簡単ですが、奥の深い論題です。人間は一度の生の中で、老・病・死から免れないと仏教ではいわれます。その苦しみにももしかしたら、重大な意味があるのでしょうか。。
自分にとってとてもプラスになりました。感謝いたします!
ご回答ありがとうございます。
たしかに、99万9999回の生までははたから見るとねこさんはしあわせな環境のようにみえます。しかし、実際はしあわせは感じていないように見えます。
100万回目の生ではじめて、生きている実感と幸せを感じたのかもしれないですね。
私がこの本を初めて読んだのは小学校の1・2年生だったと思います。
その時の感想は
こんなに何回も生まれ変わったのに、好きな猫とは生きられなかったんだなぁ 悲しくて悲しくてもう生き返れなくなってしまったんだ あの世で一緒になれるといいね。
と感じていました。
子供の頃読んで死に直面してとっても悲しくなったのであれから読んでいませんがこのはてなをみてもう一度手にとって、大人の自分はどの様に感じるか知りたいです。
子供の頃の感想ですみません…。
回答ありがとうございます!
わたしが小さいときによんだときは、言葉にならないような気持ちになりました。胸の辺りが重たいというか、せつないというか、、(うまく言えません!
感触は今でも忘れられないです。
図書館に行けば借りられるので、またお読みになる機会があったらぜひ感想を聞かせてください!楽しみにしています。
私は配偶者を亡くした経験があります。
ただ「生かされている」かような人生を100万回繰り返した猫が、自分で「生きる」人生を送ったことにより、意味のある命をまっとうしたような気がします。
ご回答ありがとうございます。
ですが、最後に猫は死んでしまうので。。