(いわしの可能性に関しての実験的質問です)
江戸幕府・初代将軍。在職1603-1605。
三河岡崎城主・松平広忠の長男。幼名竹千代、のち元信、元康、家康と改めた。
はじめ今川義元、のち織田信長と結び東海に勢力を拡大、信長とともに甲斐武田氏を滅ぼす。豊臣秀吉の天下統一後はこれに協力、関八州を与えられ、1590年江戸入府。関ヶ原の戦勝を経て1603年征夷大将軍となり、江戸に開幕。将軍職を譲った後も大御所として実権を握り、大坂冬・夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、統一を完成した。
織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣氏五大老の筆頭となり、秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長八年(一六〇三)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。
徳川家康の嫡男。母は正室の築山殿。今川氏の人質として幼少期を駿府で過ごしたが、桶狭間の戦いの後に徳川軍の捕虜となった鵜殿氏長との人質交換により岡崎城に移る。妻と母の折り合いが悪く、天正7年(1579年)、徳姫は父・信長に対して信康と築山殿が武田勝頼(武田信玄の四男)と内通したと訴える。これに対して信長は家康に妻の築山殿と嫡男の信康の処刑を要求した。
樹状図になるというと家系図が浮かんだもので。
以下家康の子孫を書き込んでいくという感じですがどうでしょう?
他に同系統で言うとヒトの感情の分岐とか、
進化論を討論していくとか。