親を殺して、自分も死ぬとか、親からも見捨てられるような行為をしてから死ぬというのはナシです。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/weather/?1142481801
親御さんに嫌われていないのであればご両親は悲しみます。
嫌われていても悲しむかもしれません。
心の病んでいない人ならばあなたが遠い親戚出も悲しまれます。
それなので悲しませずに消える方法はご両親より後に死ぬことしかありません。
うーん、親御さんはあなたがいなくなった時点で多少なりとも悲しむのは防げません。でも、あなたが海外で就職して結婚したという風にうまく工作して、姿を消すのはどうでしょう?
最近イギリスの諜報部が工作員を公募してましたよね?あれに就職したことにすれば、長年連絡がとれなくてもしょうがないんじゃないでしょうか?
でも、どうやっても親をだましたり、親からもらった命を自ら捨てたりしたら親不孝にはなりますし、親は悲しむと私は思いますが。
どうやっても親が悲しむところを何とかして、消えて行きたいのですよ。
親よりも先に死んだら、どんな理由であれ親は悲しむでしょうから、ないと思うのですが…
世界や多くの人の役に立つけどとても危険で誰もやりたがらないような仕事を自らするとか。
この方法はアリですね。
両親は心中で悲しんでいるとは思いますが、昔で言うホマレ的な、その社会ではたたえられるような感じですよね。
ドラゴンクエスト3の主人公の母親はまさにこんな感じだったのではないかと思います。
絶対悲しんでると思いますけれど。
私も考えました。完全自殺マニュアルをよんでください。考え方が変わるかもしれません。消えてしまうという表現では、こじきをやって人生を満喫するという事もいいと思います。これは、親に「私はこじきになる」という宣言、住所も親に知らせて、という前提つきです。一番良いのは、出家する事だと思います。出家とは「この世にいながら、この世の人間ではなくなるという意味」ということらしいですから。追伸:なぜこの世から消えてなくなりたいのか、そこを教えていただければ、またちがったアドヴァイスができると思います。
自分や周りのことについてイロイロ思案していると、「死にてー」とか「消えてー」って短絡的に思うことがあります。
この短絡的な結論に身をゆだねた場合、自らを消す行為の障壁となるのは、親や自分の家庭に与えるマイナスの影響が大きいのではないかと考えたのです。
自分に限って言えば、家庭や配偶者はないので、親に与える悲しみが最大の障壁となります。
コレの排除ができるものか、また自分をそこまで持っていけるかという、思考なわけです。
親とはいってもシガラミであると思えば、出家するというのは、いい結論かもしれません。ただ、ダメな自分を見つめ続けるのは果てしない苦痛でもあります。
この答えで大丈夫か微妙なのですが。。。
「親を殺して~」に似ているかも知れませんが、「親の寿命を待って、親が逝ってしまってから自分も死ぬ」とか。
もしも、「今から死にたいが、親を悲しませたくない」と言う場合ではこの方法は無理ですが、「死ぬのなんて何時でも良い」みたいな人はこの方法が一番良いんじゃないでしょうか?
もしも「今から」な場合は、よっぽど嫌われていない限り親を悲しませない方法は無いと思います。
この方法もナシでしたら、無駄レススイマセンでした。(汗
「死ぬのなんて何時でも良い」ってくらいに覚悟を決められたら、強いなと思います。
いま日常で持っている、生きている価値のようなものには、
「幸せに過ごして欲しい」っていう親の期待への義務感と
「生きてれば、きっといいことあるさ」っていう期待感
があります。
後者への望みが年々薄らいでいくので、いっそのこと・・・と思っているだけなのです。
http://homepage3.nifty.com/sami624/index.html~030915
①まぁ、経緯が分からないので何ともいえないですが、死んだつもりでサーフィンでもやってみたら如何でしょうか。
②何が原因で自暴自棄になっているか分かりませんが、人生10中8~9は自分の思い通りにならないのが一般的です。
③人生の1/10の喜びを実現するために生きているのがこの世の大半でしょう。
④私は趣味でウインドサーフィン・サーフィンをしていますが、高い代金を払って購入した道具が壊れて生死を彷徨ったり、突然のコンディションの変化で、海上保安庁の巡視艇に救助されたりと、色々な事件を起こしていますが、なお趣味を続けています。
⑤それこそ、死んだつもりでウインドをしている時もあります。過去の自分のレベルを超えた時に得られる、言葉にし難い1/10の可能性である喜びを得るために。
⑥死んだつもりで何か一生懸命頑張ったら如何でしょうか。
わたくしも趣味でオートバイなぞにまたがっております。
この質問のようなことを考えていても、走行中にヒヤッとすると、「死ぬかと思った」とか「助かった」とか思ってしまいます。
なぜ、そう思えるのかは不思議ですが、まだ生きていたいようなのです。
それが、親を悲しませないためなのか、それともほかの何かなのかを知ることは、大事なことなんじゃないかと考えているのです。
あなたの親御さんから貴方の全記憶が消えれば、悲しまないでしょうね。
でも、無理でしょう。
悲しむ人がいるから消えられないのが一般的。
苦しいかもしれないけれど、大きな抑止力です。
ご両親が他界するまでひたすら待ちましょう。
その時にまだ消えたければ、消えるとよいでしょう。
馬鹿にはしていません。
真面目な答えです。
そのときに、失った親以上に大切なものを持っていなければ、消えてしまうかもしれません。
親以上に大切なものが手に入るという期待で生きていくのかと考えると、期待って頼りないですよね。
どんな策を弄しても、親より先立てば、
泣かせないわけにはいきません。
でも、わが子の人生を誇りとして、
それを慰めとして、笑顔で見送る最期、
というものもあると思うんですね。
たとえば人命救助に殉じて命を落とした青年。
いましたよね。ホームに落ちた人を助けようとして
自らの命を落とした人。
また、世界の戦地や飢餓地帯に乗り込んで、
死と隣り合わせの危険な救護救済活動に従事している人も
たくさんいます。
アフガン戦争では、ユニセフは危険な北部山岳地帯を
ロバを連ねて救援物資を搬送しました。
赤十字の人も爆撃を受けて死傷しています。
世界には、そんな命がけの任務を通じて
弱者救済に挺身している人たちがたくさんいるんです。
そういう任務に殉じた最期は、親を泣かせるでしょうが、
同時に大きな誇りと慰めをもたらすに違いありません。
もちろんそういう道を選んでパーっと散れと結論づけることは、
そういう任務に挺身している人たちに対して極めて失礼なことです。
そうではなく、上記を一つの例として、
わが子の人生を誇りとして、そこに慰めを見いだしてもらえる、
という最期もあるということ。
そうお考えいただければ幸いです。
まえにホマレと書きましたが、親にとっては「慰め」が大きいのでしょうね。
身を挺して他人のために生きている方たちって、自分の生きてきた時間や親の愛情よりも、現在恵まれていない人たちの、これからの方が大事だと思えるのかわからないところがあります。
たとえば、私がこれからカンボジアや中国の人たちのために、対人地雷や遺棄化学兵器の除去に参加するつもりだと、親に告げたとします。
両親は、絶対に止めさせようとします。
そこを説得できる具体的な何かを、現在の私は持っていません。
現在そういった作業に従事しておられる方々はその何かを持っていると思うのです。
あと何年か何十年かわかりませんが、親が亡くなってから死ねば、悲しませることはないと思います。ちょっと詭弁ですけれどね、理屈としてはそうです。
何年か何十年先までに、生き続けなくちゃ行けない理由が見つかるでしょうか。
http://www.so-net.ne.jp/news/top/html/20020227i481.html
http://tsutimikado.at.webry.info/200603/article_1.html
親を悲しませずに消えてしまうことは(まず)不可能ですが、親の悲しみを相殺するぐらいの立派な(世間から賞賛されるようなかたちでの)消え方、死に方はあるかもしれません。
親の悲しみは残るでしょうが、少なくとも誇らしい気持ちもまじり、ただの悲しみを残すのとはいくらかなりとも違ってくるのではないでしょうか。
たとえば、線路に落ちた人を救おうとして電車にはねられた韓国からの留学生の方がいましたよね。そんなケースです。
電車の中とか町の中でチンピラに絡まれている女性を救おうとして袋叩きにあったり、刺されたりして死んでしまうとか、そういうことです。でも、そういう機会に遭遇しないとなりませんね。
覚悟さえできていれば、いざというときに恐いものなしですね。
そうじゃない人間にとっては、恐いものなしっていうのが世の中いちばん恐いです。
気分は自爆テロ、あとは「大義」があればいいわけです。
きっと、Dynamite_kid さんのご質問は、自分が死ぬためのその「大義」、大いなる理由、意義なのだと思います。大昔の日本なら「お国のために」ということでしたが、、、、、
ご両親のために何か命を投げ打ってでもしたいことってありませんか? (ってこっちが質問してどーする!)
今は何もないので命を投げ打ってでも、親がかけてくれた愛情にこたえて行きたいのです。
そして、それが、重くつらいのです。
この世とはどこのことでしょうか?
もし、消え去りたいのがあなただとして、あなたにとってこの世とはどこのことでしょうか。
自分が今住んでいるところですか?
自分と関係がある人たちが住まう社会ですか?
もし、なにかに絶望し消えてしまいたいと思うのであれば。
今、自分が影響を及ぼしている。自分が存在しうる範囲とはどこだか、自分にとってのこの世とはどこなのかを考えてみるのがいいかもしれません。
あなたの事を知らない場所や人はいくらでもいますし、あなたが知らない世界や場所、人も数数え切れません。
もし、悲しませずにこの世から消えたいというのであれば、自分の存在した社会からスイッチしてみればいいだけかもしれません。
上京するとか、外国にいくとか。
親からしたら辛い話かもしれませんが、自分の可能性を高めたいから違う社会を見たい!というのであれば悲しみはしないと思います。自立したと喜んでくれるかもしれません。
イロイロなものを断ち切るということで、まったくの新天地に単身降り立つ人はいますよね。
新天地では、自分はいてもいなくても関係ない状態から始まるわけですが、どうやって自分を保っていられるのか、不思議です。
①親と同時に死ぬ。
自分が運転する車に親を同乗させ、明らかに死ねる場所から墜落などして同時に死ねばいい。
②親を悲しいという感情が生まれない状態にする
要するに、殺さずに植物人間状態にすればいいですね。
はい。というわけで、条件の縛り外の回答です。自分で書いて屁理屈だとよ~くわかっています。
つまり、無理だと私は考えます。
元々子供に興味のない親なら話は別ですが、親が子供に対して抱く愛は特別な物です。これは生物学的な本能と言えるのではないでしょうか。
消えてなくなれば、親が悲しもうが自分に感情はありません。どうしても死にたいなら、そんなこと考えず、死ぬことをお勧めします。(正常な精神状態であれば)
考えるだけ時間の無駄だと思われます。
親を殺すタイプに該当します。
どうしても死にたくはないのですよ。
この質問で、非常にラクに消えてしまう方法が見つかったとして、その後自分がどういう判断をするか楽しみなのですよ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872575334/250-6427...
知らせが無いのは元気な証拠といいますが、
家族でも1人暮らしとかで長い間会わなければ、
あいつは元気だろうと勝手に思ってくれます(うちがそうでした)
最低限でもメールや手紙で自分が現存していると解れば、
姿を見せなくとも悲しみはしないかな
(心底安心はしなだろうけど…)。
もしも、ネット環境すら無くなる場所へ消えてしまうのならば…
半年ぐらい1人暮らしをし、
その間に日常のちょっとした事等をメールを出来るかぎり書き溜める、
メールが1~2週間に一通家族の誰かに送信するようにセットし、
己は消える。
こうすればしばらくは消えたことはしばらく知られず、
悲しむことも無いと思います。
でもあくまで期限付きですので、良回答とはいえませんが…。
自動で親に連絡をしてくれる機械ってのは面白いですね。
自分の思考でクヨクヨしていない部分を機械に移して、親が気づかぬように、そして親がなくなるまで連絡をし続けてくれていれば・・・
自分はただ、それだけのために存在しているのかも知れないと思えます。これは、いいアイデアだと思います。
あなたがいなくなった後も誰か別人が手紙を送り続ける等の方法でいるように見せかける以外にないでしょう。
でも仮にそのようなことをしてくれる人を見つけたとしても、あなたがいないことをいいことに止めてしまうかもしれません。
あなたは親が悲しまないという結果を見ることはできません。
ですから、消えるという考えは思い直していただきたいと、私は切に願っています。
親がその時にどういう反応を示すかを見ることはできないのですよね。
いま、一番大切なのは、両親と弟です。少なくとも彼らを落胆させるようなこと、裏切るようなことはしたくないのです。
ただ、ダメな自分も許せないのです。
親の立場で言わせていただくと、息子や娘に去られた親ほど情けなく救われないものはありません。子どもにとって親や兄弟が無くなるのは乗り越えることができますが、子どもに死なれたり、去られたりしたら、絶望しかありません。
でもあえて言わせていただくと、あなた自身の存在としてのあなたが消える・・・つまり多重人格として親のそばにいるというのはどうでしょうか。どうやったら多重人格になれるかはわかりませんが、あなたであってあなたでない存在は、親にとっても息子や娘であってそうではない存在なのですから。
それでも親は悲しみますが、目の前にいるのでいつか存在としてのあなたが戻ってくるという希望をもてるでしょう。その希望だけで親は救われます。
目の前にいるヒトが自分の知っている子と違っていても、子であると確信できる点があれば、親はそのヒトに愛情をかけられると
親のかけてくれた愛情とか、期待にこたえられなくても、親はそれらをかけ続けてくれると
今の私ですと、非常にありがたいと思いますただ、それ以上に申し分けなくも思います。
まず、公に死ぬことはできません。
過去歴史でもあるように、戦中出兵する子供を心から喜んだ親がどこにいるのでしょうか?
それを考えれば、次の方法でしかないと思います。
あなたの代理を立てれば良いのでは?
定期的に親に連絡することを頼めばよろしいかと。
日本国籍の欲しい人や身分や別の人生が欲しい人はいくらでもいるかと思いますよ。
なんてね。
海外の小説からの知恵ですが、直接会わなければ、もしくは親が痴呆などで正常にあなた本人だということを認識しない状態で会うということであれば可能なことではないかと思います。
私もあなたと同じ考えを持ち手段を模索しましたよ。。。
この考えが変わることを願います。
貴方が考えを変えることとなったのは、どういったことでしたか?
また、考えを変えるまで、貴方を支えてくてたのはなんですか?
それは、私にも手に入りそうなものですか?
年齢や背景がわかりませんので、そぐわない回答かもしれませんが、ご容赦下さい。
結論から言えば、今いる環境と少し違う「プラスの環境」の所に身をおいてみる、というのがいいと思います。
衣食住が確保出来れば、当面なんとか生きていかれるのではないかと思っています。
質問の趣旨に沿いつつ、環境を変える、極端な例。他の方も書かれていましたが、出家。出家とは「生きながらにして死ぬ事。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E5%...
瀬戸内寂聴さん、ってご存知ですか?
彼女の半生は、つい先ごろドラマ化されるほど、それはそれはすごいものです。彼女は何度も思いつめた。でも、彼女は生きている。
まあ、ここまで極端に環境を変えてしまうと、「たとえプラスの環境だとしても」その環境がもし自分にあわなかったら、帰る場所がなくなってしまう恐れもありますので、いきなりはおすすめしません。
それと、自暴自棄な環境の変え方はやめましょう。
自殺を企てる、犯罪に走る、クスリに手を出す、などはあとで後悔しても、まずもとの世界には戻れません。すべてを失います。
ですので、まずは「ほんのささいなこと」かつ「極力リスクの少ない事」(「いんちき在宅ワーク」のように、数十万も元手がかかるものはダメです。)から環境を変えてみる、というのはいかがでしょう。
メール友達を作ってみる、手紙を書いてみる、部屋を片付けてみる、本を1冊読んでみる、不要なものをオークションで処分してみる、単発アルバイトをしてみる、風呂に入って洗濯してみる。
少しお金に余裕があれば、旅行に出てみるのもいいでしょう。旅行といっても、大それたものでなくてもいいんです。電車やバスで1日乗車券の類(安いものだと500円から)のものがありますので、それを買ってなんとなく気になった駅で降りて、ぷらぷらしてみる。近所じゃなければ誰の眼も気になりません。
「ユースホステル」という制度もあります。比較的安価に泊まれます。
http://www.jyh.or.jp/index2fr.html
「ウーフ」というシステムもあります。
http://www.wwoofjapan.com/japanese/index-j.shtml
1日6時間以内軽作業を行う代わりに、3食宿泊費が無料となる。
金銭のやりとりなしで「食事・宿泊場所」と「労働力」を交換するしくみ。自分の知らない環境に、比較的安心して飛び込めるのではないでしょうか。
アルバイトだと履歴書や面接で敷居が高く感じる場合がありますね。ボラバイトという制度もあります。もらえる金額は多くありませんが、多少なりとももらえるので、贅沢しなければ生活していて貯金を食いつぶす心配も少ない。
説教じみた話になってしまったとしたら、ごめんなさい。
まずはメールともだちあたりから始めませんか?
食べるだけなら困らぬような定職にあるのですが、提示していただいた回答は、どれも魅力的に思えます。
特にウーフはささやかな夢である、桜前線とともに北上していく計画に役立ちそうです。
また、すこしプラスな自分になることを考えたときですが、世間と自分を比較したとき、自分は自分と思える要素がないと卑屈になるとおもいます。
そして、その要素を見出せないのが苦痛となっているのです。
出家などはいかがでしょうか?
現世に苦しみ、ニートとして家にいるよりは、あるいは喜んでもらえるかもしれません。
牧師になったり、僧侶になったりして人々から尊敬される存在になることができたら、ご両親も安心されるかもわかりませんね。
出家するというのはアリだと思いましたが、先の回答にあったような、瀬戸内寂聴師のように尊敬を集めるヒトとなるためには、相当の経験をし、その上で出家に行き着かないとダメだと思います。
現状で出家を選択したとして、何ができるのでしょう、相変わらず自信ももてない自分がいるだけではないでしょうか。
先ほどのつづきです。私も、駄目人間、引きこもり、薬中、無職、借金、つくづく自分は駄目人間だと思うことがあります。実は精神科に行っているのですが、私が納得できないのは、ゲームできる人間はうつ病じゃないと思うのです。病院に、ゲームやっている人がうつ病というのですが、ほんとうの欝患者は、ゲームやってもぜんぜん楽しくないはずなのです。親に迷惑がかかってるって感情、分かります。しかし、誰もが親には迷惑がかかっているのです。で、消えてしまいたい、ということですが、ここにこうして質問している以上は、本当は消えてしまいたくないのです。親に迷惑がかかっている、そんなことは親も承知であなたを生んだはずです。要は、ある意味親のエゴであなたを生んだのです。割り切って考えれば、親が子供に苦労するのは当たり前のことなんです。あなたは自分の事を駄目人間と言っていますが、駄目人間の定義を教えてください。あなた、本当にそれでいいのですか?今問題になっている官僚の天下り、こんなに世の中をなめている完了、庶民の苦しみをしらない人間、私にとってはこういう人間こそ駄目人間だと思います。
そういう人間よりは、あなたははるかに「駄目人間」という反省、謙虚さをもちあわせているだけ駄目人間ではないと思います。
この回答は、私のために書いているのかもしれません。さらにいうなら、この回答であなたが少しでも楽になれたら私は幸福です。
偽善者と思われるかもしれませんが、心をこめて書きました。
長くなるようですが、私は、心理学も多少勉強しました。
私が分析するに、あなたは自分の居場所が見つからないのだとおもいます。私なりの宗教観ですが(どこの宗教にも私は属してませんが)地獄があるとするならば、今あなたが存在するこの場所です。地獄という言い方がぴんとこなければ、この世は修行の場所だと思ってください。この世でこの修行に耐え、いい行いをしてください。宇宙誕生の歴史からみれば、人間の人生なんて、一瞬です。世の中は神秘に満ちています。地球に生命が誕生したのも、科学的には、不可能に近い可能性で誕生したのです。神様、宗教ではそういうかもしれませんが、世の中には人智を超えた大いなる意思が存在する事がかならず存在します。人間が死んだら、その大いなる意思に人間の魂は溶け込んで行きます。溶け込んだ魂は、自我を失い、苦しみからも、解放されます。そう考えることができれば、自分はなんてしょうもない事で苦しんでいたんだろう、と思うとおもいます。後半、退屈な文章だったかもしれませんが、あなたに私の宗教観を押し付けているつもりはないので、退屈だったらよみとばしてください。
「親のエゴであなたを生んだ」というのは、気が楽になります。
親の期待に応えなくてはという義務感が軽減されます。
うつについては診察を受けていないのでよくわかりませんが、私のダメさは、
・カツゼツが悪くて会話をするのが苦痛であること。
・会話が苦痛で早く切り上げるためにバカな言動を行うこと。
・感情が制御できず、気に入らないこと腹が立つことがあると衝動的にモノに当たるか自分を痛めつけないと収まらないこと
だと思っています。
医者にかかって、直るならば、自信も出てこようかと思います。
天下りもさることながら、企業内の賃金g格差もでかいですよ。
元受会社から下請け会社への出向社員の給与と実際に製品を作る直接工の給与差などは、殺意すら芽生えます。
自分のクローンを作って(もらって)から死んだらどうでしょうか。
現段階でのクローンは同じ遺伝子配列を持つ卵細胞からスタートです。
仮にパッと20代後半の私と同じクローンが出来、ソイツにコレからを任せたとします。
親てきには、ウチのセガレがカラダ以外赤ん坊で帰ってきた!となります。
これは、親の悲しむ姿を想像しつつも切り捨てて消えてしまうのと大差ないように思います。
まず、親から徹底的に嫌われてしまえばいいのでは?
昔には「勘当」というのがありましたよね。
「親子の縁を切る」という事が出来たなら、今現在「親」
である人とは、血縁関係を否定され、他人の関係になります。
「お前なんか、勘当じゃー!」
「親」の精神世界からまず消えてなくなれば、音信が不通になっても
おかしいことではありません。
ただ少し心配されるだけでしょう。
勘当してもなお「あの子は今、どうしているだろうか・・・」
そう「元・親」は考えるでしょう。
でもそんなこと、知ったこっちゃありません。
まず、親子の縁を断ち切る覚悟。そして実行。
それからは親の聴き知らぬところで、あなたの自由にすればいい。
ナシの例に該当すると判断します。
親子の縁を断ち切ることを考えるのであれば、子である私から、親を切り捨てなければならないでしょう。
それは出来ません。できるのであれば、親以外の事情がなければ消えてます。
先に出家のことを書いてらした方がおられましたので、重複する内容といえるのかも知れませんが、ご容赦下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%...
古来、そのような希望を持つ人は少なからずおられ、その受け皿として例えばヨーロッパでは人里離れた岩山の修道院がありました。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BF%A5%CA%A5%C8%A5%B9
そもそも「消えてなくなりたい」という欲求は、古来から人間が持つ、大いなる誘惑ですね。しかし誘惑とはしょせん、幻影なり。幻影を幻影と見極める英知を求めて多くの人が修道院へと入っていったのではないでしょうかね。
日本だと山奥の禅宗がそれにあたるのでしょうか?仏教のことはよくわからないので、すいません。
どちらも、実質的に人と会うチャンスが限りなく無くなりますので、この世から消えてしまうのとほぼ同等と考えられてきました。
また、そのような(物理的にも精神的にも)厳しい環境で集団生活を営むため、今でも戒律はとても厳しく保たれています。入信の決意の固さも十分確かめられます。この世から消えるとは、この世の「甘さ」ともおさらば、ということなのでしょうか。
昔から続く宗教なら、危険なカルト宗教のように親御さんを嘆き悲しませることもないでしょう。「昨今の不穏な世界情勢をみるうちに、静かに平和を祈る生活を送りたくなった」というのは、ご両親を納得させるに十分な立派な動機だと思いますが、如何でしょう。
但し、どうかお気をつけ下さい、おなくなりになった方が二度とこちらの世界に戻ってこれないように、修道院に入った方は二度とこちらの世界に戻ってこれない(還俗できない)のが普通です。その意味においても「消えてしまう」のと同じです。
神に祈り、読書と労働を沈黙のうちにする修道士へ向かう選択があるのかもしれません。
ただ、生涯続くと思うと、今のような状況でも日常を重ねていけば、いずれいいことがあるかもしれないという思いと、生涯修道士生活をすることを考えると、すこしの期待にかけるか、いっそのこと、逃げてしまいたいという気持ちのほうが強くあります。
JICAなんてどうでしょうかね。消える方法には結びつかないどころか、逆に、「消えずにそこにいて何かする」ことになりますけど。
http://www.jica.go.jp/Index-j.html
消えることを悲しむ、という感情があるうちは、地理的や心理的な距離感に関係なく、意識がそちらへ向いてしまうのだと思います。それはやめようとしてもやめられないはず。でも、逆に、親がもう悲しむこともなく、家庭内でその存在が完全に消えている子供が、沢山いるような気がします。
親御さんとしばらく、意図的に地理的な距離を作ってみてはどうでしょう? 国際協力なんて大それたことでなくても、長期の旅にでてしまうとか。それを失踪と呼ぶかどうか分かりませんが、失踪した先で見つかるモノもあるかもしれません。「消える前に、これやっとくか」みたいな。
「消えずにそこにいて何かする」だけだけれど、消えたくないと思う理由につながる何かが得られそうな気もします。
消えてなくなるというのは「死ぬ」ということでしょうか、それとも、親の記憶から消えるということでしょうか。
親の記憶から消えることは、親が記憶喪失か健忘症にならないと難しいことだと思います。
自分の存在を死であっても記憶からであっても消したいという強い気持ちがあるのでしたら、正直その後どうなろうが、親が悲しもうが気にならないと思うのですが、悲しませたくないという気持ちがあるのでしたら、そこまでして死にたいとか、そういうわけではないのでしょうか。
もしもどうしてもというのでしたら行方不明を装うとか。
方法は2つあって、
・旅先などから姿を消す。
心配はするでしょうが、宿泊先の部屋を荒らすなどしなければ、
拉致されたり 殺されているかもといった風には思わないかもしれません。
・放浪生活をして姿を消す。
ぷらっとどこかへ行って、しばらくしたら家へ戻るというのを繰り返します。
出先からは一切連絡はせず、「またか」と思われるほど繰り返すのです。
そのうち、放浪しても慣れてしまいます。
放浪先で元気だろうかくらいの心配はされると思いますが、
悲しんだりはしないかと。
放浪するには準備や時間がかかり、根回しのような面倒さがありますが、悲しませない度合いとしては良いのではないでしょうか。
けれど、上記方法も含めて、姿を消してからの生活はきっと大変でしょうね。
住所を移したら、そこから探されてしまうし、けれど住所を移さなければ新天地で仕事探しなどが出来ないかもしれません。
1箇所にとどまっているとそこから足がつくので、全国各地を転々とすることになります。
とまあ、このような色々なことを考えるような私には姿を消す事はできないのでしょう。
姿を消すということは、親や友達などの気持ちを思いやっていては出来ないことでもあると思います。
放浪生活って気楽でよさそうですが、ホントに気楽なのでしょうか?
性にあう人はモチロンおられると思います。
私の場合は、自分を保っていられなくなりそうです。
親元を離れて一人暮らしをしているだけでもそうなのですから、放浪にかかる時間は耐えられそうにありません。
まず海外で暮らしたいなど適当な理由を作ります。
そして離れて暮らす状況を作って
http://www.remindermailer.com/
こちらのサイトから毎年メールを送るようにするのはどうですか?
親を悲しませたくないとの気持ちを持っておられるのなら
親を喜ばす事を考えながら生きたほうがいいと思います。
こういうサービスがあるのですね。
「再開できました。エラーが出たら教えていただけたら嬉しいです。」
あくまで日常に即したサービスなようですけれど。
親を喜ばすことは考えています。ただ、それが実現できそうにないから、いっそのこといなければよかったんだ。とも思っているわけです。
既出ですが、この世から消えてなくなったことを知った親が悲しむのだと前提すれば、この世から消えてなくなっていないように見せかけつつ、この世から消えてなくなるのが自然ではないでしょうか。ちゃんと親元を離れ独立して、徐々に連絡する頻度を落としつつ、いつの間にか親からは連絡が取れない状態にし、「便りが無いのは無事の知らせ」と思わせるに至れれば、今際に一抹の寂しさを感じようとも悲しみはせず、この世から消えてなくなっていたとしても大丈夫なのではないでしょうか?
その期間を生きる価値を見出せないのだとしたら、そもそも親を悲しませないこと以上に自分が消えたいという欲求の方が強いということでしょうから、親のことなど気にせずに消えられることでしょう。そうでないなら、気付いているいないに関わらず、何かしら生きる意味を感じているんだと思います。個人的な願いですが、下らないプライドや理想に潰されずに、強く強かに生きて下さい。
親元を離れて独立し、連絡は月に1回連絡があるかどうかといった感じです。
このような状態だから、久々に親から連絡があったりすると、非常にありがたいと思えるのです。
生きる価値については、いま生きてることにどういった価値があるのかはっきりみえていません。
「瀬戸内寂聴師のように尊敬を集めるヒトとなるためには」という発言を読んで。あなたの自信というものが、他者から与えられるものによってのみ、支えられているのかな、と思いました。他者の評価が、とても重要なのだなぁと。
期待に応えられないとか、尊敬されないとか。そのことがまた苦しみになって、逃げ出したくなる……。そういうのは、ありふれている、というか、普遍的な苦の元ではあると思いますし、わたしもまたよく知るところです。
よく知るところ、ですが、やはりそれでは駄目だろうなぁとも思います。
自分を信じるということは、難しいですが、たとえばあなたにも自尊心というようなものがあるでしょう。たとえば、「親を悲しませたくない」という思いをまげられない、とか。その気持ちそのものは、あなたの、たいへんな長所なのではないですか? その事実は、自信に繋がらないのですか?
会話が苦痛だとか、感情を制御できないことがあるとか。そういう"欠点"があるとしても、"長所"だって、あるでしょう。そういうのは当たり前で、どちらも自分だとして、バランスをとることはできませんか。
そして、たとえばあなたが自死をしたとして、そのとき、ご両親はかなしむとは思いますよ。そりゃあ、そうですよね。
だけどもご両親は、そのかなしみを胸に、やっぱり、生きていくのではないでしょうか。親のかなしみは親のかなしみ。それを受けとめて、乗り越えたり乗り越えられなかったりしながらも、親は親で生きていく、と。(そうできずに、後追いで自死を選ぶことも、可能性としてはありますが、ご両親がそういう選択をしないという可能性も、もちろんあるわけです。)
親の人生は親の人生。ちょっと忘れてみませんか?
あなたが、親のことをかえりみずに、だけどしあわせそうに、いや、しあわせでなくともとにかく元気にして、生きているということで、それだけで親孝行である、ということもあるでしょう。
自殺幇助ということに、ならないといいなと思いつつ、あなたがそういう道に行かないといいなと思いつつ、書きますが。
親をかなしませてもいいですよ。死んだっていいです。
親の人生は、親が背負っていくし、あなたの人生はあなたのもので。そこに、相手の人生を左右するほどの繋がりがあったとしても、出来れば迷惑をかけたくないとか、かなしませたくないとか、もちろんいろいろと思うけれども、それでも親のことと自分のことは、一度きっちりと分けてみることが、出来た方がいいと思います。
質問の答えですが、方法はないと思います。ご両親との、心の繋がりがある以上は、そういうことは難しい。どなたかが同様のことを既に仰っていますが、親が亡くなるのを待つこと。それまでは生きること。
しかし、まあ、今あなたが、親をかなしませないように死ぬには?なんて思っているということが知れたら、かなしまれるでしょうね。そして、自分達が、あなたの枷になっていると感じた場合は、それもまたかなしいでしょうし、逆にご両親も重荷にも思うかもしれません。
親のことは、一度忘れること。それで、心が軽くなることは、あるかもしれないと思います。
ところで、SeesaaBLOGというサービスがあって、予約投稿というのが最近、出来るようになりました。
ここでブログを作って、未来に投稿される記事を作りまくっておいて、そのブログを"生存確認"のために公開しておく、というのもひとつの手ですね。ですが、それをわざわざ用意するのも、なかなかの手間であって、"どれくらい頻繁の更新で、そしていつまでか"という限度も期限も、わからないわけですし、おすすめ、というわけでもありません。
他人の評価も気になりますし、他人と比較して自分の不遇を嘆くことも多いです。
自信を持ちたいと思いましたが、自分の内側には自信の根拠となるようなものは見つかりませんでした。
自分にも長所だと思える点はあります。ただ、それに何の意味があるのか、それを自信として生きていけるのか?といったところは見えてきません。
べつに自殺を志願しているわけではないです。コレは生きる意味とか、価値を引き出すための仮定なのです。
お困りのようですね。
私は、あなたの考えに対して自分の意見はいいません。
ただ、なにも言わないであなたの言うことを聞きます。
参考に、ボランティアによるカウンセリングのHPを書いておきます。よかったら、見てください。頑張って!
話を聞いてもらえるってのは、相当気が楽になるのですね。
今日、医者へかかってきました。
あれだけ長時間自分の内面とか、問題について飾らずに話ができたのは初めてかもしれません。
診察の結果、私の問題は治療が必要なものではなく、思考の訓練で直すものなようです。
自分もDynamite_kidさんと同じように悩んだことがあるので。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/414080260X/qid=1142...
この本に「『なぜそのように思うのか?』とその根っこを考えてみる」という方法があります。
この方法で問い直してみてはどうでしょう?
(Dynamite_kidさんのコメントから勝手に作成しました。)
納得できる答えがでなければ、さらに問いを掘り下げるという方法があります。
「消える方法」を考えるより、「消えたい理由」から「生きたい理由」を探してみてはどうでしょう?
親はある程度喜んでいると思います。
ただ、それは親に心配をかけないよう振舞っている私の姿を見ているからではないかと感じてしまいます。
1つ前のコメントで少し触れましたが、今日医者に対して初めて自分の問題について飾らず話ができたのです。
私の悩みとなっている問題が父親譲りであるため家族には相談できなく、解決方法もつかめずにいました。
親の希望は人並みだとおもいます。普通に幸福をつかんで欲しいことと、名前に込められた願い程度だと思います。
これを自分の幸せの基準だと思っています。
自分の名前に縛られているとすれば、狭めているのかもしれませんが、決して高くないと思います。
自信がもてないのは、名前に含まれている「他人と仲良く」という意味の言葉に自信がもてないのです。
・カツゼツが悪くて会話をするのが苦痛であること。
・会話が苦痛で早く切り上げるためにバカな言動を行うこと。
・感情が制御できないこと
といったように協調性に問題があり、仲良くしたいのに、うまく出来ないのです。
改善していけばいいだけなのですが、うまい改善方法を見つけていないのです。
私は、「笑って死ぬ」のが一番な気がします。
実際には、笑って死ねるような人生じゃなかったとしても、
親にしてみれば、自分が大事にそだてた子どもが笑ってそんでいけば、すこし悲しくても、あったかい涙を流せるのではないでしょうか。
私は、死ぬ時は笑おうと決めています。
私も思います。
その時に、心からの笑顔ができるでしょうか?
もし、できるのであれば、見せる相手は親ではなく子や孫がいいです。
同じ悩みを抱いていた時期がありました。
私が死ぬという道を選べなかったのは、やはり両親の悲しませたくなかったというのが唯一の理由でした。
同時に、親を悲しませたくないということだけを理由に生きることに空しさを感じていました。
その時期の私は、般若心経に心を支えられました。
わずか2百数十文字の短いお経ですが、仏教の真髄が詰まっているといわれています。
「色即是空 空即是色」「五オン皆空」これらの意味するところを知れば、すなわち自分というものも最初から「消えて無い」ものだと知ることができるはずです。簡単な入門書ならどこの本屋でも変えると思います。般若心経を暗誦し、これを何度も唱えると、自分というものは無価値であり、かつ無価値な存在のままでいいのだという開き直りが生まれ、心が非常に軽くなりました。
自分は無価値な人間だから、消えなければならないという考えは、無価値な人間は存在してはならない、人間は有益な存在でなければならない、という考えが前提にあります。
人間だって、犬猫や虫けらや石ころのように、みな無価値な存在だ、と実感することができれば、苦痛を感じることもなくなります。
なお、より一層お勧めなのが座禅で、こちらは、自分という存在の不存在を、文字通り体で感じることができます。ただ、私はうまく独学でその境地(の入り口)に入ることが出来ましたが、誰でもがその境地に到れるようではないので(というか、口で説明し難い。)、万人にお勧めできるものではないと思っています。近所の曹洞宗の座禅教室に行ったりもしましたが、寒いお寺で長時間座禅させられて体調を崩しました。座禅は感覚がつかめるまでは独習のほうが良いというのが私の持論です。
座禅をすれば、すなわち自我の不存在の境地に至り、多幸感に満たされます(オウムはこの多幸感を悪用して信者を増やしたようですが。)。こちらの方法が向いている方だといいのですが・・・。やり方は、本で読むより、ネットで、普通の人が成功体験を書いているものを読むほうがよほど参考になります。お試しください。
みな無価値な存在と認識することが出来れば、自分の価値と理想の差に苦しむことはなくなりそうです。
価値にとらわれている自分を消すという点では面白いと思います。
ただ、実際に取り組むとして、無価値のまま、何を希望や糧として過ごしていけばいいのかわかりません。
本を読んでみます。
親を悲しませないためには生きるしかありません
そうなのですけどね、
退職金を満額でもらうためには、働き続けるしかありません。
働き続けるには、
・給与や福利厚生などの待遇がいいこと
・やりがいがあること
・勤務地などの条件あうこと
・失敗をしない、失敗に巻き込まれないこと
・定年前に会社が潰れないこと
といった要素がありますよね。
私はどれかに不満があるわけです。
退職金を満額もらいつつ、会社を辞める方法を探しているのが表のテーマで、もうひとつのテーマとしては、不満を解決して、定年まで勤める方法はないだろうか?というテーマもあるわけなのです。
>いま、一番大切なのは、両親と弟です。少なくとも彼らを落胆させるようなこと、裏切るようなことはしたくないのです
この言葉から分かるようにあなたはとても心が優しい人です。
周りの迷惑を顧みず、死んでからも周りに迷惑をかけ続ける人も
少なからず存在します。
少なくともあなたの長所はこの「優しさ」にあります。
たくさん悩んで、たくさん苦しんでいるようですが、
まさに人生を真剣に生きているからこそ、苦しむのです。
あなたの「人生を真剣に生きようとする」心構えも
あなたの長所です。自分の人生を適当に生きている人は大勢います。
あなたのその苦しみが何度も続くことにより、「もしかして
永遠にこのままか」と不安になり、「だったら消えたい」と思うのでしょう。
もちろん未来のことは誰にも分かりません。
本当に死ぬまで苦しみが続くかもしれません。
ただ、人生、苦しみだけではないことは確かです。
喜びもたくさんあります。
例えば、一日休暇をとって突然親御さんを訪ねていって、
肩でも揉んであげれば、親御さんは喜ぶのではないでしょうか。
弟さんを誘って二人で飲みに行ったらどうでしょうか。
弟さんは喜びますよね。
頑張って貯金して、小旅行でもプレゼントしたらどうでしょうか。
彼らが喜ぶとあなたはうれしいですか、悲しいですか?
彼らの喜びはあなたの喜びでもあるのです。
楽しいことは自分でいくらでも作ることができます。
親に迷惑をかけたくないというあなたの「優しさ」を最大限に生かして、
ここは「親孝行」を「人生の目的」として生きてみてはいかがでしょう。
あなたが望む、望まないに関わらず、あなたの親御さんと弟さんは
いつか必ず、絶対に死にます。
これは100%確実です。
突然の事故で今日、死んでしまってもまったく不思議ではありません。
彼らが死んでしまう前にあなたに「今」できる小さなことを
「頑張って」実現してください。
その小さなあなたの「頑張り」があなたの自信になっていくのですよ。
弱音を吐いてる場合じゃないですよ。
ちなみに私はあなたを応援してますよ。^_^V
なんだか恥ずかしいので、言い換えていきます。
「彼らの喜びはあなたの喜びでもある」ってことは私の喜びは彼らにとっても喜びのはずです。
もしかしたら、突然死ぬのは私かもしれません。
そしたら、私が死ぬ前にできる小さなことを実現し、私の喜びを彼らに見せていく方法もあるのかなと思いました。
そう考えると、達成できないかもしれないけれど、着手はできそうな小さな課題は沢山あります。
ちょっと考えが変わってきました。
二回目です。
過労死はどうですか?
でも過労死だから確実じゃないし、大変ですが。
死ぬのにどうですかとか変なんですけど、
頑張って働いて、働きまくってお金稼いで
ちゃっかり遺言を用意しておいて
自分の給料は全て両親(そのほか悲しませたくない人に、
みたいに書いておくのはどうですか?
やっぱりどんな理由でも悲しいですけどね。
今日、お医者へかかって話をしてきたのですけどね、仕事のストレスも要因になってるらしいです。
たしかに、アノ給料でコノ理不尽な内容がいつまでも続くなら・・・と思えます。
過労になるまで耐えて貯金ができるような感じではないです
なにも死ななくてもいいんじゃない??
豆腐おいしいよ食べる?
旨いもの食って、ビール飲んで、
「コレが楽しみで生きてる」
って時はありますね。
木綿が好きですが、オススメは?
コチラのオススメは大豆つながりで
・おろしだれ納豆
・栃尾油揚げ
です。
あなたは死ぬ必要はどこにもありませんよ、
何かしら生きる意味がある物です。
生きる意味がないならば、それを探している時間なのです。
俺はあなたを死なせる手助けをしたくありません。
あなたが死んだら、大切な人が悲しみますよ。
だからつらいのかもしれませんが、ならば、もっと生きてください。
少なくとも、俺はあなたが長く生きていることを願っています。
死ぬ必要はないと思います。自分や家族にとっては生きる意味や生きる価値はあるのではないかとも思います。
家から一歩踏み出したとき、自分の価値は揺らぎます「使えないヤツ」とか「つまらないヤツ」といった評価を受けたり、評価したことがあると思います。
そのとき、何を根拠にして、その人を否定するような評価をしたのか、されたのかを考え、私には自分と家族しか根拠がないと思ったのです。
親元を離れて暮らせば、たまに取る連絡が私の価値の根拠。他人と比較すれば下回ることばかり。
現在もっている唯一の根拠を捨てる選択ができるほど覚悟のある人間でもないし・・・
そんなような心境だったわけです。
生きてるだけでもいいんじゃないですか。
どうしても死ななければならない理由でもあるのでしょうか。
とりあえず、消える場所を探しに旅に出てはどうでしょうか。
イギリスのランズエンドというところは人もあまりおらず、絶壁が続いているんですが、少し歩くつもりが「あの向こうの先の景色をもっと見てみたい」と、どこまでも歩いてしまって早朝から暗くなるまで延々と歩き続けてしまいました。
すいません答えになっていなくて。
先の景色をもっと見たくて歩き続ける。
景色は見えましたか?
暗くなるまで歩いた価値のある景色でしたか?それとも、景色より歩いてきた道のりや時間のほうに価値がありましたか?
景色はあきらめて、歩くのをやめようとは思いませんでしたか?
はっきり言ってありえないです。
今、二人の子供がいます。
たとえ世の中からどれだけ賞賛されようとも、親は必ず悲しむと思います。よほどの家庭不和とかがなければ、どれだけ優秀で勇敢な亡くなり方をしようとも親が悲しまないはずはありません。
どんなに辛くても、不幸でも、自分なりのやり方で精一杯生きて一秒でも長く親より生きてあげるしかありえないと思います。
自分が死んだという事実が親にばれなければ悲しまれません。
まず黙って一週間ほど海外に出かけてください。次は二週間、その次は三週間とどんどん出かけている期間を延ばしてください。
それが3年、4年と延びてきたあたりで海外で誰にもばれないように死ねば、親も「いつかふらっと帰ってくるだろう」と思い、悲しいとは思われないでしょう。
いただいた回答で方法について書かれたのをまとめると。
海外や放浪に出かけ、「いまどこの国です。」みたいなメールを間隔を伸ばしながら送信し、いつか送信をやめてみたり、機械による送信をし続けるようにして、本人は消えてしまうという方法が適しているようです。
もし、心変わりをした場合でも、何事もなかったかのように復帰できるのもよい点だとおもいます。
ただ、放浪期間が10年くらいでは短い感がしますし、20年も続けるなら、放浪生活が性にあって生きがいとなってるのではないかと思います。
皆さんおっしゃっていますが
やはりどういう形であろうと親より先に死ぬと
絶対親は悲しむと思います
親より長く生きる、
しかもプラス思考になれなくても
そとみだけでもいいから
楽しく、幸せに生きているように振舞うことが大事です
そして親がなくなった後で死ぬ、
これが一番だと思います
両親より後に死ぬ場合、コレといった幸せもつかまず、生きているだけのセガレって、両親を悲しませている気がします。