「ネット右翼」という言葉で語られる人たちの事を何故「ネット右翼」と呼び、何故「ネット左翼」とは呼ばないのかを教えてください。
私が知らないだけで「ネット左翼」と言われる人たちもいるのかもしれませんが、その場合「ネット右翼」とどう違うのかを具体的に教えてください。
おおざっぱには、『左翼的=格差のある社会はよくない、競争社会はよくない、日本が悪い、中国大好き、朝鮮万歳』の印象があります。これらの論調はネットに限らず、マスメディアでさかんに叫ばれているので、ネットでのそういう輩の書き込み、言動などが目立たないだけではないでしょうか?
「右翼」といっても「天皇陛下万歳!」という輩はまあ、ほとんどみあたりません。(もちろんいらっしゃるのでしょうが。)上記に反する、つまりメディアに取り上げられやすい「左」の反対の「右」という意味で、ネットにおいては多数派の印象がありますね。
確かに「ネット左翼」という言葉…あまりききません。
ご回答有り難うございます。
所謂政治活動的な右翼、左翼的な思想とは乖離しているように私も思います。
ネット右翼というと、まず鐵扇會が思い浮かびますね。
しかし、ここはちょっと同好の士が集まった、
という程度のハンパな団体じゃないんです。
鐵扇會は平成11年4月29日にネット活動を開始してしますが、
この時の推薦人が、衛藤豊久氏と阿部勉氏。
衛藤豊久氏は元日本青年社。
阿部勉氏は、三島由紀夫氏の設立した「楯の会」の第一期メンバーで、
後に鈴木邦男と共に一水会を設立、後見人を務めてこられた、
それぞれ大変な斯界の重鎮です。
ネット界の右翼活動は、とにかく鐵扇會がリードしています。
そして、それは個人が趣味で集まっているグループではなく、
本物の日本の民族運動団体が後ろ盾に付いた、
本物の「政治結社」なんですね。
まず、ここを押さえておかないといけません。
これに対して、ネット上の左翼運動は、左翼諸党派の衰退もあって、
現在は政治団体としての活動はすっかりなりをひそめ、
今は党派色を排した「市民運動」に変わっています。
昔はヘルメットの色の違いで対立し合っていた組織がほとんど解体され、
プロの政党が指導するあり方から、市民個人が自発的に参加するものに
完全に変わってきているんですね。
そのようなわけで、ガッチリ後ろ盾までついて活動する「右翼」と、
個人レベルの市民運動として活動していく「左翼」では、
ネット上でもその「目立ち方」が違うのは当然、
と言えるでしょう。
ネット上で活動する左翼の論客もいないではありませんが、
やはりそれは個人としての評論活動や
市民運動としてのリーダーシップの発揮であって、
政治結社を立ち上げてどうこう、というものではないようです。
リンクのご紹介有り難うございます。
大変興味深かったのですが、出来れば、はてなキーワードに書かれた「ネット右翼」を合わせ読んで頂いた上で「何故そうなったのか」という経緯をご回答下さいますと幸いです
コンピュータのヘビーユーザーはもともとがリベラル・革新的・先進的・個人主義的・現体制批判的な性質がありますので、極論すれば潜在的に左傾的傾向でした。従って、敢えて「左」という必要がなかった、というのが一因ではないか、と私は考えています。
現在ではネットが「特殊技術者のもの」ではなく「生活ツール」として活用され始めていますので、そういう偏り?も無くなっていくように思います。
ご回答有り難うございます。
所謂ネット右翼という事で言説されている中には「リベラル・革新的・先進的・個人主義的・現体制批判的」なものも含まれているように思いまして、この質問を書かせて頂きました。
二度目の回答になります。
ははあ。右翼左翼といっても、もっとカジュアル(?)な
「風潮」みたいなものに関するご質問だったんですね。
なら、
http://d.hatena.ne.jp/dokusha/20050509#p2
このへんの記述がご参考になるかと思います。
要は、ネット上での右翼的な潮流っていうのは、
ちょっと荒らしっぽい戦術と一体のことが多いわけですよ。
そういうのが蔓延してくると、思想もないのに
形だけ真似る人たちもだんだん現れてくるわけで、
ただの荒らしがネット右翼を気取るようにもなってきます。
そして、右翼=街宣=誹謗中傷と勘違いした人が、
あちこちの匿名掲示板を使ってあることないこと書き立てて
ネットを騒がせたりすることも多くなってきたと。
たいていの場合、多くは単なる個人攻撃ですが。
それでも、面白いからと人が集まってくれば、
それなりの「祭り」にはなりますよね。
そういうネット上の「吊し上げ」みたいな騒ぎに、
形だけを真似した自称「ネット右翼」がけっこういたわけです。
というか、本物の民族運動とは違う形だけの荒らし厨を、
「ネット右翼」と揶揄している、というのもありますよね。
これに対して、左翼というのは今日ではほとんど
市民運動としてしか存在しませんから、
仮に「ネット左翼」を名乗ってみたところで、
ネット上では、なんにもやることありませんよね。
せいぜい個人的に体制批判などを書いて、
匿名掲示板言葉で「プロ市民」などと呼ばれている程度の存在です。
ま、そんなこんなで、カジュアルなネット右翼というのは
形だけ真似した俗に言う荒らし厨とイコールのことが多々あり、
これは非常に目立つと。
そう理解しておけばいいのではないかと思われます。
まともな政治的思想的議論の世界とは、
また違った世界でのお話です。
やはり印象論というか「右翼」という言葉から乖離しているなあ、というのが印象で、質問をしてみました。
有り難うございました
個人的な印象になりますが。
ネット右翼からイメージされる事柄としては、ブログのコメント欄に見られる「炎上」といった不特定の匿名者多数による膨大な書き込み群を連想しますね。
これらの膨大な数による反論や誹謗中傷といった形で行われるクレームが寄せられる様子を眺めていると、クレームとして訴えたい気持ちはわからなくもないけれど攻撃されたら怖いだろうなァ、と複雑な心境にさせられます。
2ちゃんねるで発生するリアルで起こった事件に対して膨大なレスが投稿される「祭り」という反応にも似たような傾向を覚えます。
炎上と祭りに似たような傾向を感じるのは、それがいわゆる右翼ではなく、かなり合理的な下地があるせいだと感じます。主張の論理に穴があるのを大多数の人々が面白がって突っついてくるでのです。ロジックの穴が明らかでありながら声高に主張している記事やレスであるほど反応は大きくなっていきます。
社会を説明する言説としての「人権」「平等」「平和」は、理想的であるがゆえに、現実を生きるうえでの合理性からは「おかしいだろそれ」と攻撃が集中される結果、ネット上の言説は右翼的と呼びたくなるようなイメージとあいまってネット右翼という呼称が定着しつつあるのかもしれません。
以上から考えると、ネット右翼は伝統的保守主義というよりは情報テクノロジーの進化が生み出した現実的合理主義に基づいた、思想よりも現象と呼ぶべき性質のカテゴライズなのかもしれません。
ご回答有り難うございました。
どちらかと言えば「何故そのような現象がネット"右翼"という言葉で括られるようになったのだろうか、という事をお伺いしております。
特にAテレビ、A新聞に代表される、『ややもすれば行きすぎたミスリーディングな「反日、反米」論調』に対する、ネットでのアンチテーゼがいわゆるネット右翼なのではないかと思います。つまり、従来の保守、あるいは中道という理解でよいと考えています。差別と区別を区別できないメディアの論調が激しさを増すにつれ、その反動がインターネットいう第二のマスコミにおいて、従来の保守が疑問、反論を唱えているという状況に過ぎないと思います。つまり、「左翼的な既存のマスメディアのアンチテーゼ」という意味合いが、「ネット右翼」という表現になるのではないでしょうか。
ご回答有り難うございました。
リンクのご紹介有り難うございます。
此処に紹介されている文章と所謂「ネット右翼」という言葉の使われ方のニュアンスも若干異なるように思いました。