サッカーはビデオリプレイによる再審など、
判定のハイテク導入にはもっとも否定的なスポーツだと思いますが、
その理由などについてのくわしい議論があれば見たいです。
また、今回のドイツW杯で、主審がインカムのようなものを付けていますが
これはなぜでしょう。今後もスタンダードになるのでしょうか?
さらにスタジアムの大型ディスプレイでのスローリプレイを流さないようにする措置、などが
サッカーでは実際にとられているようですが
ドイツW杯でもそうなのでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/SH77/20041215
ビデオリプレイ情報を判定材料とすることは、より判定精度を高めることが出来る反面「試合が停まってしまう」という大きな1点で、どのプロスポーツでも不評である。NFLでは賛否両論あったすえ、何度も見直しとテストを繰り返して、ようやく現在では導入されている。メジャリーグでは先月のオーナー会議で議題になったものの、やはり賛否両論、投票では15対15の同数で否決となった。ベースボールというサッカーに比してプレーの中断が頻繁にある競技でも、こうなのだから、やはり「試合が停まる、時間がかかる」は避けたいのだろう。
URLありがとうございます。現在がわかりました。やはり議論されているのですね。
個人的には
「人間だから間違いを受け入れるべき」
という理屈が正しいとして
それを、なぜ選手だけに適用するのか疑問なのです。
人間だからこそ、「審判も」(部分的に、自らの)間違いを受け入れるべき、だとは言えないでしょうか。
興行体として、スローリプレイを放送商品にしながら、
それの「物的証拠性」は一切無視し、議論にも挙げないのでは、
ただ、視聴者に矛盾を転嫁しているだけです。
サッカーのような巨大スポーツが、
民衆の公器である、そうありたいと思うなら、
審判とは権力そのものです。
権力者たる審判は、民主主義の原則に照らし、外部に開かれた形で見張られなくてはならないと思います。
外部とは、観客も含めてです。
テクノロジーによる観客の証拠獲得能力の変化も含めて、サッカーという文化の総体だと考えます。
(とはいえ、ロスタイムの明示など、ゆっくり改革してるのも注目すべきことです)
インカムは主審と副審(線審)が連絡を取るためのものだったような。
スポーツ判定一般については、機械の導入は審判の権威を落とすから、という建前論があります。
一方サッカーに限定すると審判の影響力は他のスポーツより大きく、審判の主観でかなり勝敗を左右できると言えるでしょう。
今イタリアでは2年連続優勝のユベントスのフロントが、自チームに有利な審判/判定をさせていたという八百長が大スキャンダルになっています。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060606k0000e050059000...
・自分の指定した審判になるよう圧力をかける
・自チームに有利な判定をさせる
・相手チームの主力選手にレッドカードを出す
似たような露骨な例では前回ワールドカップで
異常に韓国よりの判定がありました。
・トッティにレッドカードを出して退場させる
・ゴール前にラインを割っていたことにして
相手ゴールを取り消す
証拠はありませんがトッティにイエローを出した審判は
自国で異常に長いロスタイムをとって負けていた側の
チームを勝たせた件で審判資格を停止させられた人物でした。
最高峰のワールドカップ、セリエAでもこのように
自チームに有利な判定をさせることが可能なのですから、
ビデオ判定などを導入して八百長ができない
(主観の余地がない)仕組みは導入しないものと
思っています。
回答ありがとうございます。
そうすると、ここで重要なのは
「八百長類ありでも許容」と思ってる層と
「絶対だめ!なんとかせな!」と思ってる層が顕在的に対立してるかどうかです。
(多分、どの国でもイマイチ顕在的じゃない)
その対立軸に、再審請求(ふくむ機械的判定)
というのが浮かび上がっているのなら、
やはりこれこそ注目すべき議題なのかな、と思います。
それともサッカーファンである、ということは
「そういうのは質問するな空気嫁w」
「微妙な八百長味も楽しめないとグルメとはいえない」
ということなのでしょうか。
それはちょっと悲しいです。
歴史的な意味を含めての、現実なのかもしれませんが…
(審判の技量や選出を「自浄的に」レベルアップさせる、という話題はちょっと置いておきましょう)
流れ重視論と再現不能論があるようです。
○玉木正之(スポーツライター)
http://www.spopara.com/magazine/tamaki/question/028.html
たとえば、昨年行われたワールドカップサッカーで、誤審として騒がれた韓国対スペイン戦のプレイを例にとってみよう。後半4分、フリーキックからスペインのデ・ペドロ選手がクロスボールをあげ、バラハ選手がヘディングシュートを決めた瞬間、デ・ベドロ選手がクロスボールをあげる前にゴールラインを割っていたという判断から、審判がホイッスルを吹いたんだ。ボールはそのままゴールネットを揺らしたのだけど、結果は「ノーゴール」。スペイン側はそれに猛抗議したが、判定はくつがえらなかった。
そこで、よく考えてみよう。もしその判定が、ビデオ判定による「正確な」審議の結果、ミスジャッジとして得点が認められたらどうなるだろうか? ゴールキーパーは、ホイッスルを吹かれた瞬間にプレイする意識をなくし、ヘディングシュートに反応しなかった、と主張する。その主張は、もちろん正しい。だから、キーパーとしては、その得点には納得いかないよね。また、仕切りなおしをするとなっても、どこから再開するかという問題になる。仮に、ヘディングシュートの場面から再開すると決まっても、そのときと全く同じ状況を再現することなんて不可能だ。つまり、判定がくつがえることで、新たな問題が発生するわけだから、判定はその時々に審判の下した判断が絶対ということになる。そうなると、ビデオ判定など行うだけ無駄なことになり、もともと不可能なこと、といえるんだ。
○UEFA
http://jp.uefa.com/uefa/Keytopics/kind=524288/newsId=272708.html
新型ボールは、ゴールが決まったかどうかを判定する助けとなってくれるかもしれない。審判を補助し、判定の質を向上させるようなテクノロジーの導入には前向きな考えを持っている。例えば、審判のストップウォッチに信号を送るような方法はいいと思う」とロス氏。「一方で、ビデオ判定を利用するという考えには賛成しかねる。サッカーは流れのあるスポーツなので、その流れをぶつ切りにすべきではない
○インカムの件……推測ですが。
http://football.livedoor.biz/archives/50594511.html
CLなど欧州の試合で、審判がインカムをつけているのをよく見かける。おそらく副審とリアルタイムのコミュニケーションが図れるようになっているのだろう。だとすれば、主審が誤った判定をしたり、微妙なジャッジに悩んだ場合に、副審がすぐに進言できるようになっているはずだ。
沢山のURLありがとうございます。
まず私個人の考えとして、機械化判定とVTRを使用した再審は、別個のものです。
機械化を心情的に拒むあまり、
一緒くたに考えてしまい過ぎの人が多いようなことに、上を読んで改めて気づかされました。
VTRは「観客が手にしている物的証拠」だからこそ、
観客が抱いてしまってる矛盾を軽減するための措置とはなにか?、としてのVTR再審だと考えてます。
厳密なジャッジも必要ですが、たとえば陸上の100m走でも
0.0000000000001秒までは測定する必要はないですよね。
つまりスポーツの試合における正確さというのは、相対的なもので、
どう見えたか、という程度でも何の問題もないのです。
ただそれは当然観客、この場合TVのような一般的テクノロジー程度までを含んでいるはずです。
時間系列だけでいえば、審判を上回る能力が観客にあるのですから。
原則、
ジャッジは人間が最終的に、なるべく迅速に、
されど証拠による異議申し立ては認め、再審はありうる、という観点が要ると思います。
(我々の社会の司法では極めて常識的な観点ですよね)
また、NFLの場合ですが
もともと「不可逆性がつよい判定の種類」はチャレンジの対象外です。
サッカーでいうなら、どちらのスローインか、GKかCKか、ゴール成立を取り消す、など
ボールが死んだときにだけ、その再審を受け付ける、とすればいいのです。
そうやってルールを少しずつ現代化していけばいいのですが、どうも聞く耳持たない意見がそこかしこにありますねw
サッカーが流れ重視なのはわかりますが、
実はプレイ自体はちょくちょく止まっています。
流れているのは基本的に「時計」なのです。
(だから時計の非公開性、というのを今後も死守するならば、
再審の類は一切ダメ出しされる可能性が高いでしょうね)
ですから一番最初にも挙げさせて頂いた
・ゴール後の
・オフサイドなしの判定に対して異議申し立て
・交代枠を賭けて
という案は、流れ切断も必要なく、プレイの不可逆性もない好例です。
インカムはCLで既に使われていたのですね。たしかに義務化されるといいですね。
もっともVTR再審が認められれば、リプレイ動画等を即座に主審に届けることも既に可能な時代っぽいですがw
再回答です。
そうすると、ここで重要なのは
「八百長類ありでも許容」と思ってる層と
「絶対だめ!なんとかせな!」と思ってる層が顕在的に対立してるかどうかです。
(多分、どの国でもイマイチ顕在的じゃない)
層というよりは経営者/オーナーとファン/視聴者という対立軸という目で見るとどうでしょう。
経営者/オーナーは勝ち進むことで分配金を手にできます。例えばチャンピオンズリーグでは優勝すると40億分配金が貰えるそうですが、優勝しなくても一つ勝ち進むかどうかで億単位違ってくるという話です。
勝った結果の収入でいい選手を買えば基本的にはいいチームができますが、負けまくって収入が減ればいい選手を放出しなければなりません。経営的な視点からは十分な動機があるでしょう。
(監督や育成システムが良くてもオランダのクラブが余り強くないのはいい選手を保持する経営基盤がないからだと思っています)
それから別論点の不可逆性についてですがサッカーの場合点が入りませんから、1-0と1-1では勝敗も勝ち点も全然違います。得失点差という視点もありますね。誤審が後で判明した場合に試合をやりなおしたり、次ステージへの進出チームが変わってくるのだと面倒だから、というのはどうでしょう。
すみません、ちょっと分からないのですが
八百長の動機が
経営者というかこの場合主催者(UEFA)にもあるということでしょうか?
そうすると病巣は深いということになりますね。
まあ、単に経営者(オーナー)にある、ということだと思います。
するとファンとの対立は、なかなか顕在化しないでしょうね。
ファンとしては、やっぱり最低限の再審は求めていくべきじゃないでしょうか。
じゃなくてファンとして「ヤオ含みOK」という発想がどこかにあるのなら、それはまた知りたいです。
>別論点の不可逆性についてですが
1点が貴重であるのと、
(試合中での)再審の必要性は無関係だと思いますが…
試合後の不可逆性なら、これは当然保証されているべきで、
もし試合後にVTR再審をするなら
判定や試合結果は覆らず、しかし審判の格付けを変えていく、などが妥当だと思われます。
なお、NFLの場合、VTR再審の導入によって
審判の心理的プレッシャーは増大する、という
話はあるそうです。
戦争に近いサッカーならなおさらだろうとは想像は付きます。
URLの雑誌の出典元については調べても分かりませんでした。
ご存じなら、コメントなどでも教えて頂けると幸いです。
再回答です。長文で申し訳ありません。
サッカーや野球の選手や観客の多くは審判のジャッジの「個人差」については許容しているのではないかと思います。例えば、今日の審判はオフサイドが辛いとか、ストライクゾーンが低めに辛いとかです。それが、一律に適用されている場合は大きな問題にはならないのでしょうが、一方のチームに有利な判定が続出すると「八百長か!」となるのではないでしょうか。また、審判がミスした場合に毅然と対応すればよいのに、どこかで帳尻を合わせようとすると基準が曖昧になり不信感を招くように思います。
個人的には、審判は黒子であるべきであって、判定がよいとか悪いとかがクローズアップされるのは、それだけ悪い(不正確、偏向)判定が多いからだと思います。したがって、ビデオ等の判定の正確性を向上する手段に反対する勢力には、そういう必要性があるものと思います。一般の観客にはあまり関係なくてもスポーツの多くはギャンブルと関わっているし、国威発揚に利用する国もあるし。
テクニカルな問題としては、例えば現在ビデオ判定が導入されている大相撲やテニスなどでは、判定の正誤でポイントの入る側が逆になってしまうこと、判定した時点で試合が中断することが特徴だと思います。そういう意味では、やはり導入に慎重な野球についても判定の行われた時点で(ボール、ストライクの判定でも)一旦ゲームが中断するなど上記の特徴を有しており、導入に際しての混乱は少ないのではないかと思います。サッカーの場合はボールの保有権の移動はありますが、ポイントとまではいかなかったり、アドバンテージで流したりと多少複雑さがあるのが難点かと思います。なお、ビデオ判定により時間がかかることをいう人もいますが、微妙な判定の際に抗議にかかる時間に比べれば大したことはないのではないかという印象です。
サッカーで導入するならば、hahaihaさんのおっしゃるようにチャレンジシステムを模したものがよいと思います。オフサイドがらみだけでなく、ファウルの際にも試合の中断があるので、技術的には導入の余地はありそうですが抵抗は強いでしょう。
なお、試合後のビデオ検証と審判の格付けは実際に行われています。
非常に面白いURLありがとうございます。
素読しただけで、詳しくはわからないのですが
こういう審判の格付けはどの程度明確で、一般的なのでしょうか。
「審判も人間である」というならば、
TV中継なども
審判の数値的な特徴(傾向)を算出してみたり、
主な実績、
VTRによる格付けの委員会の風景など、
一般観戦者にも興味深くなるように
分析してくれればいいなと感じます。
それこそ、選手並みに。
(現状でも国籍は必須的に表示されますけどね)
ちなみにJリーグは試合などをはじめ、データ化にとても熱心だとは聞いたことあります。
逆をいうと、余所の国ではほとんどやってない可能性もありますね…
前提が反則行為があった場合というように感じられました。
確かにゴールかどうかは試合を左右するものなので、その際に反則があったかどうかを厳しく見るという観点では再審は求められるかもしれません。
逆に、反則行為がなかったにもかかわらず、主審が反則を取った場合について、後に議論がされてしまうといえる。その場で再審を繰り返していれば、ゲームが進まなくなり、反則でないと判断された場合はどうすればいいのか。極論で言えば、そもそも審判が必要でなくなる。
いかにプレーを流していくかが重要なスポーツに対し、得点の際の反則があったかどうかを議論するのは無理がある。
得点に繋がってしまったというプレーをどこまでさかのぼるかの判断が非常に難しい。この反則が取られていたら得点に繋がったはずだとか、その逆もありうる。
しかしPKかどうかの判断は再審を求めたい気もする。
難しいところです
書き込みありがとうございます。
こちらの書き込みの趣旨の一つに
「審判の権威が下がるから…」というのがあると思われますが、
現状の「審判の権威」といっても想定されている範囲がさまざまで
教条的な意味で「聖域」と考えるのか
試合の進行性と秩序を最重視するが故の便宜的なものなのか、
現状でも解釈に幅があると思われます。
ワタシがVTR判定を推すのは、
サッカーがTVを通じた興行体であるが故、というのが最大の理由です。
逆に言えば、(FIFAが)
TVでもスローリプレイを流すのを自粛するように、と
TV局と契約するなどすれば
ジャッジ方針との矛盾に対して敏感ということで
整合性が取れると思います。
観戦テクノロジーは最新、
しかし試合進行はローテクの聖域を守る、
という、いいとこ取りは永遠には続けられないだろうと感じます。
さっそくアリガトウございます。
NFLのチャレンジシステムは良く知っております。
たとえばサッカーでは交代枠を賭けて
ゴール後のオフサイドについてだけ、
チャレンジできないのかな?と思います。