帯久さん、100両パクって、それを元手に呉服問屋大成功。後で200両払わされるハメになるが、その頃には200両そこまで痛い金じゃなし、ボロ儲け。善人の和泉屋与兵衛さん、100両パクられてそれがケチのつき始め。ボロボロになって、10年後ようやく200両。100両ポンと貸してた頃と比べて、見る影もなし。
悪意でパクった帯久さんの方が得して、善意でお金を貸した与兵衛さんの方が損しているようにしか見えない、評判の悪い帯久さんのところでも安ければ、そんなことは関係なしで安ければお客は集まる。見る人は見ててもトータルで考えて意味があまりない。
情けは「己」のためならず。善意で人にお金を貸すなんて馬鹿を見るだけ。世の中に人情も情けも意味がない、役に立たないという話に見えるのですが、いい話に思われますか?
http://www.web-nihongo.com/back_no/column_03b/040511/index1.html
上記のHPにもあるように「誰かがどこかで見ている」「最後は正義が勝つ(HAPPY END)」ということではないでしょうか。
>世の中に人情も情けも意味がない、役に立たないという
考え方で生きるのって寂しくないですかね。
最後に正義が勝つといいのですが、せいぜい一矢むくいた程度であまり勝ってないような感じがするのですが。
世の中に人情も情けもない方がいいと言っているのではなくて、
この噺が、どこそかの政治家よろしく「記憶にございません」と言って、金せしめた方が得じゃねえか。人情噺、名裁きというよりも、現実の厳しさを説いた噺に見えるような気がしませんか。
単純に見ようとすると、おっしゃるとおり「善意で人にお金を貸すなんて馬鹿を見るだけ。世の中に人情も情けも意味がない、役に立たない」と思わせようとしている感じもしますが・・・
これは、個々の資本の増え方/増やし方と、個々人の善意の持ち具合は全く関係がないということをよく表している事例です。「人生に法則なんかないぞ」というのをよーくわからせてくれます。
だいたい、与兵衛さんはお金や商売では失敗しましたが、人に親切にするのは皆に喜ばれますし良い気分で、最終的には満足した人生かもしれません。それは本人にしかわかりません。
まあ、ハタから見ると、ああはなりたくないなあ〜と思わせる感じは否めません。しかし誰でも、なりたくないと思っても貧乏になるときはなりますし、お金持ちになってしまうこともあります。彼らのその後、残りの人生がどうなったのかもわかりませんが、どこかのタイミングで人生が終わったか、終わることだけは確実で平等です。現実はそんなもんです。・・・というのを、しみじみ思わせるためのお話と考えれば、良い話です(笑)
>与兵衛さんはお金や商売では失敗しましたが、人に親切にするのは皆に喜ばれますし良い気分で、最終的には満足した人生かもしれません。それは本人にしかわかりません。
最終的にはわかりませんが、首吊ったると言ってたくらいですから、人に親切にして満足していたようには、あまり感じなかったのですが。
結論は「良い話」です。
和泉屋さんが受け取る補償金額が、少ないか多いか又は
帯久屋、和泉屋が受けた罰が、重いか軽いかは人それぞれ違うと思いますが
奉行の裁定はそれなりに補償しそれなりに罰を受けていると思います。
和泉屋さん側から見ますと「火付け」の重罪がが実質無罪になり、余生はお金の心配が不要になる。
帯久屋側から見ますと「窃盗」の罪により、信用が落ちたなか年一両の利子を払い続けなければならなくなる。
要点は下記の通り。
http://www6.plala.or.jp/kmgt/uda/uda-025.htm
落語全文は下記の通り。
この後、武兵衛さんの呉服屋が繁盛して、帯久さんは信用なくして没落してしまったかもしれません。その後はわかりません。
それにしても、将来町役間違いなかろうと言われた和泉屋さんが、火付けを許されて余生を静かに送れたくらいではわりがあわないような気がしませんか。元々火付けをするような人ではなかったでしょうし。
一方の帯久屋さんも、火炙りになるというと、「それなら今すぐ残りの50両持ってきますさかい」というくらいですから、そんなに悔しがるほどの痛手ではないような気がしませんか。
あまり良い話には思えませんが、二人が死んだあとにわかるんじゃないですかね。たぶん和泉屋与兵衛さんの葬式にはたくさんの人がくるとおもう。帯久さんみたいな生き方してたらいくら儲かっても人望がないと思うんですけどね。まあ、死んでからじゃ意味ないのかもしれませんが。
ありがとうございます。
>人望がない。
その通りだと思います。和泉屋与兵衛さんだったからこそ、没落してしまっても、無償で10年も面倒見てくれる人がいたでしょうし、帯久さんが没落したところで、ざまあみろ、天罰だ。と誰も面倒見てくれないだろうと思います。それでも、帯久さんみたいな人はうまいこと立ち回っていくんじゃないかという気がしますが…。
ただ、和泉屋与兵衛さん、いい人だったのに踏んだり蹴ったり、最後に100両もらってもこりゃあんまりじゃねえか、ひでぇ噺だ。と、すっきりしないわけなんですが、ここらへんどうでしょうか。
ありがとうございます。