http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569628133/250-6176474-...
要は当事者意識が低いからではないでしょうか。単なる受任者ではなく、民法第644条に規定する善良なる管理者としての注意義務を持って、勝訴するための対策は如何にすべきかを考えれば、自然とクライアントの共感を得られるような会話ができるでしょう。
要は、話術ではなく、直面した課題に対する取組姿勢の問題だと思います。
話は言葉だけではなく、話し手の表情や雰囲気が多くを語るそうです。笑顔にしてみる、服を明るめにしてみるなどで相手の緊張もほれて、喜ばせることができるのではないかと思います。
http://park6.wakwak.com/~psychol/communicate/cbase/babal.html
参考になりました。ありがとうございます。
依頼を受けた弁護士と依頼者との人間関係ほど、通常「仕事」「業務」と言われるものに関する人間関係の中で難しいものはありません。これは多数の崇高な弁護士さんが口を揃えて言われることだと考えます。takky2006さんの友人も、詳しい事情はまったく分かりませんので何とも言えませんが、そのような日々をベース・前提にした上で、質問文のような述懐をしているのかもしれません。また、逆に、「たいして重いこともやってない、会社の経済コンサルタントみたいなもんなんだけどさ、なんか、俺って口ベタだよなあ」という単純な話なのかもしれません。
いずれにせよ、お勧め出来るのは、「やはり弁護士さんは、年齢が20代から60代以上までいらっしゃいますので、ここは、そのご友人の年齢をまず考えるべきか」、ということだと思います。
例えば、はてな用といたしまして話を分かり易くするため、昨今報道を賑わした山口県光市母子殺害事件を例に上げます。もしtakky2006さんが被害者夫の担当弁護士だったということを想像してください。あの夫さんの傍にずっと居て、苦悩される姿を目の当たりに見続けます。希望が出るような結果も、絶望のどん底のような結果も、どんどん出てきます。不利な点も生まれますし、有利な点も生まれてきます。その度ごとに、苦悩される夫さんに対して、もしもtakky2006さんが、その担当弁護士だったら?、どう言葉を掛けることが出来ますか?、というような例です。私だったら、声を掛けることは出来ません。しかし、それでは弁護士として許されないでしょう。一体となってコミュニケーションを持たねばなりません。
さて、このような時に、長い間ヒトのそういう姿と共に関わってきた老齢の気合の入った弁護士さんは、人間的に生のままで、そういう方と付き合うだけの度量や、腹のくくり方が、出来ております。
しかしながら、どんな優秀な人間でも、どんな人間力のある人間でも、20代や30代の弁護士さんだと、とてもではありませんが、そういう方と、どう共に裁判の道のりを歩けばいいのか、どう話せば、そういう方の心が休まるのか、少しも分からない筈です。私は、それは、当然のことだと思います。誰にだって出来はしません。
そこで、結論ですが、
takky2006さんがここで質問されている内容につきましては、そういう世界に直結しかねないご質問であろうと考えます。従いまして、飽く迄も私の考えですが、takky2006さんのご友人も、sami624さんが言われるように、やはり、取り組む姿勢や、日頃の心の有り方、このようなところで、原則的にはですが、全力で取り組む以外は、そもそも、無いのかもしれません。飽く迄も私の考えですが、弁護士という職業の最大の難しいところは、勝った負けたと、同時に、まさにtakky2006さんが言われる、その部分にあり、結局弁護士さんは一生それに付き合うのだと、考えます。
ですから、takky2006さんは、この点をご理解なさって、ご友人に対されると宜しいかと思います。そこをご理解できるtakky2006さんは「なんだよお、こまかいこと気にするな!、どんと行けよ!」と笑い飛ばしてあげることが出来るはずなんじゃないのかな、と思います。私の考えですが。
取り急ぎご回答まで。
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笑顔と声のトーンを意識することが大切だと思います。普段、いい
話をする時は誰でも笑顔が出て、自然と声のトーンが高くなりま
す。暗い表情や抑揚のない声で嬉しい話をする人はいませんよね。
ご友人はお仕事ということで、そのあたり堅くなっていらっしゃる
のでしょうか。
また、話し手自身が喜んでいること(そしてまた、相手を喜ばせたい
と思っていること)を伝えなければ、相手も喜びの気持ちを表現して
はくれません。
話の最初に「◯◯さん、今日はいいご報告をさせていただきます
よ!」と、笑顔+明るい声で話せば、依頼者の方も「えっ、本当です
か!」と、思わず笑顔になるのではないでしょうか? また、話の途中
で「よかったですね」「私もいい結果が出せてほっとしています」
などと、自分の気持ちを織り交ぜると、冷たい事務的な感じにはな
らないのではないかと思います。
http://www.sophia-h-c.com/communi/rensai_syo/rensai23/39.html
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失礼を承知で申し上げます。
ご友人は弁護士の仕事に慣れてしまって、流れ作業のように依頼者と接しているんじゃないでしょうか。
自分には弁護士の知り合いが居ないので憶測ですが、きっと1つの案件ごとに綿密な調査や準備をしているんですよね。
きっと、忙しさの中に私情を挟めばやっていられないこともあるんじゃないかと。
その為に淡々と仕事をこなしていくうちに、そういうことと、依頼者へ報告する事が同じような感覚になってるんじゃないかと思います。
で、吉報を伝えた時に、依頼者にとって嬉しいことなのに良い反応がないと、努力したことが報われないようなやりきれなさを感じるんじゃないですか?
依頼者と接する時は、少しは感情を出しても良いんじゃないんですか。
悪い知らせも良い知らせも、それなりに伝えていいんじゃないですか。
人間同士のやりとりなんだから。
話をする前置きで「今日は良いお知らせが出来そうです」とか、そういうのを伝えて、話を始める前に一呼吸おいてみるとか。
続けて話すと、多分、急かしてちゃちゃっと済まそうみたいな感じに相手が思うかもしれないんで。
依頼を受けるってことは何度も話を聞いて、ある程度の信頼関係を築いているんですよね。
だったらなれなれしくない程度に親しみを込めるのは大事じゃないですか。
参考になりました。ありがとうございます。
依頼者が本当に困って頼りにしてるのなら、多分、、?自分の立場や気持ちを出来るだけ理解してもらおうとすると思います。。
弁護士さんとしてその気持ちに振り回されてはなりませんが、、理想的には、、同じことで怒りや悲しみの感情が共感できれば、、報告だけでなく、弁護活動でも自ずと表れるのを思います。。
心の共感は無いが、テクニックでクリアした時には、、一般的には事務的な表現に陥りやすいのを思います。
又、そういう人が良く使う営業テクニックとして、多くの方々がおっしゃてられるマニュアル的アドバイスがあると思います。。
http://qダミー
参考になりました。ありがとうございます。
必ずしも事務的だから相手が満足していないということでもないと思います。
無能力で愛想のいい弁護士よりも、愛想が悪くてもちゃんとやってくれる
弁護士の方がふつうは評価されるし、望まれていると思います。
ただ、依頼人と弁護士の間は信頼関係なので、あんまりとっつきにくいと
人間関係的なものが築けなくて、事件に関してもコミュニケーションが
とれない、齟齬が生じやすいとは思います。(ニュアンス的にわかりますよね)
負けても、コミュニケーションがとれていると顧客は文句を言わないし、
とれてないと、文句をいいふらす傾向があります。
まず、話し言葉についてのアドバイスだと、人間はある相手と向き合って、
どれだけ情動が動いたかで、関係があるとかないとか錯覚するようです。
ですから、喜ばせる、怒らせる、不安がらせる、安心させるなど
なにかしら、感情がうごくような発言をすると、人間関係があるように、
できたように思うと思います。必ずしも、おどけてみせるようなことを
しなくても、感情はうごくわけです。
また、補助手段として、あんまり会話が得意ではない場合、
電子メールはよい手段となります。この場合、話し言葉がそっけなくても、
書き言葉でそれを補える。ちょっとした元気づけに相手は安心する
ものです。そっけない人というのは、気持ちがないわけじゃなくて、
表すのが不得意な人だから、書くことはできると思います。
また、メールを打つとちゃんと返事を返してくれる(短くてよい)と
いうのは、依頼人にとってかなりの安心感です。
また、興奮して、事情などを筋道だって話せない依頼者でも、文章なら
わりあい客観的になれるというのもあります。
あんまり頻繁に打ってくるようだと仕事にさしつかえるので、
セーブするように言う必要がありますけど。
メールは海外では弁護士業によく使われていますね。
参考になりました。ありがとうございます。
事務的であることはなんら不都合なことではなく、冷静な態度を保っているということでもあり、弁護士の職務を全うするためには、好ましいことのようにも思われます。
内容が喜ばしいものであって、その内容が十全に相手に伝わっていれば、どんなに話が事務的であったとしても、相手に喜ばしい気持ちが喚起されるのではないかとは思います。表向き喜びをあらわに示されないことも、むしろ仕事の上ではやりやすさにつながるかなとも。
ま、喜びをあらわにしてもらえないというのは、不安を感じることでもありますが、喜んでもらうことが大切なのではなくて、困難な局面を協力して乗り越えていくことや、目標の達成に近づくことが大切なのだということを忘れたくないですね。
とはいえ、「話法」や「表現方法」を探してらしているということですから、今現在の話法や表現方法を見直す必要を感じていらっしゃるのでしょうね。「伝わってないのかな」という不安がおありなのでしょうか。
相手に伝っているのかどうなのかを確かめながら話を進めてみることや、相手の理解力を測りながら表現方法を考えるということは、できうる工夫かなと思います。実際、法律用語が盛りだくさんになると、一般にはなじみがないことばなので、なんのことだかよくわからなくなる、という事態はありえるでしょう。例えば、「よのうゆうせん」て言われて「切手」のことだってなかなか想像つかないですものね。わかってなさそうだな、って思ったら、言い換えてみるとか、そういうなんでもない工夫が実は存外有効だったりも。
絶対誰にでも通じる「話法」や「表現方法」なんてなかなかなさそうです。それを探すよりは、手近な工夫で乗り切れるとよいですね。
参考になりました。ありがとうございます。
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