日本語の「ゆめ(夢)」という言葉には、大きく分けて(1)眠っている時にみる心像・イメージ、(2)将来的に実現させたいと願っている事、の2つの意味があると思うのですが、英語の「dream」にも同様にこれら2つの意味があると思います。これがなぜなのか教えて下さい。

つまり、寝ている時にみる「夢」と、起きている時にみる希望的な意味の「夢」とが同じ単語で(洋の東西を問わず)表現される背景、理由が知りたいです。
なんとなく感じとしてはつかめるのですが、うまく自分では説明することができないので。

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  • 終了:2006/07/30 09:12:16
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ベストアンサー

id:castle No.3

回答回数1011ベストアンサー獲得回数12

ポイント40pt

夢といえば美しい夢も悪夢もありますが、現実ではない体験という点で共通してます。

希望を期待する未来もまた、実現されていない現実ですから、「まだ体験できない現実」として夢≒未来を想像するのは自然なことでしょう。

 

さて、希望を語るときは大抵「いい未来を手に入れたい」という願望を前提にして話をしているはずです。だから話し手は「自分の願いが叶った素敵な未来」を手に入れたいという意図のもとにイメージを表現したがっていると考えていいでしょう。不幸をネガティブな未来だとしたら、希望はポジティブな未来です。ポジティブな未来は、夢≒未来から、ポジティブな夢として置き換えることは可能です。

この「願いの叶った未来」の美しさを詩的に表現したいと考えたとき、美しい夢(ポジティブな夢)になぞらえて《夢》という単語を使いたくなるのではないでしょうか。

id:crisis-christ

なるほど、有難うございます。

特に最後の一文に納得させられる点があります。

2006/07/24 02:34:20

その他の回答11件)

id:takahiro_kihara No.1

回答回数833ベストアンサー獲得回数11

ポイント10pt

http://www.mscom.or.jp/suneye/html/dream.html

「夢は潜在意識からのメッセージ」だそうですから、

洋の東西を問わず、(2) => (1) になるのでは?

実際に見る夢が、こうなるのかは知りません。

id:crisis-christ

>「夢は潜在意識からのメッセージ」

ということを、夢という単語ができた当初から、皆がそれこそ無意識的に認識していた、ということでしょうか?

2006/07/24 02:23:46
id:jennga No.2

回答回数5ベストアンサー獲得回数0

ポイント20pt

基本的に、「夢」という言葉の持つ、(1)眠っている時にみる心像・イメージ、(2)将来的に実現させたいと願っている事 という二つの意味は、実は根底では同じだといえます。

昔の人は(今もですが)、人間がなぜ夜眠っている間に夢を見るかが分からず、そこに自分の願望や未来がうつると考えていたわけです。

また、自分がはっきりと認識している願望が夢で成就した場合には「正夢」というように、きっと現実の世界でもそうなるだろうと考えたわけです。

これは、洋の東西を問わずにそうなのです。

プラトンのイデア論・二元論をみずとも、天国や地獄・善や悪といった二つの相反する概念が、一つの「セット」として考えられます。その際、「現実と夢」は一つのセットなわけです。

id:crisis-christ

私が、なんとなく感じとしてつかんでいる考えに近い御回答なのですが、いま一つ納得できない所があります。

>昔の人は〜、そこに自分の願望や未来がうつると考えていた

>願望が夢で成就した場合には〜、きっと現実の世界でもそうなるだろうと考えた

これらが、「洋の東西を問わずにそう」であるということそのものがよく掴めないのです。

本当にそうなのか?なぜそうなのか?と。

2006/07/24 02:31:24
id:castle No.3

回答回数1011ベストアンサー獲得回数12ここでベストアンサー

ポイント40pt

夢といえば美しい夢も悪夢もありますが、現実ではない体験という点で共通してます。

希望を期待する未来もまた、実現されていない現実ですから、「まだ体験できない現実」として夢≒未来を想像するのは自然なことでしょう。

 

さて、希望を語るときは大抵「いい未来を手に入れたい」という願望を前提にして話をしているはずです。だから話し手は「自分の願いが叶った素敵な未来」を手に入れたいという意図のもとにイメージを表現したがっていると考えていいでしょう。不幸をネガティブな未来だとしたら、希望はポジティブな未来です。ポジティブな未来は、夢≒未来から、ポジティブな夢として置き換えることは可能です。

この「願いの叶った未来」の美しさを詩的に表現したいと考えたとき、美しい夢(ポジティブな夢)になぞらえて《夢》という単語を使いたくなるのではないでしょうか。

id:crisis-christ

なるほど、有難うございます。

特に最後の一文に納得させられる点があります。

2006/07/24 02:34:20
id:jump1 No.4

回答回数216ベストアンサー獲得回数8

ポイント30pt

夢という言葉は「寝目」(いめ)という言葉が語源の説が有力です。寝ている間に見えるものという意味です。

これが平安時代以降に「ゆめ」となって、目が覚めると見ていた物事が消えてなくなることから、はかないものとして恋愛や世の無常を詠った和歌などの比喩表現に頻繁に使われるようになりました。

フロイトは、夢とは抑圧された願望の無意識の表れといっています。願望のイメージ=夢(dream)という使われ方は、もともと西洋の言語文化だったのかもしれません。

キング牧師の有名な言葉で「I have a dream」という言葉があります。

これは黒人差別撤廃運動のなかで、黒人が差別されない世の中にしたいというキング牧師の願望の言葉です。このようにdreamには明らかに願望として使われる言葉です。

明治期にたくさんの外来語が輸入された時に、当時の知識人達が苦心して日本語に取り入れていった過程で、この夢という言葉も、願望と睡眠中のイメージの2つを表わすdreamの翻訳語として位置づけられたのではないかと思われます。

id:crisis-christ

有難うございます。

とすると、日本には(中国かな?)起きている間にみる願望を意味する「夢」に相当する言葉は別にあったのでしょうか?

そもそも中国では希望的な意味で「夢」を使うんでしょうか…。これは自分で調べてみます。

dreamで真っ先に思いつくのは、やはりキング牧師の演説ですね。

フロイトの遥か以前からdreamは両方の意味での夢であったわけですよね(違うのかな)?

西洋文化的には自然な感覚だったのでしょうけど、どうしてでしょうか?

いずれにしても、明治期における外来語翻訳の御苦労には頭が下がります。

2006/07/24 03:42:16
id:HONMA9691 No.5

回答回数2529ベストアンサー獲得回数36

ポイント20pt

起きている時にみる希望的な意味の「夢」・・・・実現は困難=寝言みたいなこと言ってるよ=寝言は寝て言え=寝言=寝ている時にみる「夢」

id:crisis-christ

うーむ、これは各項目がイコールでむすんでありますが、寝ているときにみる夢の方から考えていくと、そうはならないように思います。

2006/07/24 23:59:53
id:apple-eater No.6

回答回数420ベストアンサー獲得回数8

ポイント20pt

>日本には(中国かな?)起きている間にみる

>願望を意味する「夢」に相当する言葉は別にあったのでしょうか?

古今和歌集に

「寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞ夢にはありける」

とあるので、「夢」を願望の意味で使うことはあったと考えます。

(広辞苑を参考)

id:crisis-christ

私の解釈がよくないのだとおもいますが、この句の「夢」は、願望を含意してはいても、起きている間にみる希望を意味する夢と同等のものではないのではないでしょうか?

2006/07/25 00:08:53
id:daiyokozuna No.7

回答回数3388ベストアンサー獲得回数75

ポイント25pt

起きている時でも「総理大臣になって日本を動かすぞ」と言えば、『まだ寝てるのか?』といわれるでしょ?

「実現不可能な希望、理想」をいうと、『寝ぼけてるのか?』とか『寝言は寝てから言え』、『夢の見過ぎだ』といわれますよね。

寝ている時にみる「夢」と 希望的な意味の「夢」とがつながるのは、どちらも現実でないということでしょう。


眠る時の夢が先で希望の意味の夢が後で使われ出したのではないでしょうか?

id:crisis-christ

5番HONMA9691さんのものを補足されたようなご回答ですね。

寝ているときにみる「夢」ありきで考えた場合そうなりますね。

猫だって夢をみるらしいので、やはりそうなんでしょうかね。

2006/07/25 00:18:05
id:aiaina No.8

回答回数8179ベストアンサー獲得回数131

ポイント10pt

http://www.h7.dion.ne.jp/~tetugaku/yume.html

こちら興味深いと思いますので、ご参考にどうぞ

id:crisis-christ

うーん、これは二種類の「夢」について思うところを著者が詳述しているものであって、この質問に対する答えに踏み込んでくる部分は、残念ながら私にはわかりませんでした。

2006/07/25 00:23:39
id:sami624 No.9

回答回数5245ベストアンサー獲得回数43

ポイント20pt

裏を返せば、「両者共に現実ではない」ということですよね。

寝ているときに見ているものは、当然に現実世界とは異次元な物ですし、将来の願望といえる夢も、現実になればいいというだけで、現実とは相違するものです。

現実とは相違する架空の出来事という意味で、共通点があるといえるのどはないでしょうか。

id:crisis-christ

古代中国や日本ではそれほどしっかりと夢とうつつを区別したものと捉えてはいなかったように思いますが、だからこそ同じ言葉で表現するようになったのでしょうね。

西洋でもそうなんでしょうか。

2006/07/25 00:30:04
id:castle No.10

回答回数1011ベストアンサー獲得回数12

ポイント30pt

二度目の回答で失礼します。

個人的な感想になってしまいますが、昔の日本語では理想や希望としてのドリームをあらわす単語として「志」が相応しいように思います。

「少年よ大志を抱け」を「少年よ大きな夢を抱け」と言い換えてもあまり違和感を感じませんので。

 

志→夢に変わった経緯としては、jump1さんの指摘された開国後の翻訳作業があるのかもしれませんが、戦後のGHQによる教育改革の影響もあるような気がします。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2006/07/post_2888...

英語の本場が関わっていたとしたら、ドリームと夢の用法が近い理由もつきそうなので。

 

いま使っている日本語は戦前の言葉とはかなり異なるようですね。自覚に乏しいのですが、なんともいえない不思議な気持ちです。

id:crisis-christ

なるほど、有難うございます。

日本語の「夢」については、起きているときにみる希望・願望の意味は後付けされたものとして一応は説明できるようですね。

これまでの御回答を拝見しても、2つの「夢」のイメージに対してシンパシーを感じる素養がもともと日本人にもありそうなので、すんなりと同じ単語で落ち着いたと考えられますでしょうか。

とすると、問題は「dream」の方になりますね。。。

そもそも、英語だけではなくほとんどの言語において、寝ている時の夢を表す単語には、起きている時の希望の意味があるものなのでしょうか?

もう少し御回答を募集してみることにします。

2006/07/25 18:55:34
id:apple-eater No.11

回答回数420ベストアンサー獲得回数8

ポイント30pt

dreamについて:

dream --� Encyclop�dia Britannica

西洋では古来:

夢 = 異世界での体験 = 神のお告げ

という認識のようです。

上記リンクより引用

Philosophers continue to argue about the differences between reality and dreams. The English philosopher Bertrand Russell (1872–1970) wrote, “It is obviously possible that what we call waking life may be only an unusual and persistent nightmare,” and he further stated that “I do not believe that I am now dreaming but I cannot prove I am not.”

面白いことは、夢と現実とは区別できないという考えもあるということです。

どちらも脳にとっては同じことなのかもしれません。

さて、願望としての「夢」は「神のお告げ」から転じたのかしらと推測しています。困ったときの神頼みってやつね。

id:crisis-christ

ほほぅ、有り難うございます。

やはり西洋でもそうなんですね。

で、なんか一周してしまいましたが、結局のところ、夢という単語ができた当初から、皆がそのように認識していたということでしょうかねぇ…?

2006/07/25 22:57:27
id:sirouto2 No.12

回答回数47ベストアンサー獲得回数1

ポイント25pt

>夢という単語ができた当初から、皆がそのように認識していた

確かに上で出ているように、寝目(いめ)・寝見(いみ)が平安時代ごろに変化したのではないかと言われていて、儚さの比喩としても使われていたでしょうが(信長の敦盛みたいな)、「理想」「(将来の)希望」の意味で使われるのは近代からでしょう。

しかし、昔は呪術的な風習がある社会ですから、古代から中世にかけて夢が政治的判断に使われることはありました。また西洋や中国でも古くから夢に関する話が出てきます(マリアの受胎告知・胡蝶之夢など)。

だから、時代が下るにつれ、尻尾が退化して尾てい骨にのみ名残を留めるように、(個人の)将来のビジョンの比喩としてのみ、「夢」を使おうという気分になった、というところではないでしょうか。

id:crisis-christ

有難うございます。

これまでの皆さんの御回答を踏まえて考えることで、大分すっきりしてきました。

「夢」以外にもこういった事例(違う次元、事象の意味付けがある同じ単語になされているものがあり、他言語でも同様にそれらの意味付けがなされている単語)があるのか直ぐには思いつきませんが、そういったものにさらに興味がでて参りました。

有り難うございました。

2006/07/30 09:05:46
  • id:takahiro_kihara
    ゴメンなさい。
    一番初めに回答したけど、その後チェックするのを忘れてました。
    オイラアフォやし、何でもすぐ忘れちゃうのよね…

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