徳川政権としては鎖国を続ける中で、数百年の基本的信頼関係の上で朝鮮国だけから公式に海外の文化、文明の貿易を認めている。
それが、欧米列強から開国という形式で侵略の危機に瀕する近代になり、日本国民にも自然とナショナリズムが持ち上がり、独立を守る精神的絆が成長してくる。。
その時に、どういう訳か、、牙を見せたこともないし、先方から攻め込まれたこともない朝鮮に対し、日本のナショナリズムが『征韓論』に飛び火する。。
そのリーダーが吉田松蔭、橋本佐内、真木和泉守、林子平、佐藤信淵、平野国臣。。
彼ら有力な思想家が朝鮮征韓論を唱えるということは、明治期の源流、征韓論を天下の公論となす。。
維新の元老・木戸孝允、外務卿(大臣)・沢宣嘉はじめ征韓論者でない政府高官はいないと言う。。
のちの自由民権を唱えた板垣退助、江藤新平も直ちに征韓断行を主張し、それが入れられずに下野した。
反対者、大久保、岩倉も征韓論自体に反対するのではなく、日本の国力が列強の干渉をはねつけるに不十分と、時期尚早が理由であった。。
福沢諭吉に至っては、朝鮮は遅れた国だから征服して日本が支配することで近代化してやれると論じた。。
1868年、日本政府は王政復古を朝鮮に告げる。
その時の国書で、日本の君主を『皇上』とし、その言葉を『勅』と称し、『皇上が登極した』と言い渡す。
古代中国思想の誇りを大切にする世界観で、朝貢国として日本とは対等の国であり、最友好国であるはずの日本が、朝鮮王に日本天皇の臣下となり服従を求められる。。
朝鮮は決して、この日本側国書を受け取らない。。
これが、日韓との意思疎通が出来なくなった経緯だと、小室直樹氏は指摘する。。
徳川政権としては鎖国を続ける中で、数百年の基本的信頼関係の上で朝鮮国だけから公式に海外の文化、文明の貿易を認めている。
それが、欧米列強から開国という形式で侵略の危機に瀕する近代になり、日本国民にも自然とナショナリズムが持ち上がり、独立を守る精神的絆が成長してくる。。
その時に、どういう訳か、、牙を見せたこともないし、先方から攻め込まれたこともない朝鮮に対し、日本のナショナリズムが『征韓論』に飛び火する。。
そのリーダーが吉田松蔭、橋本佐内、真木和泉守、林子平、佐藤信淵、平野国臣。。
彼ら有力な思想家が朝鮮征韓論を唱えるということは、明治期の源流、征韓論を天下の公論となす。。
維新の元老・木戸孝允、外務卿(大臣)・沢宣嘉はじめ征韓論者でない政府高官はいないと言う。。
のちの自由民権を唱えた板垣退助、江藤新平も直ちに征韓断行を主張し、それが入れられずに下野した。
反対者、大久保、岩倉も征韓論自体に反対するのではなく、日本の国力が列強の干渉をはねつけるに不十分と、時期尚早が理由であった。。
福沢諭吉に至っては、朝鮮は遅れた国だから征服して日本が支配することで近代化してやれると論じた。。
1868年、日本政府は王政復古を朝鮮に告げる。
その時の国書で、日本の君主を『皇上』とし、その言葉を『勅』と称し、『皇上が登極した』と言い渡す。
古代中国思想の誇りを大切にする世界観で、朝貢国として日本とは対等の国であり、最友好国であるはずの日本が、朝鮮王に日本天皇の臣下となり服従を求められる。。
朝鮮は決して、この日本側国書を受け取らない。。
これが、日韓との意思疎通が出来なくなった経緯だと、小室直樹氏は指摘する。。