説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。
質問文からは "the kitty" なのか "a kitty" なのか、それとも "kitties" なのか読み取れないので、「子猫を殺す」という文言を拡大解釈しました。それは認めます。
neocup さんがおっしゃるのを正しいとすれば、質問文に子猫はそれぞれ唯一無二の存在で不可換だという前提が隠れていることになりますが、それを万人が受け入れている事実だということを誰が証明してくれますか?
ふと、小説のデビルマンに出てくる妖鳥シレーヌの妹、イフェメラを思い出しました。
イフェメラはデーモンでありながらなんの超能力も持たず、か弱い。
しかし、その類まれなる美しさによってより強いデーモンに守られ(かこわれ)ることにより、弱肉強食が支配するデーモン達の世界で生き延びていくのです。
その美しさこそがまさにイフェメラが持つ『超能力』なのであり、進化なのでした。
まさに子猫のようだと思いました。
猫はこの人間社会で生きていくために、人間を利用して『超能力』を身に付け、まさに進化してきたのではないでしょうか?
馬鹿なことを言うなよ、猫にそんな意思があるはずないだろ。それに見てみろよ、こんなにつぶらな瞳をしているじゃないか。ヒドイことを言うな!人間として恥ずかしくないのか!?おー、可愛そうにヨシヨシ…
…というような人間によって猫はどんどん改良され、確実に超能力を増していっています。
そして既にその影響力はメディアを巻き込みながら人間社会全体にまで伸びていますよね。
そのようにして、猫は確実に人間社会に地位を確立していっているのではないでしょうか。
今や、猫は作家を殺すことだってできそうです。
人間は自らの手によって、猫に自分自身を殺すことができるだけの超能力と地位を授けたのです。
ちなみにイフェメラはその後、勇者アモン(後のデビルマン)によって殺されることになります。
アモンの発したエゴ(自己愛)という名の業火に焼かれて。
猫はどうなるでしょうね。
寄り添うべき人間を超えてしまったとき、人間は猫をどうするでしょうか。
殺すしかない。だって、僕にとってはウルサいんだもん。
だから、そもそも公理系が違う人を、論理で説得することは不可能。
倫理・宗教・法律を持ち出すか、情に訴えるしかない。
呪いは非科学的=論理(≒言葉?)では説明できない。
よって、僕は、畏れる必要はない。
説明すると弁当箱より分厚いノベルス本が1冊乃至2冊
書けてしまうのでここでは敢えて書きませんが、
倫理でも宗教でもない呪いは確かにあるのです。
アンタが好いてくれるんなら。
一日一回以上、待ちでヤニ(煙草)の吸い殻を見て、
ヤニは大嫌いじゃ、との思いを日々強くしております。
猫は化ける。オッカナー。
#あんまりこういうロクでもない回答をいわしに書いてると、
#荒らしと思われるか?
そもそも公理に、社会的拘束力はありません。わざわざ、公理など
という単語を持ち出したのは、そのためです。
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数学の公理は、証明を要する定理ではありません。万有引力物など
の自然科学や社会科学の法則でもありません。
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また、ユークリッド幾何と非ユークリッド幾何のように、あるいは
連続体仮説のように、ある公理の体系の中では矛盾ないが、他の公理
の体系とは、単なる水掛け論しかできない、元来そういうものです。
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社会的拘束力を持たせようとするなら法律でしょう。
しかし、元質問者さんは、法律による説明はして欲しくない。
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豊かな数学の体系を作ることの出来る公理もあります。その数学の
おかげで社会が豊かになることもあるでしょう。
しかし、ある公理を使わなければ、やがて、その社会が滅びるなん
てことを、導き出し証明しようとすると、それは宗教と呼ばれるで
しょうね。
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通常、良い悪いを決める基準を倫理と呼びます。
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人を殺していけない。同様に、
動物も殺してはいけない。しかし目的がある場合は除く。
ただし、その目的が快楽である場合は、認めない。
がしかし、次の時は特別に・・・・。
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倫理の底には、感情が含まれると思いますが、感情を優先し途中を
省略して良い悪いを決めると、情に訴えたことになるでしょう。
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元質問者さんは、いずれの説明も望まない。
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1+1=2 とし 1+1+1=3 とする、(1+1)+1=3 だから 2+1=3 とも書く
ことができる、こんな感じの積み重ねをすること無しに、
「子猫」と「殺す」と「いけない」だけ持ってきて、
子猫 + 殺す と いけない がなにゆえ = で結ばれるのか説明せよ。
そんな説明を望んでいるなら、
それなら、それだけで「公理」として取り扱えばよいと。
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ペアノの公理から証明できるとは言っていません。
新しい公理を作ってしまえ。そんなのもありだ。と。
子猫 <- 殺す= いけない。これを、1+1=2 と同様のレベルで成立
する公理「子猫の公理」とする。と。
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言葉の遊びと言えばそれまでです。
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情に訴えるつもりはありません。
倫理や法律といった、社会的な支持も拘束もありません。
家訓のような、ご先祖様の権威もありません。
ジャイアンの腕力もありません。
でも、
ケースバイケースでなく、1+1=2 と同様に絶対に成立します。
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赤いリンゴと、青いリンゴ、違いを無視して、1+1 すると、
リンゴは、2個になります。この世に完全に同じリンゴが、存在し
なくても、あなたはリンゴが2個あると、納得できるでしょうか?
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リンゴが2個あると納得できるなら。
子猫を殺すことはいけない。も納得してください。
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リンゴが2個あれば、2倍の代金を払うかどうかは、交渉の余地が
あるでしょう。腕力を使えば、只になるかも知れません。1+1=2
に納得しても行動は別です。公理とはそんなものです。
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かなりすっ飛ばしています。詭弁も混じっています。
しかし、倫理も法律も宗教も情も抜きました。
子猫を殺すことはいけない。これは公理です、納得してください。
。
もし殺したら嫌われる。
その場合は「子猫を殺してはいけない」ことが公理である示す必要がありませんか? でなければ「それはあなたの公理です。わたしの公理ではありません」という水掛け論になってしまいます。
数学の例をなぞると、子猫を殺すことを禁じた結果(或いは子猫殺しを許可した結果)、社会の論理が破綻すると証明しないと説得力に欠けます。子猫を殺したために滅亡した社会の例を観測して記録するとか。
殺す必要がないことを説明する回答は、その行為の必要性を仮定されると覆ってしまうので今ひとつですね。「猫殺し or die」みたいな行動原理で動く人を止めにくいというか。総論としてはいいんですが。
> 殺す手段を考えるのが面倒だから。
は、殺す手段を考えるのが趣味の人には通じないですね。
高等生物が他の生物を殺さずに生きることはほぼ不可能と思われますが。
元の回答が成り立つには「子猫同士は等価で可換である」という仮定が必要だと思います。
ご本人が日経に反響に対するコメントを出しておられますが
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2366513/detail?...
以下、ご本人のお言葉のみ抜粋
この行為が日本/日本人/日本的価値観の超社会主義的体質を根本から変えるとは到底思えないので(そんなことをしなくても時代が日本/日本人/日本的価値観を既に変容させていますが…)、そうであれば明らかに彼女はいわゆる「弁明」をしているということになってしまい、これはやはり保身やそれに伴うストレスを生んでいるのであって、そんなことにわざわざ手を染める必要はない、つまり自分の精神的な健康のためにしてはいけない、ということになるのでは
坂東さんが「狂っているのはあなた方のほう。わたしの自由はよりグローバルで本源的なものに由来する」と述べておられるのは、簡単な言い方をすれば「倫理的にはとやかく言われる筋合いはない」ということかと思われます。一方で倫理面(あるいは社会通念や良識)から彼女を攻撃する声が大半なのかと言えば、それは論戦上のツールないしは外殻に過ぎず、その本源は恐らく、身近な動物(この場合は愛玩動物)を殺すことに対して大半の人間が共通に持つであろう忌避(ないしは良心)なのでは…
そうであればこのやり取りはごくごく簡単に言い換えれば
「可哀想じゃないか!」
「そうかしら。わたしは別にそうは思わないけれど何か?」
となるはずなのに、さすがにそんなことをあっさりとは言い切れないのか、より普遍的な倫理とは何か?みたいな話が展開しており、これは思考の混乱をもたらしているように思えてなりません…
最初の主張を敷衍して「…そんなこと言われたって、わたしは避妊より子猫殺しの方が正しいと思う」と言い切れない、「他の人は知りませんが、わたしはそれほど可哀想とは思わないんです」と本音をはっきりと述べられない、そんな混乱を思考にもたらす行為は、自分のためにもすべきではないかと