変な宗教にはまっているひとを指して「あちら側へ行っちゃった」とよく言いますが、この場合の「あちら側」と「こちら側」の境目ってどこなんでしょう? ここ数年のスピリチュアルブームについても「こちら側」と「あちら側」の線引きがある気がするのですが、個人的な意見で構いませんので、皆さんのご意見をお聞かせください。
「変な宗教」と質問者さんは書いていますが、当のはまっている人はそれを変とは思っていないわけです。-
つまり「世間一般」の価値観を共有できるか出来ないか、が「あっち」と「こっち」の分かれ目である(すなわち、その間に境界が存在する)と思います。-
民族学っぽく言えば、常識を軸に結束したムラと、異なる価値観をもつ異物・よそものの対立といえるのではないでしょうか?
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「変な宗教」と質問者さんは書いていますが、当のはまっている人はそれを変とは思っていないわけです。-
つまり「世間一般」の価値観を共有できるか出来ないか、が「あっち」と「こっち」の分かれ目である(すなわち、その間に境界が存在する)と思います。-
民族学っぽく言えば、常識を軸に結束したムラと、異なる価値観をもつ異物・よそものの対立といえるのではないでしょうか?