変な宗教にはまっているひとを指して「あちら側へ行っちゃった」とよく言いますが、この場合の「あちら側」と「こちら側」の境目ってどこなんでしょう? ここ数年のスピリチュアルブームについても「こちら側」と「あちら側」の線引きがある気がするのですが、個人的な意見で構いませんので、皆さんのご意見をお聞かせください。
神が居ることを物理的に証明した人はいません。そのまた逆に、居ないことを証明した人もいません。
居るのか居ないのかわからないものは結局、「わからない」が答えです。
あちら側に行っちゃった人からしたら、そこに神は居るのでしょう。
でも、その人も神の存在を証明することは出来ません。そして、居ないことも証明できません。
だから、線なんて引こうと思うことは、実はとても難しい問題なわけです!人知を超えたところに答えがあるんじゃないですか?
少なくとも私にはわかりません。
しかし、すごいシンプルでいい質問ですね?
また、変な宗教の定義として、変な宗教とそうじゃない宗教の区別はどうなのか?と、いった場合。それは社会貢献しているのか?そうじゃないのかの差ではないでしょうか?
いずれにせよ境目があったとして、そういことで身近な人が迷っていたら話を聴いてあげられる、そんな自分がそこに居ればいいんじゃないですか?
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神が居ることを物理的に証明した人はいません。そのまた逆に、居ないことを証明した人もいません。
居るのか居ないのかわからないものは結局、「わからない」が答えです。
あちら側に行っちゃった人からしたら、そこに神は居るのでしょう。
でも、その人も神の存在を証明することは出来ません。そして、居ないことも証明できません。
だから、線なんて引こうと思うことは、実はとても難しい問題なわけです!人知を超えたところに答えがあるんじゃないですか?
少なくとも私にはわかりません。
しかし、すごいシンプルでいい質問ですね?
また、変な宗教の定義として、変な宗教とそうじゃない宗教の区別はどうなのか?と、いった場合。それは社会貢献しているのか?そうじゃないのかの差ではないでしょうか?
いずれにせよ境目があったとして、そういことで身近な人が迷っていたら話を聴いてあげられる、そんな自分がそこに居ればいいんじゃないですか?