「愛せる国や郷土をともに作ろうと努力する」が個人的にはしっくり来るのですが。
人を愛することも愛せることが先だと思いませんか?
「国土」「郷土」「国民」は愛してる。でも今の政府は愛したくもない。国は愛せてもこの国の政治は愛せない。国土を愛することと国家を愛することは分けて考えたい。
愛国心という言葉は実に都合が良い言葉だなと.
私は自分の生まれた土地にそれなりに愛着があります.
特別良い土地ではないし,周りからはむしろ良くないと言われることもあります.それでも生まれ育った土地ですから.
でも政府となると別ですね.今まで失望させられる日本政府しか見てこなかったので.
で,愛国心に戻りますが…
なんだか愛国心というと,政府への忠誠度みたいなモノと感じてしまいます.
そういう意味で今の日本にいて愛国心なんてくそくらえと思ってしまいますね.
国土,郷土,国民は確かに愛していますが.
北朝鮮や中国でこんなことやっていたら、すぐさま全員強制収容所送りでしょうね。徴兵制も無いし、日本って良い国だと思うんだけど。所得の格差も比較的少ないし、飢え死にするとニュースになるほどだし、あれで内輪の都合だけ優先するような無駄遣いさえ止めてくれれば最高だと思うけど。
今の日本は確実に戦争に傾斜しています。アメリカの戦力の肩代わりをする国にするために政治をやっている人が頂点にいます。
所得の格差も広がって、既にOECDのリポートでは日本は貧困率が高いだけでなく、貧困率拡大の割合も大きい国とされています。
http://www.oecd.org/dataoecd/48/9/34483698.pdf
愛される日本はどんどん過去の物になりつつあります。この国がたまらなく好きだからこそ、この国の良さを壊し続けている政府は愛せません。
徴兵制は人海戦術で領土と住民を取り合った帝国主義の時代の遺物です。現在では強い軍を作ろうとすればスペシャリストの養成とハードとソフトの研究開発及び購入といったレベルの作業になります。人件費や諸経費は同じぐらい掛かりますけど。戦術核兵器一発で一軍団が全滅するのに兵隊の頭数だけ揃えて無駄な食い扶持を抱えたがる国家は北朝鮮や中国ぐらいです。それらは社会不安を圧殺するという人的目的があるから成立するメソッドですが。戦争は子供の喧嘩と似ています。最初の「かまし」が大切なので喧嘩にならない為にも実力を誇示する必要があります。とは言っても出来るだけ経費を掛けたくないのは、どの国でも同じですが。基本的には「自分は銃を持っているが相手は持っていない。」などという理屈が幅を利かす世界なのです。
戦争は上から命令されて行う組織的な人殺しです。個人の意志で避けることのできる喧嘩とは全く違います。ましてや口先だけにしても規範意識の高揚で美しい国を作ろうと言う政府の支持者が、子供の喧嘩と戦争を同一視するなどもってのほかではないでしょうか。子供の喧嘩は「かまし」で回避するのではなく、規範意識で起こらないようにすべきではありませんか。戦争も同じです。
私は世界に先駆けて戦争を放棄した、堂々とした力強い、規範意識に満ちた、そういう美しい国を愛しています。他人の振り上げたこぶしにビクビクして、強い者に媚びへつらって相手を潰そうと画策するような、弱虫で汚らしい国は見たくないのです。この国を愛すればこそ、安倍政権への嫌悪がつのります。
普通なら自然に芽生えるのは郷土愛になるのでしょう。
とはいえ、家庭内暴力が激しかったりすると歪んだ形で国家愛のような形になったりしそうですし。
愛も環境しだいですね。
しかし、その土地で過ごしているときには当たり前過ぎて、好きだということが自覚できないことが多いです。
その土地以外の所に住んで初めて自覚することが多いです。
ですから、他の土地に住んで、郷土が好きと自覚することはよくありますが、日本という国が好き、ということに関してはなかなか自覚できないことが多いです。
(外国に住むということは普通はあまりありませんので・・・)
しかし、戦後の日本は、圧倒的な負け方をした反動とアメリカの占領政策により、戦前の日本国を全否定することになり、戦前の日本を知る人間が減るに連れ、否定的な教育はどんどんエスカレートしていったと認識しています。
結果、自然に芽生えるはずの好きという感情を自覚する前に否定的な感情が植え込まれることとなり、その教育があまりにも行き過ぎた結果、それを揺り戻すために「愛国心」というキーワードが教育の世界に取り込まれることになったと考えています。
もう少し中立的な教育がなされていれば、こんなことにはならなかったと思います。(そもそも行き過ぎと思っていなかったのでしょうが)
何事も行き過ぎは良い結果を生みませんね。
行き過ぎには行き過ぎで対抗して初めてバランスがとれるのかも。